火種
ある日。士会はウィングロー幕下のシャスターと、模擬戦を行っていた。想定は丘陵地帯での遭遇戦。数は五千と、こちらと同数。いきなりぶつかるのではなく、互いに斥候を出して相手の位置を探るところから始めた。当然、先手を打てた方が有利である。しかし今回は、見つけたとほぼ同時に見つかってしまっていた。
幸い見つかったことに気づけたので、それを念頭に置いて動けた。丘を回り込むようにして、後ろを取りに行く。
会敵した時には、シャスターは反転を終えていた。こちらの動きを読んで、迎撃の構えを取られたようだ。そうそう有利な局面を、迎えさせてはくれない。
ぶつかる前に、丘上からビーフックの率いる騎鴕隊が逆落としの攻撃を仕掛けた。しかし、これも読まれていたようで、シャスターは即座に隊を分け、ビーフックの通り道を開けるようにして攻撃をいなした。まあ、敵を俯瞰して騎鴕隊の姿がないとなれば、どこかに隠れていると考えるのは当然か。他に物がない原野戦では、丘裏にいると考えるのが妥当だろう。
ぶつかった。士会は一気に押しまくらせた。せっかくビーフックが隊を分断してくれたのだ。すぐに戻るだろうが、その前に押し切れるなら押し切りたい。
そこらの呼吸は白約が一番飲み込めていたようで、中央から楔のように敵陣に入り込んでいた。しかし、両翼のピオレスタと紐燐紗は後に続けていない。否、白約だけ引き込まれたというべきか。何にせよ、このままでは孤立する。
「白約に伝令、押しすぎるな、下がれ!」
さらに士会は自身の隊を二つに分け、白約を挟むようにして、退却を援護した。
「危ねー! 助かりました、士会殿!」
「まだだぞ、白約。再突撃だ」
そうこうしている内に、シャスターの陣はずいぶんと姿を変えていた。鶴翼に変形し、瞬時に押し包もうとしてくる。
士会は両翼のピオレスタと紐燐紗に、それぞれ小さく固まり、薄く広がった翼を突破するよう指示を出した。白約の隊と一体になった士会は、中央のシャスター目掛けて突撃を仕掛ける。
シャスターの周囲は四段に分けて構えており、守りは分厚かった。元より、この状態で突破し、シャスターまで達せるとは思っていない。ただ、ピオレスタと紐燐紗の突破が成功すれば、三方から囲むことができる。
しかし、敵の騎鴕隊を相手にしていたビーフックが振り切られ、ピオレスタの離脱に対しての介入を許した。崩れずに踏みとどまったのはさすがだが、鶴翼の内側に残される。紐燐紗は無事、翼の一端を食い破って敵の側面に出ていた。
シャスターは一隊を紐燐紗に当て、包囲した士会たちを一気に押し潰そうと圧力をかけてくる。ただ、囲み損ねた紐燐紗に、注意の何割かが向いている兵がいるようだ。
士会は麾下を率いて、先頭でシャスター目掛けて突っ込んだ。手にした棒を振り回し、一人、二人と打ち倒していく。開夜の威圧に晒され、少し囲みが緩む。
それを見計らって、ピオレスタと白約がそれぞれ別の方向に敵を突破した。そのまま白約は紐燐紗と対峙していた敵を挟撃に持ち込む。ピオレスタはシャスターの軍を側面から牽制する構えだ。
士会だけが、いまだに包囲に取り残された形だった。部下が逃れても、総指揮が討たれては意味がない。シャスターは他に構わず、士会の隊を揉み潰そうとしてきた。それに、小さく固まりながら必死に抗う。
「正念場だ! 耐えろ!」
叫びながらも、士会は繰り返し前に出て敵を倒していく。しかし、こちらの兵はそれ以上の速度で減っていた。
それでも、シャスターの思惑ほど早くは擦り減らなかったようだ。紐燐紗と白約が挟んだ敵を殲滅し終え、シャスターの側面を取る。逆側にはピオレスタがいる。今度はシャスターの全軍を挟み込んだ。
動揺が走り、包囲が緩んだ。すかさず士会は全力で囲みを破り、ピオレスタと合流した。
士会の脱出に合わせて、シャスターも動いていた。四隊に分かれ、八隊に分かれ、幻惑を繰り返しながら挟撃から脱する。包囲から逃げるのに精一杯だった士会は、上手く指揮を通せず、シャスターを逃がしてしまった。
両軍ともに一つになり、にらみ合いに入る。しばらく対峙が続いたところで、決着の旗が振られた。
決着と言っても、これは引き分けだ。遭遇戦が一旦仕切り直されたので、模擬戦が打ち切られたのだろう。ふう、と士会は一息吐いた。
ウィングロー軍とは、こうして調練を一緒にすることが多かった。模擬戦の時は基本的には士会が総指揮を行うが、時折紐燐紗にやらせることもあった。編成に柔軟性を持たせる意味合いもあるし、紐燐紗を育てる意味もあった。ウィングローも、いずれ大軍を指揮させるものとして紐燐紗を見ているようだ。
勝ち切れなかったが、士会の意気は落ちていなかった。こちらは五千を率いてまだ日が浅い。それで歴戦のウィングロー軍の指揮官相手に引き分けて見せたのだから、ひとまずはよしとすべきだろう。指揮下の兵も、かなり自由に扱うことができるようになってきた。さすがにウィングローが育てておいてくれた兵であり、指揮に対する反応が良い。
とはいえ、悔しいものは悔しい。いずれ超えてみせると心中で誓いながら、士会は諸将たちと反省会を開いていた。全員草原に座り込み、輪になって顔を突き合わせている。
「申し訳ありません、私が振り切られたから」
「いや、騎鴕戦そのものを任せきりにしたこっちにも非がある。歩兵と騎兵との連携不足は、課題の一つだろう。今度バリアレスのとこのベルゼルに、話でも聞いてみるか」
「いいですね。彼は歩兵を利用した騎鴕戦術に関しては、独自の域に達しています。教授を頼んでみましょうか」
ピオレスタはベルゼルの元上司だ。頼みやすいだろう。
「ああ、そうしてくれ。俺もなんだかんだ、バリアレスの突破力に頼ってきた節があるからな。ここらで騎鴕と歩兵との関係について、考え直さないといけないかもしれん」
「私は、兄上のような鋭さを身に着けたいところですが」
「あれは天性のものってところもあるぜ、ビーフック。真似しようにもできない部分もあるんじゃないか」
士会も白約と同意見だったが、それより背後からすり寄る気配に気を向けていた。背後で足音が止まり、そして――
「おわっ、危ないじゃないですか、士会殿」
士会は自分の尻を守るようにして、嵐天剣を地面に突き立てていた。その寸前で手が止まっている。
「俺としては、刺すつもり満々だったぞ、シャスター」
手を出しているのは、先ほどまで士会の相手をしていたシャスターだ。厚い眉に濃いひげ、短く切った黒い髪とむさくるしさを感じさせる。体躯もがっしりとしていて、士会と同じくらいの背丈をしていた。この世界では偉丈夫と言っていいだろう。
このシャスターという人物、優れた指揮官ではあるのだが、困った癖がある。同性相手に性的ないたずらを働きまくるのだ。特に尻を触ってくることが多い。士会も最初は容赦なく撫でられ驚いたが、すぐに適応して自衛するようになった。
「寂しいこと言いますねえ。尻の一つくらい、いいじゃないっすか」
「今忙しいので後にしてもらえますか」
これ以上なく冷えた声で士会が言うも、シャスターはその場に腰を下ろした。
「へっへっへ、後なら存分にいいんですかい」
「百年後くらいなら。お互い生きてたらだけど」
「戦場で生きる者に百年先を言い渡すとは、縁起が良いじゃありませんか」
「寿命もあるし、二度と来ねえ――よ!」
士会の股間に伸ばされた手を、士会は剣の一振りで払いのけた。ちなみにこの防ぎ方は、ウィングロー軍の諸将たちの所作から学んだものだ。皆当然のように真剣で相手をする。しかし決して、傷を負うことはないようだ。
「全く、油断も隙もありゃしない。いずれ模擬戦でも叩き潰してやるからな、覚悟してろよ」
「楽しみに待ってますよ。いやしかし、今日は参りましたぜ。時間の問題とは思ってましたが、もう並ばれるとは」
「開夜の迫力頼みだったからな……。あまり自慢はできない」
「あの巨大な戦鴕はおっそろしいですねえ。うちの兵たちも怯えてましたよ」
「あいつの突撃からチャンスをつかむことは多いな」
「まあ、あっしはそう簡単につかませませんがね。士会殿の玉袋と同じく」
「いらん下ネタを付け加えるな、女子もいるんだぞ」
当然のことながら、シャスターの女子受けは良くない。今も紐燐紗と、特に潔癖なところがあるビーフックは、どこかよそよそしそうな態度を取っている。
「士会、シャスター、ご苦労だった。丘の上で軍議を行う。付いて来い」
丘上で観戦していたウィングローが近づいてきて、士会とシャスターを呼んだ。士会の顔が引き締まり、シャスターの手が士会の尻へと動き、士会の剣が一閃する。
いつもは諸将を後ろに控えさせ、話を聞かせた上で戦の振り返りをする。それが士会とシャスターだけ切り離されたということは、何か重要な話があるということだ。
丘の上からは、士会とシャスターがぶつかり合いをしていた平地がよく見下ろせた。
「ウィングロー殿、何かありましたか」
「ああ。実戦の機会だ、士会。袖が戦を吹っかけてきた」
「これはまた、唐突ですね」
「いや、そうでもない。亡命してきた袖の姫君たちの引き渡しを求める使者を、殿下が無視した。これを外交的非礼として、戦を仕掛けてきたようだ」
以前、袖から来た使者に対し、フィナが街にすら入れないという措置を取ったことがあった。紐寧和、紐燐紗の受け入れを望む側としては頼もしい態度だったが、それが災いを呼んだらしい。
「さすがに、冷たすぎましたかね」
「一切の応対を拒否なされたからなあ。にべもない、とはこのことっすね」
「答えはどうあれ、引見だけでもするのが普通ではある。しかし、おそらくこれはただの口実だろう。太子圏が、皇の機嫌取りに戦勝を使いたい。ただ、それだけの侵攻だ」
士会にも話が読めてきた。紐寧和が脱落したとはいえ、まだまだ袖皇家のお家騒動は白熱している。やはり太子は圏しかいないと皇に認めてもらわなければ、彼の不安は取り除かれないのだ。そのために、あれこれ手を尽くしているのだろう。
「兵力は」
「八千だ。指揮官は朱会要。既に出立しており、陣容も多少見えている。攻城兵器などは持っておらず、野戦がしたいのだろうということだ」
「気が抜けますな。こっちが二万くらい出してきたら、どうするつもりなんでしょうな」
シャスターの言を聞いて、大軍を見て尻尾を巻いて帰る朱会要を想像し、士会は少し笑った。
「追い返すだけならそれでもいいが、せっかくの実戦の機会だ。有効に活用させてもらおう。ありがたいことに、文官たちの間では、士会の名が第一に挙げられていた。まあ、まず間違いなく、軍令が下るだろう」
呼ばれたものの、まだ士会に出陣の命が下ると決まったわけではないようだ。
どうやら、いまだに戦に出せば死ぬかもしれない、と思われているようだった。腹立たしいというよりは、ため息の出る陰湿さだ。しかしそのおかげで、貴重な実戦の機会を得られそうだ。
「俺の率いてる五千で、片づけられますかね。朱会要とは、軽くですが、手合わせしたことがあります。言っちゃ悪いですが、大したことのない相手です」
士会が姫姉妹を連れて山上にこもった時、攻めてきたのが朱会要の率いる軍だった。だらだらした行軍、士気の低い兵と、あまり良い印象はない。
「ふむ。なんとか同数を用意させようと思っていたが、その必要はないか」
「それでもいいですが、多少少なくても勝てる、と思います」
「言いますねえ。おじさんそういう子好きっすよ」
「好意の押し売りは要りません」
「なら、バリアレスをつけよう。あやつならば、新たに確認せずとも、滞りなく連携できるだろう。五千に千をつけるくらいなら、ねじ込むことも容易い」
シャスターとのやり取りには頓着することなく、ウィングローは言った。
バリアレスは、ウィングロー軍に帰ってから、一千を指揮するようになっていた。全軍が騎鴕である。士会の五千に足して六千。数字の上では負けているが、かなり騎鴕が多くなる上、バリアレスとは一年組んだ仲である。八千を相手にしても負ける気はしなかった。右も左もわからなかった、暗江原の戦いとは違う。
「そうですね。それでお願いします」
「一応、近日中にバリアレスを交えた調練をさせる」
「わかりました。出陣に関して、どこまで伝えても?」
「将校までは、言い含めておけ」
袖との戦に関してはそれで終わりで、軽く模擬戦を振り返り、散会となった。シャスターはウィングローに対しては、決していかがわしいいたずらをしない。ほぼ見境なしなのだが、一応は相手を選んでいるらしい。
バリアレスと合同で調練ができるのは、実に都合が良かった。ちょうど、その部下に聞きたいことができたばかりだったのだ。
フェロンに来てから初の実戦だと聞かせると、皆逸るだろうと思い浮かべながら、士会は部下のところへ戻った。