26.人それぞれの嗜好
試験の再開を認識させたのは、魔力探知が感知したこちらの魔力を"かき分けて"迫る金色の魔力だった。
(やっぱり付け焼刃じゃ無理かっ……!?)
一応アイラに教えてもらった様に相手の魔力を妨害するつもりで魔力探知を広げていたのだが、いとも容易く突破されてしまった。
何かしらの魔法が発動するであろうその魔力はこのまま放置すれば自分に直撃するだろう。
それは困るので一早くポルテジオをぶつけて魔力を止めると、衝突した瞬間に茶色の魔力が小規模な爆発の様なものを起こした。
どうやら土属性の魔力だった様だ。
自分はポルテジオの防御力には絶対的な信頼を置いているが、この力にはいくつか弱点がある。
と言ってもその弱点の原因は至極単純に自分の技術力不足なので、決してポルテジオが弱いわけではない。
決してだ。
そんなポルテジオの弱点の内のひとつが、もし今さっきの魔力を魔法の発動まで漕ぎつけさせてしまっていた場合、自分が射線上から逃げるか魔法を防ぎきるまでポルテジオの一つをその魔法のためだけに取られるという点だ。
その為に魔法発動前の魔力をポルテジオに衝突させる事で"不発"させたわけだが、もうほんの少しでも対応が遅ければきっとさっきの魔法は発動していて、ティストさんはその隙をつくような攻撃をしてきただろう。
既にこちらの力量を把握して、おじいちゃんたちとの特訓と同じ要領で、自分が対応できるギリギリを攻めてきているのだ。
――『少しでも対応を誤れば、そこからなし崩しに攻め込んで殺すぞ』という意思を添えて。
"自分を殺し得る可能性がある"程度には手加減をしてくれるわけだ。
本当に優しい事この上ない。
しかし油断すれば死ぬ事は確実であるので、気を緩める事は無い。
(でも、これだけ魔力使ってるんだからちょっとくらい勢いが弱まるとかあっても良いと思うんだけどなぁ……)
突破されないようにかなりの量の魔力を拡散して探知自体も三十メートル程に抑えて――いや、ティストさんの魔力探知に抑えられているので、魔力の密度はかなり高くなっているはずなのだが、ティストさんの伸ばしてくる魔力を止められる気が全くしない。
続いてティストさんの魔力が互いの魔力探知の境界面からこちらにそれぞれ別方向から侵入してきた。
その数は五本。
侵入したのを感知した瞬間にポルテジオにぶつけて不発させるが、それでもどれも五メートル程は侵入されてしまっている。
本当に侵入そのものを防げる魔力の妨害の方法を習得しないとヤバいかもしれない。
命がけの土竜叩きをしている感覚に対してそんな危機感を抱いていると、ティストさんが口を開く。
「おいおいボウズ。なんでそんだけクソ贅沢に魔力垂れ流してんのに、この程度の魔力も妨害できねぇんだよ。本当に妨害する気あんのか? たった三十メートルぽっちの探知に最上級魔法五発分以上の魔力使うアホなんて見た事ねぇぞ……。並の魔法師ならそれだけで二、三人ぶっ倒れるってのに、贅沢の極みだなぁおい」
そう言われても出来ないものは出来ないのだ。
妨害のやり方がさっぱりわからない。
こちらの魔力は綺麗に金色の魔力に阻まれてティストさんに近づけないというのに、情けない話である。
「まあ魔力の妨害ができねぇからそのシエラで妨害するってんならそれはそれで今は良いか……。じゃあとりあえずまずは"コレ"を防いでみな」
そう言うティストさんは槍を出しているにもかかわらず、相変わらず全く動く様子はなく――
「ッ――!?」
直感的に全ての――十のポルテジオを展開させたが、結果的にこの判断は正しかった。
魔力探知をかき分けて侵入してきた魔力の数は十、いや――
(マジかよっ!?)
魔力探知を通して脳内に広がるのは、魔力が十"ずつ"、極々わずかな時間差で続々と侵入してくる様子。
すぐさま最初の十の魔力を防いだポルテジオを消して、次の十の魔力へと展開する。
それを防いだらまた次の十へと展開しては防いで――しかし魔力の波状攻撃は止むことは無い。
その場を動かず、四方八方どころか常に十方からひたすらに飛んでくるその多種多様な魔法の込められた魔力をポルテジオで防ぐ。
傍から見れば魔力探知でもしていない限り飛んでくる魔力は見えないはずなので、自分の周囲で色とりどりの不発した魔法が大量に炸裂しているようにしか見えないだろう。
氷の青に火の赤、雷の紫に土の茶、果ては風の緑まで。
アポロ色のポルテジオと衝突する度に炸裂する様を見ていると、まるで花火の中にいる様な錯覚に――陥りたいが、正直そんな余裕など全くない。
尋常ではない密度で侵入してくる魔力を、的確に自分に近いものから順番に防いでいく。
小さな爆発音の群れが鼓膜どころか身体中を揺らすが、そんなことに気を割いている間もない。
魔力と魔力の間にあるタイムラグは展開したポルテジオの消去・再展開に要する時間を僅かに凌駕しており、徐々に魔力群と自分との距離は縮まっていく。
少しでも迷えば一瞬で距離を縮められてしまうだろう。
土竜叩きなんて生易しいものではない。
これはもう身に降りかかる豪雨のその全てを一つ一つ防いでいるようなものだ。
恐らく五百近い魔力を防ぎきったところでようやく波状攻撃が終わる。
時間にすればきっと十秒程の事だったのだろう。
しかし、与えられた脳と精神への疲労感は、単純な多方面攻撃に対する防御のそれとは比べ物にはならなかった。
極力隙を見せるべきでは無いと理解しているのに、思わず片膝をついてしまった。
「ッ――はぁ……」
深呼吸をしてとりあえず一度落ち着いてみる。
おかげで呼吸は落ち着いてくるのだが、内心はどうにも落ち着いてはくれない。
世の中にはこれほどの攻撃を平然と繰り出してくる化け物がいるのだという事実にただ驚く気持ちと、よくもまあ防ぎきれたものだという驚きで何だか変な気分だ。
酷く疲れているのに達成感からか気分が高まる。
そう、達成感からだ。
状況を簡潔に説明すれば、"殺されかけて興奮している"という状態だが、別にそんな特殊性癖は無い。
無いったら無いのだ。
『無いの?』
「無いよ!」
「おう! 中々頑張ったじゃねーか」
キュウの冗談に付き合っていると、どこか違和感のあるティストさんの声が聞こえてきた。
まるで鼻水が垂れないようにしながら喋っているかの様な声だ。
爆発音に囲まれていたせいか、耳には閉塞感があり、音が籠って聞こえるのでそのせいかもしれない。
そう思いながらティストさんに目を向けると――鼻血を垂らしていた。
「……え?」
どうしたのだろうか。
防御でいっぱいいっぱいだった自分にはまさか攻撃できるはずもない。
だとしたら自発的に鼻血を出した事になるわけだが――
(鼻血が出る事……"興奮"?)
まさかそんなベタな事は無いだろうとは思うが――もしそうであるならば、"人を殺そうとして興奮した"という事になる。
「ティストさん……それは流石に猟奇的すぎますよ」
「……何を勘違いしてるかは知らねぇが、とりあえず今のを防御しきった事は褒めてやるよ。まあそもそも普通はそうそうあんな攻撃受けることはねぇけどな」
鼻に手を当てて治癒魔法を使いながら、ティストさんはそう言った。
ちゃんと妨害が出来ればそもそもあんな攻撃を受けないという事だろう。
「ってかボウズ。あんだけビビってた割にもう平気そうじゃねぇか」
殺意を向けられる事にであろうか。
そんなもの――
「やせ我慢に決まってるじゃないですか……。なんですか? ビビってた方が評価貰えるんなら盛大にビビり散らかしますけど……?」
軽口でも叩いてないとやってられないと考えるべきか、軽口を叩けるくらいには慣れたと考えるべきかはわからないが、こんなもの無いに越したことは無い。
というより、何故あんなに自然体な様子でこんなにも"殺される"と思わせる事が出来るのかがさっぱりわからない。
寧ろわかりたくないまである。
「あの、試験の続きをお願いします……」
「んあ? ったく欲しがりだなぁボウズは……」
別に欲しがりなんかじゃない。
単に早く試験を終わらせてこの息苦しい感覚から解放されたいだけだ。
「仕方ねぇな。じゃあ次は近接戦闘への対応を……って言いてぇところだが、生憎私もそれほど暇ってわけじゃぁねぇからな。近接戦闘に関してはどうせジジイとテッチが腐るほどやってるだろうから免除って事にしといてやるよ」
確かにおじいちゃんやテッチとの特訓は近接戦闘ばかりだったが、先ほど自分に『死ぬ気で臨め』と言っていたティストさんが、わざわざ免除してくれるという事に少しばかり違和感を覚える。
近接戦闘への対応に関しては、ティストさんにはまだ最初の無様な逃げ腰の対応しか見せてないはずだが――
(時間が無いならそもそも試験なんてやらないだろうし……。さっきの攻撃防ぎきったのが高評価だったとかかな?)
何にせよ早く終わらせてくれるのであればありがたい限りだ。
さっきのが魔法戦闘への対応で、免除されたのが近接戦闘への対応だとするならば、次はいったいなんだろうか。
いつどんな攻撃が来てもいいように構えてティストさんを見ると、槍を両手で持ち、体を右斜めに向け、穂先を後方下部に向けた構えを取っていた。
(両手で使うんだ……いや、槍ってそういうものか!)
おじいちゃんがいつも片手で扱っている様子ばかり見ていたから感覚が狂ってしまっていたのだろう。
しかし構えや扱い方が違うという事は、おじいちゃんの槍術しか見た事の無い自分は知らない様な攻撃をしてくるかもしれない。
虚を突かれないように気をつけなければならないだろう。
気を引き締めたところでティストさんが地面を蹴り、三十メートル以上あったその距離を一瞬で詰めてくる。
相変わらずふざけた身体の強化練度だ。
一瞬ならまだしも常にこの速度で動くのだから尚更ふざけている。
正直、肉眼では捉えきれないが――
(近接戦闘に於いて重要なのは動体視力よりも魔力探知による感知の詳細度だ)
目では把握しきれずとも、そこに感知で得た情報が加わればこの程度の速度はどうという事は無い。
槍の間合いまで自分に接近したティストさんは体の右側に構えたその槍で――
(いきなり搦め手か)
右手一本で自身の頭の後ろから突きを放ってきた。
確かに自分からは死角になっていた位置だが、感知できれば何という事は無い。
おじいちゃんと同じく片手とは思えない程に力の籠っているであろうその突きを、ポルテジオを斜めに展開して受け流す。
垂直に展開して受け止めても良いのだが、せっかくティストさんはこの力に対して初見なのだ。
想像以上に受け流された力に一瞬でも動揺してくれれば掠り傷くらいなら与えるチャンスがあるかもしれない。
しかし、槍は受け流された瞬間にぴたりと止まり、一切の動揺を見せることなくそのまま流れるように左足を軸にして後ろ回し蹴りを放ってきた。
それも確かに速いが既に軌道上にはポルテジオを力に対して垂直に展開している。
今のティストさんは自分に背を向けている状態だ。
動きが止まれば攻撃を叩き込める。
左手を瞬時に強化して、一歩踏み込み抉るような掌底を放――とうとしたが、慌てて踏み込もうとした左足の裏にポルテジオを展開して踏みとどまる。
ティストさんの左足から地面に流れる魔力を感知したからだ。
案の定本来左足を踏み込むはずであった場所からは鋭く太い岩が飛び出してきた。
踏み込んでいれば確実に体勢は崩されていたであろう。
飛び出した岩は前方の視界を塞ぐが、その向こうにティストさんは既に居ない事は感知済みだ。
岩の魔法発動時に自分が地面を注視し、ティストさんから目線を外してしまった時には既に自分の右側面に移動を始めていたのだ。
感知していなければ確実に防御が間に合わなかったであろうその薙ぎ払いを受け流し、槍を振りきったその体に一撃叩きこもうと動くが、ティストさんの次撃の方が速い。
(速すぎだろッ――!)
そのまま舞うように槍を振り回しだし、速度は上昇していく。
ただでさえ速いその攻撃速度は、一回の回転中に穂先と石突きの両方で攻撃を繰り出す事でさらに速くなっている。
槍を受け止めようが受け流そうが、何故か速度が増していくのだ。
一度"隙あらば攻撃をくわえる"などという考えは捨て、防御へと全神経を注ぐ。
その判断は功を奏したようで、槍での攻撃だけでなく別方向からの魔法による攻撃も加わってきたが何とか対応が間に合った。
なるほど、魔法戦闘と近接戦闘の次はその両方を織り交ぜた戦闘への応対試験というわけだ。
縦横無尽に迫りくるその攻撃に対応するうちに、何故か気分が高揚してくる。
もう殺意など毛ほども気にならなくなってきた。
きっと今自分は、目の前で繰り広げられる武人の"演武"とも"演舞"ともとれるその技に見入っているのだ。
この素晴らしい技に対応できるという事実が嬉しく、そして楽しくて仕方がないのだ。
自分の長所はポルテジオによる防御能力。
それを最大限生かすのに必要なのは"どこから攻撃が来るのか"をいち早く理解し、対応できるだけの能力であった。
だからこそおじいちゃんはこの半年の間、ひたすらに長所を伸ばすための特訓を繰り返してくれたのだ。
自分にはソフィアの様などれか一つでも属性魔法を極められるような才能も、サキトの様な卓越した身体強化の感覚も、アイラの様な魔法に対する知識も無いが、幸いな事に魔力制御の才能と攻撃に対する感知能力はあった。
確かに自分の能力ではティストさんに掠り傷すら与えることは出来ないだろう。
だが今はそんなものは必要ない。
対人用の魔法を覚えたいなどと思っていた時期もあったが、今はただひたすらに長所を伸ばすための特訓をしてくれたおじいちゃんとテッチに感謝しかない。
試験だとかそんなことはもうどうでもいい。
(――いや、どうでも良くはないな)
残っていたなけなしの理性でなんとか気が付いたが、それならば尚更だ。
この武人にただ自分に出来る事を――積み重ねてきたものを見せるのだ。
そうして相対しているうちに、ひょっとしたら掠り傷を与えられるかもしれない方法を思いつく。
試験の事を考えれば攻撃能力が一切ないと思われるのもマズい気がするので、実行に移してみよう。
防御に全て割いていたリソースを僅かに、本当に少しずつ切り分けていき、ほんの小粒程の余裕を生み出す。
――既に垂直にしか展開できなくなっていたポルテジオを、一つだけ傾けられる程度の余裕を――
思惑通り"跳弾"した魔法で生み出された氷弾が、放った本人――ティストさんへと返っていく。
いわゆるカウンターだ。
ひたすら防御に努めていた自分からの思わぬ反撃に少しぐらい焦るかとも思っていたが、ティストさんは自分から一度距離を取る事でそれを躱した。
「あっ……」
離れたという事は結果的に演舞は終了してしまったわけで――
「なんでせっかく終わりにしてやったってのに残念がってんだボウズ……。攻められて喜ぶったぁ随分とアレな性癖だなぁおい……」
「なっ!? べっ、別にそういうわけじゃないですよ!?」
「どうだかなぁ……まあいい。妨害がクッソ下手くそだったから少し心配だったが、どうやら"不可侵領域"はちゃんとあるみたいだしな。――しかしまあ、私にカウンターしかけるったぁ随分と強気なことだなぁおい?」
なんだろうか。
初めて聞く言葉があったが、それ以上にティストさんが少し悪い顔をしているのが気になる。
嫌な予感がして冷や汗を流していると、ティストさんは予想だにしていなかった――
「最終試験だボウズ。――精霊化して私に攻撃してきてみろ」
――いや、考えないようにしていた事を要求してきたのであった。
武の性癖や如何に――。




