03.あや子の日常
あや子は滑り込むように自宅のドアを開けるとすでに娘は帰宅していた。
「遅くなった。ごめん。」
「食事の支度出来たら呼んで。それまで勉強してる。」
「すぐに用意するわね。」
あや子はリュックを壁際にあるソファに置くと、洗面所で手を洗って、昨日の夜に準備していた惣菜に卵と切ってある野菜を冷蔵庫から出し、数品をすぐに作った。
ご飯はもう炊けている。
食器を準備すると、娘に声をかけた。
「今行く。」
2階から娘の声がして、階段を下りてくる。
「今日はどれ見る?」
あや子が録画してある一覧を見せながら娘に話を振った。
娘と食事をしながら見るアニメの話で盛り上がる。
一日で一番心が和む時間だ。
「ごちそうさま」
娘の未来が、食器を重ねて立ち上がった。
「明日、模試だから、ちょっと勉強してから寝るね。」
「無理しないでね。」
あや子は笑顔で答えながら、テーブルの上の残り物を片付けた。
今夜のメニューは、冷蔵庫の整理も兼ねた野菜炒めと味噌汁。
肉はほんの少しだけだった。
足りない分はもやしでかさ増ししてごまかした。
大きなため息が出た。
食器を洗い終えた頃、玄関のドアがガチャリと開いた。
「……ただいまー」
夫・健の声。
少し酒が入っているのがすぐにわかった。
「おかえり。今日も遅かったわね。」
「うん、取引先とちょっと飲んでてさ。いやー、疲れた。」
健はネクタイを緩めながら、ソファにどかっと腰を下ろす。
「何か残ってる?」
「食べてくるって思ったから、用意してないけど、味噌汁くらいならまだあるけど…。」
「じゃ、それだけもらう。」
あや子は無言で味噌汁を温め直し、テーブルに置いた。
健はテレビをつけ、ニュースを見ながら味噌汁をすすった。
未来が「おやすみ」と言って部屋に入ると、リビングに静けさが戻った。
ここ最近は、健と会話をすることもなく、挨拶だけで部屋に帰る娘に健は寂しそうな表情を見せた。
そう思うならもう少し早く帰ってくればいいのに。
つい愚痴が出そうになり、慌てて流しに戻り、明日の食事の前準備を始めた。
しばらくして、健が席を立とうとしたので、あや子は口を開いた。
「ねえ、未来の進学費用、どうするの?」
「……今、それ言うか?」
健が嫌そうな表情を浮かべ、腰を椅子に戻した。
「今しか言えないから言ってるの。来月、学費と塾代の振込期限だから」
「わかってるよ。でも、どうしろって言うんだよ。ボーナスも減ったし、残業代もカットされてるんだぞ。」
「だからこそ、ちゃんと話し合わなきゃいけないんじゃない。いつもいつも私の方が多く払っていて、、、。」
「……お前、最近ピリピリしすぎだよ。家計簿ばっかり見て、そんなにカリカリしてどうするんだよ」
「カリカリして当然でしょ。毎日、何を削るか考えて、娘の将来まで不安になって…それでも、あなたは飲みに行って、疲れたって帰ってくるだけで・・・。」
健が黙った。
テレビの音だけが、部屋に流れていた。
「……私、もうこれ以上は無理だから。」
あや子はそう言うだけ言うと、お互い無言になった。
すぐに明日の準備を終えたあや子は、自分の部屋に戻った。
背後では健が冷蔵庫にあったビールを開けるプシュッという音がしていた。
ここ数年、一緒の部屋で寝たこともない。
夫婦ではなく、もう単なる同居人だ。
静かに立ち上がると、先祖代々受け継がれてきた本を手に取った。
二宮金次郎様。
あや子の数代前のご先祖様の一人だ。
かなりお金を儲けたようだが相続税で国にむしり取られ、もうほとんど残っていない。
本を読みながら、心の中でつぶやく。
——どうか、娘の未来を守る力を、私にください。
——どうか。
祈るような気持ちで本をもう一度読むとそのままベッドに倒れこむようにして眠りについた。
また明日も仕事だ。
もう眠らないと、あといくら必要かな。
その日、なかなかあや子は寝つけなかった。




