第四章
夢の中で歌が聞こえていた。
優しい、優しい愛の歌。
甘くせつなく、誰かを求める恋の歌。
***
私はぼーっと目を覚ました。
朝陽が入ってこない。
不思議に思っていると、メイドがやってきた。
顔を洗う準備が出来ると、私はぬるま湯で顔を洗う。
着替えを手伝ってもらう。
今日は水色のドレスだ。
昨日のドレスも良品だったが、これも良い品だ。
「魔王って儲かるのかしら」
ぼそっとつぶやくと、ぷっという笑い声が聞こえた。
メイドのほうをみれば、まったくの無表情。
聴き間違え?
私は首をかしげる。
「では奥方様、食堂へ」
朝食もやっぱり大量だった。
夕食よりも量は少なかったが、デザートまで食べられなかった。
ピーチパイは、美味しそうだった。
「お茶の時間に食べればいいだろう」
魔王に察せられて、私の顔は真っ赤になった。
このひと、結構勘が良い。
っていうか、お茶の時間があるって、人間並みの生活みたい。
(人間並み?)
私はふと、思考を巡らせた。
私に付いているメイドは人間に近い姿をしている。
他にモンスターらしい姿のものはみてない。
広い城のなかなのに、警備兵ひとりいないというのは、ちょっとおかしい気がする。
(私に気を使ってる?)
そう考えると多少の疑問が解けていく。
でもなんで気を使う必要があるのだろう?
私は魔王の所有物で、対等の立場ではないのに。
私の考え方が間違っていたのだろうか。
食事を終えて、私は城内を歩いてまわった。
たまに人影をみかけるが、追いかけてみるとすぐに消える。
幽霊を追いかけている感じだ。
だが、私も馬鹿ではない。
気が付かないふりをして、そのまま通り過ぎようとした矢先、くるりと踵を返してダッシュする。
「うにゃ!?」
「ゴブっ!?」
どんっとぶつかったのは、ゴブリン兵士。
はじめてみたその姿に、私は絶叫してしまった。
「何事だ」
いつの間にか魔王がいた。
ゴブリン兵士は、がたがたと震えている。
「わ、私がぶつかったんです」
「そうか」
魔王はゴブリン兵士を下がらせた。
どうやら血をみないで済んだ。
「どこか痛めたか?」
いつまでも立ち上がらない私に、魔王が尋ねた。
「ちょっと腰が抜けて」
私がそう答えると、次の瞬間宙を浮いていた。
私は魔王に抱っこされていたのだ。
「ま、魔王!?」
「なんだ?」
「その、これはおおげさだと思うの」
「気にするな。私がしたいことだ」
魔王の声は低く響いて耳に心地いい。
とくんとくん。
心臓の音がする。
魔王の胸から、私の心臓の音が。
「ねえ、なんで私の心臓をとったの?」
「いわねばならぬか?」
「理由くらい知っておきたいわ」
「いずれ、では、答えにはならぬか?」
「無理ならいいのよ」
「気休めだ」
「気休め?」
「ああ、私の保険と言っていい」
よくわからない。
私が考えに捉われていると、居間のソファに座らされた。
「暇つぶしも必要か」
魔王が宙に手をやる。
とんっと本が落ちてくる。
私が先日読んでいた、ゲバラ日記だ。
「あ、ありがとう」
差し出された本を手にする。
「あ、あのね、魔王」
「なんだ?」
「なんで人間の女と結婚しようと思ったの?」
国ひとつ手に入れるための条件が、王国王女との結婚だった。
魔王の軍勢なら、国など軽く潰せるだろうに。
実際、その方法で領土を広げてきたのだ。
「・・・おぼえてはおらんか」
「?」
「約束、でな」
約束?
契約ではなくて?
いったいどういうこと?
私の脳裏には疑問符がたくさん浮いていた。
「わからずともよい」
魔王は別のソファに座り、自身も本を広げて読み始めた。
彼が読んでいるのは、古書だ。
「ファームト年代記?」
「よく読めたな」
「古代文字はちょっと勉強したの」
「ほう」
「私、身体が弱かったから、本を読むのと勉強するしかなかったのよね」
「たしかにひ弱そうだな。人間は貧弱だ。なにかあればすぐに死んでしまう」
魔王の声には、悲しみが宿っていた。
彼に喜怒哀楽があることに、今初めて私は気づいた。
「人間は弱い。だが、強くもある」
「そんなはずないわ。本当に強かったら魔王に勝ててたもの」
「私が嫌いか?」
「あなたはとても紳士的だと思うの。でも、あなたから発せられるものが冷たく感じて怖い」
「私は人間ではないからな」
「でも、人間らしくしてくれてるわよね?」
私は疑問のひとつを投げた。
「そうでないと、怖いだろう?」
「なんでそんなに私に気遣うの?」
「夫が妻を愛しむのは普通だろう」
「そもそもそこからがわからないわ。私はあなたの所有物で、同等の立場ではないんじゃないの?」
「夫婦は同等だと思うが?」
私は両目を目一杯見開いた。
魔王が私を同等の存在だと思ってる?
ちっぽけな人間の私を?
「人間の結婚生活は、本で読んだ程度でしかないが、違うのか?」
「違わないと思うわ」
「なにか、おぬしは戸惑ってばかりいるようだな」
「だって、想像と違うんだもの」
私は本を膝の上に置いた。
「もっと恐ろしい目に遭うのかと思っていたし」
「夫は妻を大事にするものだ。それは魔族でも変わらん」
「私達人間は魔族のこと知らなすぎると思う。私まだあなたと出会ったばかりだけど、あなたみたいに紳士的なら一緒に協力していけると思うわ」
「魔族にとって人間は家畜だ。おぬしが特別なのだ」
「そんな…」
「この城内において、どこへなりと行ってもかまわんが、他の魔族と出会う可能性もある。おぬしが恐ろしい目に遭うかもしれん」
「はい」
私はしょぼんとうなだれる。
つまり、私は魔王の庇護下にあって、他の魔族からは嫌われているのだ。
それが当たり前なんだろうけれども。
魔王みたいに魔族のみんなと歩み寄れれば、共生は出来るのではないだろうか。