18.初旅最後の一悶着
時刻は昼前、快晴の下踏み固められた地面を軽く蹴って前へと進む。
自分たちの目指した帝都ヴェルジードという場所はもうすでに視界に捉えており、あと数分もすれば今の少しゆったりとした走りでも辿り着くだろう。
昨日までのようなペースで走ればもっと早く着けるのだが、目的地に明るいうちに辿り着けるのが確定している事と、もう一つの理由から少しばかりペースを落としているのだ。
テッチも背にキュウとロンドを乗せて、自分たちのペースに合わせて走っている。
たぶんテッチ的には散歩程度の感覚だろう。
この距離からでも都市を囲んでいる壁は高く堅牢で相当に巨大であり、ここまで見てきた村や町とは一線を画す規模の都市である事が見て取れた。
もっと遠くに居た時に、壁からわずかに何か城のてっぺんのようなものが小さく見てとれたが、ここまで近づくと中の様子は既に一切見えなくなっている。
大きな都市壁にも圧倒されるが、他にも目を惹かれるものはたくさんある。
例えばこの街道周辺の様子だ。
昨日まで自分たちが走っていた街道は広くとも道幅が十メートルほどであり、付近は見渡す限り雑草が生い茂っていたが、今走っている街道は正確にはわからないが明らかに四倍は道幅があるように見え、付近に草はそれほど生えていない。
門らしき所までこの広さの街道が真っ直ぐと伸びている様は見ていてなかなか気持ちが良いものだ。
辺りには四メートル程の高さの白い棒状の何かがそれぞれ二十メートル程の間隔で大量に遠くまで並べられており、所々にその棒状の何かが折れている部分を除けば非常に壮観である。
それ以外にも昨日までとの明らかな相違点はあるのだが、とりわけ一番感じるのはすれ違う荷馬車などの量の差だ。
これがペースを落としているもう一つの理由である。
昨日は本当に極々たまにすれ違う程度、一昨日に至ってはすれ違いすらしなかったのに対し、今は二、三分に一度何台もの馬車が固まった集団とすれ違っているようなペースだ。
土を踏み固めたような道を走って移動している時点である程度察してはいたが、この世界の流通の主流は荷馬車での運搬のようで、荷車を風魔法などで出来るだけ軽くして馬で引っ張るのだそうだ。
人々の服はほとんどがポロシャツだったりジャージだったりなのに、移動手段は発展していないという、何ともミスマッチな光景に違和感を感じざるを得ない。
「それにしても凄い馬車の数だな……。でも道こんなに広くなくても良いんじゃないのかな?」
いくら多いとはいえ、ここまで広い必要は無いように見える。
しかしこの道は舗装されたというよりはどちらかと言うと人が通るうちに出来たという感じの道で、実際にこれだけの範囲が踏み固められたという事になるが――
「朝方の出発ラッシュの時間帯の交通量が半端じゃないのよ。一部の界隈じゃヴェルジードの事を帝都って呼ぶよりも"貿易都市"って呼ぶ方が主流なくらい商業が盛んなんだから!」
自分の素朴な疑問に答えてくれたのはアイラであった。
つまり朝方になるとこの広い道が荷物をいっぱいに積んだ荷馬車などで埋め尽くされるという事だろうか。
「……ちょっと見てみたいな」
「まあ都市壁の上からなら見てもいいんじゃない? ……間違っても下で見ちゃだめよ。擦り潰されるから」
アイラは顔を青くしながらそう答えた。
(どことなく経験からの助言のような気がするな……)
話から察するに、あの大きな都市壁には上る事が出来るようなので、是非とも行ってみたいものだ。
そんな感想を抱きながら次の質問をする。
「あのいっぱいある白い棒は何なの? 所々折れちゃってるけど……」
「ああ、あれは魔力灯ですよ。暗くなると帝都の周辺をあれで照らすんです。帝都内にも色んな場所にありますよ!」
「折れてるのは魔物に襲われたやつだな。本当は破壊される前に魔物を討伐しなきゃなんだけど、たぶん間に合わなかったんだろうな」
ソフィアとサキトがそれぞれ答えてくれた。
家にあった魔力灯の明かりは、自分の知る蛍光灯や白熱灯などよりも優しい光で、結構気に入っていたので、是非とも全て点灯している所を見てみたいものだ。
(全部点灯している光景も上から見ると綺麗かもしれないな……)
そんな風に気になった事や物を質問しながら走っていると、時間はあっという間に過ぎ去り、自分たちはついに門の手前まで辿り着いた。
近くで見る都市壁は見上げても上がどこまであるのかよくわからないが、恐らく先日鹿を狩った森にある木よりは高いだろう。
石造りの門は街道の道幅よりは幾分か狭いが、それでも圧倒されるには十分な程に大きく、そしてそんなに大きなものが通る事があるのかと思うほどに高かった。
(三十メートルくらいあるんじゃないかこれ……?)
今は硬く閉ざされており、作りから見るにどうやら左右にスライドして開く仕組みのようだ。
これが開くところも是非見たい。
門自体の右下には馬車などが通れるような、それでも十分に大きくはあるのだが、比較的に小さい門が開いており、今もまた荷物を積んだ馬車が一台出ていくところだ。
左下側はというと、恐らく人が出入りする程度の門があると思われるのだが、何やら人だかりができていてよく見えない。
「あそこから入るんだよね?」
「そうなんですけど……何だか騒がしいですね?」
「何かあったのかしら?」
「ちょっと俺見てこようか?」
三人の様子から見るに、これが常の事ではないようだ。
サキトの言う通り少し様子を見に行こうかと思っていたその時――
――感情が流れ込んできた。
あまりにも一瞬の事で、続いて男の呻くような声が聞こえた時には流れ込まなくなっていたが、そんな刹那の間でも明確に感じ取れるほどの"怒り"と"悲しみ"だった。
「うがっ――」
呻くような声と共に痛々しい音が聞こえ、土に汚れた黒い服を着た小太りの男が、騒ぎの中心辺りから集団の頭上を越えて外側に吹き飛ばされた。
黒い服にはサキトたちの制服に似た刺繍が施されており、彼が何かの組織に所属していることを連想させる。
男は地面に叩きつけられるが、すぐに起き上がると、集団の方に向いて――土下座をして声を震わせながら口を開いた。
「私には、謝る事しかできませぬ! 私が無力なばかりに弟殿を死なせてしまったっ……! 到底許されぬ事だという事は理解している! この身は如何様に罰していただいても構わない! だがどうかっ! どうか軍が部隊を編成するまで待っていただきたい! あなたの様なただの女性が一人向かった所でどうにかなる状況ではないのです! どうかっ!」
男の必死な様子に呆気に取られて眺めていると、集団が二つに割れ、中心から一人の女性が肩を震わせながら歩み出てくる。
濃い目の茶色の髪を腰まで伸ばしたその女性は、花柄の淡い紫のシャツにロングスカートという、街中で見かけても何ら違和感のない一般人然とした格好であり、状況からして小太りの男を吹き飛ばしたのは彼女だと思われるが、いまいちその光景が想像できない。
「私はあなたの言う事なんて信じないっ……! そもそも無理を言ってでもやっぱり私が付いていくべきだったのよっ! あなたがどう考えようが関係ないわっ! 私は弟を助けに行くっ!」
「なりませぬっ! 敵は本当に強大なのですっ!」
女性は怒りに声を震わせ、男は女性を必死に思いとどまらせようとしている。
何が起こっているのかわからず、相変わらず自分は呆けていたのだが、そんな状況も唐突に隣から発せられた声で打ち破られた。
「ね、姉ちゃっ――義姉さん!?」
「え? お姉さんなの!?」
サキトの声を聞いた女性は驚いたようにこちらを振り向き、サキトの姿を確認すると目に涙を浮かべて――
「キーくん……? キーくんなのね!!!」
そう言うや否やすごい勢いで近づいてきたかと思うとサキトに飛びついて抱きしめた。
「良かったっ……良かったよ無事でっ! キーくんっ! キーくんっ!」
サキトのお姉さんは周りなど見えていないかのように涙を流しながら笑みを浮かべ、恐らくサキトの愛称と思われるものを連呼していた。
「ちょっ……! 義姉さんっ! 落ち着いてっ! 恥ずかしいって!」
サキトは顔を真っ赤にしながら抵抗するが、一向に離してもらえないようだ。
「生きて……いたのか……? それでは私はいったい……。いや、生きていたのだとすれば、私は……何ということをっ……!」
声が聞こえた方を見ると、黒服の小太りの男が幽霊でも見たかのような表情でこちらを見ている。
もしかすると話の流れから察するに彼が――
「ねぇ、もしかしてあの人が……?」
「はい。私たちの引率の兵士のモブロスさんです」
「逃げた方の引率"だった"男ね」
やはりそのようだ。
アイラの言い方に棘があるが、それも当然であろう。
彼が逃げなければどうにかなったのかはともかくとして、彼はソフィアたち三人を見捨てたのだ。
話を聞く限りだと、好きにはなれない類いの人だと思っていたのだが、しかし今の彼の様子から見るに何か自分の認識と少し違うような気がした。
そうして違和感を探っていると彼はこちらの視線に気がつき、ハッとした後に近くに居る門番らしき人物に何か声をかけてからこちらに近づいてくると――
「すまなかった。到底許されぬ事をしてしまったという事は重々理解しているつもりだ。何をぬけぬけとと思われるかもしれない。だがこれは偽り無い私の本心なのだ。本当に……本当に無事で良かったっ!」
泣きそうな顔で、自信の無さ気な声でそう言い、再び土下座をした。
額を地面に擦り付けて肩を震わせる彼の姿からは、嘘をついている気配は特に感じられない。
ただ怖じ気付いて見捨てて逃げたわけでは無かったのだろうか。
「頭を上げてくださいモブロスさん。許す許さないは正直すぐに判断出来ませんが、公衆の面前で貴族のあなたが額を地につけるというのは体裁が悪いでしょう」
そういうソフィアの声からは、いつもより少し堅い印象を受けた。
彼女も自分と同じ様に感じたのかはわからないが、邪険に扱わないのは彼女なりの温情なのだろう。
ソフィアには似合わないが、口汚く罵っていてもおかしくはない状況だと個人的には思う。
しかしその言葉を受けても、モブロスは頭を下げたまま告げる。
「己の責務も果たさぬままにむざむざと逃げ帰ってきた私に、守るべき体裁など残ってはおりませぬっ……! 本当にっ……申し訳なかった!」
地面につけられた両手は地を強く掴み、爪の間には土が入り込んでいる。
自分がアイラたちの話から抱いた彼のイメージは、尊大不遜なへなちょこぼんぼん貴族といった感じだったのだが、やはり何か違うような気がする。
謝罪の気持ちが強いのはよくわかった。
しかし、正直ソフィアもアイラも扱いに困っているようで、空回りしている感が否めない。
サキトは相変わらずお姉さんに絞め技の如く抱き付かれているし、どうしたものかと考えていたが、事態の収拾は思いの外早く訪れた。
「『自首したいから迎えを頼む』などとのたまう輩が居ると聞いて来てみれば、君がそうなのかいモブロス殿?」
門の方向からモブロスと同じ黒い制服を着た長身で屈強な肉体を持った濃い赤色の髪の男がそう口にしながら近づいてくると、モブロスはようやくゆっくりと頭を上げ、その男の方を見て頷いた。
「ああ、私で間違いない」
「君が犯罪を? 俄には信じがたいが……罪状はなんだい?」
「一つ確実なのは職務放棄だ。私自身は殺人未遂を犯した気分なのだが……正直なところ私も自分の身に何が起きたのかがわかっていない状態だ。だからこそ綿密な取り調べを頼みたい」
「ふむ……。よくわからないが、詳しくは詰所で聞こうか。……別に拘束はしなくても良いかい?」
「ああ、逃げる気は毛頭無いが、心配なら拘束してもらっても構わない」
「なら構わないよ。じゃあ行こうか」
そう言って赤髪の男は門の中へと迎い、モブロスはこちらに深く一礼をしてからその男に続いて行った。
「なんか……ドッと疲れたな……」
騒ぎが収まった事で人だかりも散って行き、人が通る用の門の姿も見えた。
門は真ん中で仕切られており、左右でそれぞれ出ていく人と入る人を分けているようだ。
出ていく人も入る人もそれぞれ設置されている魔法陣らしきものが刻まれた板石に触れて魔力を注いでから、門番の許可を得る事でようやく出入りしている。
魔力の認証で人の出入りを管理しているのかもしれない。
そうして観察をしながら、早く帝都の中を見てみたい衝動に駆られながらも、サキトがお姉さんに捕らわれている事を思い出してサキトの方を見てみる。
すると、ちょうど解放されたところだったようで、頬を赤く染めて恥ずかしそうにしているが、どこか嬉しそうな表情にも思える。
姉弟仲が良いというのはどうやら本当のようだ。
(愛されてるなぁサキトは……)
こうして身を案じてくれる家族がいるというのは、幸せな事なのだと改めて感じる。
義理の姉弟だと聞いたが、この二人もきっと自分とおじいちゃんのような関係なのだろう。
それに、こうして自分のした事が影響して誰かが笑顔になってくれたのだと実感できるというのはやはり堪らなく嬉しいものだ。
(貰ったものを誰かにお裾分けしたいって思ってたのに……結局僕がまた貰ってるんだもんな……)
まるで一種の永久機関のようだ。
いや、もしかしたらこれこそが自分の理想とする状態なのかもしれない。
いつの間にか肩に乗ってきていたキュウの頭を撫でながら、もう一度サキトとお姉さんを見る。
この光景をしっかりと胸に焼き付けておくのだ。
囁くような声量でキュウに告げる。
「良いかキュウ? この光景をもっと増やすぞ」
「キュウッ♪」
そんなキュウの鳴き声でサキトの隣で未だに涙ぐんでいるお姉さんはようやくこちらの存在に気が付き、また涙を流し始めて今度はソフィアとアイラに抱きついた。
「良かったっ! 二人も無事だったのね! 三人とも死んだって聞いて……嘘で、本当に、良かっ――」
そこまで言って、"た"なのか"あ"なのか聞き取れないような感じの声で泣き出してしまった。
抱きつかれたソフィアとアイラはたじたじといった様子だが、二人とも嬉しそうに見える。
(サキトのお姉さんはよく泣く人なんだなぁ……)
そんな自分の事を棚にあげた感想を浮かべながら、再会を喜びあうソフィアたちを眺めていたのであった。
それを見て何だか自分も泣きそうになったのは内緒だ。
未だ、到着はせず……。




