マルチバースよりは、一つの世界を色んな角度から見たい
人生が一通りでないように、物語にも色々な視線が欲しい。
自分はどんな物語が好きかを考えた。創作の関係で、マルチバースという言葉はよく耳にすると思う。定義は色々とあるだろうが、マルチバースを取り扱う作品は、世界はひとつじゃない、さまざまな可能性の世界があるという前提で話が進んでいく。いろんな世界のキャラクターが入り混じったお祭り的な作品や、一つの世界の立場から他の世界を否定する変化球的作品など、ヴァリエーションは様々だ。自分もいくつかそのような作品に触れ、面白いと感じる作品もいくつかあったが、いまいちツボにハマらなかったというのが今のところ結論。
なぜかというと、世界ってやっぱり一つしかないと思うからだ。一つの世界をしっかりと見るのに一苦労だし、そもそもマルチバースがなくったって、世界は十分に多面的で魅力的だと感じる。大体、いくつも世界が併存するなんて考えていたら、今の世界、今の人生の大切さが薄れやしないですかね。もし自分が物語の登場人物だとして、実は君が生きている現実の他にもたくさんの現実があって、色んな種類の君がいるんだよ、なんて言われた日には、明日から生きていく気力が失われるってもんですわ。この自分がいなくなっても、他の現実で他の自分が変わらず生きているなんて、自分の人生が冒涜されているみたいに感じるのです。
マルチバース疲れからくる愚痴は置いておいて、自分は一つの世界の中で、一つの物語が進行する作品が好きっていう話です。そして、メインで取り上げらる物語が一つだとしても、登場人物の視点によってその捉え方が変わってくるような作品が特に好きなのです。これは必ずしも複数の主人公がたてられている作品を指しわけではなく、主人公が一人だとしても、その他の登場人物、サブキャラに限らず個性を十分に描写されないモブキャラの視点からも、この物語はこんな風にも捉えることが出来るよなと、鑑賞者に考えさせることのできる作品を指します。上手く言葉に出来ないのだけれども。
逆に、複数の主人公を配置しながら、最終的に特定の主人公の考え方に全てを集約するような作品は苦手です。それは特手の主人公の正しさを補強するために他のキャラクターを配置しているようなもので、世界をたった一つの見方に固定するものだから。世界を、人間を蔑ろにしているという点では、自分にとってはマルチバースものと同じです。
なんだかんだ言いましたが、結局のところ、自分は主人公、主役でない人への優しさ、気遣いを感じさせる作品が好きなのだと思う。中高生の時にライトノベルを読んでいて、名前もない登場人物が、記号か何かと同じような扱いで犠牲になる描写に違和感を覚えた時から続いている感覚。犠牲になる描写を否定する訳ではなく、そう言った人物にもそれぞれの人生があったということを少しでも良いから触れて欲しいと感じたのです。ある人のために、他の人の人生が踏み台にされ、蔑ろにされるというのは、この世でもっとも忌むべきことだと思う次第。
今回、なぜこのような話をしたかというと、先日とある映画を観て、妙に感動してしまったからなのです。話の大筋は昔からよくある内容で、特に衝撃的であったっり、珍しかったりする訳ではないのに、心に強く残る不思議な作品。自分なりに、なぜそのように感じるのがあれこれ考えた結果が上記の通り。その作品には主役級の登場人物の他に、群れをなし、個性を無くしたキャラクターが出てくるのですが、それが本当に困った存在として描かれていながらも、物語の中で存在を否定されず、最後には何かから解放されたような姿が描かれていました。この物語は彼らのための物語でもあったのだと、腑に落ちたのです。それが大変嬉しかったという話。 終わり