37.姉弟子の猫被り
「ふぅ、良い湯だった……。毎日朝から露天風呂に入れるって結構贅沢だよな」
「ワウッ♪」
『そうだね♪』
上機嫌なテッチとキュウと共に風呂上がりの上気した体を冷ましながら食堂へと向かう。
腕時計を確認すると、時刻は朝の八時に差し掛かろうとしていた。
概ね予定通りと言った所だ。
ソフィアたちに帝都を案内してもらってから三日経ったわけだが、ようやく生活のリズムが整ってきた感じがする。
朝の五時頃には目を覚まし、地下の実験場を使ってテッチにいつもの特訓を二時間程つけてもらってから、汗を流して八時頃に朝食を食べる。
それがこの三日間でとりあえず定型化した朝の行動であった。
朝食をとってからは日によって順番はまちまちだが、帝都を見て回ったり魔力制御の特訓をしたり、ハヴァリーさんにお願いして魔力感知の特訓もしてみたりと、それなりに充実した日々を過ごせていると思う。
「そういえばテッチっていつ頃おじいちゃんの所に戻るの?」
今はいつもの多方面からの攻撃にひたすら対応をするという特訓をテッチがやってくれているが、いつまでも一緒にいてもらうというわけにもいかないだろう。
何より、あの森におじいちゃんをずっと一人にしておくのも忍びないのだ。
「ワゥ? ウゥ~……ワウッ!」
「あ、特に決めてはいないんだね……」
最終的に返ってきた答えは「そのうちな」という感じだったので、特にまだ考えてはいない様だ。
そんな話をしているうちに食堂の入り口に辿り着いたので、ドアを開けて中へと入ると、いつもの体勢で椅子に座ったティストさんがいた。
「よお、ボウズ」
「あれ、ティストさん? おはようございます。朝食を食べに来たんですか? 今日はハヴァリーさんの料理ですよ」
恐らく朝食を食べに来たのだろうが、残念ながら今日はエフィさんの来ない日だ。
ハヴァリーさんの作る料理もお世辞抜きに美味しいので自分は大満足なのだが、三日ぶりに訪れたティストさん的にはエフィさんの料理を食べたかっただろう。
しかし予想に反して、自分のその言葉を聞いたティストさんは特に落胆する事も無く返答してきた。
「ああ、知ってる。まあ確かに朝食も食べに来たんだが、どっちかって言うと今日はお前に用事があって来たんだ」
「へ? 僕にですか?」
「ああ、お前別に今日は予定とか入れてないだろ?」
「は、はい、特にこれと言って決まった予定はないですけど……」
「まあ予定あった所で無理矢理連れて行くけどな。ってなわけで飯食ったら軍属大学院に行くぞ」
なんて強引な。
「……行くのは良いんですけど、何しに行くんですか?」
「んあ? お前この前『魔法で滅多打ちにされたい』とか言ってただろ? それを出来る奴を見繕ってやったんだよ。感謝しろ!」
「い、いや……その言い方はちょっと語弊があると思うんですけど……?」
別に自分は魔法をくらいたいわけではなく、それを防御する事で魔力制御力を向上させたいのだが、まあティストさんも冗談で言っているだけであろう。
そんな事を考えていると、食堂の扉が開けてハヴァリーさんが食事を運んできた。
「お待たせいたしましたな」
「おう、ハヴァリーの爺さん。ボウズ予定無ぇらしいから連れてくぜ」
「良かったですなぁ。先ほども申しましたが、そういうものは先に相手方の予定をちゃんと確認しておくものですぞ! ――いくらタケル様に早速頼られたのが嬉しくて舞い上がってしまったとはいえ……」
「――だぁぁっ!? なに適当な事抜かしてんだっ! ちょっとミスっただけだっつたろうがっ!」
どうやらハヴァリーさんには既に今日これからの事を話していたようだが、これはつまり元々は予定の確認すらせずに連れていくつもりだったという事だろうか。
後半はティストさんに耳打ちしていたので聞こえなかったが、状況から察するに何かからかわれたのだろう。
「ほっほ、それでは昼食の方はどうされますかな? 必要でしたらば今から軽く食べられる物でも準備いたしますが?」
「ちっ……ほんと覚えてろよ……。これ食ったらすぐに向かうし、夕方までみっちり扱く予定だからこっちで適当にどうにかするわ。ボウズもそれでいいだろ別に?」
「え? あ、はい」
夕方まで扱かれるというのは初耳なのだが、いったい自分は何をされるのであろうか。
(流石にあの魔法の連撃に長時間対応するのは無理だと思うんだけど……。生きて帰って来れる……よね?)
些か不安を感じつつも、お願いした側である自分に拒否権などあるわけもなく、朝食を終えると共に軍属大学院へと連れていかれたのであった。
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ティストさんに連れられるまま、あれよあれよと言う間に軍属大学院前の大通りまで連れてこられたわけだが、自分は今――というより道中ずっと何とも言えぬ居心地の悪さと、とてつもない違和感を覚えていた。
というのも――
「――見て! ティスト様だわ!」
「――通りを普通に歩いているだなんて、どうされたのかしら?」
「――ああ……なんと凛々しいお姿なんだ……」
「――踏んでいただきたい……」
「――ん? あの後ろをつけて歩いている不届き者は誰だ……?」
通りを歩く人々皆が一様にティストさんに向けて何か輝かしい物でも見るかの様な視線を向け、うわごとの様に称賛を述べているのだ。
いや、何か変な奴も混ざっている気がするが、正直あまり関わり合いにはなりたくないから気にしないことにしておこう。
とにかくずっとこんな調子なもので、居心地が悪いったらありゃしないのだ。
こんな事なら、テッチにも付いて来てもらっておけば良かった。
少しくらいはこの居心地の悪さも薄らいだだろうに。
(というか、僕がティストさんをストーキングしてるみたいに言われてなかったか!?)
『ねぇねぇ武』
とんだ冤罪に対して危機感を覚えていると、服の胸元でぶら下がっているキュウが語り掛けてきた。
「ん? どうした?」
『なんか今、武みたい人居たね』
「……一応聞くけど、どの人の事?」
『ん? 「踏まれたい」って言ってた人!』
「……キュウ、後でおしおきだ」
『え!? なんで!?』
キュウが何か酷い勘違いをしているので、後で色々と正してやらなければならないようだ。
確かに、今まで何度か状況だけ見ればそういう嗜好があるかのように感じられる様な事はあった。
しかし、本質は断じて違うのだ。
別に、そういう嗜好を卑下するつもりなど毛頭ないが、断じて自分にそういう嗜好は無い。
無いったら無いのだ。
『無いの?』
「無いよ!」
嫌な恒例行事の様になりつつあるやりとりをキュウとしていると、前を歩くティストさんがわずかにこちらを向きながら口を開いた。
「ボ……タケル君、あまり往来で大声をだすものじゃありませんよ。人の迷惑になってしまいますからね」
「……誰ですかあなた」
「なっ――後で覚悟しとけよクソボウズ……」
とてつもない違和感の正体はこれである。
人の目がある場所に出た途端、ティストさんがまるで淑女かの様な振る舞いをしているのだ。
言葉遣いは正され、自身の名を呼ばれれば穏やかな笑みを浮かべながら控えめに手を振り、その一挙一動の全てが非常に丁寧なのだ。
最後の方に非常に小さい声で自分に放った悪態がなければ、本当にティストさんなのかどうか疑ってしまいそうだ。
これが先日会話に出てきた「あの外面」とかいうものだろうか。
エフィさんの前で喋り方を正そうとしていた時は変な言葉遣いになっていた気がしたが、どうやらあれは焦ってああなってしまっていただけの様だ。
「やれば出来るじゃないですかティストさん」
「――何か言いましたか?」
「……いえ、何でもないです」
明らかに含みのある――静かな怒りを秘めた笑顔をティストさんが向けてきたので、軽口を控える。
引き際は重要だ。
既に手遅れな気もしなくはないが、もうなる様になれだ。
そんな事を考えているうちに、いつの間にか軍属大学院の敷地内へと入っていた。
相も変わらず生徒らしき人たちからは好奇の視線が大量に向けられているが、どうする事も出来ないのでひたすらに我慢する。
ティストさんが自身の勤務先に来る度にこんな状況に晒されているのだとしたら、本当に大変だと思う。
しかし、当のティストさんは特に気にした様子も無い。
恐らく本人からするとそれ程嬉しくないであろう尊敬の眼差しを向けていると、エントランスに入って受付らしき場所へと到着した。
「が、学院長様! おは、おはようございますであります!」
受付のお姉さんがガチガチに緊張しながらティストさんへと挨拶をしている。
(知ってますか……この人、骨付き肉に手掴みで齧り付いたりするんですよ……口の周りに肉汁つけまくりながら……)
心の中で「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」と語り掛けるが、まあ伝わるわけも無く、受付のお姉さんは敬礼をしてガチガチに固まったままだ。
「リオナはもう第十二訓練場へ入っているかしら?」
「はっ、はいっ! 先ほど入館を確認いたしましたっ!」
「そう、ではこの子の入館手続きをしていただける?」
「かっ、かしこまりましたぁぁぁっ!」
このお姉さん、本当に大丈夫だろうか。
入館手続きとやらは魔力の登録をするだけだったのだが、ティストさんと一緒にいるために自分も何かしら偉い人なのだと勘違いしたのか、緊張しっぱなしのガチガチな対応でやたらと丁寧にされた。
流石に気の毒になってきたので、出来る限り指示に従ってさっさとお姉さんを開放してあげたのであった。
受付を離れるティストさんについて行くと、ドアノブの無い扉の様な四角い線の入った壁の前で止まった。
その左右にも同じような模様がずらりと並んでいるが、これは何であろうか。
ティストさんが壁に手を触れて魔力を流すと、数秒後に目の前の扉の様な模様が消えて、その奥に人が数人入れそうな小さな部屋が現れる。
(これってひょっとして……エレベーター?)
確か訓練場などは地下にあるなどと言っていたので、これに乗り込んで目的の階層まで行くのだろう。
前の世界と似たものをたまに見かけるが、結局便利を突き詰めれば似たような発想になるということだろうか。
ティストさんが乗り込んだのでそれに続いて乗り込むと、扉が出現して先ほどまでいたエントランスが見えなくなる。
しかし、なかなか動き出す気配が無い。
(いや、これ動いてるのかもな……)
エレベーターが動きだす時特有の、あの浮遊感が無かったために動いていないと思っていたが、ティストさんは特に反応していないという事は別に問題は起きてないのだろう。
到着までどれくらいの時間がかかるのかはわからないが、二人きりになったのでせっかくだからさっきまでの事を聞いてみよう。
「あの、ティストさん?」
「んあ? んだよ?」
何だか喧嘩腰な反応である。
であるのだが――
「あぁ、ティストさんだぁ……」
「ッ――何安心した様な顔してやがんだっ! クッソ……何か腹立つな……」
「いやぁ、ちゃんと僕の知ってるティストさんで良かったです。でも、どうしてあんな猫被りを……?」
「あぁん? ……色々事情があんだよ。誰が好き好んであんな事するかってんだちくしょうがっ!」
だいぶ大荒れのご様子だ。
下手に触れると暴発しそうなのでどうしたものかと思っていると、唐突に甲高い鉦の音が鳴り、目の前に広大な――屋敷の試験場に似た空間が現れる。
ここが第十二訓練場とやらだろうか。
部屋の中心付近には一人の女性が立っており、鉦の音で気が付いたのかこちらを振り向く。
(――ん? あの人は……)
「待たせたな! こいつがこの前言ってた奴だ!」
自分が認識したと同時に、ティストさんがその女性に話しかけ、女性はこちらへと近づいてくる。
訓練場に居た濃い目の茶色の髪を腰まで伸ばしたその女性は――
「もしかしてとは思ってたけど、ティスト様が言ってたタケル君ってやっぱりタケル君の事だったのね」
――サキトの姉である、リオナさんであった。
(いや、そう言えば受付でもリオナさんの名前言ってたな)
「なんだお前ら、もう面識あったのか」
「はい、帝都に来た日に……っていうかティストさん猫被りは良いんですか?」
「んあ? ぶっ飛ばすぞ?」
(――理不尽っ!?)
突然の暴力宣言に驚いていると、その様子を見ていたリオナさんが意外な事を言い出す。
「あらあら~、何だか今日のティスト様は上機嫌ですね」
「はぁっ!? 何適当抜かしてやがんだリオナっ!?」
「え? これで上機嫌なんですか?」
「これ」の部分に反応してティストさんからの鋭利な視線が突き刺さるが、気にせずリオナさんの返答を待つ。
「ええ、とっても上機嫌よ。というか、ここ数日やたらと上機嫌なのよね……。タケル君は何か心当たりはある?」
「えっと……そもそもティストさんと会ったのがここ数日での事なので心当たりと言われましても……」
「あっ……ふーん……」
「――だぁぁっ! うるせぇうるせぇ! 私は一旦用を済ましてくるから、リオナはそのクソボウズを痛めつけとけ! 死ぬ寸前までなら許可するっ!」
ティストさんは顔を真っ赤にしながらそんな事を言い残して走り去っていった。
勢いに任せてそんなとんでもない事を許可しないでいただきたい。
恐る恐るとリオナさんへと目を向けると、リオナさんは慈愛に満ちた穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「流石にティスト様の言いつけとは言え、キーくんの恩人にそんな酷い事はしないわ。安心して――」
良かった。
本当に良かった。
それならばとりあえずは安心して特訓をつけてもらえる――
「――半殺しくらいまでにしておくわ。それじゃあ早速始めましょうか」
この世には神も仏もいない。
ただただ、そう思うのであった。
頑張る。




