マッスル神が御降臨‼︎(三十と一夜の短篇第8回)
マッスル神が御降臨!
鉄扇を広げ足元には鉄下駄。
軽くは無いはずだ。だがその重量を一切感じさせない軽やかさで、ヒラリヒラリと舞い踊るはまるで蝶の様。
肩口程の白髪を一つに結えたじい様が、諸肌脱いで舞い踊る。
「どうじゃ」
「いや、そんなドヤ顔で言われても返事の仕方が無いのですが。」
「良いものであろう。」
「え?何が?」
「いや、だから、先程のじゃ」
僅かに頬を染め顎をしきりに撫でているじい様。
「踊りのことですか?僕は歌舞音曲にとんと興味のない人間ですから。他の人間にとってはどれ程素晴らしい物であろうと、その価値を理解できないんですけどね。
つまり、同意を得たいと思うのでしたら、ある程度の価値観の共有が必要なんだと思いますよ、僕は」
「違う!例え言語を異なる者たちであっても、伝わるもんはある筈!筋肉とか、筋肉とか、筋肉とか!」
熱く語るが要は筋肉を見せたかったらしい。
むしろ脱力しか感じられない。
「はあ」
「覇気の無い!見よ!この筋肉を!」
力こぶを作って見せてくれるが、だからどうだとしか言えない。期待された言葉を言うのも自分を裏切る気がして、当たり障りない言葉しか出てこない。
「こう、グッと来ぬか?ムラっとせぬか?」
「いや、一応健全な男子高校生なんで、そういう現象も無いわけでは無いのですが、この場合は該当しませんね。基本は柔らかそうな曲線が好みですよ。スレンダーボディにマスクメロン二つが理想かな」
「つまり?」
「いや、ヤローの大胸筋を見て欲情はしません」
「ぬううん!」
怒りからか、落胆からか謎の発声を上げ固まるじい様。
「すみません、リビドーのカケラも見あたらなくて」
疲れた様に胡座をかいて座り込むじい様は、ゆるゆると頭を横にふる。
「いや、よいよい。仕方のない事。昨今の日本男子は薄くてヒョロくて、でもそれが男臭くなくていいんじゃもの。女の子受け良い清潔感のある草食さ漂うもやしっ子世に憚る訳で」
「落ち着いて下さい」
そう言いながら、マリアナ海溝並みに深い溜息をつく。
いや、良くは無さそうな物凄い落胆ぶりに、何か悪いことをしてしまった様な気がする。
「時代の流れには何人も抗うことは出来ぬ。それは儂等も同じ事。致し方なしじゃ」
急速に変化する人間たちの生活様式に対応すべく神様の世界も日々変革の嵐が吹き荒れているという。だが、この100年、特に今を振り返る事50年での変化は、目覚しいを通り越して空恐ろしいものであった。
神の存在すら信じず、ひたすら拝金主義が横行する世の中では、社も持たない弱小神様は生き残ることさえ危ぶまれると言う。
このじい様は、ある朝目が覚めたら自分の勉強机の上に正座していたのだ。
この勉強机は小学校入学のお祝いに祖父母が買ってくれた物だ。今は昔懐かしいキャラクターの絵が本棚に残っていたり、年季の入った物なのだが普通の子供用勉強机である。
何が言いたいかというと、その机に正座していたじい様は、俺の手のひらサイズというファンタジーそのものの形をしていた。
ちっさいおじさんを見つけてしまったかと思う俺に、礼儀正しく一礼するじい様は、自分の事を『筋肉の神様』と名乗った。
「どうぞ」
机の上に朝ごはんの一部をくすねてきたものを並べる。
ごはん、味噌汁、卵焼きに鮭の切り身が、それぞれ小指の先程の量で醤油皿に乗っている。味噌汁はペットボトルの蓋に入れた。
「かたじけない。が、出来ればプロテイン……バニラ味もあるといいなぁ……」
最後の呟きは無視してやったが、僕は毎日家族に内緒で神様にご飯を調達している。
何しろ行き倒れもいいとこ、世知辛い神様の事情を聞けばヒョロくてうっすいもやしっ子にも仏心が沸こうというもの。
この神様は筋肉の神様、と言うことは願をかけるも、御利益があるのも筋肉に関することだけだ。
そんなピンポイントで狙ったような願いも滅多に無い。御利益を授ける相手がなければ当然知名度が上がろうはずもない。
神札=Gポイント
一枚=1G
但し神様のランクによってノルマ設定されている。
筋肉の神様は毎月1ポイントが目標。
達成出来なければ来月の目標に上乗せ。
不達が−100000Gに達すると人事査定に響くそうだ。
それってどう言う意味か聞きたかったけど……まあ神様の闇に触れそうで怖かったのでやめた。
では神札を売っているのは何処か?と問えば神社で間違いないだろうが、筋肉神社など聞いたことがない。
神札を売ることが出来ない神様はどうするのかと聞けば、人間のささやかなお願い事、日常のほんの小さな願い事を叶えてやり、人間を喜ばせてやることでポイントを稼ぐしか手がないそうだ。
ここで稼ぐポイントはたったの0.1ポイント。
無理だろ。
筋肉に特化したお願い事が月10件もあるか?
お社など夢のまた夢。そんな弱小神様に課せられたノルマは、所謂無理ゲーの域を軽く凌駕する。何というブラック加減。
合掌。
「今日はどうでした?ポイントは溜まりましたか?」
「いんや、ダメじゃ。皆マッチョなどには見向きもしない」
「ガリマッチョ需要はあると思うのですがね」
「ゴリマッチョ担当なんじゃよ儂」
「そうですか」
鉄扇をパチリと鳴らし、勉強机の上に広げられた教科書、参考書、ノートを興味深く覗き込んでいる。
「それはそうと少年、今日は寺子屋は面白かったか?」
「……普通ですよ」
「そうか。平穏無事変わりなし。これが一番じゃでな」
「そうですね」
「昔は徴兵制などあっての、男は皆ガタイの良さに憧れた物じゃが。昨今の風潮も太平の世ゆえであればそれもまた良きことであろう」
嘗ての世界史に残る惨禍を思い起こしているのか、遠い目をした神様が呟いた。暗黒の20世紀をその目で具に眺めたのだろう。それを思えば今の自分の身の回りに起きている事など、どうって事ない。
「僕がゴリマッチョになれればいいのですが」
「人の真摯な願いにより儂の力は呼び出される。
そなたにその願いがあるのか?
無いであろう?じゃからそれは無理なんじゃ。気持ちはありがたいがのう」
そう言って儚げに笑う神様だった。
「何で僕のところに来たんですか?」
「お主自身はマッチョになりたい訳ではないが、筋肉自体は好きなのであろ。みればわかる」
僕の部屋にはレトロなポスターが貼ってある。
ヌンチャクを構えたゲジ眉の兄さんが語り掛けてくるのだ。
Don't think,feel
反対側の壁にはムエタイ選手のポスターがある。
その無言の眼差しは、厳しさの中にも優しさを秘めている。様に見える。
「貧しさから抜け出すために闘う兄もいた。家族を生活を守る為に文字通り命をかける。ただマッチョなだけではない。志しが違うのだ。そんな『漢』の背中に憧れる」
いったん言葉を切り僕を見上げた神様は良い笑顔だ。
「そうであろ?」
「いや、僕ブアカーオは崇拝してますが、彼は比較的裕福な家庭に育ったそうですよ。」
「あ、そう」
「はい」
けれど、気不味い沈黙を破る神様の声は慈愛に満ちていた。
「とにかく、筋肉を慕わしく思う少年の心が心地良かった。
消え行く最期に筋肉を愛する少年に逢えた事、嬉しく思うぞ」
「え⁉︎」
「そろそろの様じゃな。」
神様の身体をキラキラと煌めく光が包み込む。同時にその小さな身体は透明度を増した。
「あ」
不達−100000Gの結果はdelete。
そう言うことか。
「少年、そなたは一人では無いのだ。胸襟を開き対話をすべし。人を恐れるな。」
「か、神様!」
僕はダッフルコートを着込むと、煌めく神様をポケットに詰め込んだ。
視界が揺れる。
メガネが顔で跳ねる。
八百万と言われる神々は、身の回りにある様々な物にも宿るそうだ。
時代の流れや生活様式の変化の中に消えた生活用品は数知れず。それらに宿る神々も同様に消えていく。
僕はまだ子供と言われる中途半端な存在で、神様にプロテインすら買ってやれない。
自分で稼ぐことも出来ないし、マッチョになんてなりたいと思ったこともないし、今後も真剣にそれを願う事も無いだろう。
つまり、神様を助けてやれることなんて無い。
ガリ勉で
運動音痴で
友達いなくて
あだ名はもやしメガネで
困ってるたった一人の友達を助けてやることも出来無い、しょうもない人間なんだ。
雨なんて降ってい無いのに、僕の視界は濡れていて、車道に溢れるライトが光の洪水の様に見えた。
古びたビルの3階の窓ガラスを確認し、意を決して階段を登る。
狭い階段は古くて所々コンクリートがむき出しになっていた。
古びたドアの前で僕はいろんな水分で汚れた顔をハンカチで拭った。
バクバクと音を立てる心臓、震える手足。
怖い。
知らない場所、知らない人、苦手な物だ。
いや、僕は他人が怖い。だから、自分が今からやろうとしている事は、自分でも信じがたい。
でも、ここでやらなきゃ一生後悔する。
そう『感じる』んだ。
もやしメガネが間違っても入ることなどないだろうビルの一室、そのドアを開いた時だった。
男臭い匂いが一気に流れて来た。
「おお、おおお!」
雄叫びの様な声が聞こえた。
それは僕にしか聞こえ無い声だったけど、確かに僕は聞いたんだ。
目の前には、筋骨隆々のお兄さんやおじさん達が黙々とウェイトトレーニングをしている姿があった。
大きな鏡の前でポーズをする男の人もいた。
皆、体脂肪率は10%を切っているに違いない。
神様は、神様は……やっぱり泣いていた。
男泣きってやつかな。
「筋肉じゃ!筋肉の饗宴!漢達の魂のぶつかり稽古!」
「はい」
「筋肉祭りじゃ!」
「わっしょい!」
「ナイスバルク‼︎」
「筋肉冷蔵庫‼︎」
涙で前が見えない。
「君、ボディービルに興味があるのかい?」
「あっ、その、はい。見学させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
僕に話しかけてくれたお兄さんは、浅黒い肌に真っ白な歯が良く映えた。
サムズアップも良く似合う。
おしまい