羽ばたくとき
環境改善を訴えてから1日経ち、早速ウィルフォードの指示を受けた見知らぬ使用人たちが掃除やら家具の入れ替えやらで忙しなく出入りするようになった。
彼らが初めに行ったことは、私のためにこの別館で元々母の部屋だった1番大きい部屋を綺麗に掃除し、高級な家具や流行のドレスと装飾品を設置することだった。
さすがウィルフォード、まだ若いのに侯爵の執事長を勤めるだけある。見た目や喋り方は穏和そうだが、仕事には厳しいタイプなのだろう。
引越しした部屋で優雅にアリナが入れたお茶を飲みながら窓から使用人が出入りする様子を眺める。
「これがあと1週間続くなんて、少し憂鬱だわ。」
引きこもっていたルミエリスはもちろん、私自身静かな病室に長くいたことが影響してか、人が多く騒がしいのは少し苦手だ。
だからウィルフォードから色々と修理する箇所もあるから1週間ほど多数の使用人たちが出入りすると聞いた時は少しうんざりしてしまった。
それに一般庶民の感覚が残っている私にとって、やっぱり長い間自分の家に他人が出入りするのって落ち着かないし、なんか怖いんだよね。
まぁ今1番怖いのは後ろに立つ侍女なんだけど。
「ねぇ、アリナ。さっきから何でキョロキョロしてるのかしら?」
先ほどから何故か怯えたように部屋をキョロキョロと見回し、震えながら私の背中のすぐ後ろに立つアリナに声をかける。
するとアリナは涙目で答えた。
「お嬢様、私、さっき他の使用人から聞いちゃったんです。このお部屋で奥様が亡くなっているって!
奥様はとても執着深い方で、未練があるまま亡くなったのだと脅されまして…だから、いつ奥様が化けて出てくるのかわからなくて怖かったんです。」
どうやら先輩メイドに脅されたらしい…というより、揶揄われたと言った方が良いのか。
そんなことを真面目な顔でとても恐ろしいことのように言うアリナの言葉に思わず笑いが込み上げてくる。
「フフッ、アリナってば、そんなことに怯えていたの?侯爵夫人は確かに執念深い人だったけれど、人間は死んだらそこで終わりなのよ。お化けなんて所詮生きてる人間の妄想でしかないわ。それにもし化けて出るなら自分を殺した侯爵か、アマリリスのところでしょうね。アハハッ、本当に面白いわ。」
「そうなんですか?それなら、よかったですけど…」
そうやって私が笑っていると、アリナは安心したように胸を撫で下ろし、そして心配そうに私を見た。
「お嬢様はこれでよろしいのですか?実のお母様が、侯爵様に殺されてしまったお部屋で過ごすのはお辛くないのでしょうか。」
「何とも思わないわ。元より家族は居ないものと考えているから。」
そう言ってそっとティーカップを置き、立ち上がって部屋のクローゼットを開く。
そこに並んでいるのは今の流行りの形のドレスらしいが、どれもフリルがふんだんに使われた可愛らしい感じのものばかりだった。
可愛らしい雰囲気のアマリリスには似合うと思うが、クールな雰囲気のルミエリスにはどう考えても似合わない沢山のドレスを見て、ため息をつく。
「アリナはこのドレスたちを私に着せたいと思うかしら?」
「む、無理です…正直、これらのドレスはお嬢様には似合わないと思います。」
アリナが恐る恐る口にした本音に、私は嬉しくなって微笑む。
とても正直で素直だからこそ、この子を専属侍女にしたのだ。
「そうね、私も同意見だわ。これらのドレスは私のために選ばれたドレスじゃない。もしこの家の人たちが私に関心があったのなら、私に似合わないドレスばかりにはなっていないでしょうね。」
誰かに服を贈る時、普通はその服が相手に似合うか、相手の好みなのかを考える。
しかしそれらを配慮せずに自分好みの服や流行の服を贈る人もいる。
そういったことをする人は総じて相手への愛情や思いやりが欠けているものだ。
そんな人達から贈られた服を当然好きになれるわけがない。
だから私は思い切った行動に出ることにした。
「アリナ、このドレスたち売りに行くわよ!」
「え!?こ、これって勝手に売っても大丈夫なやつなんですか!?」
なんかとても高そうですけど…とドレスの生地をまじまじと見るアリナに、考えていたことを打ち明ける。
「実はね、今出入りしてる使用人が居なくなったら高そうな壺や絵も売ってしまおうかと考えていたの。どうせこの別館に客人なんてやって来ないのだから、食べられない高価なものがあっても仕方ないでしょう?」
これは本館に乗り込んでいた時から考えていたことだ。ぶっちゃけ別館が質素なままでも何不自由なく暮らしていく自信はあったが、この家を出ていくためにもお金はいっぱい貯めておきたかった。
国内有数の大商会を持つこの家には腐るほど金があるようだし、私以外使っていない別館に置いた高価なものを売り捌くくらいなんてことないだろう。
「もしかしてお嬢様…お金に困っているのですか?」
「今のところは大丈夫よ。ウィルフォードには月10万ゴールド貰う約束を取り付けたから、しばらく生きていくのには困らないでしょうね。」
「10万ゴールドですか!!?」
驚愕の金額に目を見開くアリナを見て誇らしくなる。
すごいでしょう?頑張ったんだから。
アリナから聞いた平民の年収1万ゴールドということしか知らないまま挑んだウィルフォードとのお小遣い交渉だが、これがなかなか上手くいった。
実は最初月5万ゴールドを提示された。しかし私は最初から提示額の2倍は受け取るつもりだったので、色々と策を練ったのだ…まぁ簡単に言うと、ゴネただけだけど。
「ガノン侯爵様は意外とケチなのかしら。私はいつまでも不遇な娘なのね…」
「まぁ、大商会の経営状態が不安だわ。これはどなたかに相談すべきかしら。」
私は困ったわというような顔をしながらそのような脅し文句を並べ続け、それに参ったウィルフォードが頭が痛そうなポーズをしながら月10万ゴールドで最終合意した。
まぁどうせこの屋敷は夫人がいないから経理関係は全てウィルフォードが担当しているし?どうせ10万ゴールドなんてこの家にとっては大したことはないのだから容赦なく頂く。
「さすがお嬢様、月で貰える額が私の年収の10倍以上なんて…それなら、家財は売らなくても新しいドレスは買えるのではないですか?」
「それはそうだけれど、やっぱりお金はあればあるほどいいのよ。正直私はこの家をいつ追い出されるか分からないし、安心材料はあるに越したことはないわ。」
この世は愛がなくともお金さえあれば生きていける。逆を言えば、愛があってもお金がなければどうにもならない。
私は病のせいで両親に経済的負担をかなり背負わしてしまった。両親が私を治そうと藁にもすがる思いでお金のかかる科学的根拠のない治療法に手を出そうとしていたのを思い出すと、今も胸が苦しくなる。
愛情はその人の人格を形成する上でとても大事なのだとどこかで聞いたことがある。そして私はルミエリスと違って既に両親から愛を沢山受け取った。
だからこの世界では最悪愛を手に入れられなくても構わないと思っている…まぁ、ルミエリスとして愛してくれる人がいつか現れてくれたら嬉しいけど。
とりあえず今は、アリナと二人三脚で頑張っていくつもりだ。
意気込んだ私はアリナの両手を掴んだ。
「言ったでしょうアリナ、お金の心配はさせないわ。今後の貴女の給料は月1万ゴールドよ。」
「えええっ、月1万ゴールドですか!?
そんな、王宮勤めのエリート侍女に匹敵する金額恐れ多くて受け取れないですよ〜」
「私の専属侍女になってくれたのだから相応しい金額よ。それにアリナ、貴女給料の半分を自分が育った孤児院に寄付しているのでしょう?私はね、貴女みたいな人は報われる世の中になってほしいの。」
「そんな、お嬢様……こんな天使みたいな人がいるなんて!私、お嬢様のために一生懸命頑張ります!神に誓ってもいいですぅぅぅ」
そう言って膝をついて感激の涙を流すアリナを抱きしめ、立ち上がらせる。
なんで現金なんだろう…そこが良いのだが。
本当に素直で良い子を見つけた。
私の目に狂いはなかったようだ。
「さて、早速だけどお出かけしましょうか。ずっとこのベージュドレスを着ているわけにもいかないし、さっさとこのドレスたちを売りに行きたいの。アリナ、どこか良い場所知ってる?」
「はい、分かります!首都で育ったので、街のことには詳しいんです。お任せください!」
そう言って駆け出していったアリナを微笑んで見送り、窓辺に立って外を見る。
首都か…知識として地理は頭に入っているが、ルミエリスはずっと別館にいたから実際はどんな街なのか全く想像がつかない。それにガノン侯爵家は首都の屋敷だけでなく、地方の領地にも屋敷があるみたいで、アマリリスとお兄様は年に何回か連れて行ってもらっているみたいだが、連れて行ってもらったことがないルミエリスはその領地に一度も行ったことがない。
そういうことを思い出せば思い出すほど、この家は本当に最悪だと思う。
ずっと狭い世界で生きてきたルミエリス。
扉は放たれていたけど、そこから出る勇気も湧かなかったのだろう。まるで籠の中で育った鳥みたいに。
「自由に羽ばたく時が来たのよ、ルミエリス。」
そう呟いて胸に手を置き、窓から空を眺める。
今日の空は澄み渡るような青さで、どこまでも行けるような気がした。