伯父からの手紙
外出から数日経ったある日。
ついに別館の修繕が終わってようやく使用人たちの出入りもほぼなくなり、バルコニーで落ち着いたティータイムを過ごせるようになった。
「今日も良い天気ね〜」
「そうですね、この頃寒さも落ち着いてきて春の訪れを感じます。」
そんなことを言いながらアリナといつものようにお茶を飲み、貴族御用達の新聞を見ていたその時、私は衝撃のニュースを目にして思わず叫んでしまった。
「はぁ!?『今年の春はガノン侯爵家によってもたらされる』ですって!?」
「びっ、びっくりした…」
私の叫びに反応するように、お茶を入れていたアリナはビクッと震えてお茶を少しこぼしてしまった。
驚かせてしまったことは申し訳なく思うが、今はそれどころではない。
だって、この新聞に書いてあることが意味することは…
「どうしようアリナ、今年のデビュタント開催はガノン侯爵家が担当するそうよ。」
「あの、それはめでたいことではないのですか?たしかデビュタントを任された家のご令嬢はその年の社交界の華として讃えられると聞いたことがあるのですが…」
「これはマズイ、マズイわ…嫌でも注目を集めちゃうじゃない。」
貴族の子女が16歳になる年の春、社交界デビューのためにデビュタントが開催される。
実はデビュタントの前から跡取りとして社交界に携わることが許されている子息と違って、令嬢にとっては真の社交界デビューであり、婚約者探しの重要な場でもある。
そのため、毎年この時期になると、デビューする令嬢がいる家の中からデビュタントを開催する家が選ばれ、そしてその家の娘はその年の花として華麗に社交界デビューするのだ。
ここで想像してみよう。
もしその年の社交界の華として、微妙な容姿の嫡子と花のように美しい養女が現れたら?
そんなの絶対に目立つこと間違いなしだし、良くない噂が立つに決まっている。
不快な思いをする羽目になるのが目に見えているじゃないか。
ルミエリスは頭を抱える。
そもそも私は社交界の華じゃなくて壁の花になりたいのに!!
デビュタントの日の気まずさを想像するだけで、この場から裸足で逃げ出したくなる。
「お父様もお兄様も私のパートナーになってくれるとは思えないし、それは私もお断りよ。
きっとアマリリスが両手に花を持つ感じになって、ひとりぼっちの私は見知らぬ貴族たちに邪推され悪口を言われるのがオチね。
そんな気まずい状況だけはなんとしても避けたいわ。」
「そんなぁ……」
はぁ、考えれば考えるほど社交界が憂鬱すぎる……
もはや逃げ出したくなってきた。
まぁ家族や親戚は付き合いがなくて絶望的なうえ、引きこもっていたルミエリスにとって元々デビュタントのパートナーを探すのは困難な話だったし、その肝心のデビュタントまであと1ヶ月しかない。
もう金持ちとの結婚は諦めて、潔く平民になろうかな。
「アリナ、私がこの家を出る時に孤児院で雇ってくれたりしないかしら……いえ、そこまでわがままは言えないわね。
貴族に関わる仕事は流石にまだ厳しいけれど、裕福な商家の下働きなら大丈夫だわ。私意外と根性があるタイプだから多少虐められても平気よ。」
「お嬢様、いくらなんでも色々と諦めるのが早すぎると思います。
それに、パートナーになれる相手は他の親戚でも…あ、お嬢様の親戚に当たるミューラ侯爵はどうでしょうか。」
アリナの思わぬ提案に、ルミエリスは固まった。
ミューラ侯爵……?
それってまさか、政治革命の陰で粛正されたミューラ侯爵のこと?
ルミエリスはなんとなくイメージで思い描いた悪徳ジジイを頭に思い浮かべ、「いやいやそれはないでしょ」と首を振る。
そもそもミューラ侯爵はとっくの昔に死んだはずだ。
「アリナ、いくら何でも死人にはパートナーは頼めないわよ。」
死人をパートナーにしろだなんて、アリナは面白いことを言うのねと揶揄うと、アリナは少し固まった後に、全力で首を横に振った。
「死人!?違いますよ!
前ミューラ侯爵様ではなくて、お嬢様の伯父に当たる方のことです!!」
私の伯父…ハッ、そうだった。
確かにルミエリスには伯父が1人いる。でも伯父と母は折り合いが悪かったらしく、ルミエリスは一度も伯父に会ったことがない。
ちなみに亡くなった祖父の方も赤ちゃんの時に一度だけ会ったことがあるらしいのだが、そんな記憶は流石に残っていないので祖父もほぼ会っていないに等しいだろう。
「でも伯父様には一度も会ったことがないし、母とは仲が悪かったらしいの。だから伯父様が私のパートナーになってくれるとは考え難いわ。」
「そうですか……やっぱりダメですかね……」
私よりもショボンとするアリナの姿を見て、どうしたものかと考える。
ミューラ侯爵家の権勢は祖父が死んだことによってだいぶ衰えた。
それに伯父は幼い頃から病弱で子供を作ることが出来なかったらしく、後継ぎがいないため、ミューラ侯爵家の遺産はいずれ兄に渡ることになる。
だから今の皇帝陛下は革命に協力した父への褒美としてミューラ侯爵家を取り潰さなかったのかもしれないのだ……まぁこれはただの憶測だけど。
とにかく、そんな訳ありな家にデビュタントのパートナーを頼むのはちょっと気が引けるんだけど、ぼっちのルミエリスにパートナーになりえそうな相手が居ないのも事実。
これはいわゆる『背に腹は変えられない』というやつか。
「とりあえず、ダメ元で手紙を書いてみようかしら?」
せっかくアリナが出してくれたアイデアを無碍にするわけにもいかず、私は伯父に手紙を出すことにした。
簡潔に私と家族の関係を説明し、無理を承知で伯父様にパートナーを頼めないかという内容だ。
これでダメだったらデビュタントは諦めて本格的に平民になる道を探すしかない。
そう考え、伯父からの返信もないことからすっかりその気になり始めていた6日後のこと。
思いもしなかった手紙がルミエリスの手元へやって来た。
『ルミエリスへ
デビュタントのパートナーの件、喜んで引き受けよう。しかし、条件がある。
デビュタントを行う前に我が領地へ来てくれないだろうか。君の来訪を楽しみに待っているよ。』
最後にエルノー・ミューラと書かれていたその手紙は間違いなく伯父様からの手紙だった。
了承してくれたのも驚きだが、突然領地に来いだなんて。
一体何を企んでいるのだろうか?
「でも正直、この申し出はありがたいわね…」
「え、そうなんですか?」
「えぇ、だって今年はガノン侯爵家がデビュタントを開催するのよ。女主人が居ない分、他の貴族に侮られないよう色々と手を回すに違いないわ。
当然、この家に出入りする人間も増えるでしょう?
せっかく父やアマリリス達を避けてたのに、来客のせいで面倒なことになったら最悪よ。」
あの人たちは私にとって歩き回る地雷のようなものだ。本館と別館はそこそこ距離があるとはいえ、鉢合わせないようにするには何も考えてないあちらの方々の代わりにこっちが気をつける必要がある。
まぁでも、私はそこまで積極的に外には出ないし、兄と父は基本的に皇城へ仕事に出ているか書斎で書類を見ているか、もしくはアマリリスと出かけているかなので、今のところ出くわしたことがない。
アマリリスもどこかへ通っているのか、外出していることが多いので、現時点で私はそこまで苦労はしてないのだ。
しかし、来客が多くなれば話が変わる。
接待する必要があるため彼らが家に滞在する時間も多くなり、私と彼らがこの敷地内で遭遇する可能性も必然的に高まってしまうのだ……そんなの想像しただけで面倒である。
ルミエリスはうーん、と唸る。
そんな窮屈な生活を送るのだったら、見知らぬ他人に近い伯父の家にデビュタントまでお邪魔させてもらった方が100倍マシかも……
それにミューラ侯爵家の領地は東側に位置しているから、西側に位置するガノン侯爵家の領地と同じく馬車で1日ほどの距離。
首都からそれほど遠くなく、これ以上ないくらい良い条件だろう。特に断る理由もない。
そこまで考えて、私は両手をパチンと叩いた。
「よし、決まりね。明日出発しましょう。」
「あ、明日!?そんな、まだ報告していないのに大丈夫なのですか?」
「報告?なにを?」
「ミューラ侯爵家に行くことです。遠出で何泊もするとなれば、流石に無断はマズイと思います…」
確かに、アリナの言う通りだ。
貴族令嬢が家の者に何も言わないまま何日も家を空けたら、普通は誘拐されたと勘違いされ大騒ぎになる。まぁ私が居なくなってこの家の人たちが大騒ぎするとは思えないけど……一応礼儀として報告はしておくべきだろう。
「じゃあ手紙を書くから、ウィルフォードに渡してきてくれないかしら。」
「直接お伝えしなくて大丈夫ですか?」
「きっと大丈夫よ、むしろ極力会わない方がお互いのためだし。
私も本館に出入りしたくないから一石二鳥よ。」
とりあえず手紙を書いて渡しておけば最低限の礼儀にかなっているだろうし、問題はないだろう。
私は手紙をささっと書いてアリナに託す。
すると彼女は「急ぎの手紙ですから、ちょっと行ってきますね」と言ってすぐにそれをウィルフォードへ届けに行った。
「さすがアリナ、仕事が早くて助かるわね〜」
そう呟きながら、私はのんびりとティータイムを楽しんでいたのだが………数分後、何故か扉の外からバタバタと足音が聞こえてきた。
何事かと思いつつ、その足音はちょうど部屋の近くで止まり、丁寧なノックがされた。
アリナにはノックしないでいいって言ってるし、これは多分ウィルフォードだな。
非常に面倒くさいことになりそうだが、仕方ないので入室するように促すと、珍しく少し髪が乱れたウィルフォードと、その後ろでアワアワとするアリナの姿が見えた。
「ルミエリスお嬢様。明日、ミューラ侯爵家へ向かうというのは本気ですか?」
若干責めるような雰囲気を感じる言葉を放つウィルフォードの顔には反対の2文字が透けて見えた。
それに対し、私はすっとぼけた対応をする。
「あら、それはどういう意味かしら。
私が母の生家であるミューラ侯爵家に行ってはいけない理由でもあるの?」
「それは……行ってはいけないとまでは言いませんが、両家の関係上あまり好ましくはありません。
それに、お嬢様は現ミューラ侯爵に今までお会いしたことがないではありませんか。
何故急に長期滞在することになったのですか?」
へぇ…あまり好ましくない、ね。
ウィルフォードの言い方からして、父が反対しているのだろう。あのオッサンは私が数週間前に言ったことをもう忘れたのだろうか。
まぁいい、元々許可されなくても行くつもりだったのだ。
「反対されても構わないわ。
何故かと言われても困るわね……私にとっては大切な伯父様だもの。病弱な伯父様とは会えるうちに会うべきでしょう。」
ルミエリスはニッコリと笑みを浮かべ、「絶対に行ってやるからな」と強い意志を暗に示す。
するとウィルフォードはルミエリスが譲らないと気付いたのか、ため息をついて諦めたように妥協案を出した。
「そこまで行きたいと言うのならわかりました。旦那様は私が説得しましょう。
ですが、必ずガノン侯爵家の護衛を数名連れて行ってください。整備されているとはいえ、街道は魔物や盗賊に襲われる危険がありますので。」
「わかったわ、それで決まりね。」
私は微笑んで、ウィルフォードの案を受け入れた。
監視の意味合いもあるのだろうが、確かに安全のことを考えると護衛の件はこちらにとっても都合が良い。
自分の財布を使わないで護衛をつけられるなんてラッキーだと思ったが……
時間が経った後、そういえばとルミエリスはアリナに話を振る。
「やっぱり、私にはアリナがいるから他の護衛は要らなかったかしら?」
夕飯を食べてからお風呂に入り、アリナに髪を乾かしてもらいながらそう言うと、アリナは手を止めて真っ赤な顔をした。
「本当にそれは違うんです、誤解です!」
と必死に否定するように手を振っていた。
今の私よりも年上だけど、幼い見た目や言動も相まって本当に可愛い子だと思う。
だからついつい揶揄いたくなっちゃうんだけど、これ以上は可哀想か。
ルミエリスが笑いながら「冗談よ」と言うと、アリナは「もう、揶揄わないでくださいよ〜」と口をへの字にしてからドライヤーをまた動かし始めた。
それにしても、母方の実家か……
よくよく考えれば、伯父と会うのは初めてだし、どんな人かも知らない。
それに遠出するのも初めてということもあって、なんだかちょっと緊張してきた。
伯父が母に似ていて、とんでもないクズ人間だったらどうしようか?
そうでなくとも、私を殺して父に復讐してやる的な思想とかあったりするかもしれない。
まぁでも、ガノン侯爵の手によって遠出の最中に魔物や盗賊にやられたと見せかけて殺される可能性も0ではないし……それを考え始めると護衛も信用ならないか。
改めて考えてみると、私の周りは信用できない人ばかりだ。
なんにせよ、いざという時はアリナだけは逃してあげなきゃ……
私も本当のルミエリスのためになるべく幸せに長生きするつもりではあるけど、どうしても無理な時はせめて大事な人に迷惑をかけないようにしたい。
そのためにも、事前にある程度のお金を隠しておいて、アリナだけに教えておこうかしら?
ドライヤーの暖かい風を感じつつ、手を顎に当てながら考えていると、何を察したのだろうか。
アリナは心配そうな顔をして再び手を止め、ルミエリスの両肩にそっと手を置いた。
「お嬢様、お一人で抱え込まないでくださいね。
私は常に、お嬢様の側にいますから。」
「…アリナったら、こういう時は本当に鋭いわね。でも大丈夫よ、ちょっと未来のことを考えていただけだから。」
アリナは本当に人のことをよく見ている。
彼女は一目で私の不調に気づくし、どんな感情を抱いているかも分かっているような行動をとるのだ。
それは孤児院時代の壮絶な経験から来るものなのか定かではないけど、他人の感情を必要以上に受け取ってしまうのはきっと生きづらいに違いない。
それに、彼女は人の為なら容易に自分を犠牲にできてしまうような義理堅い人間だ。
もし私に何かがあれば、彼女は自分の命をかけて私を守ろうとするはず。
だからこそ、私は言葉にして伝えておくべきだと思った。
「アリナ。何が起きたとしても、貴女は生きて幸せにならなきゃだめよ。」
「お嬢様……」
ハッキリとは言わずに、一線を引く。
我ながら、この言い方はちょっとズルいと思った。
だけど、このくらい言わないと意外と頑固なアリナは聞いてくれなさそうだから。
私の言葉にアリナは戸惑った様子だったけど、私は気にしないで言葉を続けた。
「もう髪もほとんど乾いたし、寝ましょうか。
おやすみなさい、アリナ。」
「…はい。おやすみなさいませ、お嬢様。」
どうか、良い夢を。
扉を閉められる時に告げられた言葉は、いつも通り優しさに満ちていた。