とある宰相の愚痴
ヴィルド帝国。
それはこの世界でも有数の大国の名。
しかし10年前まで、愚かな皇帝の手によってこの国は衰退の一途を辿っていた。
度重なる侵略戦争による重税や飢えに苦しめられる市民に対し、戦争によって得られた財宝で贅沢な暮らしを続ける貴族。
街を守るはずの兵士は反発する市民を抑え、時には見せしめのように民衆の前で酷く痛めつけた。
当然治安は悪化し、首都でさえ強盗や麻薬取引、人身売買といった犯罪がきちんと取り締まることができず、それどころか金に目が眩んだ貴族がそれを支援する始末。
この国はもう長くは保たない。
市民の誰もがそう思った時、1人の男が密かに仲間を集め、革命を起こした。
その男こそ、前皇帝の甥であり、現皇帝であるベルムート・レグス・ヴィルドだった。
彼が必死に命乞いする前皇帝の首を切り落として血に染まった玉座に堂々と座る瞬間を見た時、腐敗して落ちぶれていく国に絶望していた一部の貴族は悟った。
この国はこれからなのだ、と。
そして時は経ち、その中の1人であった若き宰相ヒューズ・グラスト公爵はこの国で1番広い書斎の机の上に置かれた手紙を見て、頭を痛そうに押さえた。
「はぁ…あの方の気まぐれにも困ったものだ。」
置き手紙を読むと、『少し出かける』と簡潔に書かれていた。あまりに情報が少ない。
もう昔とは立場も責任も段違いだというのに、時々彼はこうやって姿を消してしまう。どこか掴めないところや思いついたらすぐ自由気ままに行動するところは子供の頃から全く変わっていない。そうやって周りを振り回していくタイプなのだ。
正直自分勝手な人間だと思うが、それでも彼に忠誠を誓う人間が多いのは生まれながらのカリスマ性のおかげだろう。
彼ほど人を支配する能力に長けた人間を見たことがないし、きっとこれからも彼以上の人間は現れない。
そう言い切れるくらい、ベルムートは皇帝という座がお似合いのカリスマ的な人間だった。
「さて、今回はどこへ向かったのやら。」
そうぼやきながらも、もう20年以上の付き合いだ。
ベルムートの考えそうなことはなんとなく分かっていた。
革命以降、ベルムートは国を建て直すために侵略戦争を止め周辺諸国と平和協定を結んだ。もちろんこちらが弱っていることを知っていた多くの国は当初平和協定の提案を無視していたが、ベルムートが皇帝になってから戦争を仕掛けたラルム王国が2週間で滅んだこと、そしてベルムートの「俺は伯父と違ってダラダラと戦うつもりはない。戦争をしたいなら受けて立とう。」という一声によって周辺諸国は無条件で平和協定を結んだ。
しかし近年、どうも怪しい動きをする国がある。
その国とは、ヴィルド帝国に続く大国リシアナ神聖国だ。
リシアナ神聖国は世界一の信仰者数を誇るリシアナ神教を中心とした宗教国で、他国にも教会が複数存在している。
もちろんヴィルド帝国にもいくつか教会が存在するのだが、今まで特に害は無かったため放置されていた。
だが、2年前に教皇が変わってからきな臭くなり始めた。
新しい教皇は短い期間で教会の結束力をより強いものにし、各国の教会の権力を拡大して、神教の信者を利用する形で各国への内政干渉を始めたのだ。
それだけではなく、教会を通して人身売買や魔鉱石の取引も行われているという情報も入ってきた。
魔鉱石は国の大事なエネルギー源であり、国家間に限らず勝手に売買することは禁じられている。
何故なら魔鉱石は兵器のエネルギー源にもなり得るからだ。
ヴィルド帝国では基本的に魔鉱石が取れる鉱山は全て皇室やそれに連なる者が管理しているが、そうではない国もある。
そういった国から魔鉱石を大量に集めているとなれば………我が国にとってリシアナ神聖国は危険な存在であり、もはや戦争は避けられないものと考えるべきだ。
そうなると今優先することは国内の魔鉱石の確保であり、ベルムートが向かいそうな場所はなんとなく見当がついた。
唯一皇室が直接管理していない……いや、管理できない鉱山のある場所。
「ミューラ侯爵領か……
なぁ、そこにいるんだろう、レアン。陛下はちゃんと護衛を連れて行ったのか?」
誰もいない書斎で、ヒューズは誰かに呼びかける。するとどこからともなく黒い服を着た覆面の男が現れ、地に片膝を着いて頭を下げながら報告した。
「いえ、陛下が拒否されたので護衛はついておりません。しかし影は何人かついているので問題はないかと。」
「護衛を拒否だと?全く困った人だ……しかしレアンがついているなら問題ないか。」
護衛をつけずに本当にお忍びでミューラ侯爵領に向かった主君に呆れるが、陛下直属の秘密組織レアンが護衛代わりになっているため、安全面という点で不安を感じることはない。
どちらにせよ陛下自身も異次元の強さだし、陛下自らが選び鍛えたレアンたちならばそこら辺の騎士は比べ物にならないくらいの腕前を持つからだ。
「それにしても、何故あの方は急にミューラ侯爵領に行ったんだ。私に一言かけてくれればいいものを……」
「恐らく、ガノン侯爵家の嫡女ルミエリス・ガノンがエルノー・ミューラ侯爵に領地へ招かれたという報告が原因かと。」
レアンらしく無感情な声で報告された内容にヒューズは固まった。
ガノン侯爵家の嫡女がミューラ侯爵領に招かれた?
それは一体、どういうことなのか?
「待て、ガノン侯爵の娘は庶子のアマリリス・ガノンだけではなかったか?」
「いえ、亡くなった前妻との間にも同じ年齢の娘がいます。」
まさか、ユーグリット以外の嫡子がもう1人いたとは……ガノン侯爵から一度も聞いたことがない。
たしか前妻の葬式にもその娘は居なかったはずだ。
何か事情があったのか、それとも故意に存在を隠されていたのかは定かではない。
しかしガノン侯爵は皇帝陛下に忠誠を誓っているし、貴族の中でも有能で清廉な人間だ。
隠しごとをするような人物でもないはず……前ミューラ侯爵の娘であった前妻との仲は冷め切っていたようだし、その娘にもおそらく何か問題があるのだろう。
クソッ、油断してすっかり見落としていた。
だが侯爵家にレアンを忍ばせていたということは、主君は見落としていなかったということだ。
ヒューズは己の失態を恥つつ、改めて主君の偉大さを感じていた。
「これはマズいことになりそうだ。
とりあえずガノン侯爵を呼んで詳細を聞こう。」
ミューラ侯爵領で取れる魔鉱石は従来の魔鉱石とは品質の良さも量も段違いだ。
だからこそ10年前に皇室の物にしようとしたのだが……前ミューラ侯爵の策略により、それは先延ばしになってしまった。
しかしルミエリスという想定外の存在によって、今やその先延ばしの約束すら怪しくなっている。
ヒューズは急いでガノン侯爵を呼び出すための手紙を書き、部下に渡す。
その頃には、レアンはすっかり姿を消していた。
本当はレアンに頼んだ方がすぐにガノン侯爵の元に届くのだが、レアンはあくまで皇帝直属の組織なので基本的に皇帝以外の命令は聞かないのだ。
「本当に、苦労が尽きない仕事だな。」
自ら望んでついた立場とはいえ、自由気ままな主君に振り回され、細かい調整は全部こちらに振られるので当然仕事が嫌になる時もある。
しかしこれも全ては国のため、民衆のため……そして誰よりも孤独な幼馴染が抱える負担を分け合いたいと思うからこそ、この仕事を辞めることはできない。
だから今日もヒューズは愚痴を吐きつつ、敬愛する主君の為に必死に働くのだ。