間話―1 とある老人と少女の会話
「では、すぐに手紙を認めるからその辺の椅子に座っておってくれるかいのぅ?」
「は、はい! わかりました!」
私、ソフィア・リブルス・ラグルスフェルトは今、人生で一二を争うほどに緊張しています。
何故なら今私は、あるとても凄い人と二人っきりで会話をしているからです。
目の前でこちらに背を向けて机に向かい手紙を書き始めたのは、かの有名な救国の英雄にして、元軍序列一位の言わずと知れた猛者。
銀の槍一つを供に戦場を駆け、近接戦闘のみならず膨大な知識を必要とする複雑難解な魔法陣魔法をも自在に操り、その銀色の魔力を迸らせながら魔物を葬る姿からついた二つ名が『銀将』。
長年にわたり国を魔物や異教徒の魔の手から護り続け、引退されてから七十年ほど経った今でも、老若男女誰もがその名と姿を知る恐らく世界一有名な元軍人。
そう、あのセイル・レイトール様なのです。
セイル様と私の曾おじい様が旧知の仲らしく、以前にも何度かお会いしたことがあるのですが、こうして二人きりで会話をするというのは初めてで、緊張せずにはいられません。
肩の上にはロンドもいますが、会話に参加してくれるわけでもないし、寧ろ私と違って実にのんびりと毛繕いをしています。
ひょっとしたらロンドなりに私を落ち着かせようとのんびりしているのかもしれませんが、全然効果が出ていません。
そんな私の緊張を解すためなのか、セイル様が声をかけてきてくださいました。
「それにしてもこんな場所でソフィア嬢ちゃんと再会するとは思うて無かったわい。前に会ったのは十年前の戴冠式の時じゃったかのぅ?」
「は、はい! その時ですね。私もまさかセイル様にお会いできるとは思ってませんでした」
「あの小さかったソフィア嬢ちゃんがもうこんなに立派になっとるとはのぅ。この森で暮らしとると時間の感覚が鈍くなってしまうが……そうか、もう十年も経ったんじゃのぅ……」
「そんな、立派だなんてとてもとても……。それにしてもよく一目で私だってお気づきになられましたね?」
「ん? 弱々しくなっておったが、あれほど綺麗な翡翠色の魔力をしておる者をわしはソフィア嬢ちゃん以外に知らんからのぅ。肩にロンドもおったし、十中八九そうじゃろうと思うたんじゃよ」
セイル様に魔力の色を褒められてしまいました。
照れてしまって顔が赤くなっていそうですが、幸い今セイル様はこちらに背を向けていらっしゃるので見られる事は無さそうですね。
アイラちゃんなんかは私をしょっちゅう照れさせては、その反応を見て笑っているので、さぞかし変な顔になっているのでしょう。
そんな顔をお見せせずに済んで本当に良かったです。
「あの時はロンドの魔力も尽きちゃって、アイラちゃんもサキトくんも呪いに蝕まれてて……本当に、タケルくんが来てくれていなかったらどうなっていたか……」
そう言って前を見ると、いつの間にかセイル様が手紙を書く手を止めてこちらを向いてらっしゃいました。
「ほほほ。良ければじゃが、タケルの戦いぶりがどんなものじゃったか聴かせてはくれんかのぅ?」
「え? あ、はい!」
それから私は脳裏に焼き付いて離れない彼の姿をセイル様に話しました。
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あの時、私は本当に死を覚悟していました。
生き延びることを諦めて、それでも生きたいと願わずにはいられなくて、それを叶えられない自分の無力を責めることしか出来ませんでした。
夢も叶えられないまま、大事な友達すら助けられないまま、このまま死んでいくんだなって……。
たぶんアイラちゃんとサキトくんも同じような気持ちだったと思います。
そんな時、急にアポロ色の光が私たちを攻撃から護るように現れたんです!
攻撃が終わった後の私は、絶対に死ぬと思ってたのに生きてるって状態に混乱しちゃってました。
そんな私たちの前に突然タケルくんが現れたんです。
とても"颯爽"と言えるような登場では無かったですし、物語で聞いたセイル様やプリム様のような、姿を見ただけで安心できるような威風もありませんでした。
でも彼は、恐怖と悲しみに埋め尽くされた――絶望に染められていた私の心を救い出してくれました。
私に確かな"希望"を抱かせてくれたんです。
四方八方から飛んでくる魔物の攻撃を全てシエラで防いでいる時の平気そうな表情も、ピカレスの枝を躊躇なく折った事も、たぶん私たちを心配させまいとした行動だったんでしょうね。
人の命に換えられるものなんてないっていうのはわかりますけど、私にはたぶんあんなに躊躇なく行動は出来ませんもの……。
そんな彼の行動を見てると、本当は手一杯な中でも必死に――本当に必死に私たちを助けようとしてくれているっていうのが伝わってきて、サキトくんの言った「勘が信じられると言ってる」って言葉の意味が分かったんです。
私も"この人は信じられる"ってそう感じたんです。
そうして戦いを見てたら、勝手にひやひやしちゃう場面なんかもあったんですけど、魔物の攻撃を防いで、弾いて、利用して、みるみるうちに魔物を一か所に集めたかと思ったら精霊化したんです!
そのまま壁みたいに大きなアポロ色の炎を放って魔物を全て倒したんです!
一歩も退かず、一切の傷も無く、一撃のもとに敵を全て倒したその姿は、本当に物語で聞いた英雄みたいで――
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「英雄みたいで――」
そこまで言って、話に夢中になりすぎていたことに気が付きました。
セイル様を見ると、目を細めてそれはそれは嬉しそうにこちらを見ています。
私が何とも言えない恥ずかしさから言葉に詰まってしまっていると、セイル様が話し始めてくださいました。
「ほほほ。つまりタケルは自分の夢に向けて一歩踏み出したということじゃのぅ」
「……夢、ですか?」
「うむ。タケルは"誰かを護れるような生き方をしたい"のだそうじゃ。――優しいあの子らしい優しい夢じゃよ……」
「確かに優しい夢ですね。何だかタケルくんならきっと叶えられる気がします! ただ、その……すごく漠然としてると言いますか……」
「そうじゃのぅ……。じゃからこそわしはその夢に、少しばかり道筋を立ててやりたいと思っておるんじゃよ。ソフィア嬢ちゃんをここに呼んだのはそのタケルの夢にも関係した話があるからなのじゃ」
「え!? 私にですか?」
私に関係するっていったいどんな話なんでしょうか?
「わしはタケルに軍属大学院に通うことを勧めようと思っておるのじゃ」
「軍属大学院にですか? それはつまり……タケルくんを軍人にするってことですか?」
「あくまでもタケルが望めばの話じゃがのぅ。ただまあ、タケルの夢に一番合致した職業は軍人じゃとは思うとる。幸いちょうど良いタイミングで嬢ちゃんたちのような知己も得たわけじゃしのぅ。今がその時なのじゃと感じておるのじゃよ」
そうおっしゃられるセイル様の表情はどこか寂し気で、私は思わず聞き返してしまいました。
「セイル様は……それでよろしいのですか? 差し出がましいと思われるかもしれませんが、今日のお二人の様子を見ている限り、私にはお二人が本当の祖父と孫のような関係に見えました。とても、今朝セイル様がおっしゃられていた通りに半年前までは赤の他人だったとは信じられない程に、です」
そんな私の不躾な質問にセイル様は気を悪くされるでもなく、寧ろ朗らかに笑いながら答えてくださりました。
「ほほほ。傍からもそう見えておったのなら、嬉しい限りじゃのぅ。わし自身も正直、まだ出逢って半年というのが驚きなのじゃよ。最初はほんの気まぐれ、それこそ精霊があまりにも必死に助けを求めてきておるように感じたでの、治療だけしてさっさと近くの町にでも送り届けようと思っておったのじゃがのぅ……」
そう言いながらセイル様はひどく懐かし気な表情で話を続けられます。
「とりあえず腹が減っておるじゃろうからと飯を食わせたら、食った途端に泣き始めてのぅ……。しかも心底嬉しそうに泣くんじゃよ。それこそ、何か心底欲しかった物を手に入れたかの様にのぅ」
思い出を語られるセイル様の表情は、本当に楽しそうで――
「何か成果を得られる度に楽しそうに笑って、上手くいかなければ一目で落ち込んでおるのがわかるほどに気を落として、それでも諦めずに努力を続けて……褒めると子供の様に心底嬉しそうに喜んでのぅ。そんな様子を見ておると、昔間違えた事を思い出しての……」
私にはその"間違えた事"と言うのがいったい何なのかはわかりません。
ただ、セイル様の漏らす自嘲めいた笑いからは、言い知れぬ後悔が感じられました。
「わしの事を祖父のように呼ばせたのは、興味半分、建前半分といったところじゃったんじゃが、よく泣いてよく笑って、些細な事でころころとタケルの表情の変わる様などを見ておると、プリムの事を思い出してのぅ……。もしも孫がおったらタケルのような子に育っていたのではないかと思い始めて――気が付いたら本当の孫じゃと思うようになっておったんじゃ」
一拍呼吸を置かれた後、セイル様は続けられます。
「孫と共に過ごしたいと思うと同時に、孫の成長を願う気持ちもあるからのぅ……。それに、若い芽の成長の邪魔をしたらプリムに叱られてしまう」
そう言ってセイル様は冗談っぽく笑われました。
私はプリム様の事を、それほど詳しくは知りません。
物語の中での英雄としてのプリム様はどれも強くて美しくて、私が精霊術師に憧れたきっかけもプリム様のお話でした。
でも、曾おじい様の昔話に出てくるプリム様は、慈愛に満ちた、天真爛漫な一人の女性で――
――あぁ確かに、タケルくんと似てるかもしれない。
私たちを助けてくれた時のあの意志に燃える英雄のような姿とは裏腹に、普段は落ち着いていて、かと思えば私たちより一つ年上なのだとは思えないほど無邪気――と言うよりも純真な一面も持っている。
短い時間の中でも、彼が心の底から"優しい"人なのだと私は理解していました。
「なんだか、得心が行きました」
「ん? 何がじゃ?」
「命を助けてもらったとはいえ、なんであんなにすんなりタケルくんを受け入れられたのかなってちょっと気になっていたんです。その理由ってたぶん、少し話しただけでもわかるくらいにタケルくんに悪意とかが無いからだと思うんです」
「ふむ。確かにそうじゃのう」
「そういうのって本来時間をかけて理解するものだと思うんですけど、何だかタケルくんと話していると、楽しそうだったり、悲しそうだったり、こちらを心配していたりって言うのが凄く伝わってくるんですよね……」
それで言うと、ロンドとお喋りしている時の感覚に近いかもしれません。
「ほほほ。確かにタケルは感情を隠さない――というよりはまるで、感情を隠す術を知らないといった感じじゃからのぅ。そのくせ辛いことは隠そうとしおるから余計に心配になってくるんじゃよのぅ……」
「辛いことは隠そうとする……ですか?」
「うむ。そうじゃのう……。例えばじゃが、ソフィア嬢ちゃんは魔物を一つの生命として考えたことがあるかのぅ?」
「魔物をですか? いえ……確かに生物と同じ形をしていますけど、魔物は魔力を喰らう人類の天敵で、そういう存在で……生命だとは考えたことも無かったですね」
「まあ、それが普通じゃよのぅ。血は流れておらんし死ねば塵になって特殊部位だけを残して消える。魔力を喰らう事しか考えておらん化け物。それが常識じゃからのぅ」
「"常識"という事は、もしかして違うんですか?」
「それは正直なところわしにもわからん。じゃが、世間一般では奴らの事を生物じゃとは思うて無いのにも関わらず、先も言うた通り"死ねば塵になる"と生死を判別しておる。この意識の矛盾が女神フィロアによって仕組まれた罠じゃと言うのが異教徒の主張の一つじゃな」
確かに言われてみればその通りな気がしてきました。
「じゃあ、異教徒の主張はもしかして正しいのですか?」
私の不安げな問いにセイル様は首を横に振ります。
「この主張に関してはわからんが、もし奴ら主張が正しかったとしても何もかわらんじゃろう? 魔物は人類を襲い、人類が生きるためには奴らを倒さねばならぬ。これは単純な意識操作じゃよ。女神に疑念を持たせることで、自分たちの主張を正しく見せようとしておるのじゃ。少し話が逸れてしもうたの」
こほんと咳払いを一つしてからセイル様は続けられました。
「たぶんタケルは、魔物を一つの生命として認識しておるんじゃよ。じゃが決して異教徒のように崇拝などしておるわけではない。それはソフィア嬢ちゃんたちが今ここに生きておることが証明しておるじゃろう?」
「はい。もしも異教徒ならば、魔物を殺すはずがありませんから」
でも、"タケルくんが辛い事を隠そうとする"のといったい何の関係があるのでしょうか?
「タケルはのぅ……娯楽で狩りをする者も普通におるような今の世で、自分が食べるために動物を狩ることにすら心を痛めておるんじゃよ。それ自体は別に良い事なのじゃが、たぶんじゃが昨日のタケルは魔物を殺したことに心を痛めておった」
昨日の彼にそんな様子はあったでしょうか?
思い当たる節が無いという感じが顔に出ていたのか、セイル様は微笑みながら補足をしてくださいました。
「ほほほ。タケルは辛い事を隠すのだけは他よりも上手いからのぅ……。じゃからこそ心配なんじゃよ。優しいあの子が辛い事を溜めこみすぎていつか立ち止まってしまう時が来るかもしれん。じゃがタケルの成長を望む以上、わしが傍にいてやることはなかなかに難しいのじゃ」
一拍呼吸を置いた後、セイル様は私の目を見て続けられます。
「じゃからもしもタケルが立ち止まってしまいそうになったら、ソフィア嬢ちゃんたちで助けてやってほしいのじゃ。なぁに今はわからんでも、タケルと付き合っておればそのうちわかるようになるぞ。基本的には"正直"じゃからのぅ」
そう言って優し気に笑われた後、再びこちらに背を向けて手紙を書き始めたセイル様の背中はやっぱりどこか寂し気で――
「――わかりました!」
その背中は、物語に聞いていた英雄としての背中などではなく、ただ孫を心配する祖父としての背中で、私にはとてもそのままにしておくことはできませんでした。
「私に任せておいてください! 命の恩を仇で返すような真似は絶対にいたしません!」
そもそも命の恩なんて関係ないのです!
曾おじい様も昔から私に言っていました!
「――苦境の友の隣ほど誉れ高い立場はありません! タケルくんが辛い時は絶対に一人になんてさせませんから! だからセイル様は安心してタケルくんを送り出してあげてください!」
セイル様はこちらを振り向き、少し驚いたような顔をされた後、相好を崩されました。
「ほほほ。ありがとうのぅ。――やっぱりお前には敵わんのぅディムロイ……」
「へ? 何かおっしゃいましたか?」
最後の方に何か呟かれていたようですが、よく聞こえませんでした。
「いいや、なんでもないぞい。さて、さっさと書くかのぅ。もう少し待っておいてくれのぅ」
「あ、はい。わかりました」
そのまま数分でセイル様は三通の手紙を認め、内一通を私に手渡されました。
どうやら曾おじい様宛の手紙のようです。
「では、タケルたちの所へ戻るかのぅ」
「はい、わかりました」
なんだか、無性に曾おじい様に会いたくなってしまいました。
帰ったら急いで無事の報告をして、この森での出来事をお話ししましょう。
私を救ってくれた英雄と、その人と共に居た英雄のお話を。




