どうにもならないこと
本館に入ると、そこは質素に見えて意外とお金がかかっている内装だった。
なんというか、上品な金持ちの雰囲気が感じ取れる。
病気が発覚する前は金持ち向けの不動産会社で少し働いていたので、こういうのには目ざといのだ。
というか、別館はあんなに質素であまりお金もかかっていない様子なのに本館がコレなの、余計にムカつくわ!
そうやってプンプンと怒りながら本館に入って歩き回る。
もちろん使用人達はそんな私を驚いた様子で見てきたが、無視して父親の書斎に突き進もうとした…のだけど、ルミエリスには本館の記憶がないため、肝心の書斎の場所が分からない。
しょうがない、そこら辺の使用人にでも聞くか。
私は気弱そうな茶髪の幼いメイドに目をつけ、声をかける。
「あの、ガノン侯爵様の書斎はどこですか?」
「ひょえっ、あ、ご、ご案内しますっ!」
そう言って、メイドはどこか緊張しながら私を案内し始める。
私を馬鹿にしたような視線は感じなかったからこの子を選んだのだけど、そのビビりっぷりになんだか可哀想に思えてしまう。
今の私と同じくらいかそれ以下の年齢に見えるし、多分新人さんなんだろう。
「こ、ここがご主人様のお部屋です…」
「わかりました、ありがとう。」
そう言うと、メイドさんはウサギのように素早く消えてしまった。
面倒なことさせてごめんね。
そう心で呟いて、私は重厚な黒い扉に向き合ってノックする。
「入れ」
聞き覚えのある声を聞いて反射的に身体が硬直する…が、大丈夫。
私には白沢ひかりとして生きてきた記憶があるのだから。
こんなのちょっとした面接みたいなものと思えばいい。
そうやって気合いをいれ、扉を開く。
「ルミ、エリス様?」
「…お前が、一体何の用だ。」
扉を開くと、そこには座りながら書類を決済する父ガノン侯爵と、その書類を手渡す執事が目を見開いて立っていた。
執事が驚いているのに対し、父親は興味もなさげに冷たい視線を向けるだけ。
やっぱりどうでもいいってこと。
ルミエリス、ごめんね。
このクソ親に愛されることは絶対に無理だけど、その代わりになるお金は手に入れてみせるから。
社会人経験のあるお姉さんに任せなさい。
「お父様…いえ、ガノン侯爵様。ご機嫌よう、お久しぶりですわね。
私のこと、覚えていらっしゃいます?もう何年も顔を見てないはずですけれど。」
「あの女そっくりの顔だ、ルミエリスだろう。」
まぁ、なんて嫌味っぽいヤツ。
しかしやっぱり顔はいいな。サラサラの銀色の髪に、ルミエリスと同じ青色の瞳、ヨーロッパ系の彫りの深い顔立ちだ。
冷たいクール系イケメンといったところか。
あの母親に一目惚れされるだけあって、もう40になるはずなのにおじさん感が一切ない。
本当に血が繋がってるのか不思議なレベルで似ていない私たち…なんでコイツの瞳の色しか遺伝子が受け継がれず、あの冴えない見た目のヒステリックマザー遺伝子が強く出てしまったんだろうか。
そのせいで余計に嫌われてるっぽいし。
兄は髪や瞳の色も顔もそっくりなのに…この違いっぷりは神様にクレームをいれたいレベルだ。
「まぁ、覚えていてくださって嬉しいです。もうとっくに忘れられて捨て置かれてるのだと思ってました。侯爵様は私という娘がいることを忘れてはいらっしゃらなかったんですね。まぁ、では、別館が放置されているのは使用人の独断ということでしょうか。大変ですわ。
(訳:この野郎今までよくも放置してくれたな。別館の現状知ってるくせにそのままにするつもりじゃないだろうな?どう落とし前つけてくれるんだ?)」
訳は全て私の心の言葉だ。
貴族らしい会話と言えば、腹の探り合いでしょうよと微笑んでいると、父は眉を顰め、父の側近である執事は頭を痛そうに触りながら口を開いた。
「ルミエリス様、大変申し訳ありませんでした。私の管理不足です。今から確認しますので、どうかお許しください。」
「まぁ、ウィルフォード。気にしないで、侯爵様をそばで支えるあなたの仕事量は多そうですもの。きっとそこまで気が回らなかったのよね。いいのよ、侯爵様の言葉より勝るものはここにはないのだから。
(訳:仕事できない言い訳すんじゃねぇよ。今度は無いからな、ガノン侯爵の犬が)」
遠回しにディスることができる貴族構文はとても楽しい。
そしてそれに苦々しい顔をする彼らの顔を見るのは清々しくてもっと楽しい。
ルミエリスの苦しみはこんなのとは比べ物にならないけど、その分こういった地味な嫌がらせは積極的にしていきたいと思っていたのだ。
それが上手くいったと分かってとても気分が良くなっていた私に、ガノン侯爵が爆弾を投げた。
「ルミエリス、慎め。もう2度と本館に立ち入るな。」
…何言ってんだ、コイツ。口を開いたかと思えば、慎め?本館に入るな?
その冷たい言葉は、私の地雷を踏み抜いた。
「…花を大事に育てる心はあるというのに、私のことは容赦なく踏みつけていくのですね。べつに心は求めてません。そんな馬鹿らしいこと、する価値もないととっくの昔に学びましたから。
ですが私をこの世に誕生させた以上、少しは責任を取られたらいかがですか。誰がどこで聞いているか、わかったものではありませんよ。」
そうやって怒りの声をぶつけ、鋭くガノン侯爵を見つめる。
花とは、アマリリスのことだ。平民との子供を大事にしておいて、私のことを放置してるのは外聞が悪いだろうと突きつけてやった。
先代ミューラ侯爵は汚職関連で死を賜ったと考えられるが何か取引があったのか公にはされていないし、母の死も病死になっている。
つまり、私は由緒正しい貴族令嬢のまま。
そしてアマリリスはただの庶子だ。
どんな世界だろうと、スキャンダルはみんなの大好物。
私にお金や自由すら渡さないのなら、アンタの名声や大切なもの、全部ズタズタに引き裂いてやる。
こちとら元庶民だ、たとえ貴族令嬢じゃなくなっても生き抜く自信はあるのよ。
「…変わったな。何もできない人形のようだったのに。」
「もう都合の良い人形でいるのはやめました。これからは強かに生きていきますわ。
ですが安心してくださいませ、本来私が享受できるものさえ頂ければ、ガノン侯爵様の花を傷つけるつもりはありません。まぁ、私は慈しみ方というものを知らないので、慈しむつもりもありませんが。」
言外にアマリリスとは仲良くするつもりもなく、虐げるつもりもないと告げると、父はそこで初めて驚くような感情を見せた。
冷たい氷のような人なのに、やっぱりあの子には感情が動くのか。
愛してるんだなぁ…と他人事のように思う。
もはや嫉妬すらしないほどこの男に情がない。
「では、用件も済みましたので、私は失礼致します。ウィルフォード、あとはお願いしますね。」
「はい、ルミエリス様。」
そう言って扉を開けて部屋を出ようとする時、言い忘れたことを思い出した。
「あ、ガノン侯爵様。必要な使用人以外は別館にはなるべく立ち入らないで下さると嬉しいですわ。侯爵様もあそこには特段良い思い出もないでしょうし、何人か死んでますので。」
「ルミエリス様!それは…」
ウィルフォードが何か非難めいた声を出していたが、言い終わる前に扉を閉じる。
本館に入るなと言われたのだから、私も自分のスペースに入られたくないと声を上げただけだ。
それにあそこで母を殺したのは他でもない父。
昼ドラも真っ青な展開を地で行っておいてこちらが非難される筋合いもないでしょ。
「さて、帰るか。」
そう思って来た時の道を戻ろうとした時、少し離れたところから4歳年上の兄がこちらに向かってくるのが見えた。
その姿を見て、一瞬父かと思うくらい兄は父とそっくりだった。
唯一違うところといえば、冷徹な雰囲気を醸し出す父と違ってまだ甘ちゃんっぽい感じがするのと、若干母と同じ癖毛っぽく髪がうねっているところだろうか。ストレートヘアな私とは大違いだ。
「何を企んでここへやって来たんだ、ルミエリス。」
「まぁ、お兄様。私にご興味がおありで?珍しいですわね。」
会って早々父に似た顔で喧嘩を売ってくる兄に、微笑んで喧嘩を買う私。
そんな私が意外だったのか、兄は困惑したように私を見る。
どうやら無表情がデフォルトな父と違って感情が顔に出やすいタイプらしい。
「それは…」
「今までそうだったように、今後も無関心でいてくださいな。
お兄様の妹は今も昔もアマリリスだけですから。」
兄の言葉を遮るように冷たく言い放ち、そのまま隣を通り過ぎようとする。
しかし通り過ぎようとした瞬間、兄に手首を強く掴まれた。
「待て!僕は、そんなつもりじゃ…」
私を引き留めてまで弁解しようとする兄に鋭い視線を向ける。
「じゃあ、どういうつもりだったのかしら。
今まで私をいないもの扱いしてたくせに。」
別館の人形令嬢に会いに来る人は1人だっていなかった。
使用人はまだしも、血の繋がった家族でさえ幼いルミエリスのことを気にかけすらしなかった。
それに何の言い訳ができるっていうの?
アンタらは本館で仲良く家族ごっこしてる間、ルミエリスはひとりぼっちだったのに。
あんな何も無いところで、ずっと1人待っていた。
もう、あの頃のルミエリスは居ないのに。
「今更、どうにもなりませんわ。」
軽蔑するように兄の手を振り払い、再び前へ歩み出す。
何か言いたそうな視線を感じたが、無視した。
もう、過去に戻ることはできないから。
本館から出て別館へ戻る道を歩いていると、さっき道案内をしてくれたメイドが1人で落ち葉の掃除をしていた。
私のせいでキツい外掃除に回されてしまったのかな…と思わず彼女を見つめると、彼女もこちらに気づいたようだった。
彼女は私を見て何故か驚くように目を見開き、急いでこっちにやってきて、麻のハンカチを差し出した。
このハンカチはいったい…
「あ、あの、お嬢様。大丈夫ですか?」
「え?」
「泣いて、いらっしゃるので。」
私が、泣いている?
慌てて頬を触ると、そこには確かに涙の跡が残っていた。
泣いていることに気づくと、堰を切ったかのようなポロポロと涙がこぼれてくる。
気づかないうちに心が消耗していたらしい。
悲しい、寂しい、家族が恋しい……
そんな嵐のような感情が私の心を支配して、涙が止まらなくなっていた。
「ひぇっ、お願いですから、泣かないでください。どうしよう、一体どうすれば…」
泣く私を前にしてオドオドするメイドを見てると、悲しかったはずなのになんだか面白くて、ふふっと笑ってしまった。
この子のおかげで心が軽くなった気がする。
私は目の前のメイドのハンカチを受け取り、涙を拭いた。
そして代わりに、私が持っていたガノン侯爵家の家紋が私の黒髪で刺繍された白いハンカチを取り出す。
ルミエリスが幼い頃、ザーラに鞭打たれながら学んだ刺繍で作ったものの一つだ。
苦い思い出の品だが、役に立つ時が来たらしい。
「あなたの名前は?」
「あ、アリナ、です。」
「そう…では、アリナ。私の専属侍女になりなさい。」
そう言って、手に持っていた白いハンカチをアリナに差し出す。
するとアリナはあからさまに戸惑った。
「わ、私がお嬢様の専属侍女!?こ、ここにきて、1年も経ってないのですが…」
「大丈夫よ。私も貴族令嬢初心者みたいなものだから。」
「そ、そんなわけないじゃないですかぁ〜」
この世界の貴族令嬢は自分の髪の毛を使ってハンカチに家紋を刺繍する伝統がある。それは家族にあげたり、婚約者に渡したりなど様々な用途があるのだが、使用人に与える場合、ハンカチの持ち主が最も信用している使用人である証となる。
下手したら私のハンカチは使い道が無いかもと思っていたけど、見つけた。
長い間悩まされた病によって人間関係で色々と苦労した私の直感が囁いている。
この子は信用できる、と。
「お願い、受け取ってちょうだい。あなたしかいないの。」
そう言って真剣にアリナを見つめると、アリナは葛藤するように目を瞑って唇を噛み締めた後、そっと目を開き、震えながらハンカチを受け取った。
「ふ、ふつつかものですが、よろしく、お願いしまふっ!」
緊張するあまり噛んでしまった彼女の姿が愛おしくて、私は彼女に抱きついた。
「ありがとう。私の専属侍女になったこと、絶対に後悔させないわ。
お金の心配はさせないから、老後も安心して暮らしましょうね!」
まるでどこぞの御曹司のような言葉だが、一応本気だ。
今後この家から独立し安心して生きていくためにも、とりあえずお金持ちの婚約者を探してみよう。厳しい世界だ、お金さえあれば愛は最悪なくてもいい。
それも無理だったら父から貰うお金を使って商売を始めるのもいいかもしれない。
異世界の知識もあることだし、いざとなれば自分で儲けることもできるだろう。
そうなれば街へ出て市場調査もしなければ
…よし、頑張るぞ!
「お、お嬢様、苦しいです〜」
「あ、ごめんなさい。」
意気込みすぎて抱きしめる力も強くなってしまったらしい。
とりあえず離してあげて、気になっていたことを聞く。
「ところで、アリナって何歳なの?16歳とか?」
「え…今年で25歳ですが…」
「…嘘でしょう?」
長い茶色い髪を2つにくくり、胸がまな板の彼女は思ったより年上だった。
…ロリっ娘ってやつかな。
プロポーズ風です。