第八章
私は王国に戻った。
世界は勇者を称えた。
それぞれの国や都市が祝いに明け暮れた。
***
私はおなかの中に新しい命の息吹を感じていた。
大切な、大切な赤ちゃん。
私は赤子を守るために、ぎりぎりまで普段通りの生活を過ごした。
臨月を迎えて、ようやく周囲の人間たちが気づいた。
赤ん坊は無事に産まれた。
だが、奪われてしまった。
「返して、私の赤ちゃん…返して!」
私は毎日泣き暮らした。
食事もまともに咽喉を通らず、寝ることすら出来ない。
魔王は死んだわけじゃない。
水晶に閉じ込められているだけだ。
あの水晶をなんとかすればいいのだ。
「助けて、誰か助けて…!」
私は祈った。
祈り続けた。
その間も世界は変わり始め、圧制と餓えに苦しんだ民らが王国に反旗を翻した。
私は逃げ出すことに成功した。
魔王城を目指して歩く。
歩き続ける。
目的地に到着した頃には、私はやせ細り、やつれきっていた。
それでも不思議なことに、なにも食べなくても生きられた。
心臓を魔王にとられたままのせいなのか。
どちらにせよ、私は魔王のもとに帰ってきた。
最後に見た姿のままの魔王。
「あなた…」
水晶に縋りつく。
どくんどくんと脈打つ音がする。
彼は生きている!
私はよろこびで気が狂いそうだった。
名を呼べ、と聞こえた。
名前?
彼の?
私は途方に暮れた。
名前など知らない。
知らないはずだが、口から零れ落ちた。
「アスアル?」
びしっと水晶に亀裂が走る。
「アスアル、アスアル、アスアル!」
水晶が砕け散った。
ゆうらりと魔王が佇む。
「あなた…」
「ティナ、か」
「ああ、あなた!」
私は魔王に抱き付いた。
身体が冷たい。
「私はいったい何年封印されていたのだ?」
「40年は過ぎました」
「そうか…生きて会えるとは思わなかった、ティナ」
「私も」
「ずいぶん苦労したようだな」
私の皺くちゃな手を、魔王が大切そうにとった。
「子が産まれましたのよ。生きているか死んでいるかわかりませんが、あなたの子供を産んだんです」
「みてみたかったな」
「探しましょう?」
「そうだな」
「でも、もうこの身体では無理かしら」
「若さが必要だな」
「魔王?」
「今息吹を与える」
魔王が私にくちづける。
ふぅーっと魔力が私の身体に入って来る。
手の皺がなくなっていく。
私は自分の顔をさわってみた。
老いた顔は昔のようにつやつやとした肌色に変わっていた。
「これもあなたの魔法?」
「そうだ。魔力の一部を与えた」
「ああ、これを渡すのを忘れていたわ」
私は仮面を取り出した。
魔王はそれを手にした。
「私の素顔は醜かったろう」
「何を言ってるの? とても綺麗だわ」
「そう、か」
「ええ、この世でみた誰よりも美人だわ」
「私はおぬしのほうが美しいと思うが」
ふと、魔王の素顔をみて思い出した。
遠い、遠い過去。
それは幼い子供の時代。
私は魔王と出会ったことがある。
母と一緒に出掛けた先で、犬と追いかけっこをしていたとおきに。
彼はひとり佇んでいた。
そのときは仮面をつけてなかった。
あまりにも綺麗で、声を失った。
名を問われて、答えた。
そうして、結婚の約束をした。
他愛のない、言葉遊び。
それを魔王は現実にしたのだ。
「約束ってこのことだったのね」
「うむ。まさか国王の娘とは思ってなかったが」
「選ばれたのが私だった理由がわかって納得」
「おぬし以外では意味がないからな」
さて、と魔王が仮面をつけた。
「世界はどうなっているのか。城の再建もせねばな」
「私の国は滅んだわ。民たちが暴動を起こしたの」
「ふむ。勇者とやらはどうしたのだ」
「今はどこにいるのかわからないわ」
「しばらく情報収集に時間を費やすか」
魔王は私を抱いて、空を飛んだ。
片手をあげて、崩れた建物に向けた。
建物が時間を巻き戻すかのように直っていく。
すっかり元通りになると、私達は城におりた。