俺が彼女を好きになった理由
「おわ、暗い顔!ストーカーばれて真山さんに引かれでもしたか?」
がっくりと肩を落として教室に戻れば、千景が容赦なく声をかけてくる。
千景や灯里と長いこと接していると、他の人は皆聖人に見える。
「おーい、お前マジで大丈夫か?本気で落ち込んでんなら話聞いてやらなくもないぞ」
…まあ、こいつも良いところはほんの少しだけあるけどな。
「…傷心なんだよ、俺は」
そして、破滅的性格ではあるが口はちゃんと固いこいつを信頼してしまっている俺もいるわけで。
「そういや、俺お前の恋のきっかけとか聞いたことなかったな。傷心ついでにすっきり話してすっきりしとけよ」
「それ傷抉るだけじゃねえかよ。すっきりすんのお前だけだろ」
「よし、それだけ言い返す気力あんなら大丈夫だな。言え」
見た目温厚そうで俺様な千景にはもう慣れた。
諦めのため息をついて、俺は記憶をさかのぼった。
もちろん、場所を変えて。
昔から、俺は人にからかわれやすい性格だった。
あまり強く他人に物言えない臆病者のくせに顔立ちが少しばかり目立っていたから、否応なく人の中心に立っていたのだと思う。
本当の俺はそんな人前に出られるような器じゃない。
人に囲まれるような人徳者でもないし、くだらない文句や人の好き嫌いだってたくさんある。
どんなに腹の中で思っていたって臆病風に吹かれて何も言えないだけだ。笑顔で誤魔化してしまえば大抵何とかなった。
でも、そんな俺でも何ともならないことは本当に山のようにあるわけで。
中2の秋の出来事がまさにそれだった。
「明良、俺女装目覚めちゃった」
始まりは、弟のそんな台詞。
「ほら俺服作るのとか好きじゃない?女の体って個人的にすごいツボでさ、エロい意味じゃなく」
「はあ」
「んで、作った服とか気まぐれに自分で着てみたらがっつり似合っちゃってさあ」
別に他人の趣味に口出す気はさらさらないし、はっきり言って興味もあまりなかったから空返事をしていた当時の俺。
灯里の言葉は続いた。
「可愛い服、綺麗な服、シルエットとか研究したいんだよ俺。だから頼む!協力してくれない?」
灯里はいつになく真剣な顔でそう頼んできた。服に関する知識とか灯里の事情なんて正直全然分からなかったが、それでも協力してやりたいと思わせるほどあいつの目は輝いていて。
「…俺にも女装しろって言うなら断るぞ」
「さすがにそれはしないって、キモイし」
毒舌は健在だったが、嬉しそうに俺を頼る弟にくすぐったい思いが胸を占めた。
そんな弟の願いとは女装した自分と街を歩いてほしいとのこと。
自分の作った服や、気になった服が一般人にどう映っているのか自分の目で確かめたいというものだった。
さすがに1人で女装姿で街中を歩く勇気は出なかったらしい。
「ほら、俺そこらの女の子よりよっぽど良い顔してるから世の男共悩殺しちゃったら可哀想じゃん」
本人はそんな強がりを言っていたが、やはり人に変な目で見られることが怖かったのだと思う。
そんな訳で言動は滅茶苦茶でも情熱や真剣さが本気だった灯里に付き合うこと数回。
自分でも言うだけあって女装はお世辞抜きに似合っていた。
他人にバレることなど、一度もなかった。
それは思わぬ方向に事が動くくらい完璧で。
「明良!彼女ができたって本当なの!?」
そう聞かれたのは灯里に協力し始めて一カ月くらい経った頃だろうか。
聞いてきたのは、よく俺に声をかけてくるクラスメイト。
見た目がすこし派手で言動が若干キツイこともあるが、自分の夢や好きなことに対して必死に努力を重ねる女子だった。
悪い奴じゃないけどいったん暴走するとあたり構わず突っ走ってしまう存在にどう説明するべきかと悩んでいた俺。
さすがにあれだけ毎日猛アタックされていてその想いに気付けないほど鈍くもなかったから、尚更言葉に困った。
そんなやっぱりしっかりできない俺の沈黙を肯定と受け取ったそいつが行動を起こすのは早かった。
「明良、あれ明良のクラスのお姉さんじゃない?なんか、つけられてんだけど」
それはその後に灯里と出かけた時のこと。
しばらく小遣いをためてやっと買ったと言うとあるブランドのワンピースを着た灯里が低い声で言っていた。
一番に事態を理解していたはずなのに結局中途半端な対応しかできていなった俺はまんまと追跡されていたようで。
灯里の顔は少し青くなっていた。帽子を目深に被ってずっと後ろを警戒している。
もし今声をかけられるか灯里を1人にしてあの女子達に詰め寄られてしまえば、灯里のことがばれてしまう。
それがどういうことなのか灯里はよく理解していた。こいつは人の感情の機微にひどく敏感な奴だったから。
気丈に振舞っていたが内心では不安と恐怖が占めていたのだろう。当時まだ中1の灯里だ、無理もなかった。
「悪い灯里、俺の落ち度だ。とにかく撒くぞ、人ごみにさえ入っちまえば大丈夫だ。後はどっかに隠れてろ、俺が何とかするから」
間抜けすぎる自分に対する嫌悪感も重なって、そう灯里に声をかければ無言で頷いた灯里。
幸い運動神経の悪くなかった俺達は、うまいこと撒くことに成功した。
…が、まさかその逃げた先に同じ服を着た女子がいるなんて思わなかった。
背丈も当時の灯里と同じくらいで。
確か灯里の言うことには、そのワンピースはそこそこ高いブランド物だから普通の女子中高生には手が出せない服だったはず。
「うっわ、マンガみたいに最悪な展開」
軽口を叩いていたけど、罪悪感を持っていたらしい灯里はどこか落ちつかない様子でその女の子をジッと見つめていた。
すると、これまた想像していた最悪のシナリオ通りにあの女子達が女の子の元に一直線に走っていて。
「…お前、ここいろ。ヤバくなったら好きに動け。いいな」
全く関係のない他人を巻き込むわけには当然いかない。慌てて俺は人ごみに身を乗り出した。
「何のつもりよ!明良は皆のものなのに、あんたみたいな地味なのが抜け駆けなんて生意気なのよ!」
人の波をかき分けるのは、意外と大変だ。
それでも何とかくぐり抜けて現場に向かえば、すでにそこは修羅場と化していた。
罪もないその少女の頬は痛々しいくらい真っ赤だったわけで。
頭が真っ白になったのを今も覚えている。
どうするべきなのか。
巻き込んだ子に何と謝れば。
そんな愚図愚図したことを考えていた当時の俺。
しかし予想に反して被害者であるはずの女の子は、とても男前で優しい気性だったようだ。
「お姉さん達も彼を大好きという気持ちはすごく伝わります。でも、私も大好きなんです。だからごめんなさい」
その場の状況をそれとなく察知して手を貸してくれるようなそんな子だった。
頬を腫らしていると言うのに怒るでもなくまっすぐ顔を上げる姿に面食らっていた俺。
気付けばクラスメイト達は走り去っていて、そこでやっと我に返った俺は慌てて謝罪の言葉を口にする。
どこまでも情けない姿だったと今でも思う。
しかし誰もが顔をしかめて頬の赤い彼女を見つめている中、張本人である彼女はそれは綺麗に笑ったのだ。
「今度は彼女さんをしっかり守ってあげて下さいね」
そう言って指差すのは、遠くから様子を見守る灯里の方向。
何も気にしない様子で巻き込んだ俺にまで優しく微笑む名も知らない彼女に一目ぼれ。
なんの文句もなく潔く去ってしまったその子の名前を聞きそびれてしまったこと、何度後悔しただろうか。
だから、学校で偶然その子を見つけた時の俺の喜びと言ったらなかった。
「明良、あんなことしてごめん。明良がそんなに真剣だったなんて知らなかった、本当ごめんね。あの子にも謝ってくる」
後日談として、彼女の頬を引っぱたいたクラスメイト達はそう謝って来た。
あまりに俺が彼女を見つめるものだから、その想いの真剣さに気付いたらしい。
結局のところあんなことをしてしまった女子達も根っからの悪い奴らじゃなかったんだと思う。被害を被ってしまった彼女には本当申し訳ないと思うけど。
そんな形で、その子のおかげで一件落着したのが中2の秋のこと。
そこから、お礼を言うこともできない臆病な自分に嫌気がさしながら、それでも何としても彼女のことが知りたくて。
その内、少しずつ彼女のことを知っていった。
真山陽菜さん。
決して目立つ方ではないけど、自分の考えを持ちつつ周りの意見もちゃんと受け入れるしっかり者。
その視線はいつも強くて、それなのに人を攻撃することはほとんどない。
大抵のことはのらりくらりと時に大胆な嘘をつきつつ交わしてしまう。
地味で変わり者という評が彼女の周りではついているらしい。
半ば悪口にも聞こえるそんな評価も、きっと彼女は「あぁ、そうかもね」と受け入れてしまうんだと思った。
彼女はいつも教室にひとりぽつんといるというのにけろりとして、他の女子達とも普通に会話をこなしている。
時折笑顔を交えながら誰とでも話しかけられれば気さくに話せてしまう彼女を変わり者と言う者はいても、悪く言う奴は見当たらない。
そんな彼女がどうやらこの地区でそこそこ偏差値の高い高校を目指しているということを知ったのは中3になってすぐのことだった。
お世辞にも高い学力があるとは言えない俺の頭。
それでも、どうしても彼女と同じ学校に通いたい。クラスが遠く未だ話しかける機会すら得られない情けない俺だけど、できることならばもう少し近いところにいきたい。
彼女を知れば知るほど好きな気持ちは増していく。
初恋とも言える想いは、想像以上に激しく強いものだった。
この想いをちゃんと告げたい。
貰った恩に礼を言うことすらできない情けない俺だけど。
でも、少しでもあの凛とした女の子に見合う自分になって真っ直ぐその目を真正面から見れるように。
奮い立たせたその気持ちは、俺を机に向かわせるには最強の魔法だった。
そうしてガンガン上がった成績に親は歓喜し、何かを悟った弟は面白そうに眺められながら、奇跡の合格劇は現実となった。
最初の年は違うクラスになってしまったが、2年目は大当たり。
今年こそは何としてでも。
そんな気合十分な心とは裏腹にやはり臆病風に吹かれて中々近づけない俺だったけど、同じ空間にいるだけで幸せだった。
そう、幸せだったんだ。
森崎と真山さんの関係を知るついさっきまでは、本当に。
「なるほどねー、お前自分がヘタレだって自覚あったのな」
「…そこかよ、感心するとこは」
素直に答えてやれば、返ってきたのは全く的外れなもの。
まあ、でももう慣れた。
それにあまり突っ込まれると気恥ずかしいから、反応なんてこんなもんで良いのかも知れない。
そう自己完結させる俺。
「でもお前、良いのかよ。んな好きならとっとと告りゃあ良いだろが」
半分呆れたようにそう告げてくる千景にため息一つついた。
「出来たら苦労しねえよ、てか真山さん彼氏いんだろが」
「…はあ?」
過去の話をさらけた余韻か、すらすらと本心が出てくる。
そうだ、俺の失恋は今日確定してしまった。
いくらなんでも彼氏持ちの女の子を惑わすようなことは俺にはできない。
しかし、そんな俺の意志とは反対に千景は心底分からないという風に間抜けた声をあげてきた。
「真山さんに彼氏いるなんて聞いた事ねえけど。てかぶっちゃけいなさそうじゃね、あの子には」
「おい、失礼だろが。それにいるんだっつの、今日森崎と真山さんがそういう関係だっていう会話してんの聞いたし俺」
「はあ?仁くん?」
これだけ証拠を提示しても千景は心底訳が分からないとばかりに首を傾げていた。
「いや、ないない。ありえねえっつの。仁くんはもっとこう、セクシー系だろ相手」
「なんの妄想だよ」
「妄想じゃなくて普通考えれば分かんだろ、真山さんはねえわ。だって真山さんじゃ色気が足り…いたっ」
「…お前ふざけたことばっかぬかしてんじゃねえよ、ボケが」
「ううわ、珍しく本気だなお前」
はたから聞けば、くだらなすぎる会話の内容。
しかし、そんな俺達の会話は次の瞬間あっさりと止まった。
「何の話してるの、明良に千景兄」
気配もなく突然俺達の中に割り込んできたのは弟だった。
灯里はそれはもう胡散臭い爽やかさで笑っている。
「おう、どうした灯里」
「いやー、千景兄。俺今日は色々カルチャーショックと言うか衝撃的というか、良い体験しちゃった」
ああ、こいつまたろくでもないことに首突っ込んだな。
そう分かるくらいキラキラと輝く目にため息が出る。
そんな時、灯里がぐるりとこっちを見つめてきた。
灯里の顔が好きでしょうがない女子達曰く“天使の頬笑み”。
俺からしてみれば悪魔の含み笑いだ。
「明良、俺今日陽菜ちゃん家に遊びに行ってくるね」
「…は!?」
そして言われた言葉が予想外すぎて頭が真っ白になる。
横で千景が面白そうに笑っているが、気にしている余裕なんてあるわけがない。
灯里はニッと笑って俺に追い打ちをかけた。
「俺、陽菜ちゃん好きだわ。だから友達になっちゃった」
それはもう上機嫌に笑う灯里に、俺は何も言えなかった。