30.肩書はあくまでも肩書
「いやぁ、それにしても凄かったね」
「キュウッ♪」
「ワウッ♪」
暖かな色をたたえた街並みを歩きながら、隣を歩くテッチとその背に乗るキュウへと向けて言葉を投げかけると、二つの同意が返ってきた。
一方は単純な同意を示し、もう一方はどこか誇らしげな同意を示している。
時刻は朝の八時を少し過ぎた頃、春とはいえまだ冷たく澄んだ朝の空気を、人々の営みの作り出す賑やかさと天上で眩しく輝く太陽がゆるりと温めていく。
自分たちは今、ソフィアたちとの待ち合わせ場所であるグランツ商会とやらに向かっている。
待ち合わせの時間にはまだだいぶ早いが、朝は比較的道が混雑するとハヴァリーさんからアドバイスを貰ったため、早めに出発する事にしたのだ。
案の定と言った感じか、それなりな広さを持つはずの道は各々の目的地へと急ぐ馬車や人で賑わっており、いつの間にか感覚の慣れていたこちらの世界での"歩く速度"では流石に少しばかり危険である。
それについてはこの世界で生まれてからずっと暮らしているはずの人々も同じ様で、皆一様に急ぎめではあるが人と接触しないように良識を保った速度で歩いている。
道を歩く誰もが、目線よりだいぶ低い位置にいるテッチたちとも接触しない様を見るに、きっと長年の経験から身についた習慣とも言える動作なのだろう。
昨日の昼間より道を進む速さは遅いはずなのに、どこか気が急いて時間の流れが速くなったように感じるから不思議だ。
「これだけの人混みだと、服の空調がなかったらせっかくお風呂に入ったのにまた汗をかいちゃってただろうね……。テッチとキュウは暑くない?」
『だいじょうぶ!』
「ワゥ」
服なんてないため空調も何も無いキュウとテッチの心配をしてみたが、特に問題は無い様だ。
お風呂で丹念に洗ってからしっかりと乾かしたため、二人の毛並みはサラサラのツヤツヤなのだ。
そのうち嫌でも汚れてしまうだろうが、どうせなら綺麗な状態を長持ちさせたいものだ。
(そういう魔道具とかって無いのかな……?)
そんな事を考えながら、先ほどまで入っていた屋敷の浴場の事を思い出す。
浴室自体は石で出来ており、森の家にある浴室の立ち込める様な木の香りは無かったが、予想していた通り湯舟には大量の花弁が浮かんでおり、甘く爽やかな香りは健在であった。
湯船はどう考えても一人で使う用のサイズではなく、そのスケール感にも圧倒されはしたのだが、本当に凄かったのはその浴室の中にあった扉の奥だ。
「でもまさかこれから住む所に露天風呂があるだなんて思っても無かったよ」
「ワワウッ♪」
そう、あの屋敷の浴場には四方を高めの壁に囲まれてはいるが、天井は吹き抜けになっている露天風呂があったのだ。
湯船には常に庭から回収されたであろう花弁が緩やかにはらはらと降り注いでいて幻想的であった。
どういう原理なのかはさっぱりわからないが、自ら触れようとしない限りは、花弁は自分たちを避けるように湯船へと舞い落ちて降り積もる。
しかし一定以上たまるとお湯に溶ける様に消えていき、湯船が花弁で溢れかえる事は無かった。
花弁の溶けた湯からの香りをゆったりと深く吸い込み、肌で感じる少し熱めな湯と朝の冷えた空気とのコントラストに浸り、四方の壁によって作り出された青空の額縁の中で舞い踊る花弁たちを視覚でも楽しめる。
実に良く出来た空間であった。
あまりにも良く出来過ぎていたために結果的には一時間近く風呂に入っていたわけだが、それも仕方ない事だろう。
テッチが誇らしげになるのも頷けるというものだ。
そうしてテッチやキュウと、屋敷の事や目に映る街並みや人々の事など、他愛も無い話をしながらしばらく歩いていると、道が大通りと合流した。
道幅や位置関係から鑑みるに、おそらく東の門へと続く大通りであろう。
「ってことは、これが東の都の建築様式……」
東の門があるであろう側にある貿易区画の居住区を見やる。
居住区を囲んでいるであろう高さ二メートル程の塀は主に上部が土で、下部が石で出来ているようで、塀の上には小さく艶やかな灰色の瓦屋根が連なっている。
塀の奥からは間隔を空けて立ち並ぶ木や土で出来た家屋の二階部分が顔を出し、屋根は塀と同じく艶やかな瓦で出来ており、軒先は深くなっていた。
先ほどまで自分たちが歩いてきた、温かみのある木やレンガで出来た民家の立ち並ぶ街並みを自分は見ていて落ち着くと言ったが、恐らくあの土塀を超えた先にある街並みの方が自分は安心できるだろう。
下手に目を刺激するような鮮やかな配色は無く、静かにどっしりと"家"としての役割をただ担うような面構えの建物。
目の前に広がる貿易区画の人々の居住区は、そんな家屋が立ち並ぶひどく懐かしい――それこそ、あの場所に行けばひょっとしたら前の世界の人々に会えるのではないのだろうかと、そう思えてならない程に懐かしい場所であった。
「今日はあそこから案内してもらおうかな……」
「キュウ?」
未練なんて殆ど無いと思っていたし、実際にそれは事実ではあるのだが、自分にも欠片程の懐古心はあった様だ。
本当は無性にあの土塀に触れに行きたいが、今はまず待ち合わせ場所に着くのが先決であろう。
隣で横断のタイミングが来るのを待つテッチに目的地まであとどれ程かを尋ねる。
「さてテッチ、グランツ商会ってどこにあるの?」
「ワウッ」
「え? 『もうすぐ着く』って……あぁ、あれか」
横断用に車止めが作動した音につられて、大通りを挟んだ対面側へと目を向けて、交差点の角から少し離れた場所に位置する大きな建物を見た瞬間に、それが『グランツ商会』の店であるのだと理解した。
五階建ての巨大な建物の三階部分に掲げられた立派な看板に「ショッピングモール・グランツ」と書かれているから一目瞭然だ。
自分はまだこの帝都のほんの一部分しか見ていないのだが、それでもそれなりに多くの店などを見てきた。
しっかりと建物を構えて商品を売っている店もあれば、移動販売をしていそうな屋台や、果ては道に布を敷いてその上に商品を並べているだけのような店もあった。
まさに『貿易都市』という名に相応しい程に商売が盛んな事は存分に感じられたわけなのだが、この店はこれまで見てきたものとは格が違うものなのだという事が素人目にも見て取れた。
建材は周辺の他の建物と違いなく木や石やレンガなのだが、明らかに敷地面積が違い過ぎる。
大通りを横断して店の目の前まで移動し、改めてその巨大な外面を見渡すが、セールの宣伝用の垂れ幕などがいくつも垂れ下がったその姿は完全に複合型商業施設のそれだ。
入口と思わしき場所からはひっきりなしに人々が出入りしており、まだ朝のそれなりに早い時間だというのに商売が存分に繁盛している事が見て取れる。
こんな朝からいったい何を買いに来ているのかと気になって観察してみると、食品を買っている人ばかりだという事が分かった。
朝は生鮮食品などが新鮮でお得なのかもしれない。
(でもこの人の量だと……とても待ち合わせには……)
待ち合わせ場所の指定を間違えたのではないだろうかと心配していると、脹脛に例の電流がピリピリと流れ、テッチが一鳴きする。
「ワウッ!」
「え!? ここじゃないの!? でもここがグランツ商会だってさっき……」
「ワウゥ……」
「『そんな事一言も言ってない』って――確かに言ってないね……」
どうやら自分の早とちりだった様だ。
人の数が多すぎてどう考えても待ち合わせには不向きであったので、一先ずここが目的地では無いという事に安心する。
じゃあどこなのだろうかと不思議に思いながら人混みを掻き分けながらテッチの後に続くと、数分ほど後には答えを得られた。
ショッピングモールの端を過ぎた所でテッチは足を止めた。
巨大なショッピングモールの隣には小さな――いや、店として考えれば十分大きくはある楽器店と思わしき二階建ての建物があり、品のある『グランツ商会』と記された看板が掲げられていた。
人通りが多い通りに面しているのにも関わらず、何故かその店の前だけは奇妙な空間が生まれており、まるで人々がわざと少しばかり避けて通っているかの様にも見える。
しかしきっと、それは悪い意味で避けられているのでは無いだろう。
寧ろ自分も、ここが待ち合わせ場所でなければ少し避けて通ってしまうかもしれない。
「ワゥ」
テッチが『そんなに緊張しなくてもいい』的な事を言ってくるが、こればかりはどうしようもないだろう。
そう、自分は今"緊張"しているのだ。
今までの人生で所謂"高級店"なんてものには一度も行った事は無かったし、何ならちゃんと見た事すら無かったのだが、それでもこの『グランツ商会』という店がそういう店なのだという事が、その風貌からひしひしと感じられたからだ。
明らかに自分はこの店では場違いな人間になると、入らなくてもわかってしまうのだ。
(ここ……本当にアイラの実家なの……?)
失礼極まりないし申し訳ないとも思うが、あのアイラがここで生活しているとは到底信じられない。
(いや、別にアイラがガサツだとか思っているわけではないけど、何て言うかもっとこう親しみやすいというか……ね?)
誰に向けるわけでもない言い訳じみた思考を巡らせていると、この数日で思わず安心してしまう程に聞きなれた鈴の音の様な声が鼓膜を揺らす。
「あれ? タケルくん?」
「え? ああ、ソフィアか。おはよう」
「はい、おはようございます! 待ち合わせの時間までまだ結構ありますけど、随分と早めに来られたんですね!」
「ピィッ!」
声の主はソフィアであった。
美しい翡翠色の髪をいつも通りアポロ色のリボンでワンサイドアップにした彼女は今日は私服の様で、制服を着ているところしか見たことが無かったので少し新鮮だ。
確かにどこか気品は感じられる気もするが、特に派手に着飾っている様子も無い。
話に聞く限りはかなり偉い貴族の一員らしいが、正直自分にはただの一人の女の子にしか見えない。
きっとこの親しみやすさがソフィアらしさなのだろう。
肩には彼女の契約精霊であるロンドが乗っており、片羽を広げて挨拶を返してきている。
「うん。この時間帯は人が多いって聞いたから早めに家を出たんだけど、ちょっと早すぎて迷惑かな?」
「いえ、たぶん大丈夫ですよ! ――あっ……。あの、とりあえず中に入りましょうか」
会話の途中でいきなりソフィアの表情が少し曇った。
どうしたのだろうかと不思議に思ったが、その答えはすぐにわかった。
道を行く人の中に、ソフィアに対してどこか不躾な視線を送る人々がちらほらと居るのだ。
悪意の籠った類のものではない様だが、自分でさえもこれほど露骨に感じられるのだ。
好奇の目を向けられている本人であるソフィアはたまったものでは無いだろう。
自分にとっては一人の女の子だが、帝都の人々からしたらひょっとしたら有名人の様な存在なのかもしれない。
「うん、そうだね。じゃあ入ろうか」
そう言いながら店の入り口に手をかけ、開けたドアの先へとソフィアを先に入れ、自分も後に続く。
店内に入ると大通りを行き交う人々の雑踏による喧噪は一切聞こえなくなり、視線も感じられなくなる。
店内にはどこからか聞こえる何かの弦楽器が奏でるような低くゆったりとした曲が流れており、先ほどまでの緊張が嘘のように落ち着いてくる。
(なんだ、高級店も大したことないな)
誰かに聞かれれば「何をいけしゃあしゃあと」と言われそうな感じの感想を抱いていると、ソフィアが振り向いて口を開く。
「すみません。タケルくんも巻き込んじゃって……。立場上ちょっと人に見られやすいと言いますか……すみません」
「いや、僕は別に気にしてないよ。実はちょっと店に圧倒されちゃって入りづらかったからさ。ソフィアが来てくれて良かったよ。ありがとうね」
「――はい。ありがとうございます」
ソフィアは少しきょとんとした後、柔らかく笑いながらそう返答してきた。
よくわからないが、やはり曇った表情よりも笑っている方がソフィアには似合う。
そんな感想を抱いていると、いつの間にか流れていた曲が止まっており、店の奥から男性が出てきた。
「いらっしゃいませ――おや? 朝から来客かと思ったらソフィアちゃんじゃないか。ああ、そういえばアイラが今日は朝から待ち合わせてると言っていたな」
「あっ、リーガルおじさん! おはようございます!」
見た目四十代程の薄い金髪のその男性は、親し気にそう口にしながらこちらへと歩いてくる。
ちなみにではあるが、今のは色の話であって別に頭髪の量について薄いと感じたわけではない。
男性の身長が高めなために彼の頭頂部を確認できないが、きっとふさふさしているだろう。
(ん?)
唐突にキュウがふわふわと空中に浮いて高度を上げたかと思うと、すぐに高度を下げて肩へと乗ってきた。
『ちょっと怪しい感じだったよ』
「お、おう……」
わざわざ確認しなくても良かったのだが――というより、そうなってくるとまるでそういう意図をもって"薄い"と思ったみたいではないか。
そんな意図は断じて無い。
無いったら無いのだ。
『無いの?』
「無いよ!」
「ん? どうかしたんですかタケルくん?」
「えっ!? いや! な、何でもないよ!」
思わずツッコミを入れてしまったが、キュウの言葉は自分にしか伝わっていないので、傍から見れば一人で突然騒ぎ出したヤバい奴だ。
いや、伝わっていたらそれはそれで問題なのだが――
「『タケルくん』? ……という事はまさか、君が!」
ソフィアと親し気に話していた男性が何かに気が付いた様子で、凄い勢いでこちらに近づいてくると、両手を握られて激しく握手をされた。
「いやぁ! 娘から話は聞いているよ! 本当に、本っ当にありがとう! 感謝してもしきれないよ! 本当に、娘たちを助けてくれてありがとう!」
男性は涙目になりながらそう感謝を述べてくる。
両手は少し痛い程に握られているが、その分だけ彼の想いが籠っている様にも感じられて、温かい気持ちになってくる。
話から察するにこの男性はたぶん――
「おっと、自己紹介がまだだったね。私はアイラの父親の『リーガル・グランツ』という者だ」
やはりアイラの父親のようだ。
顔立ちは少し違うが、髪の色や透き通る様な空色の瞳などは紛れもなく彼からの遺伝だろう。
「一応、グランツ商会の会長をしていてね。帝都は初めてなんだよね? だったらきっと隣にあるショッピングモールは楽しんでもらえると思うよ。是非とも見てまわってみてくれ。立場上あまりこういう事は言ってはならないのだが、何か困った事が起こった場合は是非とも力にならせて欲しい。しがない一人の商人だが、この辺りにはそれなりに顔が利くからね」
どことなく面倒見が良さそうな雰囲気も、アイラそっくりである。
正直、端まで歩くだけで数分かかる様な規模のあのお店の主には見えないが、ソフィアも然り、肩書なんてその人の本質には関係の無いものなのだろう。
「えっと、その、お気持ちは嬉しいんですけど、お礼とかそういうのは全然気にしなくても大丈夫ですよ」
「いや、しかしだね……」
自分はもう十分過ぎる程にたくさん貰っているのだと、どうやって伝えたものかと思っていると、ソフィアがリーガルさんを説得する様に語りかける。
「リーガルおじさん、良いんです。――タケルくんはそういう人なので。その辺りは本当に強情なんですよ?」
「ああ、そういえばアイラがそんな事も言っていたなぁ……。親としては娘の命を助けてくれた人に何もお礼をしないだなんて不義理な事はしたくは無いんだがなぁ……」
そう言われるとどうも弱るが、自分はもう十分過ぎる程に得ているのだ。
「さっきの感謝の言葉だけでももう、胸がいっぱいなんです。これ以上貰ってしまうと胸やけしちゃいますよ」
冗談めかしながらそう言うが、リーガルさんは消化不良のような表情を崩さない。
そんなリーガルさんを見かねたのか、ソフィアが何か彼へと耳打ちをする。
「ね? それでどうです?」
「うーむ。まあそれしかなさそうだねぇ……」
何を言っているのかは聞こえなかったが、話を聞き終えたリーガルさんはとりあえず納得したようだ。
「よし、じゃあアイラに二人が来た事を伝えてくるから、奥の部屋ででも待っててくれ」
「はい、わかりました」
「失礼します」
リーガルさんは自分たちを店の奥へと案内すると、そう言ってアイラを呼びに行ったので、ソフィアについてさらに奥にある中庭を突き進み、居住空間と思わしき家の中にある一室へと入ってアイラを待つ。
途中に大きな弦楽器が置いてあったが、ひょっとしたら店に入った時に流れていたあの曲は、リーガルさんが弾いていたのかも知れない。
(ゆったりお茶でもしながら聴きたい様な曲だったよなぁ……)
そんな事を考えているとアイラがやってきたので、軽く挨拶を交わして適当にしゃべりながら、サキトが来るのを待つのであった。




