沈黙の聖女は、ある日すべてを暴露する
「カーナ・レバー侯爵令嬢! そなたとの婚約を破棄する!」
王宮広間の豪華な天井が、クラリと回った気がした。突然の目眩に抗い、わたくしは厳しい表情の殿下に問い返していた。
「な、なぜでございますか、ハイル・ラング王太子殿下。わたくしは──」
周囲の人々は遠巻きに様子を窺っている。
わたくしの震え声は、殿下に届いたらしい。即座に返事があった。
「なぜ? それすらもわからぬのか。そなたは"浄化の聖女"の任にありながら、その勤めを果たさず、日夜遊び呆けている。自分の仕事をシンディ嬢に押し付け、その上彼女を虐げていたそうではないか!」
「なっ!」
ハイル殿下の後ろで、シンディ様が素早く顔を伏せた。
その口元を、愉快そうに歪ませながら。
シンディ様は、神殿に聖女見習いとして配属されたにも拘らず、仕事もせず、オシャレにお茶会に買い物と、俗世の娯楽を満喫している問題令嬢だ。
彼女の分まで働いているのは、わたくしだというのに。
(いま殿下がおっしゃったことは、まったくのデタラメだわ)
誰が殿下に偽りを吹き込んだのか、容易に想像がつく。
先ほどのシンディ様の笑みが、推測を肯定していた。
品のない表情を作っても、彼女は美しく愛らしい。
夏の陽を思い起こさせる赤い髪は艶やかで、瑞々しく潤う肌と唇も溌剌と輝いている。ハイル殿下の"お気に入り"となって以降、ますます磨かれたようだ。
(地味でみすぼらしいわたくしとは、大違い。殿下がシンディ様に心奪われるのも、もっともなこと。だけど、それとこれとは話が別)
「殿下。わたくしはシンディ様を虐げたことなどございません。わたくしは日々、休む間もなく働いておりますゆえ、シンディ様とお会いする時間すらないのですから」
「黙れ。そなたが己を律することさえ出来ない怠惰な人間であることは、その身を見れば明らかだ。醜くぶくぶくと太って見苦しい。休む間もなく働き、痩せ細るならまだわかる。が、豚もかくやといったその容姿。どこに説得力があるというのか」
「!」
わたくしは自分の姿を顧みる。
(いつの間に、ここまで酷いことに)
たくさんの脂肪がまとわりつくように全身を覆い、簡単な動作さえ苦痛を伴う。
(これは……浄化の反動で受けた"穢れ"なのに……)
じわりと涙が目の端に滲む。
"浄化の乙女"たるわたくしの能力は、我が身に引き受けることで、国の穢れを祓う。
祓いきれないほどの穢れは、醜悪な肉となりてわたくしの身に降り注ぎ、かつての美貌は失われ、緑の瞳は濁り、茶色の髪は荒れて無様だ。
(それに……)
わたくしは自分の指にある、"盟約の指輪"に視線を落とす。
(殿下の婚約者となってからは、殿下に降りかかる悪意や災厄も引き受けて来た)
それらもすべて、わたくしの身体を厚く覆い、息苦しい。
(殿下だってこのことはご存知のはず。なのに"怠けて太った"と、そうおっしゃるの? こんな大勢の前で?)
"浄化"の仕組みを知らない貴族も多い。彼らは殿下の言葉を鵜呑みにするだろう。
(もしや婚約破棄を正当化するため、故意の印象付け? だとしたら酷すぎる……!)
涙を堪えたわたくしを、侮蔑の眼差しで見下ろす殿下。
彼は冷たく宣告した。
「──そなたとの婚約は、王国の繁栄のために結ばれた。しかしそなたは、未来の王妃として相応しくない」
「……」
衝撃に気持ちが追いつかず、喉の奥が張り付いてしまったよう。
声が、出ない。
「婚約は破棄。聖女籍も剥奪し、神殿を追放とする」
「!」
「また、虚言を用い、私を欺こうとした罪。さらに次代の王妃候補であるシンディ・ハート伯爵令嬢を傷つけた罪で、貴族名鑑からも名を削る。平民として、これまでの行いを悔い改めるが良い」
「──!!」
(次代の王妃。つまり、ハイル殿下の新しい婚約者は──)
シンディ様と目が合った。
彼女は勝ち誇った表情で、わたくしを見ている。
(そんな……)
無言のわたくしに、殿下は頷いた。
「異論はないようだな。沈黙は、承諾とみなす。そなたとの婚約破棄は成立した」
わたくしはその場に力なく崩れ落ちる。その時。
「恐れながら! 申し上げたく存じます」
よく通る、ハリのある声が広間に響いた。
「ジンク・キドニー辺境伯?」
殿下が驚きに目を見張る。
歩み出られたのは、白銀の髪が煌めく、長身の美丈夫。
辺境にあって王国を護り、国内の水源から魔獣を退けている青年、ジンク・キドニー辺境伯。
逞しく鍛え上げられた体躯に、整った顔立ち。隙が無いのに、優雅な足運びに、ご令嬢方から感嘆の吐息が漏れる。
滅多に王宮にはみえられない方が、今日はお越しになられていたようだ。
(恥ずかしいところをお見せしてしまった)
わたくしは羞恥に下を向く。
ジンク様にはこんな情けない姿、見られたくなかった。
「あまりに一方的な言いようではありませんか。これまで国のために尽力した"浄化の聖女"を、かように扱うなど。殿下に対する、皆の忠義も揺らぎましょうぞ」
ジンク様が鋭い眼差しで、ハイル殿下を咎められる。
そして膝を折って、わたくしに声をお掛けくださった。
「カーナ嬢。あなたは沈黙を美徳としているようだが、吐き出した方が良い場合もある。国のためと思い、言うべきことは語ってほしい」
「ジンク様……。あっ、いえ、キドニー辺境伯様」
言い直したわたくしに、ジンク様が小声でささやく。
「俺にまで気を遣わないでください、カーナ嬢。ぜひ昔のようにジンクと。ハイル殿下との婚約は消えたようですし、誰に遠慮が要りましょう」
さり気なく"婚約破棄は確定だ"とおっしゃいながら、ジンク様がわたくしを促す。
「でも……、語るべきことと言っても……。わたくしが国と殿下の"穢れ"を引き受け、このような脂肪まみれになっていることは、殿下もご承知のことで……」
わたくしがジンク様にお答えしていると、横でハイル殿下が目を丸くされた。
「えっ。そ、そうなのか、カーナ」
「!? まさか殿下──。お忘れだったのですか?」
「あ、いや……」
目を逸らすハイル殿下は、全身で"忘れていた"と示している。バツが悪そうな様子は、内容をいま、思い出したのだろう。
(……! …………!!)
「わたくしが、こんなに苦しい思いをしていましたのに……!」
失望が胸を塗り潰す。湧き上がってくるのは、怒りの感情。
先ほどまでが嘘のように、ポンと力強い言葉が飛び出た。
「わたくしと殿下の婚約はなくなりましたので! "盟約の指輪"をお返しします」
勢いよく、わたくしは指輪を引き抜く。
「ぐはっ!」
途端にわたくしの身体から贅肉が消え、脂の塊が殿下の上に降りかかった。
「なんだ、これ。く、苦しい」
「ハイル様!」
ギトギト脂に圧し潰されそうなハイル殿下は呼吸もままならないようで、喘ぐように口をパクパクされている。殿下ご自慢の金髪も、脂にまみれて酷いありさまだ。
シンディ様も次にどう動けばよいのか、戸惑っている。
慌てふためくふたりを、わたくしは冷静に見ていた。
(もともとは殿下の分の"穢れ"ですもの。わたくしが今まで感じていた苦しさ、ご自分でも体験されたら良いわ)
「他にもあったはずですが、カーナ嬢」
一瞬にして痩身に戻り、身軽になったわたくしを、ジンク様が助け起こしてくださる。
ぶかぶかになってしまったドレスがずり落ちないよう気遣いながら、わたくしはジンク様の手をとった。
「まだ……? たとえば、シンディ様がヒース卿と繋がっていて、さんざん貢がれているというお話とかですか?」
「なっ」
「えっ」
ハイル殿下とシンディ様の声が、同時に上がった。
ヒース卿こと、ヒース・スプリーン公爵閣下は、ハイル殿下の異母兄にあたられる。
正妃腹ではないため、早々に公爵位を授けられ、臣籍降下された元王子だ。
継承争いを避けるための措置だったが、ヒース卿を推す貴族も根強く、公爵本人も密かに私兵を増強している……ことは、知る人ぞ知る話。
シンディ様はそんなヒース卿と親密な間柄らしく、他者に強請って得た資金。宝石やドレスをのぞく鉱山や土地などは、ヒース卿に捧げていた。
もし王太子の婚約者になった暁には、ハイル殿下の情報まで細やかに流すことだろう。
神殿の仕事をしないシンディ様が叱られなかった理由は、彼女の背後にヒース卿がいたから。
多額の寄付を寄せてくれるヒース卿のご機嫌を、神殿長は損ねたくなかったとみえる。
(そのシワ寄せが、わたくしや周囲に来ていたのだけど。ハイル殿下はずっとお気づきではなかったようね。そんな呑気さで王国が担えるのかと問いたいけれど、王家では、殿下の足りない部分、側近たちで補うご算段なのでしょう)
それが、殿下のご生母である王妃様の思し召しで。
事実わたくしも、"婚約者"として殿下の補佐にあてられていた。
聖女の仕事に加え、殿下の仕事も振られては、寝る時間もなかった。
(そう、わたくしはとっくに限界だったのね)
毎日が必死で、気づけなかった。
(つまり婚約破棄はわたくしにとって慶事で、王家からの解放なのだわ)
世界が急に、鮮やかに色づいた。もうずっと忘れていた景色。
きっかけをくれたのは、今も昔も──。
(ジンク様……)
「カーナが言ったことは本当か? シンディ」
「う、あ、だって……。ヒース様の深い褐色の髪、漂う色香、神秘的な眼差し。大人の魅力でめっちゃかっこいいんだもの……! ヒース様はあたしの"推し"なの。課金するのは当然じゃない?」
(推し? 課金?)
聞きなれない単語だけど、意味はなんとなく伝わる。ハイル殿下もわかったらしい。
「くっ! この尻軽め! 私一筋だと言っていたくせに!」
「な、何よ。あたしのことは、ハイル様が勝手に盛り上がったんじゃない!」
ぎゃあぎゃあと、互いを貶め合う口喧嘩が始まった。
たくさんの貴族が集うこの場で、見せる姿ではない。
(この様子じゃ、ハイル殿下の王太子位も危ういわね)
もちろんシンディ様の今後も、どうなるか知れたものではないが。少なくともハイル殿下とは破局だろう。
(神殿や伯爵家の恥として、厳罰もあり得るかも)
ちょっと小気味良く、胸がすく思いでいると、わたくしの手を取ったままだったジンク様が、柔らかな声で提案された。
「ところでカーナ嬢。いま小姓が急ぎ、国王陛下を呼びに行っているようですが……。陛下が来られて事態が終息するまでに、急ぎ聞いていただきたいことがありまして」
「まあ、なんでしょう」
ジンク様は生き生きとした瞳で、わたくしを見つめている。
(なんだかすごく恥ずかしい)
けれど目が逸らせないのは、いつも落ち着いているこの方の、少年のような笑みを久々に見たから?
ドキドキと落ち着かない鼓動が、わたくしの期待を高めていく。
彼の男らしい声が、わたくしの耳に染み込んだ。
「貴女の夫候補に、俺が名乗り出ることをお許しいただきたい。カーナ嬢。ジンク・キドニーは聡明な貴女に求婚します」
「!!」
体中のすべての血液が、興奮に騒ぎ、一気にわたくしの頬が染まる。
(わたくし今、プロポーズされましたわ! ど、動揺してはダメ。聞き間違いかもしれないもの)
「で、でも、こんなわたくしでは──。その、髪も目も、とても見苦しいですし」
「こんな? 俺の目には、春の女神しか映っていません。陽光に弾ける若々しい緑の瞳。あたたかく優しい栗色の髪。それに俺は、貴女の見た目より心根に惚れています。初めてお会いした時から、ずっとお慕いしておりました」
ジンク様との思い出が、瞬時に駆け巡った。
わたくしとジンク様は、幼い頃、共に学び、遊んだ仲。
長じてからはそれぞれ武門と神殿、別の道へと歩み、接点もなくなったけれど、それでも忘れられなかった大切な相手。
(わたくしの婚約は王家に決められた政略関係だったけれど、心はいつも、辺境に向かっていた。ジンク様も、わたくしを想っていてくださったなんて)
「貴女の婚約がなくなった途端申し込むのは、せっかちでみっともないと承知していますが……。魅力あふれるカーナ嬢だから、すぐにでも次の相手が名乗り出て来そうで。そうなる前に、俺の気持ちを伝えておきたかったのです。どうか、この憐れな男の懇願を、前向きにご検討いただければ嬉しいです」
(ああ、ああ、ジンク様……!)
喜びと感動が溢れる。ただ、懸念があるとすれば。
「しかしわたくしは、もう貴族ではなく……」
「あれはハイル殿下が勝手に発言されたこと。おそらくカーナ嬢のご実家では、大切なご息女を守るため、猛抗議があるはずです。地位は守られますよ、きっと。それにもし貴族でなくなっても、問題ありません。爵位を買うなど造作もない。俺のほうで、貴女を迎え入れるために必要な準備は、完璧に整えてみせます」
その言葉はとても力強く。彼の鉛色の瞳が熱く、揺らめいて。
「ジンク様! わたくしもジンク様のことが大好きです。あなたの妻にしてください!」
感極まって、わたくしはジンク様に抱きついてしまっていた。
「カーナ嬢!?」
困惑されながらも、ジンク様のお顔が喜びに崩れる。
背中に回されたジンク様の腕が、力強く抱擁を返してくださった。すごく嬉しい!
パチ、パチ……、パチパチパチパチ。
控えめに始まった拍手が、すぐ盛大な音に変わる。
成り行きを見守っていた貴族たちが、ことのあらましを理解し、その上で祝福してくれたのだ。
「こら、そこ──! 私たちを差し置いて、勝手に盛り上がるな」
「そうよ、何してんのよ。場をかき回しておいて──!」
感動の場面に、外野から野次が飛ぶ。
(最初に場をかき混ぜたのは、ハイル殿下とシンディ様ですが)
脂のせいで満足に動けないふたり(藻掻くハイル殿下に、シンディ様が巻き込まれた)をシレッと無視していると、高らかな報せが響いた。
「国王陛下の、おなりです──」
その後。
登場したブレイン陛下の沙汰により、ハイル殿下はきつく叱られ、王太子の地位も一時返上。功績をあげるまで王都からの放逐となった。
おそらく陛下は、ヒース卿の動きもご存知で、いつかこんな日を待っておられたのかも知れない。
王妃様とそのご実家を慮って、次男のハイル殿下を王太子に立てていらしたけれど、目をかけておられたのは、ご長男、ヒース卿の方だったから。
ハイル殿下が戻られるのが先か、ヒース卿がその間に彼を引き離し、王位に近づくか。
しばらくは緊迫した関係が続きそうだが、おかげで各地は活性化している。国が良い方向に進みそうだ。
シンディ様は神殿と伯爵家から除籍。
ヒース卿からも見捨てられた後は、激務を課せられ、独り寂しくこなされているそうだけれど。
心臓に毛が生えてるくらいエネルギッシュな方なので、なんのかんの、とても元気らしい。
国に生まれる"穢れ"については、神殿の人員を大増員して、対処することになった。わたくしを酷使せず、最初からそうして欲しかった。
自由になったわたくしは想いを叶え、ジンク様と辺境領へ。
これ以上なく幸せになって。
それぞれが、落ち着くべきところに、落ち着いたのだった。
お読みいただき有難うございました!
本作は、内臓たち(東洋医学の《五臓》)を模したキャスト配置でございました。気づかれました方、いたらすごい!
私、体調を良くするため、自分でツボとか押してる日々で。お風呂上りは足のマッサージしてるのですけど、痛かったんですよね。足裏の、肝臓のツボが。
"沈黙の臓器"と呼ばれる肝臓。神経が無いから痛みを伝えず、自覚症状がないままに悪化して、脂肪肝とかなっちゃう臓器です。
沈黙の臓器…、まるで虐げられても声を上げない令嬢のよう…。からの、異世界恋愛テンプレで《五臓》の関係性覚えちゃえ、でした。
良かったらぜひご一緒にツボ押ししましょー(*´艸`)
以下、人物紹介です。
◆【肝臓】カーナ・レバー侯爵令嬢
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浄化の聖女。シンディ【心臓】を育てる立場
属性は「木」、「春」。緑の瞳に、茶色の髪。怒りの感情と結びつく
◆【心臓】シンディ・ハート伯爵令嬢
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聖女見習い。ヒース【脾臓】を気にかける
属性は「火」、「夏」。赤い髪。喜びの感情と結びつく
◆【脾臓】ヒース・スプリーン公爵
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臣籍降下した元第一王子。ハイル【肺】の兄
属性は「土」、「土用や長夏」。深い褐色の髪。思の感情と結びつく
◆【肺】ハイル・ラング王太子
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カーナの婚約者。ジンク【腎臓】の主君筋
属性は「金」、「秋」。金髪。悲・憂の感情と結びつく
◆【腎臓】ジンク・キドニー辺境伯
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カーナの幼馴染。カーナ【肝臓】にプロポーズ
属性は「水」、「冬」。白銀の髪、鉛色の瞳。驚・恐の感情と結びつく
なおこの《五臓》は必ずしも実際の臓器と一致するものではなく、たぶんに概念を含んだ表現のようです。
何やってんだ、と思われそうですが(苦笑)、お話楽しんでいただけましたなら、お星様をよろしくお願いしますヾ(*´∀`*)ノ 今年の初投稿作品です…!