[2.0]
久しぶり
ーーーふわり、と馴染み深い感覚に体が反応する。
海の底からステンドグラスに差し込む太陽のような輝きへ、きらきらと光が差し込む海面へ浮上していくあの感覚に身を任せていると、いつもと違う感覚に、体が一気に覚醒する。
なんだ…これ…っ!
息ができない。
いや、厳密にいうと違う。
息はできる、が空気がとてつもなく重くて、普段の数倍の力で息を吸い込まないと空気が入ってこないのだ。
胸の中の奥が熱くて、何かを吐き出したいのに吐き出せない。
瞼はふさがっているのに、目に太陽を直視した時のような刺すような痛みが、熱さが、しくしくと自己を主張する。
痛みに息苦しさに足掻きたいのに、四肢が動かない感覚を、自分はどこかで知っている気がした。
どこだかはわからない、漸く記憶の端に手がかかったと思ったらするりと抜けていく感覚。
苦しくて、切なくて、思い出せないことがやるせない。
そんな思考も痛みと熱に流されて、体は未だ不動のまま痛みに呻き、足掻いていると、
唐突に次は首の右後ろに鋭く、じくじくと炙られるような、皮膚がめくられ、肉がえぐられ置き換わっていくような痛みを感じた。
あまりの衝撃に息が詰まり、ただでさえ吸い込めていない空気を求めて頭と目がガンガン痛む。
手を伸ばしたい、抑えたい。
ピクリとも動かない体はそれすら許さなくて、相も変わらず何一つすることが出来ないまま甘んじて痛みを受け続けるしかなかった。
何かが組み変わる。痛みが自分を作り替えていく。
同時に、体はスッと冷え、息苦しさと今まで体を苛んでいた痛みが引いていく。
首筋が熱く脈動する度に自分が自分じゃない、自分に変わっていく。
今まで自分が積み重ねてきたものはそのままに、その上から新たに上書きされていく。
体をバラバラに引き裂くような痛みに、内側から焼き尽くすような熱さに、
水を飲むような息苦しさに、徐々に体が適応していく。
痛いのも、熱いのも、苦しいのもぜんぶ、普通になって何も感じなくなっていく。
水圧に体が馴染んでいくように。
武芸が自身の身になるように。
個人の力として、ここで痛みを感じず普通に息をして生きることが当たり前となるように。
じくじく、じくじく、
首の後ろが熱い。
体は冷え、体を滑る汗の粒すら感じ取れるのに、痛みが引くにつれて首の後ろの違和感が強くなる。
痛くて痛くて、でもそれも次第に感覚が薄れてきて、
気づけば残ったのはじわりと熱い一点と、そこを通った血液が自分のものではないかと思うほど熱くなり全身を廻る感覚だった。
指先が動く。
意識が戻ってから碌に動かなかった体の自由が戻ったことがわかると、急に泣きたくなった。
さっきまでどれだけ痛くて苦しくても涙の一滴すら出やしなかったのに、今になって涙が溢れてきて、前とは違い暖かな光と沁みる涙を感じ瞼を開くと
怪物がいた。
「〜〜〜〜っ!?!?」
慌てて飛び起きようと意識の外で反応した碌に動かない体は、体の中心にほと近い上半身だけを勢い良く飛び上がらせて、
体に引きずられる頭を怪物の顔に思いっきりぶち当ててから、あれは昔の御伽噺に出てくる俗に言う鬼ではないのか、何故こんな所に、とかいろんな考えが頭をよぎったままくらりと暗転する視界とともにベッドに戻り倒れ込んだ。
妙に刺々しく硬いソレはどうやら仮面らしく、仮面をつけている本人は驚いてはいるが俺ほどにはダメージはないようで、あわあわとびっくり慌てた様子でこちらを伺って、白い板のようなものに何かを書き始め、こちらに見せてきた。
『大丈夫ですか?』
「う…うン……」
言いたいこと聞きたいことちょっとした違和感色々あったけれど、どうやらこの変な鬼の人は俺のことを心配していてくれたらしい。
まずはお礼から…と白い板から目を離し仮面に目を向け、あることに気づいた。
ん?あれはヒビか?
俺の頭とこんにちはした時にヒビが入ってしまったのかもしれない。申し訳ないなぁ…。
よくよく見てみると端の方欠けてないかこれ、あとで怒られないかなぁ。取り敢えずお礼を、待て!?
鬼の人はゆっくりとこっちに倒れてきていた。
もう堪えきれないといったように、
幾ばくかの安堵感を口元に浮かべ、
苦痛に身を固めながら。
彼の会話ツールなのだろうか、白い板に
『あぁ――よかった』
そう書き残して。
そう、とても満足そうに書き残して。