剣術
ゲルトハルトを鍛錬に付き合うように説得した日の翌日からさっそく庭で朝の鍛錬に励むことになった。
最近の私は恐ろしく規則正しい生活を送っているような気がする。
朝早く起きては鍛錬に励み、体力を向上させ、朝食済ませては魔法の鍛錬に励み。それに加えて礼儀作法や舞踊の授業、本を読み漁り情報取集そして眠る。夜はすぐに眠くなってしまうので実際の活動時間はさほどでもない。
私は睡眠時間を削るなどという馬鹿な真似はしない。よく食べ、よく動き、よく寝るは子供が成長するための基本中の基本。無理をして体に何らかの支障をきたしては意味がない。私の約束された美貌を損なうわけにはいかないのだ。まあ、才能豊かな私ならば凡人よりも物事を円滑に進められるので無理するようなこともないが。
それでも、私と同年代の子供で私のほかにここまで自己研鑽に励む者はいないだろう。
「――――ふっ! はっ!」
庭に出るとゲルトハルトがすでに滝のような汗を流しながらものすごい勢いで黙々と大きな槍を振るっていた。
まったく、何時間前から鍛錬に励んでいるのだろうか。これから、私の鍛錬に付き合うというのに全力で自分を鍛えてどうする。自分を鍛え直して私のために槍働きをしてくれるというのならば、何も問題はないが、ゲルトハルトはあまり合理的にものを考えて行動するようなタイプではなく、筋肉馬鹿なので体が疼いたとかそんなところだろう。
「ふぅ。お嬢、おはようごぜいます。戦いから離れて久しいもんで。どうにも鈍っちまって。鍛え直していたところです」
「随分と激しく鍛え直したようだけれども」
「ご安心を。この剛剣のゲルトハルト。この程度のこと造作もありませぬ。お任せ下され」
ゲルトハルトが自分の胸をドンと叩く。
それは20年以上前の話だろう。筋骨隆々の大男だが、歳はもう既に五十を超えているあまり無理をしない方が体のためだとは思うが、あの父の右腕とまで言われた男だ。この男も人の領域からはみ出た存在なのかもしれない。
「それなら安心ですわ。けれど、なぜ槍を振るっているのですか? 剛剣と言うからには剣の扱いに長けているものかと思っておりましたが」
「ああ、それなら。少し長くなるが、俺は騎士です。故に本来は馬に乗り馬上にて大槍を振り回すほうが得意。その通り名は俺が戦争に参加し始めた時はユグラシルは敵さんに散々負けて馬も碌に調達できない頃で。俺たちお館の部隊は敵本陣に走って突撃してはばっさばっさと敵を斬り飛ばしていました。馬に乗らなきゃ槍より小回りの利く剣のほうが使い勝手が良くて剣で暴れまわりましたので。そんな俺を見て敵さんがつけたのでしょう」
ゲルトハルトが自慢げに腰に手を当て天を仰ぎ笑う。
うん、やはりゲルトハルトは人外だ。敵の本陣を奇襲して敵の頭をつぶしてしまうという父の作戦も納得だが、非常に困難なその任務を遂行できたということは驚きだ。ゲルトハルトのような一騎当千の男がいなければ不可能だっただろう。
「どちらにせよお嬢には剣も槍も馬もすべてお教えしますので。あのお館の娘さんなら造作もないでしょうが」
その発想はどこから出てくるのだろうか。
私は才能豊かなので問題はない。だが、普通、私の兄であるヨワヒムを見れば、父親の才能を全く受け継がないという可能性も考えられるだろう。もしかすると軟弱そうに見えてヨワヒムも剣術や魔法には長けているのだろうか。そんなことがあるかもしれない。
「とりあえずは俺が持ってきたこの練習用の軽い木剣で俺に斬りかかって来てください」
「……はい。わかりましたわ」
ゲルトハルトに渡された木の剣を握る。私でも振り回せるほどに軽い。
にしてもいきなり斬りかかってこい、とは何とも荒っぽいやり方ではあるが、筋が良いかどうかを見るには良いのかもしれない。
私は剣を握り直し構える。
ゲルトハルトも木剣を持ったままどこからでもかかってこいと言わんばかりに無防備に仁王立ちしている。
前世の記憶には多少、知識としてはあるものの剣を使った戦いなど生まれてこの方、見た事がない。
こうなったら、もう直感でいくしかない。
ゲルトハルトに向かって突撃し、剣を振るう。当然ながらすべて簡単にいなされてしまう。さらに予想外なことに向こうからも剣撃が襲い掛かってくる。大人からすればぬるい攻撃ではあるが、6歳児にとっては大きな脅威だ。持ち前の反射神経で何とか受け止める。
相手が攻撃してくるならば反撃の機会はある。
一旦後ろに引きさがり態勢を立て直す。そして再び突撃を敢行する。複数回斬りかかった後またしてもゲルトハルトが私に剣を振るう。
この時を待っていた!
今度は受け止めるようなことはしない。そのまま斬らせる。だがこちらも攻撃をやめることはない。実力で叶わぬのなら捨て身の攻撃で一矢報いる。肉を切らせて骨を断つ。令嬢は度胸だ。
「――――なっ!」
防御しようとしない私にゲルトハルトは驚きの表情を見せる。
ゲルトハルトの剣は私の首筋で止まる。戦場ならば斬り飛ばされていただろう。
だが、私の剣もしっかりとゲルトハルトの腹をつついている。私の勝ちだ。
「はぁはぁ……どうでしたか。私の剣は」
「剣の筋はいい。そして度胸がある。こんな少女がまさか捨て身の攻撃とは……。このゲルトハルト、久しぶり肝が冷えました。これは将来はユグラシル王国一の騎士になるやもしれませんな」
ゲルトハルトは私の満足げな顔を見て、嬉しそうに笑う。
少しの間、剣を交わしただけだが相当疲れたしお腹もすいた。今日は記念すべき第一回目のゲルトハルトとの鍛錬だったが、最初としては上々だったように思う。魔法に引き続き剣術や槍術などの武術のいい師匠にも巡り合えて幸運だ。これから自分がどれだけ伸びていくのか楽しみだ。一騎当千の公爵令嬢となれば簡単に殺されることもなくなるだろう。私の未来は安泰だ。
汗を流したのでベタベタだ。水浴びをして着替えたらはやく朝食を取りたい。
「さあ、お嬢。まだ朝食まで時間はたっぷりとありますぞ。そうしましたらお遊びはこれくらいにして鍛錬に移りましょう」
「……えっ」
予想外の言葉に思わず気の抜けた声を上げてしまう
聞いていない。ゲルトハルトによる鍛錬はまだ開催すらされていなかった。
「では、まずは走りこみましょう。体力がなくては何事も始まりません。他の兵士よりも長く走り続けることのできる兵士が戦場では生き延びることができる。それに走ると気分がよくなります。限界を超えて走ったその時なんてもう最高ですぜ」
この男、私が6歳児だということを忘れているのではなだろうか。
私は貴族の令嬢であって新人の兵士ではない。
「あっ! ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」
私はゲルトハルトに引きずられるようにして庭を走り回る。
私の悲痛な叫びはゲルトハルトに届かない。
死ぬ。本当に死んでしまう。安泰な未来が来る前にここで死んでしまう。思わぬ伏兵に命を危機を感じる。
体力の限界を超え、死をも乗り越えたのはそれから一時間ほど経った頃だった。