42.治らぬ悪癖
「――はぁ……」
路地を抜け、朝の活気あふれる空気を肌で感じ歩きながら、対照的に自分はひとつため息を漏らす。
傍から見れば、今の自分は相当に浮かない顔をしているだろう。
現在自分は、先日ソフィアたちに教えてもらった近道の路地を抜けて、軍属大学院の前の通りまで来ている。
というのも、「今日もリオナに頼んでるから九時までに昨日と同じ場所に行け」というティストさんからの伝言をハヴァリーさんから聞いたからである。
しかし、浮かない顔をしているだろうと予想する原因は、別にそれではない。
起きた時に感じていた体のだるさも、既に特に気にすることもない程に回復している。
タフになったものだと自分に感心するほどだ。
ではいったい何のせいでそんな状態になっているかというと――
「なんか……服に着られてるって感じだったよなぁ……」
『よくわかんな~い。けど、ハヴァリーおじちゃんもテッチんも「似合ってる」って言ってたじゃん!』
「そうかなぁ……そうなら良いんだけど……」
そう、初めて来た"スーツ"というものが、正直まったく似合っていない様に感じたからだ。
仕立てがしっかりしているおかげか、着てみると恐ろしいほどに体にはしっくりとくるのだが、艶のあるグレーのスーツを着た自分の姿はどうにも背伸びをして格好をつけている様にしか見えなかった。
ハヴァリーさんは「初めての時は誰でもそう感じるものですぞ」なんて言ってくれていたが、そんなものなのだろうか。
言われてみれば、初めて学校の制服を着て鏡に向かった時の心境に似ている気がしなくもない。
(まあ、着ていればその内慣れるか……な?)
実際のところ、せっかく作ってもらったのに着ないなんて事ができるわけも無いし、そもそもソフィアの友人として参加させてもらうのだ。
自分は貴族やパーティーの事なんて全くわからないが、ハヴァリーさんがそう判断したという事はドレスコード的なものがあるのだろう。
パーティの主役の友人は招待されておきながらドレスコードすら突破できない――なんて事になっては、ソフィアに恥をかかせる事になるかもしれない。
馬子にも衣装などと言うし、自分でもきっとあのスーツを着ればそれなりに立派に見てもらえるだろう。
自分が着こなせているかどうかはともかくとして、素人目にも良いスーツである事は確かなのだ。
「うん、まあ気にしてても仕方ないよな」
そう気を取り直したその時、不意に後ろから何かに衝突された。
「うわっと……」
「きゃっ……」
それ程凄い勢いでぶつかられたわけではなかったので、自分は多少ふらつく程度で済んだのだが、ぶつかった側はそうはいかなかった様で後ろから倒れた様な音と少女の悲鳴が聞こえた。
「だ、大丈夫ですか!? ――ってあれ?」
「ご、ごめんなさいですの! 少し考え事をしていまして――あっ……」
慌てて後ろを振り向いた自分の目に映ったのは、尻餅をついた見覚えのある少女の――
「大丈夫メアリーちゃん?」
ソフィアの妹であるメアリーの姿であった。
自分が手を差し伸べながらそう問いかけると、どこかばつが悪そうに目を逸らしながらメアリーはその手を取って立ち上がる。
「その、ありがとうございます……ですわ……」
「怪我とかしてないかい?」
「だ、大丈夫ですわこのくらっ――いえ、その……」
とりあえず大丈夫だとは言っているが、何だか言葉の歯切れが悪い。
実はどこか怪我をしてしまったのだろうか。
「どうしたの? 本当に大丈夫?」
「……いえ、だから、その……も、申し訳無かったですわ……色々と……」
何か葛藤をするかの様に表情をころころと変えた後にようやくメアリーの放ったその言葉に、自分は疑問符が浮かべる。
「『色々と』って、何の事?」
「い、今ぶつかった事もですし……その、この前の事も、ですわ……」
この前の事というと、初めて会った時の事であろうか。
「ああ、別に気にしなくてもいいのに。この前のは僕にも悪い所があったし、今のだって僕も考え事してたから歩くのがゆっくりになってたかもしれないし……」
そう考えると実は自分の方が悪かったりしないだろうか。
「いや、そうだな……じゃあどっちもどっちって事にしとこうよ」
「ど、どっちもどっち……ですの?」
「うん、だから僕も謝らなきゃね。勘違いさせるような事してごめんね。許してくれるかな?」
「え? は、はい……って、なんであなたが謝罪してるんですの!?」
「へ? なんでって……メアリーちゃんはもう謝ってくれたし……」
「いや、どう考えても悪いのは私の方で……はぁ、あなたがそれでいいならもういいですわ……。お姉様が言ってた通り変な方ですわねあなた……」
「え? ソフィアって僕の事を変って思ってたのか……」
ちょっぴりショックな事実である。
確かにこの世界の常識には疎い上に、誤魔化すためとはいえ地面を褒め称えるという様な奇行なども見られ、さらに素性も定かではないが――
(いや、どう考えても変な奴だな……)
自分で認識していた以上に自分が変な奴だった。
なんだこのとびっきりに怪しい奴は。
(そう考えるとみんなよく僕の事を受け入れてくれたな……)
自分は本当に人との出逢いに恵まれていると改めて認識させられる。
(そもそもキュウやおじいちゃんと出逢ってなかったら、とっくに死んでたんだもんな……)
ソフィアたちにしても、出逢って尚且つこんな自分を受け入れてくれていなければ、あの森を出るのはもっと後になっていただろう。
(本当に、みんなに感謝しなくちゃダメだな……)
「――ちょっと聞いてますの!? 本当にお姉様は良い意味で言ったのでして、そんなに落ち込む事ないんですのよ!? というか落ち込まないでくださいまし! またお姉様に怒られてしまいますわ!」
「ふへ? な、何が?」
「何がじゃありませんのよ! またあなたに粗相をしたなんてお姉様に知られたら、今度こそ大目玉をくらうのですわ! というよりやっぱり私の話を聞いてませんでしたのね!?」
突然肩を揺さぶられながら捲し立てられたので、困惑して思わず「何が?」と返答してしまったが、どうやらまた会話中に考え込んでしまっていた様だ。
自分の成長の無さに思わず呆れてしまいそうだ。
「ご、ごめんね? 別に落ち込んでないから、ゆ、揺さぶるの、やめてっ」
「はっ!? ご、ごめんなさいですのっ――いや、あなたが話を聞いてないのが悪いのでありましてっ!」
ごもっともである。
「う、うん……本当にごめんね?」
「い、いえ……そもそもは私が誤解を招くような言い方をしたのが原因ですし……ああもうっ! わけがわかりませんわっ!」
どうやらソフィアの言った「変」というのは悪い意味ではないらしいので一安心なのだが、悪い意味であってもあながち間違いではないという事に気が付いてしまったために誤解とも言い難く、自分もよくわからなくなってきた。
『武が悪い癖を治さないのが悪いの!』
「や、やっぱりそうだよなぁ……」
「――どうしてお姉様はこんなおかしな人をあんなに……」
「ああっ!? ごめんっ、また聞き逃して――」
キュウの声に耳を貸していたためにまたメアリーの言葉を聞き逃してしまった。
呟く様な小さな声だった気もするが、つい先ほどの失態を鑑みればそんな言い訳をするわけにもいかないだろう。
そう思い素直に謝ってもう一度言ってもらおうと思ったのだが――
「なっ、なんでもありませんわっ! そっ、それよりも、私はこの後用事がありますので、この辺で失礼いたしますわっ!」
そう慌て気味に言うや否や自分の横を通り過ぎて足早に軍属大学院の方向へとメアリーは向かっていく。
先を急ごうとするその小さな背中に、思わず声をかけてしまう。
「慌てるとまたぶつかっちゃうよ!」
「ッ――!?」
先ほど自分に衝突した事がフラッシュバックしたのか、メアリーは肩をピクリと振るわせて止まったが、数秒で気を取り直したのかまた足早に歩いていってしまった。
「大丈夫かな……? って、僕もそろそろ行かなきゃか」
時間までにはまだある程度余裕はあるが、早く着くに越したことはないだろう。
「まあもう目的地は見えてるんだけどね」
メアリーに注意した手前、自分も誰かにぶつかるなんて事になるわけにはいかないので、注意しながら通りを進む。
とは言っても城へと通ずる大通りに比べれば、この通りは殆ど学生しかいない分比較的空いている。
まあ大丈夫だろう。
(なんかフラグみたいになってるけど……大丈夫だよね?)
そんな思考をしてしまったせいで、残りの道中ずっと妙な緊張感を抱く破目になってしまったが、結局何事もなく軍属大学院へと辿り着く。
(実に無駄な緊張感だったな……)
そんな事を考えながらロビーへと入り受付へと進むと、昨日と同じお姉さんがそこには座っていた。
自分が気が付いたのとほぼ同時に受付のお姉さんも自分に気が付いた様で、瞬時に表情が固まったのが見て取れた。
「おおおおっ、おはようごじゃいましゅっ!」
相変わらずの緊張具合だ。
「あ、あの……別に僕はティストさんの知り合いってだけで偉くはないので、そんなに緊張しなくてもいいですよ……?」
今日は隣にティストさんもおらず、本当に彼女が緊張する理由など一つもないので、緊張をほぐそうと思いそう伝える。
学院に入学すれば頻繁に顔を合わせる事になるかもしれないのに、この調子のままではその内に舌を噛んでしまいそうだ。
「へっ!? そ、そうなんですかっ!? なぁんだ、緊張して損を――って、別にあなたを軽んじてるわけじゃないですよっ!?」
「ああ、別に気にしてないですよ」
「あぁ、ありがとうございますぅ……。つ、告げ口とかしないでくださいね! ここをクビになっちゃったら本当に……」
どんな事情があるのかは知らないが、自分がティストさんに告げ口した時の事を勝手に妄想したのか顔を青ざめさせながら「あわわわ……」などと言いつつ口を震わせている。
「あの……大丈夫ですから、入館手続きさせてもらえますか?」
「は、はいぃ! わ、わかりましたぁ!」
緊張をほぐしたはずなのに、結局緊張させてしまっているのは何故であろうか。
(僕、別に悪い事してないよね……?)
まあその内にましになるだろうと諦め、入館手続きを済ませてからモートゥスへと向かう。
「……そういえばこれ、どうやって動かすんだ?」
辺りを見回すが知り合いがいるはずもなく、かと言って受付のお姉さんに聞きに行ってまた緊張させるのも気が引ける。
「確か昨日ティストさんが『一回使えばわかる』とか言ってたよな……」
ものは試しだと、昨日ティストさんがやっていた様に扉の部分に触れて魔力を流してみる。
その瞬間、頭に何かを差し込まれた様な感覚に見舞われる。
ほんの僅かに実体のあるその何かの侵入は、痛みは伴わずとも違和感を覚えるには十分であった。
――行先はどこだい?
初めての感覚に戸惑っていると、そんな文字――いや、言葉が脳裏に浮かびあがる。
(な、なんだこれ……?)
音として聞こえるわけではないのだが、確かに話しかけられている様な気分になるのだ。
キュウと話している時とも全く違うその現象に引き続き困惑していると、再び脳裏に言葉が浮かびあがる。
――行先は、どこだい?
「え、えっと、第十二訓練場……?」
心なしか語気が強まった様な気のするその言葉に、思わず目的地を口にする。
――わかった、早く乗って。
促されるまま乗り込むと、頭から違和感が消えて扉が閉まる。
相変わらず何の気配も感じないが、今は恐らく目的地に向けて動いているのだろう。
いや、それよりもだ。
何だか会話が成立していたが、いったいどういった技術なのだろうか。
(意思を持った魔道具とか……なのかな……?)
魔法とは意思まで作り出せるものなのだろうか。
(だとしたら本当に魔力って何なんだ――)
そんな事を考えていると、再び頭に先ほどの妙な感覚が差し込まれる。
――早く、降りてくれないか。
いつの間にか到着していた様で、既に扉は開いていた。
「あっ、すみません!?」
促されて慌てて降りると、扉が閉まっていき頭から違和感が消えていく。
「あの、ありがとうございました!」
迷惑をかけてしまった事へのお詫びも含めて、違和感が消えきる前にモートゥスの方を振り返りそう言ったのだが、果たしてあの意思に伝わっただろうか。
(まあ、次利用する時に改めて伝えるか……)
そう思い改めて訓練場の方を向くと、リオナさんらしき人がお腹を押さえて小刻みに震えながら蹲っている。
「ど、どうしたんですかリオナさん!? 大丈夫ですかっ!?」
何事かと思い慌てて走り寄ったのだが、近くまで行くと自分の心配がただの取り越し苦労である事がわかった。
「ぷふっ……も、モートゥスに、お礼って……ぶふっ……」
ただ単に腹を抱えて笑っていたのだ。
まったく失礼な。
「何をそんなに笑ってるんですかリオナさん」
「だ、だって……ぷふっ……魔道具にお礼を言う人なんて……ぶふっ……初めて見たんだもの……」
そんなにおかしな事だろうか。
「それは、あのモートゥスって魔道具に意思があるからでして……」
「へ? 意思って何の事?」
「え、いや、使う時に頭の中に語り掛けてくるじゃないですか」
「……?」
本気で「何を言っているのかがわからない」といった感じの表情をしている。
(どういうことだ……?)
認識の齟齬に困惑していると、モートゥスの到着を知らせる鉦の音が響く。
「……おはようございます」
相変わらず抑揚の少ない声で挨拶をしながら中から降りてきたのはハルカ先輩であった。
ちょうどいい、ハルカ先輩にも聞いてみよう。
「おはようございますハルカ先輩。あの、お聞きしたい事があるんですけど、モートゥス使う時って頭の中に直接話しかけてきますよね?」
「話しかけて……? いや、そういう事は無いと……思うけど……?」
リオナさんの時と同じく何を言っているのかわからないといった感じだ。
(でも、確かにあれは話しかけてきてたよな……?)
だとしたらやはり自分が特殊だという事だろうか。
「面白い子よねぇ本当に。さっ! みんなそろった事だし、今日も元気に講義を始めましょう!」
「あ、やっぱりこれで全員なんですね」
「……うん、今までは基本的に私一人だったから……」
理由はわからないままだが、わからない事をいつまでも考えていても仕方がない。
とりあえず、特訓に集中するのであった。




