和傘とサムライ
「まあ、雨だわ」
上田沙織が、駅ビルから出ると雨が降っていた。
けっこうな雨量だが、傘は持っていない。コンビニでビニール傘を買おうか、それともバス停まで走ろうか、空を見てちょっと迷っていた。
すると後ろの方から声がした。
「娘御、この傘をお使いなされ」
二十代で同じ年頃の男が、着物に袴のサムライ姿で、渋い色の和傘を差し出していた。
いったい何者であろう。
「えっと、大丈夫です。そこのバス停までなので。っていうか、あなた誰?」
直感的に怪しい姿だ。でもニコニコしていて悪人ではない様子。
「ただの素浪人にござる。あのバス停に屋根はござらんよ」
知っていますと思いつつ、古い言葉使いに微笑んでしまった。
「ぷぷ、コスプレなの?」
「せっしゃ、ウパラティと申す。日本に来て、もう十日目でござる」
「もしかして外人さんなの?」
サムライ男はうなずいた。
「ラオスのビエンチャンから、ホームステイに参ったでござるよ」
沙織は、頭の地図でラオスという国を考えた。たしか東南アジアの秘境だよね。上手なコスプレのせいもあるが、顔も肌や髪色も日本人にしか見えなかった。
「どうしてサムライ言葉なの?」
「日本語はテレビの時代劇で学びし候。ところで暴れん坊将軍は、いずこのお城におられるのか、ご存じないか?」
駅前の人たちが、二人を避けて歩いて行く。そして多くが珍しそうにチラ見して行った。沙織は恥ずかしいので、バス停に向かって歩き出した。
和傘を掲げてサムライがついて来る。自然と相合傘になってしまった。
「知りませんし、もう将軍はいませんから」
「そうでござるか。しかるに、ここにも殿様がおられるであろう?」
「もしかして松平市長?」
「いかにも」
「それって松平違い。暴れん坊将軍は俳優の松平健。ここの市長は松平一郎です。まったくの別人ですよ。あっ、傘ありがとう。バス来てるから」
信号を渡ってすぐのバス停に到着した。始発のバスは、ドアを開けて乗客を待っていた。沙織は小走りでバスに乗り込んだ。
「さよならでござる」
サムライはそっと去って行った。
相合傘だったのに、男の背中はずぶ濡れだった。きっと沙織が濡れないように配慮してくれたのだろう。それなのに親切なサムライにお礼も言っていなかった。
ドアは閉まり、バスが走り出した。
沙織は窓を開けて通り過ぎるサムライに手を振った。
「ありがとう」
サムライが微笑んだような気がした。