19.いざ、帝都!
「ね、義姉さん……そろそろ……」
サキトのお姉さんがソフィアとアイラの二人に抱きついてから二、三分が経過した頃、サキトが自分の方をチラチラと見ながらそう口にした。
別に自分に関してはそれほど急いだ旅でもないうえに、実のところこの後自分がどこに向かえば良いのかすら知らない状態だ。
(気が済むまで再会を喜びあっていてもらって構わないんだけどなぁ。あんなに喜んでるんだし)
当のお姉さんは、未だに小さくえぐえぐと泣きながらもサキトの言葉に反応する。
「うぅ……ごめんね。お姉ちゃん本当に嬉しくって……話したいこともいっぱいあって……。でも……本当に……無事で――」
本当の本当に三人の事を心配していたのだろう。
感情がぶり返してきたのか、また泣き出しそうになってしまうお姉さんをサキトが慌てて諌めて落ちつかせようとする。
「あぁもう! 話なら家でたっぷりと聞くからさ! 俺たちも色々と報告に行かなきゃいけないことがあるし、タケルも待たしてるからさ! 一旦離れて! ほらっ!」
「うぅ……キーくんがお姉ちゃんに冷たい……。というより、タケル? って誰のことー……?」
サキトに捲し立てられたお姉さんは、ソフィアたちから離れつつハンカチで目元を拭いながら、辺りをキョロキョロと見回し始める。
名乗り出ようかとも思ったが、その視線が自分を捉えたところでピタリと止まった。
(まあこれだけ側で眺めてる奴いたらわかるか)
「ひょっとして、あなたがタケル君とやらかな?」
改めて向き合って見てみると、その顔立ちがどことなくサキトを連想させる部分があることに気がつく。
特に彼女が少し泣き腫らしてしまっている少しつり上がり気味の目元などそっくりであるし、腰まで伸びたストレートの髪など、質こそサキトのツンツンの剛毛と違い柔らかそうであるが、色などはほとんどおなじである。
寧ろ義理の姉弟だと言う方が不自然に感じるくらいだ。
しかし、サキトの男らしく整った顔立ちに似ているとは言え、髪が長かったり、仕草が柔らかかったりするおかげかしっかりと美しい女性として認識できる。
(つまりサキトも仕草を柔らかくしてウィッグでもつければ……)
そんな風に思考が脱線仕掛けた時、肩に乗るキュウが尻尾で後頭部を軽く叩いてきた。
現実に引き戻されて慌てて問いに対して答える。
「あっ、はい。そうです。僕が武です」
まさか人との対話でキュウにフォローを入れられるとは思いもしなかった。
ありがたいが何だか複雑な気持ちだ。
(人との会話中にすぐに色々と考え込んでしまう癖はどうにかするべきだよな……)
などとまた考え込んでしまいそうになったので、癖を直す第一歩としてさっそく意識を自己紹介へと向けるようにする。
「三人とはついこの間知り合いまして、その、とも……友達、です。ちょっと訳あって知らない事だらけなので、色々教えてもらってます」
言っていて、"友達"という言葉の響きに何だかくすぐったい気分になる。
前の世界でも普通に居たのだが、何故であろうか。
そんな自分の自己紹介を聞いたサキトは、どこか引っかかる所でもあったのか少しだけムッとして、口を開いた。
「タケルは俺たち三人の友達で、命の恩人だ! 詳しくは帰ってから話すけど、タケルはすげぇんだぜ! タケルが居なかったら、確実に俺たちは死んでたってくらいすげぇんだ! 何てったってあの伝説のセイ――」
「ちょっ!? サキト!」
「ぐぇっ」
サキトがおじいちゃんの名前を口にしかけたところで慌ててアイラがサキトの襟首を引っ張って止めた。
何故アイラがそんな事をしたのか。
それは至極単純でおじいちゃんから森で会ったという事を一部の人以外には言わないようにと口止めされているからだ。
と言うのも、何やらおじいちゃんがあの森に居ることが下手に世間に広まってしまうと色々とまずい事が起きるかもしれないらしく、それを未然に防ぐためなのだとか何とか。
正直理由がどこかふわっとしている気がしなくもないが、ともかくそういう事らしい。
一部の人と言うのはソフィアの曾おじいさんや、自分が通うことになる軍属大学院とやらの学院長をしている人の事であり、サキトのお姉さんはその中には含まれていないのだ。
「ん……キーくん? 伝説の何なの?」
「えーっと、それは、ほら、あの、せ、せい……」
きっと今サキトは脳をフル稼働させて上手く当てはまる言葉を探しているのだろう。
冷や汗をだらだら流す姿からは焦りしか感じられない。
旅の間で話を聞く限りは、サキトはあまり考える事が得意なタイプでは無いようなのだが、果たしてサキトはこの事態を乗り越えられるのであろうか。
焦っているのはサキトだけではなく、ソフィアとアイラも誤魔化し方を考えているのか、パッと見は冷静そうにしているが頬には冷や汗が伝っている。
サキトが言ったのが「伝説の」までであればまだどうとでもなりそうなものであるが、「伝説のセイ」まで言ってしまっている。
(普通に考えて無理だよな……。さあサキト、どうやって誤魔化す)
焦る三人とは対照的に、そんな冷静な思考を自分はしていた。
自分がこのちょっとした危機に対して何故こんなに冷静に傍観に徹していられるのかと言うと、いつでも助け舟を出すことが出来るからだ。
助け舟というのは、実を言うと自分はおじいちゃんから、説明が必要だと感じた場面では別におじいちゃんの名前を出しても良いと言われているのだ。
先程のサキトのように、こんな誰がどこで聞いているかわからないような場所で声を大にして言えば、世間に広まってしまうかも知れないが、別にサキトのお姉さん一人に言う分には、口外しないように言えば大丈夫だろう。
とは言え説明しないで済むに越したことは無いため、サキトが思いつかないか眺めていたのだ。
しかし案の定というか、サキトは未だにうんうんと唸って俯いており、上手い誤魔化し方を思いつかないようである。
(まあそりゃ無理だよな。あと一文字言えば完全におじいちゃんだもん)
寧ろ察しが良ければ既にバレていてもおかしくないレベルなのではないだろうか。
「伝説のセイル」を「伝説のセイ」まで言っているのだ。
「カレーライス」を「カレーライ」まで言っているようなものだろう。
バレるわ。
(仕方ない。説明するか……)
そうやって自分が動こうとした時、唐突にサキトが目を輝かせながら顔を上げ、右の拳を空へと突き上げた。
まるで脳に電流が走ったかのように、それこそ誰から見ても「思いついた!」という事が見てとれるかのように。
「そう! なんてたってあの伝説の"精霊術師"だからな!」
声や表情からは喜色が満ち溢れており、上手く当てはまる言葉を見つけ出せた事がさぞかし嬉しかったのだという事がありありと感じさせられる。
(サキト……確かに上手く合わせたとは思う。よく思いついたとも思う。……思うんだけど、ただ――)
そんなにあからさまな態度だと普通に誤魔化したのがバレるのではないだろうか。
突き上げる拳は硬く握りしめられており、感動のあまりか小さく震えている。
いわゆるガッツポーズという奴だろう。
見事なものだ。
「へー! キーくんたちとそんなに変わらないくらいに見えるけど、精霊術が使えるって事? 確かにそれは凄いわねぇ」
しかしお姉さんはサキトの態度に対して特に疑念を抱いた様子も無く受け入れたようで、そんな風に自分の事を持ち上げてくる。
人に褒められたりするのはおじいちゃんである程度慣れていると思っていたのだが、何だか少し違う感覚がして、その慣れない感覚に何だかこそばゆくなり、つい訂正してしまう。
「いっ、いえ、短時間精霊化が出来るってだけであってまだまだ自分は未熟で……別にお姉さんやサキトが言うほど凄いわけでは……」
「タケルくんっ!」
そんな照れ隠しの訂正をソフィアに遮られた。
少しばかり勢いの強いその声に何事かとソフィアの方を見てみると、彼女は僅かに頬を膨らませてこちらを見ている。
「ど、どうしたのソフィア……お、怒ってる……?」
「え、いえ、別に怒っては……い、いえ! 怒ってます!」
少し慌てた表情で否定したかと思えば、また少し頬を膨らませて肯定した。
どっちなのだろうか。
「タケルくんは少し謙遜しすぎです! 精霊術はもちろんですけど、精霊化というのも出来る人が本当に数える程しかいない妙技なんです! 短時間でも出来る事自体が凄いんです! 生半可な魔力制御で使えば……死んでしまう事もあるんですよ……?」
(死ぬってそんな危険な……いや、危険か……)
普通に考えれば、御しきれなかった魔力が周囲を融解させてしまうような行為が危険でないはずがない。
あの融解に自分が巻き込まれなかったのは、何とか自分の魔力制御の練度がその段階に達していたという事なのだろう。
ひょっとしたらおじいちゃんが自分に基本的な格闘術や身のこなし以外は魔力制御の特訓しかさせなかったのは、精霊化した際の危険性をいち早く排除するためだったのかもしれない。
おじいちゃんもまさか祝詞を言っただけでいきなり精霊化をしてしまうとは思ってなかったようで、初めて精霊化してしまって森を融解させてしまった時は、珍しく大慌てで自分の安否を確認しに来ていた。
というより今思い返せば、精霊化の魔力を抑えきれずに体から炎が噴き出した時にすぐ傍に居たのにちゃんと炎から逃れていた辺りは、流石はおじいちゃんだと思う。
また考えが少しそれてしまったが、要するにソフィアはそんな危険を伴う妙技を短時間ながらも成功させるのは凄い事で、それを否定する自分に異を唱えたいのであろう。
確かに魔力制御の特訓に関してはかなり努力をしたとは思う。
普通の人がどのように鍛えるのかを知らないから何とも言い難いが、おじいちゃんの居る日は毎日脳と体を酷使して、意識を失うまで多方面からの様々な攻撃をひたすら何時間もシエラで防いだり回避したりする特訓をしていたのだ。
おじいちゃんの居ない日だって、流石に意識を失った日はそれほど多くは無いが、それでも倒れる寸前まで魔力制御の特訓をしていた。
まだまだ未熟であるのは承知の上だが、自分の限界まで努力をしていたという自覚はある。
彼女はそのことを誇るべきだと言ってくれているのかもしれない。
「……うん、そうだね。ありがとうソフィア。でも、まだまだ未熟っていうのは本当なんです。たぶんですけど、お姉さんの方が僕よりもずっと強いですし」
そんな自分の言葉を聞いたお姉さんは少し驚いたような顔をした。
「あら、どうしてそう思うの? キーくんたちから何か誇張されたお話でも聞いたのかしら?」
「いえ、その、何というか……雰囲気、ですかね?」
別に侮っているわけではないが、サキトやソフィアやアイラの三人とそれぞれ一対一で戦うならば、自分が打ち倒すことは出来ずとも、持久戦に持ち込めば最終的には魔力量の差で勝つことは出来ると思う。
キュウの魔力頼りだが、それが自分の戦い方なのだからそれは良いのだ。
しかしおじいちゃんやテッチがその気になれば、自分なんて一瞬で倒されるというのはやらなくても何となくわかる。
明確に根拠があるわけではないのだが、本当に何となく"強者"というものはそういう雰囲気を纏っているのだ。
自分はその雰囲気を最初に見た時から彼女に感じている。
「おお! 流石はタケル! 見る目があるな! 義姉さんは確かに半端じゃなく強ぇぞ!」
「確かに、軍属大学院の臨時講師じゃなければ絶対に軍にスカウトされてるくらいには強いわね。私も魔力制御の特訓をたまにやってもらってるから知ってるけど、リオナさんの制御技術は……ヤバいわよ」
サキトは目を輝かせながら、アイラは若干苦笑しながら自分の感覚が正しい事を伝えてくれる。
というよりアイラの苦笑の理由が気になる。
いったい何があったのだろうか。
「もう! キーくんもアイラちゃんも人の事を"一瞬で街一つ滅ぼせる化け物"みたいに言って! お姉ちゃんはただ魔力制御がちょっと得意なだけなんだから!」
(なんだその例えは……)
というより今のサキトたちの発言にはそんな意図が組み込まれていたというのであろうか。
確かにおじいちゃんであれば街一つくらい簡単に消し去れそうな気はするが、流石にこのお姉さんがそこまで出来るとは――
(いや、二人がそう言うのであれば出来るのかもしれないな……。たぶんどころか絶対僕より強いじゃないか)
そう考えるとさっきの「僕よりずっと強い」発言が煽りと受け取られないか心配になってきた。
どうしよう、早めに謝っておいた方が吉だろうか。
しかしよく考えてみれば自分も村一つくらいなら消し飛ばせるかもしれない。
やらないけど。
「いや、義姉さん……流石にそこまでは言ってないから」
「流石にリオナさんでもそれは無理でしょ……無理よね? ってかタケルどうしたの? いきなりしゃがみ込んだりして……」
「……ちょっと地面が気になってね。いやぁ良い地面だ。硬度が素晴らしい」
「た、タケルくん……?」
よかった。
どうやらお姉さんの勘違いだったようだ。
危うくもう少しで無意識のうちに土下座で謝るところだったが、地面を褒め称える事でどうにかそんな醜態は回避できたようだ。
ソフィアが何やら心配そうな眼差しを自分に向けてきているような気もするが、きっと気のせいだ。
地面を褒めるのをやめて起き上がると、お姉さんが何やらクスクスと笑っている。
「ぷふっ……あなた、地面が……ぶふっ……好きなのね。……キーくん、この子面白いわね」
どうやら何かがツボに入ったようだ。
「あなたの例えもなかなかですよ?」と返したいところではあるが、それでせっかく良くなった機嫌を損ねて「そんなに地面が好きなら今すぐたっぷりと舐めさせてあげるわ」などと言われてけちょんけちょんにされるかもしれないと考えると、余計な事は言わない方が良いだろう。
どの程度かは結局わからないが、お姉さんは自分よりも強い事は確かなのだ。
「改めまして、武っていいます。よろしくお願いしますお姉さん。あと別に地面は好きではないです」
怒らせる気は無いが、一応予防線は張っておこう。
「はい、よろしくね。お姉さんってなんだかよそよそしいから、私の事はリオナで良いわよタケル君」
「じゃあ、リオナさんって呼びますね」
ようやく自己紹介も終わったところで、人用の出入り口の方を見ると人だかりのせいで出来ていたであろう行列が無くなっていた。
今ならスムーズに入る事が出来るかもしれない。
「そういえばタケル、ずっと"帝都を早く見てみたい"って言ってたもんな! 悪いな待たせちまって」
「あら、そうなの? それは悪い事をしちゃったわねぇ。ごめんねタケル君」
「いえいえ、別に大丈夫ですよ」
サキトとリオナさんが申し訳なさそうにするが、二人の再会の方がずっと重要なものであったのだから別に良いのだ。
「それじゃあそろそろ入りましょうか。ロンドが暇すぎて寝ちゃってますし……。ほら、起きてロンド」
「……ピィ?」
伏せをしたテッチの背の上で呼吸の度に上下にゆっくりと揺られるのが気持ちよかったのかロンドは寝てしまっていたようだ。
ソフィアが寝ぼけ目のロンドを肩に乗せたところでテッチも起き上がり、全員で門へと向かう。
二人の再会が重要であったのは本当であるが、自分が帝都を楽しみにしていたのも本当である。
足取りは軽く、肩に乗るキュウも楽しみなのか尾をいつもより軽快に揺らしている。
家を出てから三日、ようやく自分は半年前から名前だけは知っていたこの"帝都ヴェルジード"へと到着したのであった。
お待たせしました。
たぶんこのお話十メートルくらいしか動いてません。




