43.誤解エール
「はい、じゃあ今日はここまで! 二人ともお疲れ様」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました……。あれだけやって随分と元気なのねあなた……」
時刻は夕時。
特訓の終了を告げたリオナさんにお礼を述べると、少し疲れ気味のハルカ先輩にそんな事を言われた。
言われてみれば確かに昨日とは比べ物にならない程に自分は元気だ。
「確かにそうねぇ。安定して魔力を制御していられる時間も少し延びてたし、昨日無理をした甲斐があったみたいねタケル君!」
「いや、お願いですから昨日みたいな事を急にするのはもうよしてくださいね……?」
それに、「無理をした」ではなく「無理をさせられた」というのが正しい言い方だ。
確かに普段の特訓から死ぬ気で取り組むべきだと思い、特訓中はティストさんに殺気を向けられた時の感覚を思い起こしながら防御をしているが――
「――あれ? だったら寧ろやってもらった方が良いのか……?」
「え……何言ってるのあなた……?」
隣にいるハルカ先輩が、信じられないものでも見たかの様な視線を向けてくる。
「あなた、自分が死にかけたって事をちゃんと理解してるの!?」
「えっ!? は、はいっ」
ハルカ先輩のあまりの剣幕に思わずたじろぐ。
いや、実際にはそれほど声が大きかったりしたわけではない。
しかし、普段の抑揚の少ないハルカ先輩の語り口に既に慣れていた自分には、あまりにも感情が籠っている様に感じられたのだ。
痛ましい程の"怒り"の感情が。
「そ、その……すみません……」
半分無意識に、口からは謝罪の言葉が漏れていた。
そんな自分の言葉を聞いてハルカ先輩はハッとし、声を鎮めてどこか焦った表情で返答する。
「ッ――こちらこそ……ごめんなさい。急に……大声だして……」
「い、いえ、そんなに声は……その、大きくなかったですよ?」
「そ、そう……?」
まるで無理やり押さえつけたかの様にぎこちないその語り口に、自分もつられてしまい、会話自体がどこかたどたどしくなってしまう。
そのままどちらも言葉が出ないまま膠着してしまったのだが、しばらくするとハルカ先輩は一つ深呼吸をした後、落ち着きを取り戻した様子で口を開く。
「……もしあなたが特訓が原因で死んだりしたらリオナさんに……延いてはリオナさんに任せたティスト様に……あなたを死なせてしまったという事実を背負わせる事になるのよ……?」
「ッ――!」
表情は乏しく語り口は平坦な普段通りのハルカ先輩の言葉であったが、それが自分に与えた衝撃は相当なものであった。
何故その事実に思い至らなかったのか、到底自分が信じられない。
自分はそれを――人の死を背負うという事の辛さをよく知っているはずだ。
あの痛みを、辛さを、ティストさんたちに与えるなんて――
(違う……あんな痛みで済むわけがない……)
自分たちは既に他人ではない。
知人の命が自身の行いの結果失われるのだ。
想像をしただけで胸の奥深くが潰れそうな程に苦しくなる。
「あなたにもあなたなりの強くなりたい理由があるんでしょうけど……そのためにあんな危険な事はするべきじゃない……と、思う……。そんなもの……誰も背負わないに越したことはないもの……」
「はい……」
どんよりとした沈黙が場を包む。
(ひょっとしたらハルカ先輩も……)
何かを背負った経験があるのかもしれない。
そう思うと、次に何を言って良いものかわからなくなったのだ。
「――まったく……」
そんな沈黙を破ったのは少し悲し気な表情を浮かべたリオナさんであった。
「二人ともまだ若いんだから、『死んだら』なんて悲しい話しないの! 寧ろあなたたちが死なずに済む様に私が教えてるんじゃないの!」
「まあ……彼を殺しそうになったのは、リオナ先生ですけどね……」
良い事を言った風なリオナさんであったが、ハルカ先輩の的確な指摘が突き刺さる。
「うっ……確かにそれはそうなんだけど……」
「……」
「でもほら、わざとじゃないっていうか……」
「……」
「うぅ……ちゃんと反省してるってばぁ……」
言い訳じみた事を述べようとするリオナさんであったが、ハルカ先輩の無言の圧力に屈した様で半べそをかき始める。
立場上は講師であるリオナさんが上のはずなのだが、こうして傍から見ている分にはどう考えてもハルカ先輩が上である。
「ま、まあまあハルカ先輩。リオナさんもちゃんと反省してるみたいですし、その辺で……」
「いやだから……一番先生を怒らないとダメなのは……まあいいわ……」
ハルカ先輩には少しあきれられた様な気がするが、別に自分はリオナさんを責めたい訳でも、リオナさんとハルカ先輩を言い争わせたい訳でもないのだ。
「ほら、僕は別に大丈夫ですから、リオナさんももう泣かないでくださいよ」
「うぅ……優しさが身に染みる……。本当にごめんねタケル君……」
よっぽどハルカ先輩の無言の圧力が怖かったのか、リオナさんは依然としてべそをかいている。
「はい、謝罪はちゃんと受け取りましたから、そろそろ出ましょう。早くしないと次の人が来ちゃいますよ」
「ふぇ……? 今日は別にこの後は入ってないわよ……?」
まだ体力が残っているので本当はもう少し特訓をつけてもらいたいが、後の人に迷惑をかけるわけにはいかない。
そういう考えでそう言ったのだが、ようやく泣き止みかけたリオナさんがそんな予想外の答えを返してきたので思わず聞き返す。
「え? じゃあなんで今日はもう終わりなんですか?」
「だって定時で帰らないとキーくんにご飯作れないじゃない?」
――なるほど。
(……ん? サキトが自分で作ればいいのでは……?)
思わず納得してしまったが、よくよく考えてみれば別にそれ程説得力溢れる理由ではなかった。
いや、確かに定時というのは大事な事なので別に無理強いするつもりはないのだが、なんだか友人の家での怠けぶりを聞かされている様で、「果たして納得してしまっても良いのか」という気分になってくるのだ。
そんなよくわからない葛藤をしていると、今度はハルカ先輩が理由を述べる。
「そもそも……あなたは元気かもしれないけれど、私はもうヘトヘトだわ……」
「な、なるほど……」
確かに今日は何故かまだまだ元気だが、昨日は自分も今すぐに寝たいと思う程にヘトヘトだった。
自分の満足のためにハルカ先輩まで付き合わせるわけにはいかないだろう。
そもそも自分の特訓とハルカ先輩の特訓は全く違うので、付き合ってもらう必要もないのだが、それを言うのは野暮なので口にはしない。
(まあ、帰ってからテッチに特訓つけてもらえばいいか)
体力の使い果たし方も決まり、一人納得していると、すっかり泣き止んだリオナさんが楽しげに口を開いた。
「今日はキーくんの大好きなハンバーグにしてあげようと思ってるのよ♪ うふふ、きっとキーくん大喜びするわぁ♪」
「――ふふっ、それなら確かに早く帰ってあげないとですね」
サキトがハンバーグに大喜びする姿が何故か簡単に想像できてしまい、思わず笑みを漏らしてしまう。
(そうだよな。別に家でくらい怠けててもいいじゃないか)
サキトはサキトで何かしら頑張っているだろうし、何よりも「サキトが喜ぶ」と語るリオナさんの表情が、本当に幸せそうなのだ。
家族がお互いに幸せでいられるのならば、それが一番良いに決まっている。
『武だってご飯はほとんど任せっきりじゃん!』
キュウが唐突にごもっともな事を言ってくる。
確かにその通りではあるのだが――
「それはキュウもだろ?」
『別にキュウは食べなくてもいいも~ん』
「ほう……じゃあキュウは今度から果物無しな」
『……エフィおばちゃんから貰うもん!』
「おまえなぁ……冗談だからそんな泣きそうな顔するなよ」
キュウとお互いに子供の喧嘩の様なやりとりをしていると、ハルカ先輩の疲れの滲んだ声音が届く。
「盛り上がってるところで悪いけど……そろそろ本当に帰りましょ……」
そう言うやハルカ先輩はモートゥスの方へと歩き出す。
わかっていた事だが、相当疲れている様だ。
「あっ、す、すみませんでした!?」
待たせてしまった事に対して謝罪しながら、慌ててハルカ先輩の後を追って歩き出したその時――
「――を大事にしなさいね」
モートゥスへと向かう自分たちの背中にそんな今にもかき消えてしまいそうな声が届く。
自分たちの後ろにいるのはリオナさんで、もちろん先ほどの言葉を発したのもリオナさんだ。
「へ? 今なんて言いまし……た?」
よく聞こえなかったのでリオナさんの方を振り返り聞き返すが――
「……ううん、何でもないわ。さっ、帰りましょ!」
そう言って答える事はなく、リオナさんもモートゥスの方へと歩いていった。
「ねえねえハルカちゃん! ハンバーグの付け合わせは何が良いと思う?」
「さぁ……? ジャガイモとかで良いんじゃないですか……?」
何事も無かったかの様にリオナさんはハルカ先輩とそんな他愛のない会話を繰り広げる。
置いていかれるわけにはいかないので自分も二人の後を追いかけ、その後も本当に何事もなく屋敷まで帰って眠りについたのだが――振り返った時に見たリオナさんの酷く悲しげな表情が、ずっと頭から離れてはくれなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――
「うぅ……視線が気になる……」
『もうちょっとだから我慢しなよ』
日がすっかり城と外壁に隠され、街灯が明るく大通りを照らし出す夕刻。
方々から向けられる好奇の視線に辟易しつつも、一方でそれも仕方ないと思えてしまう自分がいた。
「まあこんなきっちりした服着た奴が普通に街中歩いてたら、そりゃあ浮くよなぁ……」
仕方ないと思えてしまう原因は、『自分がスーツを着て街中を歩いている』という点だ。
どう考えても場違いである。
しかし、今日はこれを着ない訳にはいかない。
なぜなら今日は――
『パーティー楽しみだよね♪』
「うん、楽しみではあるんだけど……着く前に疲れちゃいそうだよ……」
ソフィアの合格祝いのパーティーの当日なのだ。
それ故に自分は、ハヴァリーさんが準備してくれた花束片手にスーツ姿で目的地であるアイラの家へと向かっているのだ。
改めて考えてみても、髪も軽くセットされてスーツを着ているだなんて、視線を集めるのは仕方ないと思えてしまう。
しかし、そんな状況であっても唯一救いがあるとすれば、何故か向けられる視線のほとんどが悪いものには感じられないという点だ。
今も、一際強めな視線を感じたので気になってそちらへと目を向けてみると、露店を開いているおばさんがニコニコと微笑みながらサムズアップを返してきた。
(何なんだ本当に……?)
確かにスーツ姿の自分は背伸びをしている様に見えるとは思うが、だからといってあのようなまるで「応援してるよ!」とでも言いたげな視線を向けられるだろうか。
「はぁ……」
訳がわからないのも相まって、より一層疲れてしまい思わずため息を漏らすと、自分とは対照的に実に元気の良いキュウが、ド正論を突きつけてくる。
『素直に馬車で迎えに来て貰えば良かったじゃん!』
「どう伝えりゃいいかわかんなかったんだよ……」
馬車というのは、アイラが準備をしてくれているソフィアの家へと向かうための手段の事だ。
「でもまあ……確かに迎えに来て貰うべきだったかもなぁ……」
アイラの「屋敷の付近まで迎えに行く」という申し出を断った昨日の事を思い出す。
一昨日の特訓時にリオナさんから「明日の朝十時頃にまたアイラの家に来るように」というサキトからの伝言と、「明日と明後日は講義はお休みだから楽しんできなさい」というリオナさん自身からの連絡を受け取った自分は、翌日言われた通りにアイラの家へと向かった。
そこには既にソフィアとアイラとサキトの三人が集まっており、まず三人が無事に軍属大学院の入学試験に合格したことを伝えられた。
ほぼほぼわかっていた事とはいえ、三人は結果が確定したことでかなり安心した様子であったし、本当に嬉しそうに報告してくる三人を見てこちらも嬉しくなったものだ。
その後、一頻り近況などの雑談をしていた時に、アイラが「明日はパパに頼んで馬車を準備するから、タケルの家まで迎えに行くわよ!」と言ってくれたのだが、いまいち屋敷の位置をどう伝えれば良いかわからない上に、屋敷までの路地はどう考えても馬車は入れないと考えた自分は、中途半端な伝え方をして行き違いになるのが怖いと思って「アイラの家まで行く」と言ってしまったのだ。
屋敷付近の通りには露店は多いものの目印になるような店はあまりないので、やはりこうするのが確実であったと思うが、現状を鑑みればどうにか迎えに来て貰った方が良かったとも思えてしまう。
(まあ、あとちょっとの辛抱だな……)
もう少しすればアイラの家に着く。
何か別の話題でもキュウと話していれば少しは気が紛れて楽になるだろうと考えていると、ちょうど同様に昨日の事を思い出していたらしいキュウが話題を振ってきた。
『そういえば昨日のソーコってところ! また行きたいね!』
「別に行く分にはいいけど、あそこにあるものは食べちゃダメなんだぞ?」
『あそこにいるだけで楽しいから良いの!』
キュウの言う『ソーコ』とは、読んで字のごとく『倉庫』の事である。
昨日は雑談を終えた後、せっかくだからと帝都のまだ行ったことのない類いの場所を案内して貰ったのだが、それが帝都の外周部に存在する『貿易区画』にある倉庫であった。
正確には、『貿易区画』は大通りに面した商売をするため区画である『商業区画』と、在庫の保存や足りない分の現地生産などを担うための区画である『生産区画』の二つにわけられるらしく、その『生産区画』に存在する大規模な倉庫の事だ。
別に商品はマジックバッグの中にしまっておけば、倉庫など必要ないのではないかと思っていたのだが、実はマジックバッグにも容量というものがあるらしく、下手に大量に入れすぎてしまうと商品同士が接触して不良品になってしまう事が多々あるらしい。
個人で使う分にはまず起こりえない事らしく、業者ならではの問題といったところなのだろう。
なので、問題の起こらないギリギリのラインを見切ってマジックバッグに仕舞い、それを大量に馬車に積んで運び、念には念を入れて検品をしながら倉庫に出来るだけ出しておくというのがこの世界での流通の基本らしい。
もちろんそれは食べ物に関しても言える事で、キュウは大量の果物が箱詰めされて置かれている倉庫の、露店などとは比べものにならない程の充満した甘い香りが滅法気に入った様なのだ。
自分なぞは美味しそうな匂いを嗅いでしまえば食欲をそそられてしまうが、キュウは別段食欲というものが存在するわけではないので、匂いを嗅ぐだけでも十分に満足できるのかもしれない。
そもそも、体育館の様な広さと高さを誇る倉庫もさることながら、その内部空間いっぱいに天井付近まで高さのある棚が並べられ、そこに商品を詰めた箱が所狭しと置かれている光景自体が、日常ではまずお目にかかれない光景であり、個人的にはそちらの方が見ていて楽しかった。
「ああ、それで言うとあの廃倉庫なんかも良かったよな」
『えぇ……あれの何がいいのさ……』
「いや、大きな建物がボロボロになってる廃墟感というかさ」
『それはよくわかんな~い……』
商売の要の一つである倉庫であるが、それを維持しているのはあくまでも貿易区画で生計を立てている人々であり、そこまで裕福でない彼らでは倉庫自体に魔法による満足な強化措置をとれないらしく、作るのも一苦労ならば、ガタが来たものを取り壊すのもそうそう簡単には出来ないらしいのだ。
それ故ちらほらと放置された廃倉庫などがあり、そこにも案内してもらったのだが、キュウにはあの広大な空間がしんと静まりかえる事で生じる、何とも言えないもの悲しさから得られる感傷の良さがわからないようだ。
いや、だいぶ特殊な感覚だとは自分でも思うのでそれも仕方ないだろう。
「まあ、キュウにもそのうちわかるさ」
『そうかなぁ……?』
そんな他愛もない会話をしているうちに、ようやく目的地へと到着した。
当初の目論見通りキュウと話していたおかげでそこまで気にならなかったが、相変わらず視線は感じてしまう。
(でももうそれともおさらばだ!)
グランツ商会の前で自分を待っているのであろう、制服を着たサキトとアイラに声をかける。
「お待たせ二人とも」
「ん? おお、アイラの言う通りだったな!」
「へ? 何のこと?」
「ふふん! タケルならそろそろ来るだろうと思ってたのよね!」
どうやら自分の到着を見越して出てきてくれていたようだ。
ありがたいことであると思っていると、アイラがやたらと自分の格好を凝視している事に気がつく。
「へ、変かな?」
「え? いや、別に変じゃないわよ。ただ……」
「ただ……?」
「――なんかプロポーズでもしに行く人みたいねって思っただけよ」
「あぁ、確かにそうだな!」
言われて、改めて店のガラスに映る自分の姿を見てみる。
セットされた髪、ビシッとしたスーツ、大きめの綺麗な花束。
「――なるほど」
道行く人々や露店のおばさんの視線の意味を理解したのであった。
大変遅くなりました……。




