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煩音  作者: 黒猫ミー助
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6/6

◆6 カウンセリング




 「早く帰りたいだろうけど…ゴメンね。

 残業つけるからね。タイムカードはコレが終わった後に押して下さい」

 「あ…はい。ありがとうございます」

 朝7時15分。

 夜勤明けの酒山は、防災センター内にある施設長の執務室に居た。


 早朝勤務の佐々井・山野辺警備員と交代し、着替えて帰ろうとしていた時、突然、酒山は拝島に呼び止められ、彼の部屋に招かれた。

 「あ…あの、僕、何かしてしまいましたか?」

 小さな流しでお湯を用意している拝島の背中。それを上目遣いで追う酒山。

 彼は客用の立派な椅子に座らされ、所在なさげに背中を丸め、組んだ手の指をしきりに動かしている。


 「ん?…ああ!違う違う。そうじゃない……」

 軽く手を振りながら戸棚を開け、ティーセットを取り出す拝島。

 「紅茶は好きか?…それとも、コーヒー?」

 拝島の質問に少し狼狽えた後、酒山はコーヒーと呟いた。

 「コーヒーか!コーヒーなら良いのがあるぞ。…ドリップバッグだけどね」

 挽きマメじゃなくてゴメンね…と苦笑いしながら、慣れた手つきでお湯を注ぐ。

 「はい。どうぞ」

 酒山の前にそれを差し出し、自分は向かいの席に座った。


 「…どうぞ?

 まだ熱いかも知れないから、気を付けて」

 コーヒーを見下ろしたまま動かない酒山を見て、再度勧める拝島。

 「あ…い、いただきます!」

 酒山が口をつけるのを見て、ニコニコと微笑みながら見つめている。


 手に持ったカップを受け皿に戻し、酒山は顔を上げた。

 「そ…それで、お話とは…?」

 少しだけ緊張の解れた様子で、口を開いた。


 「お話というか、単なるカウンセリングだよ。

 定期的に行ってる…福利厚生の一環だね」

 此処に勤める設備技能士や警備員達全員を担当するのが私なんだ…と、拝島は付け加えた。

 「困ってる事は無いかな?

 仕事中にされて嫌だった事や気になった事、何でも良いよ」

 そう言って、ニコリと笑った。



 拝島の『気になる事』という言葉に、酒山は僅かに反応した。

 少し口を開いたが、言葉にするのを躊躇(ちゅうちょ)し、視線を彷徨わせるだけだった。


 「何でも良いんだよ?

 例えば、北階段の異音に関する事でも、深夜発報でも…何でも」

 酒山は困った様に頬を搔いた。


 「…スミマセン。

 中神先輩も書き込んでるし、何度も何度も同じ事を書き込むのは…ご迷惑だとは思ったのですが…」

 いつまで経っても問題が解決しない…その様に愚痴っている様に見えたかも知れない。

 施設設備全般の統括責任者である拝島に向けて、嫌味として受け取られたかもしれない。

 …と、酒山は恐縮しながら呟いた。


 「…そんな事を心配してたのか?」

 軽く首を傾げながら、拝島は答えた。

 「まぁ…確かに。

 いつまでも壁内の異音を止められないのは、私の力不足の所為ではある」

 そう言って頭を下げた。


 「施設長を責めてる訳では…!」

 慌てて拝島の謝罪を止める。

 「原因は…判っているんだけどね」

 彼の発した言葉に驚き、酒山は目を見開いた。



 「ウォーターハンマー現象って知ってる?」

 拝島の質問に、酒山は首を横に振って答えた。


 拝島は、机にあったメモ帳とペンを手に取る。

 「水道管の内圧が急激に変化する事で、管内から大きな音が鳴る…そんな現象があってね…」

 そう言って、メモ帳に簡単な絵を描いていく。

 漫画の様にコマ割りを描き、水道管の中から音が鳴る仕組みを理解り易く説明した。

 酒山は彼の描いた絵を見つつ、何度も首を縦に振った。


 「…と、こんな原理で音が鳴る」

 そう言って、拝島はペンを置いた。

 「しかし、何故階段で音が鳴るのですか?」

 授業を受けている生徒の様に、酒山は質問した。

 拝島は再度ペンを取り、今度は建物の見取り図を描いた。


 拝島の図には、北階段と従業員用通路、それに併設されている客用女子トイレが描かれている。

 「ほら…ここだ。隣接しているだろう?」

 そう言って、拝島は北階段と客用女子トイレを隔てる壁をペンでなぞる。

 「そして、こちらも」

 今度は、客用女子トイレと従業員用女子トイレの壁をなぞった。

 「通路を通って行くと遠回りになるので、意外と知らない人が多いんだが……」

 客用女子トイレ、従業員用女子トイレ、北階段。

 全て隣接していた。


 「君達がノック音を聞いたと言っている所が此処だね」

 そう言いながら、両方の女子トイレと北階段の間の壁を指差す。

 「ここ…壁に見えるけど、この中には大きな配管用のスペースがあってね」

 北側水回りの全てが、北階段の異音のする壁の中に収まっている…と拝島は説明した。

 

 「閉店作業の間、清掃員が従業員用トイレの掃除に入るのだけれどね。その時に大量の水を使うので、その所為で配管内の圧力が変化してね…」

 それで壁の中からノック音が鳴るんだよ…と、拝島は解説を終えてペンを置いた。

 「成る程…。理解れば大した事では無いのですね」

 酒山は、憑き物が落ちた様なスッキリとした顔で拝島を見た。

 その顔を見て、拝島は少し困った様に笑い返した。



 「じゃあ…深夜発報の原因も判っているのですか?」

 続けて酒山は、毎晩定時に鳴るセンサーに関して訊ねた。

 「…まあね。

 ただアレは、判っている…と言うより、恐らくは『そう』なのだろうな…と言う程度の事なんだ」

 曖昧な答えに、酒山は首を傾げた。


 拝島は三度(みたび)ペンを持ち、今度は電気配線の図を書き出した。

 簡単に描いた配線図。それを、先程描いた三階女子トイレ図面に重ね合わせる。

 「ほら…此処にセンサーが来てる…。

 その配線が此処を通って……」

 ペン先で、センサーが感知した熱源情報を防災センターの警報盤まで届ける配線をなぞる。

 「恐らく、この辺りの配線が混在しているあたり…。

 此処に各種タイマー配線を纏めてあるボックスがあるのだけれど…」

 そう言いながらパイプスペースの辺りを指差した。

 「此処をネズミか何かが齧った所為で被覆が剥がれ……つまり、電気信号が混線している…のだろう」

 そう言ってペンを置いた。


 「成る程…。タイマーで決められた時間に送られた信号をセンサーの配線が拾って…と、言う事ですね」

 酒山は何度も頷きながら、拝島の描いた配線図を見返した。

 「そうそう。理解が早いね。

 鷹梨さん達が『優秀な新人』だ…と褒めるだけの事はある!」

 拝島はニコニコしながら膝を叩く。

 酒山は少し照れながら頬を掻いた。


 「でも…其処まで原因が判っていて、なんで修理しないのですか?

 ウォーターハンマーの原因も、配線の混線も…」

 酒山は当然の疑問をぶつけた。

 拝島は、難しい顔をしながら腕を組む。

 「…この事は、外部の人には絶対に秘密にして欲しいんだけどね…」

 静かに息を吐いた後、小声で話し始めた。



 「防火界壁…って、知ってる?」

 酒山は、フロア天井に垂れ下がってる透明板の事ですか…と、訊ねた。

 「それは防煙垂れ壁だね。

 防火界壁っていうのは、天井裏等の見えない場所に建てる防火壁の事。延焼防止に必須の設備なんだよ」

 そう言って、部屋の天井を見上げた。

 「実は…件の女子トイレの天井裏。そこに施工不良があってね…」

 拝島は深く溜息を吐いた。


 「まさか、その界壁が無い…とか?」

 酒山の問に拝島は首を振る。

 「逆だ。必要の無い位置に界壁を設けてしまった…」

 酒山は首を傾げた。

 延焼防止の為の設備。『無い』のは問題。でも、『在る』なら悪い事ではないのでは…?と。


 「他の場所なら、在っても困る事じゃ無いのは…その通り。

 ただ、あの場所に『在る』のは…非常に困るんだ」

 酒山は黙ったまま。拝島が続けるのを待った。

 「重要な上下水道や電気配線…天井裏や壁内に隠した各種設備…それらを纏めたパイプスペース。…そこにアクセスする為のルート上なんだ。

 その余計な界壁の造られた場所が…ね」

 そう言って、再度、深く溜息を吐いた。

 酒山は事態を把握し、拝島と同じ様に頭を抱えた。


 「じゃ…じゃあ、15年間も…メンテしてない…?」

 「あくまで、この場所()()だからね」

 拝島は自分の描いた図面に指を置く。

 他の場所は毎年やってるよ?…と付け加えた。


 「恐らく…配線を齧ったのはネズミかハクビシン。

 断線しなかっただけ良かったと言うべきか…」

 拝島は苛立ちを隠さず、図面をトントン…と指で叩いた。


 「ウォーターハンマー現象も、実は配管にダメージを与えるから直した方が良いのだけれど…」

 「界壁の所為で配管に触れないから…。

 壁を壊して…ってのはダメなんですか?」

 酒山は界壁部分を指差しながら訊ねる。

 「上申がね…通らないんだ」

 不貞腐れたような顔で、拝島は視線を落とした。


 「ウォーターハンマー現象も配線の混線も、あくまで、私の予想でしかない。

 メンテナンス出来てなくても、今、問題が無ければ良いじゃないか…と…」

 上役に言われたらしい。

 「実際、鉄筋コンクリートで造られてしまった界壁を、営業時間以外の短時間で破壊するのは…ね…」

 工場見積書を見て、経営陣は首を振ったそう。


 拝島は困った顔で酒山を見た。

 「なので、ノック音も深夜発報もそのまま…」

 私ではどうしようもない…と言って、肩をすくめた。

 「そういう理由で、悪いんだが…」

 「そういう理由なら仕方ありませんね」

 酒山は納得したとして、首を縦に振った。


 「ワンピースの女性も、見間違いか、本当にただ其処に居ただけ…。目を離した隙に退店していた…程度の笑い話でしょうね。

 ノック音も深夜発報も、原因が理解れば…全然怖くはありません」

 酒山は顔を上げた。

 「肩の荷が下りました!」

 そう言って、ニカッと笑った。



 執務室を出ようと荷物を持った酒山は、あっ…と言って立ち止まった。


 「中神先輩には、どの様に説明すれば…?」

 中神警備員も、北階段のノック音には大層まいっているらしい。

 自分の語彙(ごい)力では、拝島が行った様に上手く説明出来る自信が無い…と、酒山は困った顔で拝島を見た。


 「君から伝えなくても大丈夫。

 今晩、黒山君が中神君のカウンセリングを行う予定なんだ」

 拝島は、シフト表を酒山に見せながら答えた。

 『昼〜遅番』に黒山主任、酒山と中神と鷹梨が『夜番』となっていた。

 今晩は少し早く、中神を呼び出しているらしい。

 勤務引継ぎ前にカウンセリングを行うそうだ。


 「原因さえ判れば、ノック音も女性も『枯れ尾花』。

 すぐに笑い話に成るさ」

 拝島は力強く頷く。

 ただ、酒山には思う所がある様で、ウーンと唸っていた。


 「実は先輩…最近少しノイローゼ気味でして…」

 酒山は、近頃の中神の言動を拝島に話した。




 

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