28.美味しすぎて辛い
気がつくと見慣れている気もする大型のショッピングモールの中に居た。
自分が立っているのは服や靴などの衣料品売り場の様だ。
(あれ? なんでこんなところにいるんだっけ……?)
自分の必要な衣料品についてはおじいちゃんが準備してくれているので、特にこの辺りに用は無いはずだ。
(食品売り場に行くかな……。キュウに果物買っておきたいし……。あっ、でも靴はちょっと見たいかもな……)
ぼんやりとそんなことを考えながら、近くにあったスニーカーへと手を触れると――
(いッ――!? せ、静電気? なんでスニーカーで……?)
なんだか怖いので靴売り場をあとにして、食品売り場に向かいながらなんとは無しに天井を見上げる。
そこに高く高く広がる空には大きな入道雲が浮かび、燦々と煌めく太陽に照らされて輝いている。
よく晴れた夏の昼下がりだ。
ショッピングモール内には冷房が効いているため自分は涼しいが、外はかなりの暑さだろう。
(ん? 空? ……まあいいか)
しばらく歩いていると、吹き抜けになっている部分から下の階が見えた。
自分がいるのは二階部分で、この下がちょうど食品売り場の様だ。
目的地を見つけたのだが、辺りを見渡しても何故か肝心の階段などが見当たらない。
(まあ、このくらいなら行けるか……)
ぼんやりとした思考のまま身体強化を施して、落下防止用の手すりを乗り越えようと木製の手すりに触れると――
(いッ――!? ま、また静電気!? 今日はやたら発生するなぁ……)
不思議に思いつつも、また静電気が発生すると嫌なので手すりに触れずにジャンプで飛び越えて下の階へと降りる。
着地地点に人の気配が無いのは確認済みだ。
というより辺りには一切の人影が見当たらない。
随分と寂れたものだ。
(さて……果物売り場は……おっ、あったあった)
見つけた果物売り場まで足を運ぶと、キュウの特に好きな桃に似た果物があり、値段を確認しようと値札を見ると、値段は書いていなかった。
代わりに『クソ雑魚』と書かれている。
生産者はいったいこの果物にどんな想いを込めてこの名前をつけたのだろうか。
絶対に売れないと思う。
(流石にこれは無いな……。他に良さげな果物は……え? これしか無いの……?)
なんと辺りには他に果物が無いのである。
品揃えの良さに何か恨みでもあるのだろうか。
(さっきはあった気もするんだけどなぁ……。まあ無いなら仕方ないか……)
キュウに果物を買ってやると決めていたので、仕方なくその『クソ雑魚』なる果物を一つ手に取っあばばばば――
・
・
・
「――あばばはば!?」
あまりの衝撃に思わず目を見開く。
目に映るのが知らない天井だとか、背中越しに感じるベッドの感触が凄く心地よいだとかそんなことを気にする余裕も無い程の電流が右手を通して体全体に広がる。
十中八九テッチが自分を起こすために電流を流してくれているのだろうが、なかなかやめてくれる気配がない。
「て、ててっ、テッチ! もも、もう、起きて、起きてる、から!」
痺れながらもどうにか声を出すと、ようやく電流が止まり、一息吐いてから上体を起こす。
「も、もうテッチ……。もう少し優しく起こしてくれてもいいのに……」
自分の隣で伏せているテッチを撫でながらそう言うと、テッチが反論してくる。
「ワウッ!」
「え? 『なかなか起きないからだ!』って? そ、そんなに起きなかったの……?」
ちゃっかり電流の被害を受けないようにか、隣で浮いているキュウに問いかける。
少し離れていようとも、ベッドに触れていては少なからず電流の被害を受けるというのを既に学習しているからだろう。
森にいた頃も何度かこの起こされ方はしたのだが、一緒に電流の餌食になっていたあの頃のキュウはもういない様だ。
『武は毎回寝坊助さんだけど今日は特に酷かったよ。テッチん五回くらいピリピリでやってくれてたのに起きないからビリビリにしたの!』
自分の質問に対してキュウが答えを返してきた。
昨日も感じた事ではあるが、耳からはキュウキュウ鳴いているのが聞こえるのに、心を通してはっきりとした言葉が伝わってくるこの感覚はなかなか不思議である。
「そ、そうなんだ……ごめんねテッチ。あと、毎回ありがとうね」
「ワウッ!」
「しゃあなしだぞ!」的な事を言ったテッチはしっぽを振りながらベッドから降り、部屋の入口と思わしき扉の前まで歩いてからこちらを振りむいた。
ついてこいという事だろうか。
というよりも、今はいったい何時なのであろうか。
そう思い辺りを見回し、時計を探す。
部屋の中には家具は最低限しかなく、非常にすっきりとしている。
そんな数少ない家具の内の一つであるベッドの隣の小さな台の上に置き型の時計があった。
連続的に止まること無く動く秒針は音もたてずに静かに時を示している。
まだ六時を少し過ぎた程度のようで、待ち合わせの時間には余裕で間に合うだろう。
しかし一秒毎に動くタイプの秒針と違い常に動いているためか、時間の経過が少しばかり早いような錯覚に陥り、少し気が急いてしまう。
一長一短ではあるが、アイラにお願いしている腕時計は一秒毎に動くタイプにしてもらおう。
(あれ? そういえば服がジャージに……着替えさせてくれたのかな?)
そんなことを考えながら一度伸びをして固まった筋肉をほぐし、ベッドを降りてテッチのいる方向へと向かった。
自分が近づくとテッチは器用に前足でドアノブを回して扉を開け、しっぽで扉を大きく開けながら部屋の外に出た。
それに続いて外に出ると、そこは廊下であった。
(何というか……思ったより豪華じゃない――いや、"華美でない"って感じかな……)
外観から結構豪華なお屋敷なのかと思っていたが、内装は比較的落ち着いているらしい。
どことなく高級感は感じるが、別に見ていて目が痛くなるような装飾ではない。
そもそもおじいちゃん自身がコテコテしたような装飾があまり好きではなかったはずだ。
自分もあまり好きではないので、正直このくらいの方が肩肘張らずに済んでありがたい。
廊下の様子を眺めながらテッチについて行き、下には昨日の実験場へ続く通路があるであろう大きな階段を降りて、さらに少し進んだところにある扉の前でテッチが止まった。
そして、また器用に前足でドアノブを回すと扉を開けて中へと入っていったので、続いて中に入ると――
「よう、起きたかボウズ」
ティストさんが骨付きの肉を手掴みで食べながらそう挨拶をしてきた。
「え!? てぃ、ティストさん!? なんでいらっしゃるんですか!?」
「なんでってお前、昨日試験の後そのままここに泊まって、そのついでに朝飯も頂いちまおうってなっただけだぞ」
「あ、じゃあ別にここに住んでるわけじゃないんですね。ひょっとしたら同居する事になるのかと……」
というよりも、予定があって忙しいとか何とか言ってなかっただろうか。
「んあ? まあ昔は住んでたけど、私も一応社会人ってやつだからな。いつまでも世話になるわけにもいかねぇから今は別の所に住んでるが……なんだ? 一緒に住むってなったらなんか困ることでもあんのか?」
何故かニヤニヤとしながらティストさんはそんな事を聞いてきた。
「い、いや、そりゃあいきなりよく知らない女性と同居なんて事になったら色々と焦りますよ……」
殆どろくに関わらずに過ごしていた叔父との生活も含めれば、人生の半分以上を一人で暮らしてきた自分にとっては、誰かと一緒に暮らすなんて事おじいちゃんとでさえ久々だったのだ。
いきなり女性と一緒にだなんて、何に気を付ければ良いのかさえわからない。
「そんなもんか? 別にそうだったとしてもそんなに気にするこたぁねぇと思うがなぁ……」
「――そうですぞタケル様。もし仮にティスト様がこのお屋敷にお住まいになられていたとしても何も気にすることなんぞありませぬ。あの様なお姿で食事をとっておられるのですよ? 気にするだけ無駄というものでしょうぞ」
異性との同居に対して特に何も思うことがないらしいティストさんの意見に、自分の後ろから発せられた声が賛同を示した。
振り返ると、食事を乗せたワゴンと共に入室したハヴァリーさんが立っていた。
そう言われて改めてティストさんを見てみると、椅子に座っているのに片膝を立てて、立てていない方の膝に肘をついて骨付き肉を貪り食っている。
もしも服が昨日と同じ白の制服でなく、毛皮のような服であれば確実に、そして率直に蛮族だと思っただろう。
というより長机に隠れているおかげで見ずに済んだが、昨日の制服と同じなら下はスカートなのではないのだろうか。
(女性の仕草にとやかく言えるような玉じゃないけど、もう少し恥じらいというものをですね……)
「ささ、タケル様もどうぞお座りください」
当人があの様子なのだから確かに気にする必要もないのかもしれないと、そんな事を考えていると、ハヴァリーさんはワゴンを押して移動してティストさんの対面の椅子を引くと、自分に着席を促した。
相変わらず瞼が開いているのかわからない様な状態だが、あれでよく躓かないものだ。
そうして言われるがまま座ると、斜め前に蓋付きのシルバープレートが置かれる。
仰々しいその風貌から、いったいどんな料理が出てくるのかと少しドキドキしていたのだが、出てきたのは至って普通のパンとスクランブルエッグ、そして野菜スープだった。
一人暮らしをしていた頃によく作っていたようなメニューだ。
「主の手紙にはタケル様は朝はそれ程お食べにならないと書いておりました故、この様にご用意いたしましたがよろしかったでしょうか?」
「え? あ、はい。これくらいで十分です」
確かに自分は朝はこの程度しか食べないが、あの不思議な手紙でこんな所まで伝わっているとは驚きだ。
「んあ? なんだボウズ、それっぽっちしか食わねぇのか? その程度じゃぶっ倒れるだろ。 せめて肉を食え肉を」
自分の食事を見たティストさんは自身の皿に乗っている骨付き肉の一つを寄こしてきた。
というよりも、よくもまあ朝からそんなに肉を食べられるものだ。
ティストさんのお皿には既に食されたであろう肉についていた骨が大量に置かれている。
想像するだけで胃もたれしそうだ。
(でも、貰ったからには食べないと失礼だよな……)
そう思いながらも、やはりいきなり肉から食べるのは気が引ける。
まずはスープから口にしよう。
「それじゃあ、いただきます」
そう言ってスプーンに一杯掬い取り、口に入れると――
(――あ、美味しい)
何だろう。
至極単純に美味しい。
美味し過ぎて「美味しい」以外の感想が浮かばないくらいに美味しい。
何を言っているのか自分でもわからないが、凄く美味しいのだ。
何回美味しいと言えばいいのだろうか。
(いや、これだけ美味しいんだ。もっと何か表現できるだろ)
どうにか表現出来ないものかとスープと睨めっこしている自分を不思議に思ったのか、膝の上に乗っているキュウが問いかけてくる。
『どうしたの? さっきからおいしいおいしいって何回も考えてるけど……?』
(そうだ! キュウの意見を聞けば何か思いつくかもしれない!)
そう思い、手の甲に少しだけスープを乗せてキュウへと差し出す。
不思議そうにそのスープの雫を嗅いだ後、それを舐めとったキュウは――
『――あ、おいしい』
だめだ、なんの参考にもならない。
キュウも語彙力を奪われてしまった様だ。
いや、もともとそれ程無いか。
(なんでっ! なんでこんなに美味しいんだっ……!)
余りにも「美味しい」以外の感想が浮かばなさすぎて苦しくなってくる。
しかしスープを口に運ぶ手は止まらず、気が付けばスープどころか朝食として出された全てをあっという間に平らげてしまった。
「美味しい」とはこれほどまでに辛いものだったのか。
「お、おいボウズ? どうした? 頭でも痛ぇのか?」
いつの間にか頭を抱えていた自分を心配したようで、ティストさんが声をかけてきた。
「てぃ、ティストさん……。"美味しい"って、こんなに辛い事だったんですね……」
「は? お前何言って……ってまさかエフィが来て――!?」
「はぁい。作ったのは私でございますよぉ」
気が付いた時には、いつの間にかティストさんの背後に一人の見た目六十代程の暗い茶髪の女性が立っていた。
背後をとられたティストさんはと言うと、まるで蛇に睨まれた蛙かのように固まり、冷や汗をダラダラと流し始めている。
非常に質素なメイド服と呼ばれる様な服を着たその女性はどこか含みのある笑顔を浮かべながらティストさんの肩へと手を置く。
「ティスト様ぁ? その座り方はいったい何なのでございましょうかねぇ? 世間の認識では、あなた様の現在のお立場は言わばセイル様の名代ですから、くれぐれも粗相はお控えになられますようにと私何度も申し上げましたよねぇ?」
「い、いやっ、これはだな――ですね……ちょっと膝が痒くってですね……ですわ……」
ティストさんの言葉遣いがわけのわからない事になっている。
この女性はいったい何者なのだろうか。
「はぁ……。言葉遣いに関しましてはもう諦めておりますし、仕方ない点もございますので、外でさえちゃんとされるのなら無理をせずともよろしいですわよ……。ですが立ち居振舞いの方はしっかりとお気を付けてくださいな。そもそも一人の人間として、その座り方は絶対によろしくありませんわよ」
「お、おう……。気を付ける……ます……」
あのティストさんをこうも大人しくさせるとは、本当に何者なのであろうか。
(というよりこの料理を作ったとか言っていたような……)
自分の視線に気が付いたのか、その女性はティストさんの肩から手を放して、優し気にこちらに微笑みかけてきた。
「あぁ、私としたことが申し遅れましたわね。私は非常勤ですが、そこの糸目と同様にこの屋敷の管理を任されております『エフィシス・ギーザクルス』と申しますの。普段は……そうですね、礼儀作法に関する講師などをしておりますの。これからはタケル様の身の回りのお世話などを私もさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたしますね」
そういうとエフィシスさんは左足をひいて右足をやや曲げ、背すじをのばして軽く少しだけ腰をおとした。
舞台女優などがする挨拶に似ているが、スカートの両端は持ち上げない様だ。
何にしても口調や仕草の一つ一つがとても丁寧な方だ。
流石は礼儀作法の講師と言った所であろうか。
「よ、よろしくお願いしますエフィシスさん……ん? ギーザクルス?」
ギーザクルスと言えば確かハヴァリーさんもそんな家名だったような気がする。
「どうぞ『エフィ』とお呼びくださいな。お察しの通りそこの糸目とは家名が同じでございますよ」
「私めの家内にございますタケル様。先ほども申しました通り、これからは私たち二人でタケル様の身の回りのお世話を務めさせていただきます故、どうぞよろしくお願いいたしますな」
そう言うとハヴァリーさんも丁寧にお辞儀をしてきた。
そういえば、身の回りの世話をしてくれるという事は要するに使用人的な立場なのだとは思うが、そうなってくると給料などはどうすればいいのだろうか。
「あの……僕まだ働いてないんでよく考えると人二人どころか一人すら雇えるような経済力が無いんですけど……どうすれば良いですかね?」
自分がそう聞くとハヴァリーさんとエフィさんはきょとんとした顔をした後、お互いに少し笑いながら口を開いた。
「そういえば私たちは一応使用人という形態でしたわね。セイル様が特殊すぎて失念しておりましたわ」
「確かに本来であればタケル様の懸念も御尤もですな。では改めて説明しておきましょうかな」
そう言うとハヴァリーさんは一拍呼吸を置いてからさらに続ける。
「私め共はセイル様から、セイル様の財産の管理の方も一任されております。そしてその財産に関しましても昨日の手紙の方にタケル様の成したい事に必要ならば適宜使う様にと、そしてその判断も一任するという様に書かれておりました故、タケル様が経済上の心配をする必要は全くありませんよ」
「これからタケル様がお金が必要な場合はそちらの糸目か私にお申し付けくだされば用意いたしますわ。もちろん、あまりにも無駄遣いであると判断できる場合には許可しない場合もございますのでご了承くださいね」
「わ、わかりました……」
要するに給料どころか財産ごと任されているから払う必要は無いという事なのだろう。
というよりもエフィさんの後半の物言いがなんだか威圧感が凄かった。
これが財布の紐を握られる感覚というやつなのだろうか。
いや、そもそも自分の財布ではないのだが。
「別にどうせ使いきれねぇんだから、ある程度無駄に使わせても良いと思うけどなぁ」
残っていた肉も全て平らげた様子のティストさんがそんな事を口にする。
おじいちゃんは財閥か何かなのだろうか。
そんなティストさんの物言いにエフィさんが反論する。
「節制を無くせばその先には破滅しか待っておりませんのよ。まあ本当に必要とされるものでしたら特に拒む事もございませんので、遠慮せずに申し付けてくださいな」
必要なものと言えば、自分とキュウの食費くらいであろうか。
いやそれもこうして朝食を作ってもらえている事から考えると殆ど必要ないのではなかろうか。
今の自分はそれに頼るしかないのだが、おじちゃんが許可したらしいとは言え少し本当にこれで良いのか不安になってくる。
できるだけ早く自分でも稼げるようにならねばと静かに心の中で誓うのであった。
またまた遅れてしまって本当に申し訳ないです……。




