episode twenty
「……行ってきます」
小さな平屋の一軒家を後にして、私は学校へ向かった。
今日から新学年だ。
何組かな。
でも、私には関係ないや。
今まで通り空気になって生きていこう。
私は小学生3年生で事故に遭った。
お母さんと車に乗っていたら、鉄骨が落ちてきた。
気づいたら病院で寝ていた。
お医者さんから聞かされた、私の容態について。
五体満足で、それは奇跡だと言った。
けれど左目は失明した。
顔の左側、おでこから頬までかかる二筋の傷が私の光を奪った。
左の脇腹にも鉄骨が刺さっていたらしく、そのほか腕や足の手術と併せ、18時間にも及んだそうだ。
傷は今も克明に残っている。
私は学校に戻り、それから苛めを受けた。
数少ない男の子は私を化け物と呼んで、女の子は一人残らず私から離れていった。
男の子に嫌われたくないから、顔の傷が気味が悪いからという理由で。
私に頼れる人は居なかった。
お母さんはあの事故からずっと意識不明のまま病院で寝ている。
恐らくもう起きることは無いだろう。
でも、お母さんが生きているお陰で、私は施設に行かずに済んでいる。
悲しみや苦しみには、もう慣れた。
前髪を伸ばして顔の傷を隠し、腕や足も服で覆って、なるべく見られないようにした。
少しでも目立たなくなるよう、息を殺して背を丸めた。
小学校はそうして乗りきって、中学校に入学した。
行きたく無いけど、将来のためには行かなきゃダメだから。
保険と賠償でお金は貰えたけど、お母さんや私の手術と入院費用で殆ど無くなった。
お金は今も掛かり続けている。
継続治療費は最初に払った分と、政府からの支援金で賄えている。
裕福じゃないから、もし保険がなかったらと思うと、ゾッとする。
それでも辛くて辛くて、どうしようもない日もある。
死ぬことを考えた日は、1度や2度じゃない。
それでも私は生き続けた。
せっかく助かった命だから。
命の軽さと尊さを同時に学んだから。
何よりもう、あの一瞬の恐怖を味わいたく無いから。
学校についた。
人混みを避けて、自分のクラスを確認。
「……5組だ」
ぽそっと呟き、教室に向かう。
最近言葉を発しない生活が続いて、しゃべり方を忘れた。
だからリハビリを兼ねて、こうしてちょっとしたことは呟くようにしている。
始業式、入学式と、順調に日々を送る。
代わり映えの無い日常。
いじめが無いだけありがたい。
友達も居なくて、やることといえば勉強くらいだ。
中間テストでは1位だった。
ちょっぴり嬉しい。
進学のためにも、好成績は良いことだ。
そんな私だって、少し位は夢を見る。
いつの日か、王子さまが現れて、私をさらってくれるのだ。
あらゆる不幸と悲しみが存在しない夢の楽園へ。
けど、そんな事はありえない。
私の顔を、体を見た瞬間、きっと嫌われるだろう。
気持ち悪がられるだろう。
最近この街でも有名な学校一の美少年、霧桐冬夜くんだって、きっと近寄るのさえ無理だろう。
時々本人に気付かれないよう、チラリと遠目で見るだけで十分だ。
そう思っていた。
それが何の因果か、目の前に本人がいる。
「よ、俺、霧桐冬夜。よろしく!」
笑顔に後光が。
私は今日死ぬのだろうか?
もしくは死んでる?
夢?
どうしてここに?
え?
ナ ニ コ レ ? ?
それが私の、彼との出会い。
■□■□
「い、行ってらっしゃい……」
「はい」
「行ってきまーす!」
朝、校門の前で冬華と車から降りて、学校に向かう。
今朝は冬華が寝坊して、楓さんに送ってもらった。
もう5月の終わりに差し掛かって、いよいよ梅雨に入ろうかという季節。
学校祭の出し物も決まって、みんな一丸となり取り組んでいる。
俺は演劇の主役に選ばれた。
男が一人しか居ないので、男役のメインキャストだ。
後は全て女子が演じるらしい。
それで、今日の朝のホームルーム前にくじ引きをしてくれと頼まれた。
どうやら女子のメインキャストを選ぶようだ。
色々な面で公平性を考えた結果、俺がくじを引くことになったらしく、それが今日だということ。
不正をしたら冗談抜きで戦争が起きるよね。
女子の判断は賢明だと思う。
やっぱ俺ってが罪深いわー。
罪作りな男だわー。
さすがっす。
「またね、お兄ちゃん!」
「うん、ばーい」
冬華と別れて、俺は教室へと向かう。
「おはよー」
おはよう冬夜くん、と、まとめて挨拶が返ってくる。
いいね、挨拶。
全ての基本だよな。
うん。
何人か違うクラスの子達が混ざっている。
くじ引きのために来たんだろう。
「冬夜くん、じゃあ早速引いてもらっていい?」
そう言われ差し出されたのは、2つの箱。
1つは組を、もう1つは出席番号を決めるためのモノらしい。
なるほど、面白い。
最初に出席番号の方を引いてほしいとのことだ。
この学年は6組まであるから、まず6人に絞られるって話か。
各クラスの人数は丁度同じだし、ぴったりだ。
どれどれ……よし、これだ。
ゴソゴソと箱に手を突っ込み、紙を選んだ。
みんな固唾を飲んで見守っている。
「はいこれ」
四つ折りの紙を、箱を持った女子に見せる。
「か、開票まで、し、して下さい……」
極度の緊張なのか、ガックガクになっている。
生まれたての小鹿みてーな(笑)
「わかったよ」
ぺらりと紙を広げ、番号を確認……
「29番」
書かれていた番号を告げた。
ガタン!
と、集まっていた他のクラスの女子が皆崩れ落ちた。
どうやら29じゃないようだ。
なんかごめんな?
3組の女子は皆普通にしている。
この差は一体なんだろうな?
やっぱり女の子ってセックスすると雰囲気変わるよね。
なんかこう、うん、変わるんだわ。
それがこの差なのかな?
知らんけど。
「じゃあ、次組の方を引いてください。あ、3組が出たらもう一度お願いね?」
うちのクラスの子が、次の箱を持ってきてくれた。
うん、3組の29番は俺だもんね。
よーし……キミに決めた!!
「えーっと……5組」
書いてあったのは5組。
つまり5組29番の人が女役主演になるんだな。
誰だ。
「誰か知ってる?」
「うーん、この場には来てないかな。私も知らないんだ」
箱を持ってきてくれた女子に聞いてみたが、知らないようだ。
まあこの場には居ないのは確定だろう。
他のクラスの女子、皆屍みたいになってるし。
選ばれた人がいたら半狂乱になって喜んでいるだろう?
何て言ったって俺のパートナーになるわけだから。
劇の主演同士、接触もアリアリだしな。
ま、放課後にでも会いに行けば良いでしょ。
そうでなくとも、他の誰かが伝えてくれるだろうし、あっという間に学年中に広がって本人の耳に伝わるはずだ。
「じゃあ、ありがとね、冬夜くん。後は私たちに任せて?」
「ん、よろしく」
そんなわけで、屍処理は女子たちに任せて、俺は席に着いて読書でもしよう。
『star war』シリーズの五作目を読みながら、ホームルームが始まるまで時間を潰した。
面白いな、これ。
■□■□
放課後になった。
あてが外れて、誰も俺の所に名乗り出てこない。
聞いてみても、その人は授業中は確かにいるのだが、休み時間は気づくと居ない。
で、また授業中は居る、その繰り返しだったそう。
給食の時も忽然と姿を消すらしく、担任に聞いても首を傾げたそうな。
で、俺はすぐ5組に向かったんだけれど。
もう席には居らず、荷物もなかった。
入れ違いか?
そう思って6組と5組の前にある階段を覗いたがいない。
階段は1組と2組の間にもあるが、途中誰ともすれ違わなかったので、違う
「……」
再び5組に入って、窓から校門のを見る。
昇降口から校門にかけて、その先の道も生徒は居ない。
だが、ふと裏門に続く道へ目をやってみた。
あは、ビンゴ。
「……みっけ」
多分あの子だ。
時計を確認、まだホームルーム終了から5分。
どこの学年クラスも似たようなもんだろ。
忍者みたいな女の子で、この時間に裏門から帰る人がいたら本人だろう。
間違ってたらその時はその時で。
ダッシュで昇降口に向かう。
荷物は学校でいいや。
スマホを取り出して楓さんをコール。
「あ、楓さん。ちょっと俺のGPS追って車で来てもらってもいい? ……うん、ありがと」
靴を履き替え、裏門まで駆ける。
もう彼女の姿は見えない。
裏門を出て、左右に続く道に目をやった。
「こっちか!」
左の道の奥、右のわき道に入った制服の影を見た。
さらに走る、右折。
日頃のトレーニングの成果を遺憾無く発揮。
「……ふぅ、捕捉」
本人まで20メートルほど詰めて、距離をとった。
どうせなら家まで付いていこう。
どっちかって言うと、付けていこう、だが。
もちろん本人には気付かれていないぜ?
前世のスキルをムダに使っているからな。
あくまで自然に、時には大胆に。
たまに通る通行人には普通に姿を見せる。
だが、決して彼女には姿を見られないように。
てくてくてくてく歩くこと30分以上。
結構なペースで歩くな、おい。
彼女は一軒の小さな家に入った。
平屋の一戸建てだ。
レトロな香りの漂う、風情あるお家だな。
庭には家庭菜園があって、ちょっとした畑になっている。
ありゃジャガイモか?
長ネギ?
キュウリにスイカ、うーん、わからん。
なんか、あんまり言いたくないけど、そんなにお金持ちじゃない感じ?
家もはずれの方にあるし、周りは畑と森、林ばっかりだ。
そんなことを思いながら物陰に立っていると、静かなエンジン音が近づいてきた。
楓さんじゃん。
道に出て、ひらりと手を振り合図をする。
こっちに気づいてくれたようで、車を進めてくれた。
助手席に乗り込む。
後ろよりこっちの方が好き。
「ただいま、ありがとね楓さん」
「お、おかえりなさいませ……い、いいえ、仕事ですから……それに、頼ってもらえるのは、う、嬉しい、です、ので……」
うむうむ、そうかそうか。
よきにはからえ。
「この家の女の子に用があってね。付けてきちゃった」
「あ、あの冬夜様……そ、それは、その、犯罪です……一応」
「内緒だよ?」
「あ、あぅ……はい」
人差し指を立てて、楓さんの唇に当てる。
彼女の処女はまだ貰っていない。
自己申告だから処女が本当かどうかは知らんが、別に膜の有無に拘ってはいないのでわりかしどうでもいい。
嫌われてはいないが、ここで手を出したら今後どうなるのか予測不能だ。
だからお預けしてるのである。
断じて教官モードがトラウマなワケではない。
決して違う。
照れてしまった楓さんから視線を外して、再び家を見た。
もう突撃しちゃおっか。
童貞じゃあるまい、突撃の経験なんて腐るほどあるし。
扉を吹っ飛ばして銃を片手に突っ込むより、うんと気が楽だ。
「じゃ、ちょっと行って来ますね」
「あ、はい……いってらっしゃい」
車を降りて、玄関に向かう。
うわー、ガラスのスライドドアだ。
ガシャガシャーって鳴るやつ。
でも見た目ほどボロくないぞ。
キレイに磨かれ、よく掃除されている。
インターホン無いから、声出すしかねーか。
「ごめんくださーい」
軽くノックして音も立てる。
とたとたと足音が来た。
おお、ガラス越しにシルエットが見えるな。
ガシャガシャ
ドアがスライドして、出てきたのは女の子だ。
恐らく本人だろう。
前髪は長くて、顔の左半分を隠している。
右も結構長いようだ。
左よりは短いが。
肩過ぎの髪に、上下のネズミ色のスエットを着ている。
身長は160も無いだろう。
あ、そいや最近俺の背が伸びてきて、171センチのなったぞ。
177はほしいな!
で、そんな彼女は俺を無感動な瞳で見上げている。
ただし、口はポカンと開いているが。
金魚みてーだな(笑)
ポカっと開いたお口が、餌を求める金魚そっくりだ。
目の無感動具合がそいつに拍車をかけている。
んま、まずは挨拶からっしょ!
「よ、俺、霧桐冬夜。よろしく!」
ニパッと笑い、知ってるよな? と、右手を出した。
「仲良くしてね、幸村さん。幸村春賀さん!」
金魚な彼女の、春賀の右手を俺がつかんで握手する。
これが俺の、彼女との出会い。
そして春賀の処女喪失まで、残りどれくらいか計算を始めたのだった。
さすが俺ぶれない。




