31.それでも肩書は偉大
「よお! 待たしちまったみてぇだな」
「ああ、おはようサキト」
「おはようございますサキトくん」
アイラの家のリビングと思わしき部屋でソフィアとアイラと共に談笑をしていると、部屋の扉からリーガルさんに連れられてサキトが入ってきたので自分とソフィアはサキトと挨拶を交わす。
「おっそいわよサキト! 今何時だと思ってんの!」
「え……? 九時ちょうどくらいじゃねぇのか……?」
「時間通りね」
「じゃあ別にいいじゃねぇか! 時間間違えたかと思ったじゃねぇか……」
アイラだけは普通に挨拶を交わすのではなく、冗談めかしてサキトをからかった。
きっとこれがアイラなりのサキトに対する挨拶なのだろう。
この数日でわかった事ではあるが、アイラは少々人をからかうのが好きなようだ。
と言っても、それは決して人を不快にさせる様な性質のものでは無いと感じられる。
それはきっと、彼女の人の好さあっての事なのだとは思うが、それ故にか彼女は自身がからかわれる事にあまり慣れていないようなのだ。
「五分前には行動しなさいって事よ。タケルとソフィアなんて三十分前行動だったわよ?」
「ま、マジかよ……。流石にそれは早すぎねぇか……?」
「うん、僕も正直早すぎるかなとは思ってたんだ。ごめんねアイラ」
「えっ!? 早すぎましたか? 私はいつもこれくらいなんですけど……ご、ごめんねアイラちゃん……」
なのでこの様に冗談が通じていないかの様に振る舞うと――
「なっ!? べ、別に謝る事なんてないわよ!? 早い分には悪い事なんてないし! ね、ねえそうよねパパ!」
「ああ! 商人っていうのは信用が命だからね。時間に遅れるような事があってはならないから、早いに越したことはないよ」
こうして取り乱してしまうのだ。
なんだかリーガルさんとアイラの話が少しだけ噛み合っていない様な気がしないでもないが、まあ本質的には同じだと言いたいのであろう。
というよりも、ソフィアが若干素でへこんでいた様に見えたのだが気のせいだろうか。
一応フォローを入れておこう。
「あからさまに早すぎは良くない事もあるかもしれないけど、三十分くらいなら大丈夫だと思うよ?」
「そ、そうですよね! 大丈夫ですよね! ……あれ? でもタケルくんさっき早すぎるって――」
「――さて! サキトも来たことだし、早速案内してもらおうかな!」
どうやら本気で気にしていた様だ。
自分の発言の矛盾にソフィアが気付きそうになっていたので急いで話を逸らす。
ソフィアは不思議そうな表情をしばらくしていたが、とりあえず納得した様である。
自分でやっておいて何ではあるが、彼女が悪い人に騙されたりしないか少々心配だ。
そんな心配をしながら座っていたソファから立ち上がろうとすると、アイラがそれを制止してくる。
「ああちょっとまってタケル! 先に渡しておきたい物があるの」
「へ? 渡しておきたい物?」
いったい何であろうか。
帝都観光のパンフレットとかだろうか。
そんな別に今渡されなくても良いものを的外れに予想していた自分を余所にアイラは自身のアイテムバッグの中を漁り、そして中から一つの黒い箱を取り出した。
手のひらサイズのその箱は革製であり、明らかに高い物が入っていそうである。
少なくともパンフレットで無い事は確かだろう。
「え、えーっと……それは?」
「タケルが欲しいって言ってた腕時計よ!」
なるほど、腕時計が入っているのならば何だか高級そうな箱に入っているのもある程度納得ができる。
ちゃんとした腕時計なんて買った事は愚かまともに見た事すら無いが、きっとちゃんとした店で扱われる物はちゃんとした箱に入っているものなのだろう。
恐る恐ると、それこそ薄氷にでも触れるかのようにその箱を両手で受け取る。
想像以上に箱はずっしりとしており、素人丸出しの自分にはそれだけでも高級そうだと感じられてしまう。
そんな自分を見かねたのかアイラが苦笑気味に話しかけてくる。
「そんなに緊張しなくても、入ってるのはただの腕時計よ。なんであの枝をあんな風に扱えるのにこんなのでそんなに緊張してるのよ……」
一応リーガルさんがいるのでぼかしながら言ってくれている様だが、"あの枝"とはピカレスの枝――香木くんの事だろう。
アイラたちからすればよっぽど香木くんの方が高級品なのだろうが、自分にとっては香木くんは香木くんである。
香木くんを扱うのに緊張も何も無いのだ。
それにひきかえこの黒光りする革製の箱は全くもって得体が知れない。
よっぽど緊張してしまうのも仕方がないではないか。
「あ……開けるよ……?」
「何だかこっちまで緊張してきちゃうじゃない……。さっさと開けなさいよ」
慎重に慎重を重ねて箱の蓋を開けると、中には確かに腕時計が入っていた。
やたらと頑丈そうな金属製の腕時計で、あれだけの重みがあったのも納得できる見た目である。
時計部分にはむき出しの歯車の様な無数の魔方陣を背景に針が動いており、見る限り確かにただの腕時計だ。
腕時計の話をしていた時のアイラが何か悪い顔をしていたので、下手をすれば大量の宝石で飾られた様な凄まじい腕時計でも出てくるのではと心配していたのだが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
「どうよ? あんたの要望通り"シンプルに時間だけわかる"時計でしょ?」
「う、うん……確かにそうだね……」
何だろうか。
そこはかとなく嫌な予感がして仕方がないが、確かに自分の要望通り"シンプルに時間だけわかる"時計だ。
ひょっとしたら自分はアイラの純粋な善意を疑い過ぎていたのかもしれない。
これは申し訳ない事をしてしまった。
アイラに一言詫びを入れようと口を開こうとしたその時、自分よりも先にサキトがアイラに向けて質問を飛ばす。
「で? アイラのことだからこの腕時計何かしら凄ぇんだろ? どこが凄ぇんだ? 見た感じ本当にただの頑丈な腕時計って感じだけどな」
「ふっふっふ……聞いて驚きなさい! この腕時計はなんとグランツ商会とあのゼムナス閣下との共同開発第一号――の試作品なのよ!」
ゼムナス閣下とはいったい誰の事だろうか。
というよりも、やっぱりただの時計ではなかった様だ。
「マジかよ!? ゼムナス閣下ってあのゼムナス閣下だろ? よくわかんねぇけど凄ぇ!」
サキトの反応を見る限りかなり有名な人の様だが、重要な何がどう凄いのかが全くわからない。
そもそもサキト自身も何が凄いのかがわかっていない様子だ。
埒が明かないので聞いてみる。
「えーっと、そのゼムナス閣下って誰なの?」
「現在この国の宰相をされている方の事ですよ。長年に渡って帝国の政に携わって皇帝陛下を支えてきた名相なんです。……でもアイラちゃん、ゼムナス閣下と腕時計の共同開発ってどういう事?」
ソフィアのおかげでゼムナス閣下とやらについては何となくわかったが、どうやらソフィアもこの腕時計がどう凄いのかについてはわからない様だ。
となればこれはもうアイラに聞くしかあるまいと、サキトとソフィアと共に視線を向けると――
「しっかたないわねぇ! 私が分かりやすく教えてあげるわ! じゃあサキト、一般的な時計において一番よく言われている問題点は何かわかる?」
「んー……、寝ぼけて思いっきり目覚まし止めたら壊れちまった所とかか?」
「あんたに聞いた私が間違いだったわ……。っていうかまさかあんたまた壊したの?」
「いや、今朝のアレは正直不可抗力というかだな……」
「しかも今朝の話なんだねサキトくん……」
何にどう不可抗力が働くと目覚まし時計が壊れるのかはわからないが、なんともサキトらしい日常エピソードである。
というよりも確かこの世界の生活用品には程度に差はあれど、基本的に魔方陣魔法による強化術式が付与されているはずなのだが、いったいどれほどの怪力を発揮したのだろうか。
「まあいいわ……。じゃあソフィア、わかる?」
「えーっと、定期的な魔力補給と時刻修正がいること……かな?」
「まあ概ね正解ね。腕時計に関しては使用者から魔力を直接補給するからある程度マシだけど、設置型の時計っていうのは魔力残量と魔方陣を描くのに使われている素材の循環効率の影響でちょっとずつ時間がずれていっちゃうのよね」
何か難しい事を言っているが、要するにこの世界の時計はそれ程正確に時間を刻めないということなのだろうか。
でもだとしたら――
「時計がちょっとずつずれちゃうなら、何で時間合わせるの?」
そんな自分の素朴な疑問に、アイラが答える。
「ああそっか、知らないのよね。魔力の循環効率が一番良い素材がピカレスの木って事は知ってる?」
「うん、何となくは……」
前にそんなことをおじいちゃんが言っていたはずだ。
「そのピカレスの木を魔方陣に使った"標準時計"ってものが王城の一般人でも入れる場所にあるのよ。それを見て時間を合わせるってわけ。ピカレスの木を材料につかった時計なんて持ってる人がいるわけないしね」
「俺なんかは質の悪い魔力粉使ってる安物使ってるから二週間に一回くらいは合わせないといけねぇんだけど、王城まで行くのがめんどくせぇからさ。定期的に時計の時刻修正してくれてる近所の店とかで合わせてるぜ」
恐らく殆どの人がサキトの言う様な合わせ方をしているのだろう。
魔力粉とは確か、初めて魔法を使った時に得意属性を調べるのに使った粉だったはずだ。
「安物だとそんなに頻繁に合わせないとダメなんだ……」
つまりこの世界での時計の価値というのは、装飾やデザインよりもまずは時間の正確性だというわけだ。
当たり前ではあるが、確かに最も重要でわかりやすい価値だ。
「ピカレスの木の次に循環効率が良いのが"魔銀"っていう素材で、まあこれもべらぼうに高値なんだけど、それを使った時計なら大体半年に一回くらいでも大丈夫なはずよ」
そう言ったアイラは一拍呼吸を置くと、ここからが本題だとばかりに声を弾ませて続ける。
「それでその時計のどこが凄いかっていうのはね! その時刻修正をゼムナス閣下が遠隔で行ってくれるところなのよ!」
「ナ、ナンダッテー!?」
「ふふん♪ まあ驚くのも無理はないわ」
正直どれほど凄い事なのかわかっていないが、上機嫌なアイラは自分の相槌が棒読み気味であることに気が付いていない様子だ。
しかし他の二人は自分とは違う様で――
「す、凄ぇ! そんな事できんのかよ!?」
「い、いったいどうやってそんな事を実現させるのアイラちゃん!?」
「ふっふっふ、そんなに知りたいっていうなら教えてあげるわ!」
自分だけなんだかこの場のテンションに置いて行かれている気がする。
貰った本人であるはずなのに若干蚊帳の外気味になっている自分を余所にアイラは説明を始める。
「知っての通りゼムナス閣下は波動のシエラの使い手よね? この腕時計にはゼムナス閣下の放つ特殊な波動を一種の信号として感知する魔方式を組み立ててあって、帝都内にいる内は標準時計を確認したゼムナス閣下の放つその波動を感知して時間を自動で合わせてくれるのよ!」
自分はもちろん知らなかったが、どうやらゼムナス閣下とやらは波動のシエラというものを扱うらしい。
話を聞く限り、仕組的には前の世界でいう電波時計みたいなものだろうか。
この世界に電波という概念がもしまだ無いのだとすれば、ひょっとしたら世紀の大発見レベルの代物なのかもしれない。
(だとしたらこれ、やっぱり凄く高価な物なのでは……?)
そんな焦りを感じ始めていると、先ほどまで静かに話を聞いていたリーガルさんが話に入ってくる。
「まだ試作段階だけど、十分実用に足りうる状態に仕上がってるからね。帝都ではそれなりに名の知れた商会に成長したおかげで帝国側から何らかの共同開発でもと持ち掛けて貰えたわけだけど、まさかゼムナス閣下に協力してもらえるとは私も思っていなかったよ」
まさかの国家プロジェクト並みの代物であった。
やばい。
絶対に凄まじい価値のある物だこれは。
そんな自分の不安を余所にリーガルさんはさらにとどめを刺すかの如く続ける。
「あとその試作品が上手く動作すれば今度は低コスト版での試作品も作る予定なんだ。そして行く行くは一般層にも手が届くレベルにしたいと思っているから、こちらから一方的にあげておいて何ではあるけど、使用感などをアイラを通してでも教えてもらいたいんだが、良いかなタケル君?」
「え? あっ、はい」
つまり話から察するにやはりこの腕時計は高コスト版だというわけだ。
こんなの情報の提供を断れるわけがないではないか。
寧ろ不慮の故障などが怖くて持ち歩けず、使用データを得られないまである。
と、そんな自分の心配を感じ取ったのかは知らないが――いや、十中八九感じ取ってはいないが、アイラが有益な情報を口にする。
「ああそれと、その腕時計壊れたら困るからかなり強力な強化術式組み込んであるから、とりあえず故障の心配はしなくてもいいわよ。たぶんサキトが全力で殴っても大丈夫なくらいにはカッチカチよ」
なるほど。
それならばとりあえずは安心できそうだ。
「おっ! じゃあちょっと試してみようぜ!」
先ほどの発言に何か対抗意識が芽生えたのかは知らないが、サキトがとんでもない事を言い出した。
しかしそんなぶっとんだ対抗意識も次にアイラの放った言葉で鎮圧される。
「やりたきゃやれば良いけど、その腕時計であんたの目覚まし時計二千個は余裕で買えるわよたぶん」
「よし! 大事に使えよタケル!」
「も、もちろん……」
これで三人とようやく貸し借り無しの関係になれると思えば――いや、そう考えてもやはり自分の身にはそぐわなさすぎる気がする。
しかし折角貰ったのだ。
高かろうが安かろうが、出来るだけ長く大事に使うというのが大前提の礼儀というものであろう。
「――うん。ありがとうアイラ。大事に使わせてもらうよ」
こうして、色んな意味でずっしりと重い腕時計を得たのであった。




