埋葬許可官の私、まだ生きている侯爵令嬢の埋葬申請を受け取りました
人が亡くなったあとには、埋葬だけでなく、相続や土地や契約まで動き始めます。
これは、その最初の一枚に印を押す仕事をしている女性の話です。
朝一番の申請書は、たいてい一度では通らない。
死亡時刻が「夜ごろ」だったり、埋葬場所が「いつもの墓地」だったりする。
死亡者本人の署名欄まで律儀に埋めてある書類を見た時は、さすがに返送理由をどう書くか迷った。
王都衛生局、埋葬許可課。
七年ここにいる私は、死者を埋める仕事ではなく、埋めてよい書類かどうかを見る仕事をしている。
「ノエル。悪いけど、これ先に見て」
同僚のエマが、薄い革表紙を私の机へ滑らせた。
「アーデン侯爵家。遺体を今日の午後には領地へ運びたいそうよ」
「今日?」
「昨日の事故だって。急ぎ扱い」
私は昼用に持ってきた胡桃パンを引き出しへ戻した。
まだ朝なのに、食べる時間がなくなる予感だけはする。
表紙を開く。
死亡者――セシリア・アーデン。
アーデン侯爵家長女、二十一歳。
死亡日時――昨日、十四時十分。
死因――街道上での馬車事故による全身損傷。
地方医師の死亡証明。
警備隊の事故記録。
侯爵家側の身元確認書。
不備は見当たらない。
私は二枚目をめくり、もう一度一枚目へ戻った。
「……エマ」
「今度は何が足りない?」
「足りないんじゃなくて」
机の端から前日の受付簿を引っ張り出す。
紙の角で指を切りかけた。
「この方、昨日ここに来ています」
エマがこちらを向いた。
「誰が?」
「死亡者本人」
受付簿には時刻まで残っている。
十六時三十二分。
セシリア・アーデン。
身分札確認済み。
本人署名あり。
申請内容は、私有墓地保全登録の事前相談。
死亡したとされる時刻から、二時間二十二分後だった。
◇
顔も覚えていた。
栗色の髪を自分でまとめて、地図の筒を抱えていた若い女性だ。
飾り気のない外套だったので、名前を見るまで侯爵令嬢だとは思わなかった。
「この土地、祖母から私が相続したんです」
昨日の彼女は、私の机いっぱいに古い地図を広げた。
「北街道の新しいルートが、ここを通る予定で」
指先が小さな丘を示す。
「祖母のお墓があります。ただ、王都の墓地台帳には載っていなくて」
「土地そのものは、あなたの名義?」
「はい。街道局から買い取りの話も来ています。道を通すことには反対していません。でも、墓がどこまであるか分からないまま掘られるのは嫌なんです」
「古い私有墓地なら、石のない墓が残っていることもあります。先に現地確認を入れましょう」
そう伝えると、彼女は肩の力を抜いた。
その本人が、二時間前に死んでいたことになっている。
私は埋葬申請の表紙に保留札を挟んだ。
「侯爵家、もう移送の馬車まで頼んでるそうだけど」
エマが言う。
「悪いけど止めてもらう」
「怒られそうね」
「生きている人を埋めるよりはいいでしょう」
「それは、まあ」
私は侯爵家の王都連絡所と、昨日セシリアが記載した宿へ、それぞれ使いを出した。
侯爵家から返事が届くより先に、セシリア本人が走ってきた。
◇
「私、死んだことになっているんですか?」
「書類の上では」
「そんなことあります?」
「私も七年で初めてです」
椅子を勧めると、セシリアは座らず、申請書を覗き込んだ。
「死亡時刻、昨日の十四時十分……」
「その時間は?」
「王都へ向かっていました。北門には十五時前に着いています」
「証明できる人はいますか」
「乗合馬車の御者と、宿の主人が」
「では、あなたが亡くなったという記録は止められます」
そこで彼女は安心しなかった。
「事故の馬車は?」
私はすぐには答えなかった。
「元々、あなたが乗っていた馬車ですね」
セシリアの顔から色が引いた。
話を聞くと、昨日の朝、領地から王都へ向かう途中で車輪の軸に異常が出たらしい。
ちょうど王都行きの乗合馬車に空席が一つだけあり、墓地の相談予約に間に合わせるため、セシリアだけが乗り換えた。
侯爵家の馬車は修理後に追ってくる予定だった。
「屋敷には、乗り換えたことを?」
「街道宿から伝言を頼みました。でも、事故の知らせの方が先に届いたみたいです」
「元の馬車には?」
「御者と、侍女のマリアが」
「荷物は」
「ほとんど残しました」
セシリアが、自分の肩へ手をやった。
「侯爵家の紋章入りの外套も。朝、マリアが寒いと言うから貸して……鞄も、ブローチも向こうです」
事故記録には、焼けた馬車のそばで侯爵家の外套と、セシリアの名前が刻まれた旅行鞄が見つかったとある。
女性の遺体は損傷が激しく、顔では確認できなかった。
書類だけを読めば、間違えた理由は分かる。
分かるからこそ、嫌だった。
「遺体は今どこに?」
セシリアが聞いた。
「王都南の安置所です。許可が出れば領地へ移送する予定でした」
「棺の名前は?」
答えに詰まった。
申請書の名前と同じなら、当然――。
「セシリア・アーデン、です」
彼女は目を閉じた。
ほんの数秒だった。
「外してください」
「はい」
「まだマリアだと決まったわけじゃない。でも、少なくとも私ではありません」
私は呼び鈴を鳴らし、安置所への訂正連絡を先に頼んだ。
それから新しい身元確認票を取り出す。
「侍女の方のお名前を、フルネームでお願いします」
「マリア・ベル。二十四歳です」
◇
昼前、王都連絡所に出ていたアーデン侯爵家の家令グレアムが到着した。
部屋に入り、セシリアを見た途端に足が止まった。
「……お嬢様?」
その声だけで故意の偽装ではない、と決めつけるつもりはなかった。
ただ、彼の手から書類鞄が落ちたのを見て、少なくとも今この瞬間に驚いていることだけは分かった。
「グレアム。どうして私の埋葬申請が出ているの」
「警備隊から事故の報告がありました。紋章入りの外套と、お嬢様のお荷物が現場に。遺体は……確認できる状態ではなく」
「それで私だと」
「はい。現場へ向かった当家の従僕にも所持品を確認させ、その報告を受けて私が身元確認書に署名しました」
グレアムは床の鞄を拾わなかった。
「申し訳ございません」
セシリアはすぐには返さなかった。
「マリアだったら」
「……はい」
「私の名前で棺に入れられていたの?」
グレアムの顔が強張った。
「今、外してもらいました」
私が答える。
セシリアは一度だけ頷いた。
「なら、次はマリアの名前を確かめてください。謝るのはそのあとでいいです」
グレアムが深く頭を下げた。
私は申請書を閉じる。
「埋葬申請は保留のままです。事故記録と死亡証明も、身元欄を未確定へ戻してもらいます」
「手配します」
「それから、セシリア様の死亡を前提に動かした手続きがあれば教えてください」
そこで返事が一拍遅れた。
セシリアも気づいた。
「何を動かしたの?」
「北街道の用地です」
グレアムは諦めたように息を吐いた。
「正式な名義変更はまだです。ただ、お嬢様がお亡くなりになったと判断し、土地を相続予定の侯爵様名義で売却するための書類を街道局へ回しました」
「昨日の今日で?」
「街道局から回答期限を切られておりました。冬前に着工できなければ、北部の輸送路整備が一年遅れると」
「道を止めたいわけじゃないって、何度も言ったでしょう」
「存じています。しかし、墓地の範囲が確定するまで契約できないというお話でしたので……」
「だから私が死んだら早い、と?」
「そういう意味では」
「結果は同じよ」
声を荒らげてはいなかった。
そのせいで、グレアムは余計に返す言葉がなさそうだった。
私は彼らの家族の話に口を挟む気はない。
ただ、昨日の相談票を机へ置いた。
「土地は現在もセシリア様名義です。死亡の前提が崩れた以上、売却手続きは本人との交渉に戻してください」
「承知しました」
「それと、墓地の現地確認は予定通り行います。確認が済むまで、その区画は掘れません」
グレアムが額を押さえた。
「街道局が喜びませんな」
「私も明日、半日馬車に乗るので嬉しくありません」
エマが隣で咳をした。笑ったのかもしれない。
◇
翌日、私は現地へ向かった。
現場仕事用の靴は嫌いだ。
土が入るし、役所へ戻ったあと机の下が砂だらけになる。
それでも今回は、書類だけでは済まない。
街道予定地は、アーデン家の屋敷から少し離れた低い丘を横切っていた。
新しい墓碑の周りに、古い石がまばらに立っている。
文字の消えたものも多い。
「祖母はここです」
セシリアが、花の置かれた墓碑を示した。
私は丘の端を見回す。
「お祖母様は、この土地について何か残していませんでしたか」
「『勝手に掘らせないで』とは。それだけです」
「かなり重要なところを省きましたね」
「祖母はそういう人でした」
困ったように笑う。
グレアムが屋敷の保管庫から持ち出した古い埋葬台帳を広げた。
家族の名前が続いたあと、途中から筆跡が変わる。
八十六年前。
熱病流行時、領内で死亡した者を丘へ埋葬。
その下に四十三人分の名前があった。
農夫、織工、旅商人。
子どもの名前もある。
姓の書かれていない者もいた。
私は街道計画図を横へ並べた。
予定線は、丘の真ん中を抜けている。
「……まずいですか」
グレアムが聞く。
「かなり」
「八十六年前の墓でも?」
「年数の問題ではありません。ここに誰が埋まっているか分かった以上、無かったことにはできません」
「全員を改葬するなら?」
「できます。遺族確認、改葬先、掘削立会い。四十三人分」
グレアムが黙る。
セシリアは計画図を覗き込んだ。
「道をずらす方が早そうですね」
「たぶん」
「街道局の人、嫌な顔するでしょうね」
「そこはもう諦めてもらいましょう」
言ったあとで、私は靴の中に入った砂を気にした。
こういう時に限って、帰りの馬車は長い。
◇
事故で亡くなった女性がマリア・ベルだと確認できたのは、その日の夕方だった。
決め手は一つではない。
遺体から見つかった、母親の名前が内側に刻まれた指輪。
セシリアがそれをマリアのものだと確認した。
さらに侯爵家の医師が、マリアが幼い頃に折った左手首の古い骨折痕を診療記録と照合した。
年齢と体格も一致した。
今度は、名前を急がなかった。
私は訂正された死亡証明を受け取る。
死亡者――マリア・ベル、二十四歳。
死亡時刻――事故当日、十四時十分。
申請人――アーデン侯爵家。
埋葬場所――アーデン家私有墓地。
そこまで読んで、私は止まった。
「すみません」
グレアムが嫌そうな顔をした。
「まだ何か」
「墓地が今、保全確認中です」
「……そうでした」
「別の墓地なら先に許可できます」
横にいたセシリアが首を振った。
「待ちます」
「安置費用がかかりますよ」
「私が出します」
彼女は訂正された書類の名前を見たまま言った。
「できれば、祖母の近くに埋めたいんです」
「家族墓地ですが」
「五年、私の朝寝坊を起こした人です。家族じゃないなら、何だったんでしょうね」
少し笑った。
すぐに目元を押さえたので、私は書類を見ることにした。
グレアムも、今度は先回りして何かを決めなかった。
◇
街道は、丘を避ける形に引き直された。
遠回りは百メートルあまり。
工期は延びたが、四十三人を改葬するよりは早いという結論になった。
土地の売却契約には、セシリア本人が署名した。
彼女が求めたのは、丘へ続く歩道と柵を残すこと。
用地価格は、最初に提示されていた額のままだった。
三週間後。
私の机に、マリア・ベルの埋葬申請が戻ってきた。
今度は身元欄にも、墓地欄にも訂正はない。
備考欄に一文だけ追加されていた。
『墓碑には、マリア・ベルと記すこと』
私はそこを二度読んだ。
最初の申請書には、その名前がどこにもなかった。
印章を取った。
朱肉が少し薄い。
一度つけ直してから、紙へ押す。
マリア・ベル。
その名前の下に、許可印が残った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「ファンタジー世界にも、埋葬を許可する人がいるのではないか」
というところから作った職業ものです。
誰かが亡くなると、埋葬だけでなく相続や土地や契約まで動き始めます。
今回は、その最初の一枚を確認する仕事を主人公にしました。
楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで反応をいただけると、今後の作品づくりの参考になります。
空席あり




