25.全力と死ぬ気の差
「んあ? なに驚いてんだボウズ?」
「ッ――」
言葉が出てこない。
何故人を殺そうとした事を彼女は何の悪びれも無く認められるのだろうか。
そんなの普通は――
「おいボウズ。まさかお前――試験だから殺されねぇだなんて思ってねぇだろうな?」
「な、何を言って……?」
依然として理解の及ばない自分に対して彼女は続ける。
「はぁ……ジジイもテッチも甘いったらありゃしねぇなおい。しょうがねぇから優しい優しい姉弟子様がボウズにもわかるように説明してやるよ」
彼女はそう言うと、一足で自分のそばまで接近して格闘戦を仕掛けてきた。
驚異的な練度の身体強化から放たれる手刀に貫手に回し蹴り、その他諸々の流れるような攻撃が正面のみから凄まじい速度で繰り出される。
空気を削ぎ取る様な鋭い音が、その一挙一動の熾烈さを物語っていた。
しかしいくら手数が多かろうと、一方向だけからの攻撃などポルテジオ一つで事足りる。
何も怖がることなんてない。
なのになんで――
(――なんで僕は逃げてるんだっ……!?)
攻撃は全て彼女との間に展開されたポルテジオが防いでくれているのに、体が勝手に後退を選択する。
自分の中の何かが叫ぶように音をたてているが、彼女から放たれる自分に対する明確な"殺意"のせいで何もわからない。
ただの一撃も当たっていないのに、全ての攻撃をくらっているような気さえしてくる。
攻撃の手を緩めることなく彼女は語り掛けてくる。
「逆に聞きてぇよ。なんで殺されねぇと思った? ジジイが頼んだからってすんなり学院に入れて何の覚悟も無しに軍人になれるとでも思ってたのか? この程度の攻撃と殺気でそんだけビビってよぉ。結局その程度の考えで来たって事だろ? 何が『誰かを護れるような生き方をしたい』だ!」
決してそんな考えで来たつもりではないはずなのに、自分の大切な夢を貶されているのに、何も言い返せない。
確かに軍人という職に対する自分の想いはそこまで強いわけではない。
だが、誰かを護りたいという想いに嘘なんてないはずだ。
その為にずっと全力で励んでいたはずだ。
森でおじいちゃんやテッチにやってもらっていた特訓は、絶え間なく続く多方面からの攻撃に全て対処するというものであった。
魔力制御力と瞬時の判断力、そして経験と持久力を高めるための一番の方法だとおじいちゃんは言っていた。
二人は自分がギリギリ対応できるかできないかのラインを正確に見極めて攻撃をしてきていたため、今も自分は五体満足でこの場に立てている。
二人の技量のおかげで自分が重症を負う事は無かったわけだが、だからと言って安全だからと特訓に対して甘い考えで臨んだ事は無いつもりだ。
何故なら二人の攻撃はその全てが、もし対応に失敗して直撃すれば問答無用で自分は死んでしまうような攻撃だったからだ。
だからこそ、自分は常に特訓に対して全力で臨んでいたのだ。
それはきっと正しい事だったはずだ。
だが彼女は言う。
「よく『言われてやるのは二流、言われなくてもやるのが一流』なんて言うが、だとしたら勝手に"殺される事はねぇ"なんて考えちまうボウズは一流の甘ちゃんってとこだよなぁ?」
そうなのかもしれない。
自分は彼女の言う通り、"殺されない"と高を括って日々の鍛錬に臨んでいたのかもしれない。
おじいちゃんやテッチはきっと、自分に死に至るような攻撃はしても、殺すことはないだろうと。
事実きっと二人が自分を殺す事などないだろう。
でもせめて、自分の心は、臨む姿勢だけはそうあるべきではなかったのだろうか。
「もう一度聞くぞ。"なんで殺されねぇと思った"? 軍属大学院に入学しようと、軍人になりてぇって思ってるガキ共は全員、死ぬ可能性だって大いにある試験を受けて入学するんだぞ」
そうだ。
ソフィアたちは実際にその試験の途中で死にそうな目に遭ったんじゃないか。
唐突に向けられていた殺意が消え、思わず膝から崩れ落ちる。
攻撃の手を一度止めた彼女は自分を見下ろしながらさらに言葉を続ける。
「そいつらの高等学院での三年間。もっと言えばその前の子期学院を含めた六年間の、場合によっちゃあそれ以上の時間の努力を差し置いて入学しようってボウズが――なんで試験に死ぬ気で臨まねぇ?」
ぐうの音も出ないとはまさにこの事だ。
自分の認識の甘さに愕然とする。
そうわかった今であっても、『殺されなくて良かった』と心のどこかで安堵する自分がいる事に反吐が出そうだ。
「まあ実際、私がボウズを本当に殺しそうになったらたぶん、ハヴァリーの爺さんが助けてくれるだろうから安心しとけよ。ぬくぬくとそのまんまの覚悟で試験に臨めばいいさ。……まあ、見た感じもうボウズには無理そうだけどな」
彼女が自分に背を向けて離れて行く。
このままでは駄目だとわかっているのに体は動いてくれない。
「軍人になれば犯罪者相手に殺意を向けられる事なんてざらだ。それに耐えられねぇんならさっさと帰りなボウズ」
(あの頃から何も変わってないじゃないか……)
――力を得ても、死ぬ事を恐れて一つの命を見捨てたあの頃と何も変わっていない。
本当に彼女の言う通りだ。
一流の甘ちゃんという言葉がひどくしっくりと感じてしまう。
向けられた殺意に怯えて逃げるような、その程度の覚悟しかないのだきっと。
――こんな僕に、誰かを護れるような生き方なんて――
その時、頬に柔らかくて小さく、そして温かい何かが触れる。
「きゅ、キュウ……?」
肩に乗るキュウの前足だった。
キュウは前足を自分の頬に添えたまま――
「キュウッ!」
ぷすっ――と爪を立ててきた。
「痛っ!?」
「キュウッ! キュウキュウッ!」
「え? 難しく考えすぎって……何を……?」
「キュウキュウキュキュウッ。キュウキュキュウッ!」
「死ぬのは……立ち向かって護った……え? 待ってキュウ、何を……」
キュウの言いたい事が詳細すぎるのか、上手く伝わって来ない。
上手く伝わっていない事に気が付いたのか、キュウはもどかしそうにしている。
その後、自分の頬を見て何かに気が付いた様な反応を見せた。
自分の頬と言えば、先程キュウが爪を立てた事で血が出始めているのだが、キュウは何を思ったのかその頬を伝う血を小さな舌で舐めとった。
その瞬間、身体中を魔力が駆け巡り、床に白桃色と黄色に輝く二つの魔法陣らしき何かが広がった。
おじいちゃんがいつも書いていたアルファベットに似た文字とは違い、何か直線だけで作られたような奇怪な文字がたくさん並んでいる。
その二つの魔法陣は次第に溶け合い、一つの大きなアポロ色の魔法陣となったかと思うと、ひと際強い輝きを放った後に消え去った。
(な、なんだ今の……?)
まったく状況が掴めずに困惑していると、突然幼い子供の様な声が"心"を通して響いてくる。
『お! やっとちゃんと聞こえるようになった♪ 武も聞こえてる?』
(な、なんだこいつ!?)
知らないはずなのにどこか聞き覚えのあるようなその声にさらに困惑していると、頬に軽くぷすりと爪を立てられる。
『こいつとは何さ! 相棒だって言ったくせに! 武のアホ!』
「なっ!? ま、まさかキュウなのか!?」
『それ以外に誰がいるのさ! アホ! 武のアホ!』
二回も言わなくても良いではないか。
すぐに気が付かなかった事にご立腹なのかキュウはツーンとしている。
しょうがないではないか。
ただでさえ殺されそうになったり、急に魔法陣が発生したり、いきなりあまりにもくっきりとした声が心を通して伝わってきたりと状況を把握しきれないのだ。
自分も突然キュウの声がはっきりとわかるようになって大概に驚いているのだが、どうやら驚いているのは自分だけではない様で――
「――はあ!? ボウズてめぇまだその精霊と契約してなかったってのか!? でもジジイの手紙には精霊化までは出来るって……はあ!?」
「いやはや……何から驚いて良いのかがわかりませんな」
「ワウッ!」
彼女――ティストさんと少し離れた場所で見ていたハヴァリーさんは驚いている様だが、テッチはそれほど驚いていない様だ。
というよりも、どうやら今のがずっと気になっていた"契約"というものらしい。
なるほど、それならばこんなにはっきりとキュウと意思疎通が出来るようになるのだからさっさとするべきであった。
「キュウも知ってたなら知ってたでさっさと契約してくれれば良かったのに……」
『だってテッチんから聞いた"契約したら出来る事"がほとんど出来てたんだもん! 魔力ちゃんと渡せるし、考えてる事も何となく伝わるし、精霊化だって出来たし! 契約出来てるんだと思ってたんだもん! 契約したらこんなにちゃんとわかるなんて聞いてなかったし……』
テッチんとはテッチの事だろうか。
まさかそんな呼び方をしていたとは。
「その、"ほとんど"って何が出来なかったんだ……?」
『それは……って今大事なのはそんな事じゃないよ!』
そう言うとキュウは肩から飛び降りて、依然として座り込んだままの自分の前へと着地してこちらを向いて語り掛けてくる。
『死ぬのが怖いなんて当たり前だよ! でも武はキュウを! 食べられちゃうのが怖くって震えてたキュウを、魔物に立ち向かって護ってくれたの! 武はちゃんと変われてる! キュウが生きてるのがその証拠!』
心に直接響くからだろうか。
幼げでどこかつたないその物言いに反して、伝わってくる情景はひどくハッキリとしている。
確かに自分はあの時、死にたくないと思いながらも、それでもキュウを――キュウだけは護るのだと大土竜に立ち向かった。
キュウは必死な様子で続ける。
『おいしいのを食べれるのも! 新しいのを見られるのも! 楽しいって思えるのも! 全部武が怖いのに立ち向かってくれたおかげ! ロンドんたちだってキュウと武で一緒に戦って護れたの! 武の中のも"護るための力"って言ってたの! 武はちゃんと"護れる"の!』
キュウがこの半年間見た景色や感じた想いが流れ込んでくる。
果物も木の実も花畑もお風呂も、森も草原も街も人も、出会えたその全てが幸せなのだと。
その全てが自分のおかげなのだと――自分が護ったものなのだとキュウは言う。
「で、でも……僕は覚悟が足りなくって……ティストさんの言う事は正しくって……」
『うん。今回は武が悪いの。キュウもよくわかんないけどたぶん足りなかったの。だから、ちゃんと"ごめんなさい"してお願いするの!』
「お願い……する……?」
『そう! セイルおじいちゃんも"教えるのは期待してるから"って言ってたの! あの人ちょっと怖いけど、ちゃんと教えてくれた! ちゃんとしろって言ってくれてるの! だから一緒に"ごめんなさい"するの!』
そう言うとキュウはティストさんの方を向き、『ごめんなさい』と言いながら頭を下げる。
「んあ? なんだ? 悪ぃが私にはキュウキュウ鳴いてるようにしか聞こえねえから何言ってっかわかんねぇぞ。……まあ何かなんとなくわかる気もすっけどよぉ。――んで? ボウズはどうすんだ?」
ティストさんは自分に問いかける。
わざわざ話し出しやすいように声をかけてくれたのかもしれない。
そう思えば、先程までは恐怖しか感じられなかったその姿も、ちゃんと直視ができた。
足にも力が入る。
自分はまだ、立ち上がれる。
「ありがとうな。キュウ」
キュウの頭を一撫でしてから立ち上がり、しっかりとティストさんの目を見た後、頭を下げる。
「――すみませんでした。おっしゃる通り、僕には覚悟が足りていません。正直、軍人になるっていうのがどんな事なのか僕にはわからないです。――でも、誰かを護りたいっていう、護れるようになりたいっていうこの気持ちに嘘なんて無いんです」
そうだ、この気持ちに嘘なんてあるはずがない。
誓ったばかりじゃないか。
この場所から夢を叶えるのだと。
その為には学院に通うべきだとおじいちゃんは言い、自分も通いたいと思った。
ならば、まだ軍人になる覚悟はわからずとも、自分なりの覚悟を持てるはずだ。
ここで躓けば、きっと自分の夢は死んでしまう。
ならばあの誓いを成就させるために護ろう。
「お願いします! もう一度、試験を受けさせてください! 今度は僕も全力で――死ぬ気で僕の夢を護ります」
――護れるのだと、相棒がそう言ってくれているのだ。
覚悟が通じたのかどうかはわからないが、ティストさんは少し鼻で笑った後にポケットに両手を突っ込んでから口を開く。
「まあ別にまだ試験の終了宣告なんてしてねぇから、ボウズがやるってんなら付き合ってやるよ。優しい優しい姉弟子様に感謝して、出せるもん全部だしてけ?」
確かに優しい優しい姉弟子様だ。
本当に、実際は優しい人なのだろう。
そもそもこの人はおじいちゃんの弟子なんだ。
なんだかんだで思いやりのある――
「おおそうだ。優しい姉弟子様からさらにサービスだ。さっきまで程度の攻撃じゃあボウズも満足に力を出せねぇだろうから、もうちょっと過激にしてやるよ」
そう言うとティストさんは依然ポケットに手を突っ込んだまま唱える。
「来いよ。『金椿』」
瞬間、空気が変わる。
ティストさんの周囲に、溢れ出した金色の魔力が旋風のように吹き荒れ、そのあまりの威烈に空間が歪み始める。
ポケットに突っ込んでいた手を出したかと思うと、右手の手刀でその歪みを横に一閃した。
そのただ一閃のみで吹き荒れる魔力は吸い込まれるように集約され、一本の線として纏まり、空いた左手で掴むと一条の金色の槍と化した。
持ち主の身の丈程もあるその槍は、どこかおじいちゃんの槍『銀鬼灯』を彷彿とさせる見た目だが、硬さと鋭さはあれど、あれほどの重みは感じられない。
ただ、あれがそんじょそこらのただの槍とは比べ物にならないものだという事は言われなくてもわかる。
「さーて、頑張って生き延びろよボウズ。――私の槍は、下手すりゃジジイのより"重ぇぞ"」
彼女は相も変わらず軽い口調でそう言うと槍を振った。
瞬時に自分の左側にポルテジオを展開させることで、その不可視の空気の刃を防ぐ。
きっと今のは槍の力でもなんでもなく、ティストさん自身の技だろう。
おじちゃんも使っていた。
しかしおじいちゃんの槍より重いとはいったいどういう事だろうか。
あの上に置くだけで丸太が割れる槍より重いとは到底思えない。
今の空気の刃も、本気ではないだろうがおじいちゃんの方が重い。
まあおじいちゃんの本気も知らないのでわからないが、だからと言って結局それが油断に繋がるなんて話も無い。
(しかしまあ、この人は確かにおじいちゃんの弟子だ……)
ティストさんはゆるりと構えているが、先程までよりもより濃密な殺意を向けてきている。
それこそ、既に槍に貫かれていると錯覚してしまうほどの。
(おじいちゃんと同じで、優しいけど容赦はしない人だこれ……)
垂れ落ちてくる冷や汗もそのままに、恐怖に抗うように肩の上の相棒へと呟く。
「さて、護るぞ。キュウ」
『うん!』
こうして死ぬ気で生きのびる試験が始まった。
二十万文字目にしてようやく喋り出す相棒。




