表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

白雪姫とマザーファッカー

~絵里子の場合~


自分の想像を超えたところにある理不尽にどんなまなざしを向けるか。また、素直に手を差し伸べることができるのか。それこそがやさしさを測るものさしになる。

これはけっしてやさしい人間とはいえない私が、二十三年間生きてきてようやく考えるようになったことだ。やさしくなりたい。そして欲を言えば他人からもやさしくされたい。でも簡単に誰かを信用してしまえば恐ろしいしっぺ返しが待っている。

私が信じることの怖さを知らされたのは七歳の頃だった。リストラ後いつまでも働かずぷらぷらしている父に愛想を尽かした母が私を連れて家出。母娘二人での暮らしが始まってすぐに、夜な夜な"イタズラ"をされるようになった。最初はただくすぐられるだけだったのだが、そのうち私の身体を触るだけでなく舐めまわすようになった。母娘のスキンシップというには度を超えていた。

私は母が恐ろしかった。"イタズラ"が終わったあとはいつも母の寝息を聞きながら布団の中で泣いていた。

「絵里子、絵里子」

母の呼ぶ声が頭の中でしつこくリフレインする。いつしか自分の名前も嫌になって、学校ではあだ名で呼んでもらうようにした。

この秘密を誰か大人に言ってしまおうと思ったこともあったが、結局寸前で母が不憫になってやめてしまうのだった。


それから十数年。現在私は平凡な無職として福祉に頼りながら暮らしている。罪悪感に駆られることもあるが、こうでもしないと生きられないのだ。

以前働いていたバイト先で接客中に泣き出してしまってからはすっかり自信を失い、外出もままならなくなった。なんとか一人暮らしできる環境を得て、母とは離れられたのがせめてもの救いだ。

こんな具合だから、恋愛は自然と後回し。好みのタイプはあるけれどそもそも人と関わることに耐えられない。だからといって一人でいるのもつまらないからこうして小説を書いている。

いつか運命的な出会いをして、自分を変えるような恋をするのだろうか。そんな日が来たらいいなと思いながらも期待はできない。きっと私には縁のない話だろう。





。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+*

~由紀の場合~


中学生のときの出来事。バスケ部の練習から帰って、ダイニングテーブルに何気なく目をやると、大切にしていたシフォン生地のスカートがバラバラに切り裂かれて散らばっていた。よく見ないとわからないくらい薄いピンクのそれ。友達と遊びに行った際にお小遣いで買ったものだった。

犯人はすぐにわかった。母だ。

「なんで……?」

理由なんてわかっている。でも訊かずにはいられなかった。母は答えない。

「お母さん、どうしてこんなことするの? ひどいよ!」

そう言った瞬間、母の顔つきが変わった。

「アンタみたいな」

アンタみたいなノッポが色気づいたってしょうがないじゃないの、ただでさえ役立たずなのに、と。

「え……」

一瞬何を言われたのか理解できなかった。しかし、みるみるうちに怒りがこみ上げてきた。私は確かにすごく背が高い。でも決して色気づいたわけではない。むしろ身長のせいで男子からは敬遠されているし、女子からも気味悪がられている。中一の夏までずっといじめられっ子だった。そのことは母だって知っているはずだ。なのに、なぜ。

「お母さんは、わたしのこと嫌いなの!?」

「当たり前でしょう。あーあ、あんたなんか産まなきゃよかったんだ!」

母の声は甲高く裏返っていて、とても正気とは思えない様子だった。

「……」

言葉を失った。あまりの怒りに何も言い返すことができなかった。私はこのとき初めて母に対して恐怖を覚えた。

母に嫌われていることにはずっと前から気づいていたけれど、スカートの一件で私は身の危険さえ感じるようになった。あれ以来、母とはまともに口をきいていない。社会人の今では同じ家にいても顔を合わせることすら避けている。

あの後必死で勉強して地元で一番偏差値の高い高校へ進学した。それでも母の目は相変わらず冷たかった。有名な大学を出て、大手企業への就職をかなえても、母の態度は変わらなかった。


ある日、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで、たまたま雑誌を手に取ったときのことだった。表紙を飾っていた女優さんが可愛くてつい立ち読みしてしまったのだが、そのときふと視線を感じて目を上げると、なんとガラスの向こう側に母がいた。

慌てて雑誌を棚に戻し、店を出ようとしたところで、店員さんの「ありがとうございました」という声が聞こえてくる。どうしようもないほどの恥ずかしさに苛まれながら、逃げるように帰路についた。




┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


昨日の夜、大学のゼミで一緒だった男友達の晴人が「会わせたい人がいる」と電話で飲みに誘ってきた。相手は私たちと同い年の女の子らしい。

「ぜってー気に入るから」

彼は自信満々といった様子でそう言うのだが、正直不安しかなかった。

「え、何。あんた私のこと話したの?」

「ちげーよ。俺が人の秘密ベラベラ話すように見えるか?」

その子は晴人の幼なじみで、ちょっと変わっているけどいい子だよ、とのこと。

「まぁとにかく来てみろって」。


土曜日の今日、私は言われるがままに待ち合わせ場所の駅に向かう。

「おはよう」

「おう、来たね」

「で、どこ行くの?」

「それは着いてのお楽しみ。あっほら、見えてきたぞ」

彼が指さした先に目をやると、そこには古びたアパートがあった。

「ここ?」

「そうそう。今日は宅飲みだから」

二階の角部屋のインターホンを押す。

しばらくしてギィィと軋む音とともにドアが開かれた。

「ハル君」

「ようエリー」

エリーと呼ばれた女性は、晴人と私を交互に見て、少し不思議そうな顔をした。

「そちらが例の方?」

「ああ、紹介するよ。こいつは由紀、俺の大学時代からの友達なんだ」

「初めまして。由紀です」

「あ……私は、エリーです」

差し出された手を握りながら、彼女の顔を見下ろす。

色白の素朴な顔立ち。でもどこか神経質そうにも見える。エリーさんは私より三十センチ以上も背が低く、まるで小学生みたいだ。髪の色は栗毛色。染めてるのかな?

「今日はよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ」

「さあ、入って。汚いとこだけど」

「おう」

「お邪魔します」

部屋に入ると、まず最初に目に入ってきたのは壁一面を埋め尽くす本だった。本棚だけでは収まりきらなかったのか床にも大量の本が積まれていた。

「すごい……」

思わず感嘆の声が漏れる。

「エリーは小学校のときから本の虫だもんな」

「うん」

いまは無職だし時間ならたっぷりあるからね、と苦笑いする部屋の主。

「読書が好きなんです。小説とか漫画だけじゃなくて、図鑑や写真集なんかもよく読みますよ」

「そうなんですね」

「おい、お前も自己紹介しろよ」

「あ、そうだった。改めまして、私は加賀美由紀といいます。晴人の友達です。よろしくお願いします」

「はい。由紀さん、ですね」

「えっと、エリーさんは……」

「私は絵里子です。深山絵里子。エリーって呼んでください」

彼女は小さく微笑んだ。


テーブルの上にはすでに何品か料理が用意されている。

鶏の唐揚げに、アボカドのサラダ、そしてカプレーゼ。

どれも美味しそうだ。

「これ、全部エリーが作ったのか?」

「ううん。ほとんど買ったものだよ」

「へぇー、すげえじゃん」

晴人は手放しで彼女を褒め称えた。

私は黙々とビールを飲んでいる。

「ねえ、晴人」

「ん、どした」

エリーさんが席を立った隙に訊いてみた。

「なんでさっき買ってきた料理を褒めたの?」

「あー、それは……」

彼はバツが悪そうに頭を掻く。

「私がひきこもりだからですよ」

クスクス笑いながら答えたのはエリーさんだった。いつの間にか私たちの後ろで話を聞いていたらしかった。

「いつもは宅食なんだけど、二人が遊びに来るから頑張って外に出たの。調子に乗って髪も染めちゃった」

買い物に行けたことを褒めてくれたんだよ、と楽しそうにしているエリーさん。その様子が可愛らしくて思わずグッときてしまった。

「?」

「あー、エリー。由紀はいい奴だから安心してくれ」

晴人が言った。

「もちろん知ってるよ。ハル君が連れてきた人だもの」

エリーさんは優しく笑う。

「俺が言うのも変かもしれないけど、由紀は本当に信頼できる人間だ。俺が保証する」

「うん。分かってる」

晴人の言葉を聞いた彼女は満足そうに目を細めた。

「由紀さんとならお友達になれる気がする。てか、なりたいな」

「私もです!」

私たちは固い握手を交わした。

「いいね、青春だね」

晴人はそんな私たちを見て嬉しそうな顔をしていた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


"急用で"先に帰った晴人。

残された私とエリーさんの二人きり。

「じゃあ改めて乾杯」

「かんぱーい」

甘い缶チューハイをぐいっと飲む。

「ねえエリーさん、立ち入ったことを訊いちゃいますけどご家族は?」

「いないです」

「あっ……すみません」

「いないっていうか、一応生きてはいるんだけど折り合いがよくない」

「そうなんですね」

「うちの両親は昔から仲が悪くて、しょっちゅう喧嘩してました。私が小学校低学年のときに離婚して、母に引き取られた私は父に会うこともなく、気付いたらすっかり疎遠になっていたな……」

「エリーさんはお父さんに会いたいとか思わないですか」

そう問うとエリーさんは少しうつむいてしまった。

「……」

「会いたいけど、なんだか母に悪いような気がして」

「お母さんに?」

「母にはずいぶん酷いこともされたけど、この歳まで育ててもらったし。その母が喧嘩別れした相手に会いたいなんて言い出せないですよ」

「でも、エリーさんはもう大人だから自分で決めてもいいんじゃないかな?」

そうだけど罪悪感があるの、とエリーさんは言う。

「ママが私を監視してるような気がするから、クローゼットの隙間とかカーテンの隙間とか、怖くていつもきっちり閉めてるんです。一人暮らしなのにおかしいでしょ?」

「そうですね……」

大人になってもその存在に怯えつづけなきゃいけない親なんておかしいです、と私は答えた。

「人様の親御さんを悪く言うのは心苦しいですけど」

エリーさんがあまりに可哀想だったからつい言ってしまったのだ。

「ありがとう。由紀さん」

エリーさんは泣き出しそうな顔で笑っていた。

「私、ずっと寂しかったんですよ」

彼女はぽつりと言った。

「いままで誰にも相談できなかった。だってみんな自分のことで精一杯だったから」

「エリーさん」

「私はね。母親に性的なことをされていたんです」

エリーさんの告白を聞いて、私の頭は真っ白になった。

「びっくりしましたか?」

「……」

「セックスが何かもわからないうちからオモチャみたいに扱われて、それでも母を悲しませたくない一心で従ってきました」

エリーさんは淡々と話している。まるで他人ごとのように。

「エリーさんはそれでよかったんですか?」

私はようやく声を絞り出した。

「もちろん嫌でしたよ! でも、他にどうすれば良かったんだろう? 私はバカだから、何が正解なのか分からない」

「……」

「誰かに助けてもらいたかった」

でもね、とエリーさんは続ける。

「私は悪い子でしたから、助けてもらうどころか大人には叱られてばかりだった」

本当に悪い子でした、と彼女は繰り返した。

「拒めば、母は半狂乱になってしまうんです。自分の手首を切ったりね。その弱さに腹が立って、だんだん私は弱いことは悪いことだと思うようになりました。気付いたらすっかり意地悪な子どもになっていましたよ」

「……」

「あるとき人に、それはいじめっ子の論理だと言われて。ああ、私は傷付ける側の人間なんだなと思いました。私、やさしくなれないんです」

「……そんなことはないと思いますよ」

「どうしてそう思うの?」

「エリーさんがやさしい人だからです」

私は彼女の手を取った。その指先は冷たく震えていた。

「私も母にはとても傷つけられました。大切にしていた洋服を切り刻まれたり、ブスだのノッポだのしょっちゅう言われていました。なぜか今でも実家暮らしを続けているけど、母に対しては殺意しかないです」

「由紀さん」

「アンタなんか生まなきゃよかったって言われたときは本当に死にたくなりました。憎んで憎んで、いつか復讐してやると思っていた」

「……」

「でも、その憎しみは愛情を求める気持ちの裏返しだとも思います」

エリーさんの手を強く握った。

「エリーさん、私たち生きていきましょう」

「由紀さん……」

「一緒に強くなって、幸せになりましょう」

「……はい」

エリーさんは私の言葉に静かにうなずいた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「そろそろ帰んなきゃ。母に叱られちゃう」

「門限があるの?」

「休日は21時です」

エリーさんは目を丸くしている。

「23歳なのに?」

「23歳なのに。正直帰りたくないですよ」

「じゃあ、うちに泊まっていきませんか?」

彼女は唐突な提案をした。

「えっ!?」

思わず大きな声が出てしまう。

「由紀さんさえ良ければだけど……」

「いいんですか?」

「私は平気。洗い替えのお布団があるし」

エリーさんはそう言って微笑む。

「お風呂も沸かすし。シャワーだけよりゆっくりあったまったほうが疲れが取れると思うから。どうですか?」

「お願いします!」

「やったー! 決まりね」

彼女は嬉しそうだ。

「ちょっとコンビニで下着を買ってきます」

私は急展開についていけず、呆然としながら部屋を出たのだった。


玄関の外で母に「今日は帰らない」とLINEをいれる。コンビニに向かう間、通知が鳴り止まなかったけど構うものか。

「ただいまです」

エリーさんの部屋に戻ってきた私は息切れしていて苦しかった。

「おかえりなさい」

エリーさんはにこりと笑って出迎えてくれた。

「いまお風呂を沸かしているところです」

そう言いながら彼女は台所に立った。

「何か手伝いましょうか」

私が声をかけると、彼女は振り返って言った。

「大丈夫ですよ。由紀さんはテレビでも見て待っていてください」

「はぁ」

エリーさんはてきぱきとお皿を出している。手持ち無沙汰なので、なんとはなしにすっかり暗くなった窓の外を眺めた。

「綺麗」

ベランダの向こうではたくさんの家々に明かりが点っている。

「この景色が好きなんですよね」

いつの間にかエリーさんが隣にいた。

「ここに越してきたばかりの頃、毎日泣いてばかりいたんです。こんな素敵な街にひとりぼっちで住むなんて無理だって思って」

「……」

「でもね、引っ越してきて良かった。仲良し母娘を演じることにはうんざりしていたから」

それにこうして由紀さんともお友達になれたしね、と言ってエリーさんは笑った。

「あの、エリーさん」

「なあに?」

「どうして私を家に呼ぼうと思ったんですか?」

彼女は少し考え込むような仕草をして、「秘密です」と言った。

「ひ、ひみつ?」

「内緒」

エリーさんは人差し指を唇に当てていたずらっぽく笑う。

「教えてくださいよぉ」

「だめ」

エリーさんと出会って間もないのに、私はすっかり甘えん坊になってしまったようだ。彼女にもっと近づきたいと思っている。


夕食はレトルトのビーフシチューをご馳走になった。一番風呂を頂いて、あとは寝るだけだ。私は布団の上に座り込んで、スマホでYouTubeを見ている。エリーさんがおすすめしてくれたのだ。

「これ、すごく面白いですよ」

「そうなんだ。知らなかったです」

私は画面の中の女の子たちに夢中になっている。

「かわいい」

「由紀さんのほうが可愛いですよ」

「ありがとうございます」

エリーさんがドライヤーで髪を乾かしている音が聞こえる。

「そろそろ寝ますか?」

「はい」

歯磨きを終えて、布団に入る。

「電気消しますね」

「お願いします」

部屋の照明が消えると、カーテンの細い細い隙間からわずかに差し込んだ月明かりだけが頼りとなった。エリーさんは私の右隣の位置に横たわった。

「エリーさん」

「はい」

彼女のほうを見ると、目が合った。

「もしも嫌じゃなかったら、手を繋いでもいいですか」

「もちろん」

互いに手を伸ばして、しっかりと繋ぐ。エリーさんは温かい。心臓の音まで聞こえてくるようだった。

「ずっと誰かにこうされたかった」

私の声は震えていた。

「エリーさんの手、小さくて柔らかいですね」

「由紀さんは大きいです」

「一言余計ですよ」

私たちはクスクス笑い合う。

多幸感に包まれたまま、いつの間にか私の意識は眠りの底に沈んでいった。

[完]

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ