41.風見鶏からの招待状
「……」
疲れた。
極度の疲労からもうそれ以外の考えが中々浮かんでこない。
時刻はもう夕方であろうか。
腕時計を確認すればすぐにわかる事なのだが、今は腕を動かすのも目を開けるのも億劫だ。
こうして全身を床へと預けながら目を瞑っていると、そのまま睡眠に突入してしまいそうである。
「おいボウズ、そろそろ帰るぞ」
ティストさんの声が聞こえるが、今はなんだか反応する気力さえ湧いてこない。
というよりも、この眠るか眠らないかの境目にいる今の状態が妙に心地よいのだ。
「おーい、聞いてんのかボウズ?」
汗で服がべたついたりしていればまだ違ったかもしれないが、服の機能でそんな状態にはならないし、何より胸元に居るキュウの温もりのおかげかまるで布団の中にいるような気さえしてくる。
「……おい何無視してんだボウズ?」
これで下が柔らかければ最高なのだが、今ほど疲れ切ってしまっていれば正直どんな地面だって寝られさえすれば高級羽毛布団だ。
「……すぅ」
「……おいオシウミ、例の気付け薬を三粒よこせ。どうやらこのクソボウズは意識が無ぇみてぇだからよぉ」
「えっ……さ、三粒ですか……? 逆に気絶しちゃうと思いますけど……まあティスト様が必要だとおっしゃられるなら……」
「いやぁ良く寝たっ!」
恐ろしい事が行われようとしている気配を感じて慌てて飛び起きる。
起き上がるのがものぐさになって反応を返さなかった自分が悪いのだが、ハルカ先輩もティストさんに言われたからといってあんな危険物を三つも提供しようとしないでいただきたい。
「すみません、ちょっと気を失ってたみたいですね! いやぁまいったまいった!」
軽口をたたきながら誤魔化していると、脳裏に警鐘が鳴り響く。
とっさにポルテジオを展開してそちらを見ると、ティストさんの貫手らしきものがアポロ色の障壁越しに確認できた。
「おう、起きたかボウズ。でもまあひょっとしたらまだ意識がはっきりしてねぇかもしんねぇからこれ食っとけよ」
「い、いやいやっ、突然の攻撃にも対応できるくらいには意識はっきりしてますからほらっ!」
「おぉん? 人様がせっかく直接食べさせてやろうって親切でやった行為を攻撃とは随分な物言いだなぁ?」
よく見るとティストさんの突き出した手の指の間には例の気付け薬が挟まっている。
なるほど確かに薬を口に入れようとしただけ――
「いやいやいやいやっ! それただ薬もって暴力ふるってるだけですからっ! そんなもの受け入れたら薬云々の前に顎が砕けますわっ!」
尚も貫手を放とうとするティストさんの動きを、攻撃の感知を利用した先読みで展開したポルテジオで抑制しながらそう答える。
一瞬納得しかけたが、そもそも自分の攻撃に対する感知が働いている時点でそれはもう攻撃である。
「ちっ……本当に防御だけはいっちょ前だな……。おらっ、さっさと帰るぞっ! そろそろここの次の利用者が来ちまう」
「あ、はい、わかりました」
なるほど確かにそういう事ならば寝ている場合ではなかったわけだ。
悪い事をしたと思いつつも、もう少しマシな方法で焚きつけて欲しかったと考えながらティストさんの後について歩いていると、キュウが語り掛けてくる。
『ねぇねぇ、あれってそんなにおいしくないの?』
「いや、そもそも美味しいとか美味しくないとかの次元じゃないというかな……」
キュウに「熟成されたどぶの様な臭い」などと自分でもよくわかっていない事を言っても伝わらないだろうし、そもそもそんなもの知っていて欲しくない。
「まぁ……気にすんな」
『そっか~』
そもそもそれ程興味は無かったのかそんな生返事をしてきた。
まあ今回に関しては興味が薄い方が都合がいい。
世の中には知らない方が幸せな事もあるのだ。
「今更だけど、その子精霊よね? 精霊使いなの……?」
キュウと会話をしている様子を見てか、ハルカ先輩がそんな質問をしてきた。
そういえばハルカ先輩にはまだキュウの紹介をしていなかった。
「はい、こいつは僕の契約精霊で名前は――」
「キュウッ!」
「――っていいます!」
完璧だ。
阿吽の呼吸とはこの事をいうのだろう。
心が通じ合っているからこそのこの芸当に、きっとハルカ先輩も圧倒されて――
「え、えっと……キュウちゃんで、良いのかな?」
「あ、はい、そうです」
上手く伝わっていなかったようだ。
確かにキュウの鳴き声はキュウと聞こえるだけで、人が発する音とは若干違うのだ。
同じ人間でも地域によって鶏の鳴き声が「コケコッコー」だったり「クックドゥルドゥー」だったり「ココリコ」だったり違って聞こえるのだ。
正直最後のにはあまり共感できないが、つまりは鳴き声だけでは正確に同じ擬声語としては伝わりづらいという事だ。
伝わりづらいというのは芸としてはよろしくないだろう。
「これは改良点だな……。よしキュウ、次はとりあえずいつものに戻すぞ!」
『どっちでもいい~』
「どっちでもいいとはなんだこいつめ!」
『うわわ! くす、くすぐったい~♪』
適当な返事を返すキュウにくすぐりの制裁を与えていると、ハルカ先輩そんなこちらの様子を見つめているのに気が付いた。
そういえば会話の途中であった。
「あっ、す、すみませんこっちだけで勝手に……」
「へ? ああ、ううんいいのよ。何だか楽しそうって思っただけだから」
自分の謝罪にハルカ先輩は少し微笑みながらそう答えた後さらに続けて口を開く。
「そっか、精霊使いなんだ……気を付けてね」
先ほどとは対照的に相変わらず乏しいながらも何故かその表情は少し悲し気に見えて違和感を覚える。
「えっと、気を付けて……ですか?」
「……う、うん。私は詳しく知らないけど、その、精霊化って結構危険だって聞いた事があるから――っていっても、あなたくらいの魔力制御力があれば大丈夫かもねっ……。あはは……」
なるほど、そういう意味での「気を付けて」だったわけだ。
何とも優しい人である。
「ほらほら二人とも、置いて行っちゃうわよ~」
話しているうちにいつの間にか足を止めてしまっていた様で、そんな自分たちに向かってすでにモートゥスとやらに乗り込んでいるリオナさんが声をかけてきた。
そういえば次の利用者が来てしまうのであったと思い出して慌てて乗り込む。
「リオナとオシウミもロビーで良いよな?」
「はい、私も早く帰ってキーくんのご飯作ってあげないとですから」
「私も今日はもう帰るのでそれで大丈夫です」
ティストさんの問いかけに二人がそれぞれ肯定を返す。
ボタンも何も無いが、いったいどうやって操作するのだろうか。
「んあ? なんだボウズ、そんなにジロジロ見て?」
「え、いや、どうやって操作してるのかなーって思いまして……」
そんなに見ていたつもりは無かったのだが、好奇心からか傍から見るとそう感じる程に見てしまっていたのかもしれない。
「ああ、そうか。ボウズは初めてだからわからねぇのも無理はねぇか……。まあ一回やればわかるからまた今度にしとけ。私はこの後疲れんのがわかってっからさっさと帰りてぇんだ」
「疲れるって……あぁ、猫被りですか」
「ちっ……めんどくせぇ……」
(そうまでしてやらなきゃならない事情ってどれだけ複雑な事情なんだ……?)
そう疑問に思い少し聞いてみようかと思ったが、鉦の音が鳴った事でそれもふいになる。
「はぁ……」
首をコキコキと鳴らしたティストさんは一つため息をつくと、扉が開いた瞬間に雰囲気を一変させる。
例の猫被りモードになったのだろう。
まだ特に何かしたわけでもないのに、後ろ姿を見るだけで背筋がゾワゾワとして落ち着かなくなる。
受付につくと退館手続きとやらを始めるのだが、話し言葉を聞いているとより一層悪寒が走ってしまう。
正直見ていられなくなって余所に目を逸らした時、逸らした先に見覚えのある人を発見した。
(あれは確かソフィアの妹の……)
思い出しながら少し見つめていると、あちらも自分に気が付いたのか視線がこちらに向く。
(……そうだ、メアリーちゃんだ!)
名前を思い出せたので挨拶をしておこうと手を振ろうとしたのだが、彼女の視線はすぐに別の方向へと向いてしまい、そのまま歩き去っていってしまった。
視線があったと思ったのだが、ひょっとしたら有名人であるらしいティストさんの事を見ていたのかもしれない。
「ほら、タケル君も退館手続きを早く済ませなさいな」
「え? あ、はい……」
猫を被ったティストさんの丁寧な物言いと微笑みの裏に、「さっさとしろ」といった感じの圧力を感じたので慌てて退館手続きとやらを済ませる。
「ここっ、こここっ、こちらに、ま、魔力を流してくだしゃぁっ!」
入館の時と同じく魔力を流すだけの様なのだが、朝と同じ受付のお姉さんは案の定ガチガチに緊張しているのかとんでもない噛み方をしている。
何だかもう見ていて可哀そうであるし、ティストさんからの無言の急かしも感じるのでさっさと終わらして受付を離れる。
その後はリオナさんとハルカ先輩にお礼と別れを告げてから各々家路へとついた。
相変わらず屋敷までの道のりは居心地の悪いものであったが、屋敷に近づくにつれて一日の終わりをひしと意識し始めると、思い出したかのように体と脳が疲れを主張し始めたため、視線もそれほど気にならなくなっていた。
夕飯を済ませ、お風呂から上がれば、半分無意識で疲れに誘われるままベッドへと倒れこみ、そのまま意識を暗転させたのであった。
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「ん……ぅん?」
妙な息苦しさを感じて目を開けると、目の前には白桃色の毛玉――キュウがこれまた妙な体勢で転がっている。
仰向けのまま伸びをした様な体勢だが、自分がうつ伏せで寝てしまっていたためか横に向けた顔の鼻の部分にキュウの後ろ脚が強めに当たっており、片方の穴が押しつぶされている。
息苦しさの正体はこれの様だ。
若干の寝ぼけ目のまま、キュウを起こさないように体を起こす。
窓からうっすらとした外の光が入ってきているのを見て、着けっぱなしで寝てしまっていた腕時計で時間を確認してみると、時刻は朝の五時を少し過ぎた辺りだった。
「ワウ」
「ああ、おはようテッチ」
キュウを起こさないためか、控えめな大きさで吠えるテッチに挨拶を返す。
いつもならば三人で地下の実験場へと向かって朝の特訓を開始するのだが――
「ごめんテッチ、今日はもうちょっと後で良いかな? 何だかまだ疲れがとれきってないみたいでさ……」
昨日、今までにないほど長時間脳や体を酷使し続けたためか、たっぷり寝たというのに何となく体がまだダルいままだ。
森でおじいちゃんと一緒に暮らしていた頃にも、特訓のレベルを引き上げられる度にこの様な事になっていたが、大概数時間も経てばいつもの調子に戻っていたので、今回もその内に治るだろう。
「ワウッ」
「え? 何で?」
「ワワウ、ワウワウ」
「あぁ、なるほど……」
一時間程度はやる気でいたのだが、テッチが「今日は朝の特訓は無しで良い」的な事を言ってきたので理由を尋ねると、「どうせ今日もティストさんに扱かれるから疲れている時に無理をする事は無い」のだそうだ。
(ってか、今日もアレやるのか……)
学院長だというから色々忙しいのではと思っていたが、実はティストさんは暇なのだろうか。
特訓をつけてくれるのは本当にありがたいのだが、そのうち治るとはわかっていても今の妙な疲労状態では憂鬱に感じてしまう。
何か気分転換になるような事でもないだろうか。
キュウはまだ寝ているので、わざわざ起こしてお風呂に入るというのも忍びない。
「そうだテッチ、ちょっと庭を散歩でもしようよ」
よくよく思い出してみればまだこの屋敷の花畑をちゃんと見ていなかった。
別に花に詳しいわけではないのだが、森の家で毎日の様に見ていたためか花を見るの自体が好きになったのだ。
気分転換にはもってこいであろう。
自分の言葉を聞いたテッチは特に何も言う事も無く部屋の出口へと向かう。
尻尾を左右に楽し気に振っているので、恐らく了解してくれたのだろう。
伸びをやめて今度は丸まって寝ているキュウを起こさないように両手で持ち上げて抱き、テッチの後について庭へと向かった。
玄関の扉を開けて外に出ると、室内と比べると随分と冷たい空気が素肌を刺激し、吸い込んだ空気がまだ少しだけ惚けていた脳を覚醒させていく。
冷たい空気によって思考が澄んでいく感覚に心地よさを覚えつつ、そよ風に揺られながら朝露を煌めかせて揺れる花々を見渡す。
そうして区切られた花と花の間を歩いていると、テッチがある一角で立ち止まっているのが目に入る。
その一角には周りより一際小さい、しかしその分だけ大量に咲く暖かい色をした――アポロの花が咲いていた。
「……確か、おばあちゃんが好きな花なんだったっけ?」
「ワウ……♪」
自分の問いに、テッチは静かに声を弾ませる。
何かを懐かしむ様なその鳴き声は、楽し気でありながら少し寂し気で、次になんと声をかけて良いものか戸惑ってしまう。
(いや……別に無理に声をかける必要もないか……)
花の前で伏せ、視線の高さを合わせながら静かに尻尾を揺らすテッチの隣に自分も座り込んで一緒に花を眺めた。
照り出した日の光を背中に感じているとふと思いたち、ピカレスの触媒と共に首に下げているソフィアから貰ったペンダントを取り出して見比べてみる。
一年水晶と呼ばれる小さな水晶の中にある種は、まだ数日ということもあり全く成長した様子は見られないが、それはまあいい。
今気になっているのは、いくらアポロの花が小さな花だとはいえ、とてもこの水晶の中に納まりきるとは思えないという点だ。
(何かの魔法で縮小でもされるのかな? まあそれもお楽しみか……)
そんな事を考えていると、特訓のためにと常に感知しようと試みている魔力感知で自分の知り得ぬ魔力を感じた。
それは上空よりこちらに向かってきている様でそちらへと目を向けると、露天風呂へと向かう花弁の道を掻き分けながら一羽の深緑の小鳥――いや、深緑の魔力で形作られた小鳥が何かを嘴に携えて舞い降りてきた。
少し身構えたが、当然の如くその存在に気が付いているテッチが特に警戒する様子も無いので自分も降りてくるのを待っていると、いくらか花弁を引き連れてきたその小鳥は自分の前に着地する。
嘴に携えているのはどうやら手紙の様で、小鳥はその手紙を自分の前に落として会釈するかのように一礼すると、アポロの花の隣に咲いている赤い花を器用に一輪嘴で摘んで再び飛び立っていってしまった。
何が何だかわからず目を白黒させていると、後方からハヴァリーさんの声が聞こえてきた。
「ほっほ、おはようございますタケル様、テッチ殿……キュウ殿はまだおやすみのご様子ですな。今しがた風見鶏――いえ、ディムロイ様の魔力を感じたのですが……ああ、なるほど。どうやら招待状を届けにきてくださったのですな」
この状況を見ただけで概ね何が起こったのか把握したらしい。
ディムロイというと確か、ソフィアの曽祖父の名前であっただろうか。
「って事はこれが招待状なんですか?」
「はい、封蝋の紋章もラグルスフェルト家のものでありますし、何より届けてくださったのがディムロイ様でありますからな。まず間違いないでしょう。それでは僭越ながら先に失礼して……」
そう言うとハヴァリーさんは手紙の封を開けて中を確認しはじめた。
「ふむふむ……。なるほどなるほど……。件のパーティーは三日後の夕刻五時より催される様でございますぞタケル様」
中の招待状とやらをこちらに差し出され、自分も内容に目を通す。
漢字仮名交じりの文章で書かれたその丁寧な文章には、確かにその通り書かれている。
(あれ? 今度は何も流れ込んでこないぞ……?)
不思議に思っていると、その様子を見て察したのかハヴァリーさんが答えをくれる。
「ほっほ、その手紙は普通の手紙ですぞ。思念付きの手紙は少々手間がかかりますので、文字だけでは伝えきれぬ様な内容の時くらいしか使わないのでございます」
「ああ、なるほど……」
納得しつつ再び招待状へと目を落とす。
普通に読めはするのだが、所々なんだか微妙に字の形が違っていて少しむず痒くなる。
「キュァ~……キュ?」
そうこう考えているとようやくキュウが目を覚まし、何故外にいるのかわからず困惑しはじめる。
寝ぼけ目のキュウも実に可愛い。
「ああそういえば、三日後って結構急ですけど、服の方は……?」
「もちろん出来上がっておりますよ。後で試着の方をいたしますかな?」
「も、もちろんなんですね……。じゃあ今からお風呂入りに行きますからその後お願いできますか?」
「かしこまりました。それでは準備してお待ちしておりますな」
「はい! テッチもお風呂入る?」
「ワウッ♪」
「よし! じゃあ行こうか!」
「キュウ~?」
(オーダーメイドの服って数日で作れるものなのか……?)
驚き交じりの疑問は尽きないが、ハヴァリーさんが嘘をつくはずもないのでとりあえず試着のお願いをしてから、先ほどまでの静かな雰囲気から一変して実に楽し気なテッチと、未だに寝ぼけ目のキュウと共に朝風呂へと向かうのであった。




