弟の心情(side 灯里)
「お前は本当に俺に喧嘩売りたいらしいなあ、灯里」
「げ…何で俺いること気付いちゃったの仁くん。こっそり盗み聞きしようとしてたのに」
「お前の腐った思考回路くらい猿でも分かるわ、ボケ」
「…完っ璧、怒ってますよね仁くん。いや、もう本当ごめんて。これくらいしか思いつかなくてさ」
「嘘つけ。お前楽しそうに計画立てたんだろ、さっきニヤけてこっち見てた奴が何ぬかしてんだ」
「…うん、本当仁くんが保健医なせいで俺悪さ出来ないよ」
授業が始まり人気のない中庭。
その隅で楽しそうに笑い合うカップルを遠目に見つめながら、俺達はそんな会話を交わす。
あんな不機嫌そうなオーラ全開だったくせして何だかんだでここまで様子を見に来るあたり、仁くんも少しは気にかけていたんだろう。
俺の知る仁くんはそういう人だ。
昔から自分が普通とどこまでも違うのを俺は理解していた。
その上病弱で色白い肌に女顔の自分はよくよくいじめの対象なんかにもなっている。
生まれ持ったもので理不尽に攻められ続けるうちに性格が歪んでしまったのは仕方ない。
どうすれば人に舐められないか、馬鹿にされないか、そんなことばかり考えてきた。
散々馬鹿にされた顔を逆に武器にしていつでも天使のように笑う仮面を付けることが癖になった。
どうやらそんな張りつめた毎日はずいぶんと自分のストレスになっていたみたいだ。
ずっと仮面を付けたままクラスの中に放り込まれるのはしんどくて、病弱だった昔の自分の設定を持ちだしてはしょっちゅう授業をさぼり保健室に足を向けていた俺。
不思議なことにあんなに普段から口の悪くて俺様な仁くんは、そんな俺を一度だって怒ろうとはしなかった。
俺の行動が度を過ぎた時にはかなり本気のオーラで怒るけど、俺が本当に参っている時には逃げ場所をくれる人。
おおよそ保健室の先生なんて似合わない見た目だけど、この人は良い先生だと思う。
そんな存在を利用することに何の躊躇いもなかったかと聞かれると、返答に困ってしまう。
でも、本当にそれしか思いつけなくなっていたんだ、悔しいことに。
少しばかり荒業を使った兄貴と陽菜ちゃんのくっつけ作戦。
これくらいのことしなきゃ動けない兄貴のお人好しっぷりには毎回呆れてしまう。
他人に費やす時間をもう少し自分のために使えば、俺とは違って何でも手に入れてしまえるような人間だと言うのに。
そんなため息を笑顔と共に吐き出せば、やっと心が落ち着いた気がした。
「まあまあ、結果オーライじゃんか」
陽気に仁くんを振り向けば、大層冷めた目で見下ろされる。うん、怖い。
「お前、もう少しその性格矯正しねえと将来損するぞ」
「あはは、なにそれまさか体験談?心配しなくても俺、そこそこ器用だから大丈夫だって」
「陽菜ひとりに動揺してたくせにか?無理すんな、お前は無駄に賢いから自覚してんだろが」
俺の中の核心をついてくる仁くんの言葉に思わず眉が寄る。
この人、本当に普段どうでも良さそうな顔してるくせ妙に鋭い。
「で、良いのか」
「なにが?」
「とぼけなくて良い、ヒヨコのことだよ」
淡々とだるそうにしながら続く鋭い言葉。
ああ、もう本当この人嫌いだ。
そう思って、笑ってしまった。
結局年の功なのか何なのか分からないけど、俺はどうあがいたって仁くんには勝てないらしい。さすがは珍しく俺が負けを認めた男だ。
「気付かれてると思ってなかったんだけどな~」
軽口を叩きながら、まだ笑い合っている遠くの2人を見つめる俺。
ぎこちないながらも楽しそうに笑っている陽菜ちゃんに、胸がカッと熱くなるのを感じた。
ああ、本当に厄介な話だ。
最初っから分かっていた話なのに、コントロールできなかった。悔しいから絶対誰にも言わないけど。
陽菜ちゃんが幸せなら良いなんて、そんなの嘘だ。
俺には絶対言えない。
俺は俺自身が幸せじゃなきゃ嫌だから。
「きっと、そこの差なんだろうな」
「あ?」
「何でもない」
予想外の感情に振り回されるなんて俺らしくない。
そう考えてしまう時点で俺は結局明良には敵わないんだろう。
きっと明良は何に振り回されても、流されても、陽菜ちゃんが笑っている姿が好きだと言ってしまえるから。その為に自分がどんなに損をしようと、それすら笑いに変えてしまえるすごい才能がある。
そして、陽菜ちゃんが好きなのはそんな兄貴だからこそだ。
俺より明良には不器用な面が多い。
人から見れば欠点はおそらく明良の方が多いだろう。
それでも人を簡単には切り捨てない明良。
性格が歪んでいてその上女装趣味なんて持つこの上なく面倒なタイプの弟を、明良はわりとあっさり受け入れてしまった。
そういう器の広い所を感じるたびに強い劣等感に苛まれることなどあの兄は知らないんだろう。
そしてそういうところをしっかり見極め好きになった陽菜ちゃんは、やっぱりとんでもなく良い女なんだと思う。見た目なんかじゃなく中身がちゃんと寄り添ったお似合いの2人だ。俺の目からは疑いようもなくそう映る。
ああ、本当に悔しい。
自分でくっつけるような真似をしておいて何だけど、本当は俺が陽菜ちゃんの横に立っていたかった。
それでも2人を見ていると敵わないと思ってしまったんだ。
だからせめて2人の傍に長くいる権利が欲しいと、こんな手荒な真似をしてしまった。
俺だって本当はそんな2人を傷つける気なんてなかったけど、自分の陽菜ちゃんに対する感情が抑えられなかったのだ。
これ以上俺が期待してしまって冗談じゃなく本気で迫ったらきっと、明良とも陽菜ちゃんとも絆を深められない。
そう分かってしまったから。
「いいんだよ、別に。これで陽菜ちゃんの弟ポジションゲットできるわけだし」
「気早えよ」
「そうかな?兄貴ってめっちゃ粘着質だから大好きな陽菜ちゃん離す真似なんてしないと思うけど」
そう笑って、空を見上げる。
思っていたより胸が痛くて、そして、思ったより清々しい気持ちだったのが何だかすごく癪だ。
「っとに不器用だなお前は。もう少し自分を大事にしろ、こんな方法ばっか取ってると自分を傷つけるだけだろうが」
「…うん、気が向いたらね。心配しなくてももう明良や陽菜ちゃんにこういうことはしないよ」
「2人だけじゃなくてだよ。お前は自分が思ってるより他人からちゃんと想われてる。そう言う奴等を大事にできるようになれ」
「うわ、仁くんが真面目だと何か胡散臭いね」
「うるせえ、たまには俺だって説教したくなんだよ。茶化すな、ボケ」
仁くんが教師らしく俺を諭すと、不意に木陰から千景兄の姿が見える。
どうやらあの見た目王子様・中身俺様な千景兄も何だかんだ心配していたらしい。
目を通わせ苦笑した俺達は、遠くで未だにそんな俺達に気付く気配も見せず笑い合うカップルに目を向ける。
視線の先の2人は、お互い顔を真っ赤に染めながら幸せそうに笑っていた。
全く癪なことに、その顔を見ていると俺まで幸せな気分になってしまった。