20.帝都の街並み
「確か初めて入る時は魔力の個人登録がいるはずだから、ちょっと時間かかったわよね? 先にタケルから入る?」
「じ、時間がかかるって言っても確か一分くらいで済んだと思うよ! それにたぶん誰かがお手本見せてあげた方が良いから私が先に行くよ! タケルくんは最後の方が良いと思うな!」
「そ、そう? どうしたのよソフィア、そんなに慌てて……別にお手本がいるような事でも無いし……まあいいけど」
アイラとソフィアが話している魔力の個人登録というのは、ひょっとして先ほど見たあの板石に魔力を注ぎ込む行為の事だろうか。
そうであればやはり、この世界では魔力によって個人を特定して色々と管理しているのだろう。
魔力で管理するとなると、宿屋の鍵では何も問題は起きなかったので大丈夫だとは思うが、何だか少し心配になってきた。
きっと帝都への入場の管理なのだから、宿屋のドアなどとは比べ物にならないくらい精密で厳重なセキュリティなのだろう。
この世界での魔力を使った生活に何も支障が無かったために今まで考えた事は無かったが、自分は異世界人――言わば不法入国者みたいなものだ。
ひょっとしたら精密な検査をされると何かマズイ部分があるかもしれない。
(どうしよう……別に何も悪い事してないのに凄く不安になってきたぞ……)
そんな不安を抱いている間にもソフィアたちは次々と専用の台の上に設置された板石に手を当て、許可を得てから門を潜り抜けていってしまう。
板石に触れて魔力を少し流し、魔法陣が青色に光れば許可を貰えるようだ。
「次の方どうぞ」
「は、はい」
自分の前にいたサキトも早々に手続きが終わったようで、遂に自分の番となった。
笑顔の素敵な門番らしき青年に声をかけられて一歩進み出る。
先ほどのモブロスとやらと同じ黒色の制服を着ているところから見るに、恐らく彼も軍人なのだろう。
それにしても良い笑顔だ。
常にニコニコとしたその表情からは門番というよりはどちらかと言うと受付といった印象を受ける。
「あの、すみません。初めて来たんですけど……」
「ご申告ありがとうございます。ではこれから魔力を個人登録いたしますので、こちらの魔証石に魔力を注いでいただいて、その後にいくつかの質問に答えていただくことになりますがよろしいですか?」
「は、はい。わかりました」
門番の男性は至極丁寧な物言いで、例の板石を手で示した。
板石は門の壁に取り付けられた灯りの仄かな光で光沢を放っており、どことなく高級感が漂っているが、光を持たず白く濁った魔法陣によって汚されている様にも見える。
なるほど、この板石が魔証石という名前のようだ。
言い知れぬ不安を抱えながら、サキトたちがしていたように魔証石へと手を触れる。
磨かれた大理石のような見た目に違わず、手触りは滑らかでひんやりとしている。
(大丈夫、何も問題はないさきっと……)
腹を括り、魔証石へと魔力を送る。
送り出した魔力はすんなりと魔法陣に浸透していき、魔法陣は赤く光り出した。
(だ、大丈夫か? いや、たぶん初登録だとこういう色になるんだろきっと……)
先ほどまでと違う魔証石の反応に戸惑いを隠せず門番の青年へと視線を送ると、先程まで笑顔を一切崩す事の無かった彼の眉間には皺がより、怪訝そうな表情になっていた。
(ッ!?)
冷や汗が噴き出し、魔証石へと触れた手が緊張からか震える。
(やっぱり何かマズかったのか!? どうしようここまで来たのに入れないなんてなったら……。ここからまた家まで戻るのか――)
「――なーんて! 冗談ですよ!」
「……へ?」
焦りに焦る自分の思考を門番の青年の明るい声が遮り、思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
「じょ、冗談ですか?」
「ええ、随分と緊張されていたご様子でしたので、僭越ながら一計案じさせていただきました。気分を害してしまったならお詫びいたします。申し訳ありません」
門番の青年は再び笑みを浮かべた後、眉尻を少し下げて申し訳なさそうにそう言った。
確かにちょっと心臓には悪かったが、こちらの事を思っての行動であるならば一概に責めるというのもおかしいだろう。
かなり緊張していたのは事実であるし、寧ろ実際に問題が無いとわかった事で気分が楽になったまである。
やはり感謝こそすれ、謝罪を求めるような事ではないだろう。
「い、いえ、確かにちょっと焦りましたけど別に気分を害するような事でもないですから……。寧ろ気にかけてくださってありがとうございます。おかげで少し楽になりました」
「そうでございますか。それならば一計案じた甲斐もあったというものですね! では緊張もほぐれた所で、個人登録の方を進めますのでまずはお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい、須藤 武と言います」
「『スドウ タケル』様ですね。"スドウ"が家名でよろしいでしょうか?」
「はい」
「かしこまりました。では年齢と誕生月の方を教えていただけますでしょうか?」
「十九歳で師走の生まれです」
「ありがとうございます」
一応、誕生月などは気にするのだと少し驚いた。
というのも、おじいちゃんと暮らしていた頃は特に正確な月や日を気にした生活をしておらず、"秋の終盤"であったり"冬の中頃"という感じの感覚で過ごしていて、たまにおじいちゃんが「そろそろ霜月かいのぅ……」などと呟くのを聞いて月を把握していたので、この世界では月や日がそんなに重要視されていないのだと思っていたからだ。
やはりあの森での生活が特別であったという事なのだろう。
しかし誕生日については聞かれない辺り、やはりそこまで重要視されてはいないようだ。
それにしても、言語が同じ時点である程度予想が出来た事ではあったが、こうも前の世界との類似点が多いと、新しく覚える事が少なくてありがたくはあるのだが、何だか異世界という有難味が無いような気がしなくもない。
まあ実際に言語が違ってしまえばそんな贅沢を言っている余裕も無かったであろうから、自分の幸運に感謝するべきなのであろう。
疑問点がいくつかあれど、便利ならそれで良いと思ってしまうのはきっと人間の性なのだ。
「一応連れている精霊の属性も教えていただけますか? それと、帝都に来た目的は何でしょうか?」
「属性は光と火で、帝都に来た目的は軍属大学院に入学するためです」
「おお! では将来は私の後輩となられるかもしれないわけですね! 共に働ける日を心待ちにしておきます。それでは登録が完了しましたのでお入りください。――良い学院生活を!」
気持ちの良い青年の声に背中を押され、門の内側へと向けて歩を進める。
持ち物検査的な事をされたらどうしようかと思っていたが、よくよく考えればサキトたちも誰一人されていなかったから、そういう検査は無いのだろう。
馬車など用の大きな門ではあちら側の門番が何か魔道具と思わしき棒をかざしている光景もあったので、馬車側ではひょっとしたらあるのかもしれない。
何にせよ、ピカレスの枝を見られるような事態にならなくて幸いである。
門を潜ると陽光の眩しさに一瞬目がくらんだが、数秒もすれば目も慣れてきて、遂に自分とキュウは待ち望んでいた帝都の姿を目にした。
(――なんだ……これ……)
「キュウッ! キュキュウッ♪」
肩の上で尻尾を振り回しながらはしゃぐキュウとは対照的に、自分は目に映る景色に言葉を失っていた。
決して余りの美しさに対してであったり、見たことも無い景色に触れた事による感動のために言葉を失ったわけではない。
門を潜り抜けた瞬間から足元には石畳が敷かれており、所々にこれまた何かしらの魔法陣が刻まれた物が紛れているところを見るに、恐らくこの石畳も見た目通りの性能ではないことが窺い知れる。
馬車が通るわりに目立った破損が見当たらない辺り、何かしら強化の魔法がかけられているのかもしれない。
目の前はかなり広大な広場になっており、人や馬車でそれなりの賑わいを見せていた。
広場からは大きな通りが正面と斜め方向と壁沿いに合計五つ程伸びており、道沿いには遠くて良くは見えないが、恐らく何かしらの商店がいくつも連なっており、商店街といった様相を呈している。
それぞれの商店は木やレンガのような石材で作られ、三階建て前後の物が多く見受けられ、アイラの言っていた"貿易都市"という名前の通り、商業が盛んであることも窺い知れた。
それは良い。
問題はそこには無いのだ。
道が舗装されている点や賑わった商店街に関して言えば、流石は都市と言ったところなのだろう。
そう、問題は"都市"だという事なのだ。
(なんで……こんな……)
自分から言葉を奪ったその光景はまさに、"都市"と呼ぶに相応しいものだったのだ。
単純に今までの村や町と違い、建物の数が多いなどという話ではない。
自分の視線を捕らえて離してくれないその存在は、天高く聳える細長い巨大な四角いガラス張りの塔。
塔の側面は光を反射する一枚の巨大な鏡と化しており、そんな巨大な塔がいくつも並び立っている。
そんな建築物群のある場所を自分は――いや、自分の居た世界では"都市"と呼んでいた。
「なんで……ビルが建ってるんだ……」
そう、門を潜り抜けた先、"帝都ヴェルジード"には"高層ビル"が建ち並んでいた。
本当であればその奥に見える建築物に存分に目を奪われたいところであるのだが、今の自分にはそんな余裕はない。
奥に見える建築物とは、壁の外の街道を走っている時にも少しだけ見えた、遠く離れたこの場所からでもその巨大さが感じられる白亜の城の事であり、正面の大通りはその城まで一直線に伸びており、その両脇に聳え立つ高層ビル群の作り出す鏡が城を反射してなかなかの見応えがある。
見応えがあるはずなのである。
(確かに中世的な雰囲気の世界では無いのかもしれないとは思ってたけど……流石にこんな現代的な建物が堂々と聳え立ってるとは思ってなかったよ……)
いや、城や商店街に関して言えば、自分のにわか知識程度の感覚からすれば中世のような雰囲気を感じないという事も無い。
しかしどう考えても高層ビルの主張が激しすぎるのだ。
景観ぶち壊しも甚だしい。
誰がこんな違和感のある街づくりにゴーサインを出したのだ。
責任者を呼べ。
「やっぱり私の言った通り西門で正解だったでしょうサキト! タケルのあの驚いた表情見てみなさいよ! 北門側の"ネクサケイル"風の街並みも良いけど、やっぱり初めて見るならここで間違いないわ!」
「うっ……まあ確かに初見で一番インパクトがあるのはこっち側か……。でも俺は北側の方が好きなんだけどなぁ……」
アイラとサキトが何か言っているが正直まったく頭に入ってこない。
しかし、時間がそれなりに経ったおかげか流石に幾分か落ち着いても来た。
そもそもここは異世界だ。
ポロシャツ×馬車だってあるのだ。
白亜の城×高層ビルだってあるのだろう。
(まあ確かに見た事のない景色ではあるもんな……。なんか認めたくないけど)
キュウは門を潜り抜けてからずっと、見た事のない建物と見た事のない量の人に興奮しっぱなしの様で、自分の後頭部を尻尾で叩いてきている。
「楽しいかキュウ?」
「キュウッ♪」
「そっか……じゃあまあ、これはこれで良いか」
キュウが楽しいのならばそれが正解で良いのだろう。
これもまた"新しい世界"だ。
正直新しい思い出としてはいまいちだが――
「ま、間に合った~……。――はい、タケルくん。これ」
唐突に思考を遮ったのはソフィアの少し疲れたような声だった。
手には何か種の様な物の入った小さな無色透明な水晶のペンダントを持っている。
「どこ行ってたのよソフィア――ああ、なるほどね」
ソフィアに質問するアイラは、ソフィアが手に持っている物を見て何か納得したようである。
「えっと……これは何?」
渡されるがままにペンダントを受け取り、水晶の中を覗き見る。
無色透明だと思っていた水晶には、よく見るといたるところにうっすらと細い白色の魔法陣が埋め込まれており、これはこれでなかなか綺麗である。
「それは一年水晶って呼ばれるもので、色々種類があるんですけどその種が入ったタイプは時間が経つ程に中の種が成長していって、ちょうど一年後に花が開くんです! ちなみにその種はアポロの花の種です!」
ソフィアはそう言うと、一度身なりを整えて一呼吸置いてから、満面の笑みを浮かべてもう一度口を開いた。
「今日という日があなたにとって特別な日と思えるような一年をあなたが過ごせるように、私は願っております――」
そよ風が吹き、ソフィアの翡翠色の髪が陽光に煌めきながら静かに揺れる。
「――タケルくん! ようこそ、帝都ヴェルジードへ!」
恭しくおじぎをしたソフィアの姿に、体を震えが駆け抜けた。
――何がいまいちなもんか……。
一瞬で自分の心を埋め尽くしたこの感情は、どう表現するのが正解なのだろう。
何と返せばいいのかがわからない。
心の震えに呼応してなのか、瞳が潤んできてしまう。
だが、少なくとも自分は今、彼女に――
――ソフィアに感謝を伝えたい。
なるほど、自分は今きっと、"感動"というものをしているのだ。
ならば瞳が潤むのも、唇が震えるのも、起きてしかるべき現象なのだろう。
「ありがとう……ソフィア……。その、なんて言えば……良いのかな……?」
アポロの花。
それは、アポロ色の由来となった花の名前で、おばあちゃん曰く『暖かみがあって見ていると安心する』ような色の花だそうだ。
きっと今の自分の心を色で表すならば、アポロ色なのだろう。
――また、貰ってしまった。
暖かな感情をみんなにお裾分けしたかったはずなのに、自分はいつも貰ってばかりだ。
ならば自分のすべき事はなんだ。
彼女に伝えられる事はなんだ。
自分の未来が良いものであれと、願ってくれる彼女に出来る事はなんだ。
「――ソフィア。アイラとサキトとリオナさんも、テッチもロンドもキュウも聞いて欲しい事があるんだ」
――今、返せるものが無いなら、せめて……。
「唐突で何言ってるのかわからないかもしれないけど、聞いて、そして覚えていてほしいんだ」
――せめて、みんなに誓おう。
「僕はきっと、いや、絶対に夢を叶えるよ。ここで、ここから――きっと"みんなを護れる人間"になってみせるよ!」
未熟な自分が何を大言壮語しているのかと思われるかもしれないが、不思議と少しの恥じらいもない。
「キュウッ!」
「ああ、もちろんキュウも一緒にな」
相棒も背中を押してくれている。
案の定サキトやアイラは面食らったような表情をしているが、ソフィアは笑顔を浮かべたまま返事をしてくれる。
「はい! タケルくんならきっとなれるって信じてます!」
ソフィアの言葉につられて、他の面々も反応を返してくれる。
「おう! でも護られてばっかじゃいられねぇからよ! 俺も強くなるぜ!」
「普通に聞いたら"何言ってんだか"って思っちゃうかもしれないけど……まあ、なんでかタケルならできると思えちゃうのよね。実際に一端をこの目で見ちゃってるからかしら? 私も応援するわよ。でもとりあえずはまず借りを返させてよね!」
「あらあら、自信満々ねぇ。でもお姉ちゃん、そういうの好きよ」
ロンドは活を入れてくれているつもりのようで、頭の上に乗って嘴でつついてきている。
テッチは一度小さく鼻を鳴らしただけだが、それがテッチなりのエールなのだということを自分は知っている。
心を満たす感謝と感動と共に、帝都での一つ目の大事な思い出を得たのであった。
今回のお話もたぶん十メートルくらいしか動いてませんね。
スローペースな物語です。




