1-8 ゆるふわ女教師の怠惰
「ふぅ、ざっとこんなものかなぁ」
額の汗を拭う睡花と、ようやく一息をつけた天音。そして、何事もなかったように合流する僕。
「——だいぶ片付いたな」
「ブラボー。見違えるような仕上がりじゃないか」
賞賛の声をあげる天音の先には、先程までのゴミ屋敷とはうって変わった、文化部の部室といっても申し分ないくらいに片付いた一室が出来上がっていた。
埃をかぶっていた書棚やソファは綺麗に掃除され、心なしか新品のように輝いて見える。
教室の隅にまとめられた、四十五リットルゴミ袋四つもでた不用品が、掃除の壮絶さを物語っていた。
時刻は午後五時。なんだかんだで一時間くらい掃除していたことになる。
さて、と。僕たちはようやく一息つけようとしたところで、とある女性の声が響いた。
「あら、みなさんお掃除してくれたのですか? とっても助かります〜!」
入り口からひょいと顔を覗かせる長身の女性がいる。
可愛らしい声優といっても忖度ないボイスと、のんびりとした口調の先を追いかけると、そこにいたのは担任のゆるふわ女性教師・麻木先生だった。
「あ、麻木先生? どうしてここに」
すると麻木先生は、んーと小首をかしげる。
「どうしてと言われましても〜、図書室の管理責任者は私だからなのですよ〜。いつも通りですが、誰も利用者さんがいないので図書室の鍵を閉めにきたんです〜。ですけど、準備室に天音ちゃん以外の子がいるみたいだったので、ちょっと覗いてみたんです〜」
そう言うと麻木先生は、僕の隣にいる少女・柚月天音に目配せをする。天音は無言で、先生に対しお辞儀をした。
「お疲れ様です。麻木先生」
「お疲れ様なのですよ〜、柚月さん。——うんうん、あなたにたくさん友達ができたみたいで、私も嬉しいですよ。私の心配は無用だったみたいですね〜」
「——はい」
笑顔を浮かべながら周囲を見渡して「うんうん」と頷く麻木先生と、微妙にだが、少しだけ表情を硬くしたような気がした天音。
どうやら二人の間には、以前から面識があったようで、ちょっとだけ関係性について問いただしてみようかと思ったその時、睡花がそこに割り込んできた。
「あ、麻木ちゃん先生! お疲れ様です!」
小動物のような仕草で駆け寄ってくる睡花に麻木先生は小さく微笑み返し、それから彼女の視線は、睡花の抱き抱える生き物に目が行く。
「あらあら〜、水面さんも一緒だったのですね。それに——可愛らしいお友達も連れちゃって、いいですね〜」
「はい! 眠りウサギのねむちゃんっていいます!」
「きゅ?」
何もわからないといった様子で小首をかしげる眠りウサギの優しい毛並みを、麻木先生は優しく撫でた。
「うふふっ。よろしくね〜、ねむちゃん」
「きゅー」
気持ちよさそうに目をつむる眠りウサギとにこやかな麻木先生の小景は、それだけで絵になるような微笑ましさが感じられた。
まるでその光景が、日常であるかのように。
まるでその光景が、違和感のかけらもないかのように——だ。
「えっと……麻木先生と天音はどういった関係で」
「麻木先生は、私の部活の顧問をしているのさ」
そう言ったのは、麻木先生ではなく天音だった。
うんうんと、麻木先生は頷く。
「そういうわけなのですよ〜。ここ図書準備室の管理人にして、天音さんが学校で原稿をするための建前として作った文芸部の顧問とは、私のことなのです!」
どどーんという効果音が鳴るかのように堂々と豊かな胸を張って、決めポーズをする麻木先生。
それに対し「おー」と揃って仲良く歓声と拍手をする睡花と眠りウサギ。
それにどうリアクションするのが正解かわからない僕といった奇妙な立ち位置。
そこでふと僕はあることを思いだし、問いかけてみることに。
「えっと、ちなみになんですが、管理人なのにあの教室の荒れようは一体どういうことで」
「……」
あ、急に黙りやがった、このゆるふわ教師。
口を結んで目線逸らし始めたぞ。
「どうなんでしょう?」
追撃、二連コンボを決めると、麻木先生は白状したように「もー!」と、じたばた喚き始めた。
「だってだって〜、面倒じゃないですか〜! だれも利用しないのに、クタクタになるまでろくに話も聞いてくれないような皆さんに授業をしてから、ようやく放課後机に山積みになった仕事に取り掛かれるというときに掃除をする時間なんて、教師のどこにあると思うのですか? ありますか? ないですよね? つまりはそういうことです!」
駄々をこねて、根拠のかけらもない理由で論破し始める、語彙力のない国語教師の姿がそこにあった。つまり、この教室の荒れ模様の元凶は、正真正銘、麻木先生だったのだ。
「いや、一応生徒が教室使ってるんですよね? そうですよね? 麻木先生〜?」
「うぐぐ〜。ぐうの音も出ません〜……。はい、私はずっと掃除をさぼって、天音さんに教室を提供する代わりに掃除のお願いをしてました〜。白状します〜……」
「で、それで天音が特に気にしないで掃除しなかったから、あの世紀末みたいな部屋の状況だったと」
「そういうことになるね」
「お前も誇らない」
あははっと、天音は僕の指摘を気にも留めずに鼻で笑った。
どうやら軽くツッコミを入れれるくらいには、尊敬する天音との間柄は平行線へと近づいてきたようだ。
というか、いつも堂々としている彼女だが、本質はというとただの自由人のようである。
僕たちと何ら変わらない、一人のちょっとだけ高飛車な女子高生がそこにいるだけだった。