不和解消
新生士会軍の漕ぎ出しは、順調とは言えなかった。
まず、総指揮の士会が増大した兵力に対応しきれていない。今まで指揮していた千からいきなり五千に増え、主要な指揮官も二人から四人に倍化した。それを持て余しているところがある。
ただ、補充された四千あまりの質は、最初からかなり良かった。というのも、元々ウィングローが予備隊として鍛えていた兵だったのだ。どうも、昨年の流れでいずれ士会が将軍に上がることを感じ取り、その指揮下に移る兵として育てていたらしい。ウィングローが士会軍の育成に、大きく力を入れていることがうかがえる。
次に指揮官同士の連携にも、問題があった。兵力が増えた分戦線も自然と拡大し、指揮官同士の単純な距離が増えたこと、そもそも互いの好みや癖といった個性を知らないことなどが原因だろう。
とはいえこれは、慣れでなんとか解決しそうな問題ではあった。それよりも白約が問題視しているのは、新たに増えた同僚についてだった。
無事士会の幕僚として配された紐燐紗に関しては、士会に心酔しているため、あまり大きな軋轢もなく溶け込んだ。士会を神聖視し過ぎるきらいはあるものの、根が素直なためかこちらとも普通に接してくれる。
白約の懸念は、ビーフックにあった。というより、他の士会軍の指揮官は全員が思っていることだろう。士会の指揮には従う。連携も取ろうとはする。しかし、それだけだ。必要最低限の会話以外はしようとしないというか、馴染もうという努力が感じられない。そのせいで、どこかぎこちない空気が軍全体に漂っていた。
ハクロを発つ前に、士会とバリアレスが組んでビーフックの指揮する軍を散々に打ちのめしたことがあった。指揮を受けていた白約が、ちょっとやり過ぎじゃないかなーと思う程度にはえげつなかった。おそらくそれが尾を引いているのだろう。聞くところによると、あれ以来バリアレスも口を聞いてもらえていないらしい。
すねてるんだなーとか若いなーとか思うが、他人事ではない。士会自身、今は自分のことでいっぱいいっぱいだろうし、人間関係にまで気を配っている余裕はないだろう。押しつけてきたウィングローも、娘のことは丸投げにする方針のようだ。調練の中でも優秀な指揮官なのは伝わってくるが、父親としては人並みどころか、不器用であるらしい。
白約にとって、士会は上官でありながら、弟のような存在でもあった。戦闘に関しては尊敬できる。一方で、私生活ではだらしないところや、女性の扱いに慣れていないところもあり、どこか微笑ましい。
今回はそんな士会のため、年かさの者が何とかするべきだろう。……年かさというほど、白約も年上というわけではないのだが。
「そういうわけで集まってもらったのだよ、諸君」
白約の前には、同じくハクロ組のピオレスタと、新たな同僚、紐燐紗の姿があった。今は調練の合間の休憩で、二人には兵舎の陰の人気のないところに集まってもらっている。
「原因が士会殿にあるとはいえ、士会殿は今新しい環境に適応することで精一杯です。加えて殿下との逢瀬もあることですし、同僚で解決したいところですね」
「全く、ビーフックには困ったものです。士会殿の素晴らしさがわからないとは」
「いや、あれで士会殿も面白いところあるけどな。奥手なところとか」
女関連の話題になると、途端に顔を赤くする辺りは、特に人間味を感じさせた。というかその出で立ちといい人柄といい、髪と瞳以外は全く神性を感じない。ハクロでは兵に至ってすらそんな風に思っていた節があり、ほぼ神様扱いしている紐燐紗もそれはそれで異質に見えた。
「神使として、身の清廉を保たなくてはならないのでしょう」
「一途で義理堅いだけだと思うが……まあそれも神使っぽいっちゃそうか」
「いつもの話はそれくらいにしましょう。議題はビーフックのことです。なぜあのような態度を取るのか、その原因を明確にしないと」
「いや、原因はあの模擬戦だろ。どう考えても」
「それはそうでしょうが、あの敗戦がどう彼女に影響しているのか、詳らかにする必要があります」
「すねてるんじゃねえの?」
「そこまで単純なことでしょうか。私には、我々含め士会殿を避けているように感じるのです」
避けている、というのは白約にもうなずける話だった。こちらと極力関わり合いにならないようにしているのだ。当然、軍の中で孤立化している。
「ほんとに事務的な会話しかないですもんね。今はまだ大丈夫ですが、いずれ軍務にも支障をきたすのではないでしょうか」
「そうなる前に何とかしとこうぜ、というのが今回の趣旨だ。どう思う?」
白約が問いかけると、ピオレスタが腕を組んで顔をしかめた。
「難しいですね……何せ一切の意思疎通手段を向こうから遮断されていますから」
「んー、そんなにややこしい話でもないんじゃないですかね」
すました顔で、紐燐紗はそう言ってのけた。何か妙案があるのかと聞くと、得意気な顔をして答えを返す。
「軍人の対話は戦でやるのが一番! というわけで、模擬戦か立ち合いを一戦」
「却下」
「なんでですかー!」
なんでも何も、模擬戦でボコられてへこんでいる相手に、さらに追い討ちをかけに行くのはどう考えても悪手だろう。
そう言うと、紐燐紗はさらに否と言った。
「そうでもないですって。私だって士会殿に叩きのめされた口ですもん。大事なのは、その後だと思います」
「後……?」
「はい。私も自信を無くして沈んでいましたが、姉様にそこから引き揚げていただいて、ようやく必要なことだったんだと理解できました。ですが聞いている限り、ビーフックにそういった手当てが入ったようには思えません」
言われてみて、白約はピオレスタと顔を見合わせた。バリアレスはおそらく、やるだけやって放置しただろう。ウィングローが処置していないとは言い切れないが、父親としての不器用さを見るに、特に何かしたわけではなさそうだ。
「そう思うと不憫ではあるな……」
「というわけで、善は急げ、です。私、今から立ち合いに誘ってきますね!」
「早いな! もうちょっと計画を詰めてから……」
止める間もなく、紐燐紗は駆け去ってしまっていた。仕方なく、白約もピオレスタとともに後を追う。速い! 皇子とはとても思えない身体能力の高さだ。
追いついた時には、一人で槍を振っていたビーフックに対し、既に紐燐紗が挑発をかけていた。
「ですから、なぜ私が紐燐紗殿と戦わねばならないのですか」
「問答無用! 同じ軍人同士、売られた喧嘩は買ってください! あと皇子扱いは止めてください」
「いえ、皇子を相手にして不敬なことはできません。そもそも、喧嘩とは一体――」
紐燐紗は前置きもなく、いきなり剣を抜いて斬りつけていた。ビーフックは手にしていた槍でそれを難なく受ける。元より、防がれることが前提の太刀筋だった。
「なっ、なんなんですか、いきなり――」
「問答無用と言いました! 今私は猛烈に戦いたい気分なのです! 鋭く! 激しく! 勇ましく!」
言っていることは狂犬のそれである。とても皇子の物言いとは思えない。しかし始まってしまったものは仕方ないので、白約はしばし静観することにした。
白約は紐燐紗の単騎戦闘を初めて見るが――これがどうして、かなり強い。自分でも、勝てるかどうかわからない。これが皇子である以前に、二回り以上年下の剣技というのが驚きだ。天稟にも恵まれ、かつ努力もしている。士会やウィングローがその力を買っているのも、わかる気がした。
一方のビーフックも、さすがファルセリア家の娘、槍の技能には目を見張るものがあった。始めこそ紐燐紗が見かけと裏腹に使えることに驚いていたものの、すぐに態勢を立て直している。紐燐紗を近づけさせまいと、複雑に槍をひねりながら何度も突いていた。
「うん、うん。やっぱり、出来ますね。さすがはファルセリアの名を持つ者」
「お褒めにあずかり光栄です――しかし、これ以上は」
「これ以上は、何ですか? 私が皇子だから、本気が出せませんか? それとも――私の後ろに、何か別な物を感じていますか?」
「――っ!」
白約には何かわからなかったが、どうやらビーフックは図星を突かれたようだった。一瞬、槍の穂先が鈍る。それを見逃す紐燐紗ではなかった。
絡み取るように突き出た槍を後ろに流し、一気に懐に入り込む。至近距離の打ち合いを、ビーフックはなんとか槍の柄で凌いでいるが、劣勢は明らかだった。
「おい、どうした?」
後ろから声をかけられたのは、そんな時だった。
「士会殿。まあ、見ての通りです」
「何がどうなってこうなったかわからないから聞いているんだが……」
「軍人的には、いつものことでしょう?」
「それはまあ、そうだが。相手がビーフックなのが驚きでな」
その時、ビーフックが明らかに士会のことに気づいた。槍の動きが止まる。それを紐燐紗が、高々と跳ね上げた。
時が止まる。そして、周囲に集まってきていた兵たちがわあっと喝采を上げた。そんな中、ビーフックは一目散にその場を逃げ出していた。
「え、あ、ちょっと!」
紐燐紗が止めようとするも、全く間に合っていなかった。多分本人としては、戦いを通じて何か語りたいことがあったのだろう。しかし、結果としてそれは果たされなかったようだ。
白約の隣から、土を蹴る音がした。見れば士会が、ビーフックの後を追いかけている。
ここは、任せた方がいいだろう。我ながら他力本願だが、状況的に仕方ない。
結局、士会を動かすことになってしまったな、と白約は嘆息した。
※
士会の前をビーフックが走っていく。行く先に当てはなく、兵舎裏をただ逃げている、という感じだ。見たくないものから目を背けるように、必死に。全力で。
そこまで拒絶されるゆえんは何だろうか。それがはっきりしなくて、士会は追いつくのをためらっていた。世界間での身体能力の差があり、追いつこうと思えば追いつける。しかし追いついたところで何をすべきかわからないままでは、現状は変わらない。
ちらりとビーフックがこちらを振り返って、それから逃げる速度を速めた。その顔に映るのは――恐怖。
無表情を被っていたビーフックが、初めて見せた表情だ。嫌悪ならわかる。なぜ恐れる必要があるのか。走りながら、士会は考える。
バリアレスは言っていた。大敗の後、自分が父親の庇護下でしか戦えないのではないかと思ったと。それと同じことがビーフックにも起きているとしたら、自分は敗北の象徴として映るだろう。
これか、と士会は思った。士会そのものではなく、その後ろにある惨めな敗北に恐怖を覚えている。
「ビーフック!」
士会はぐんと走る速度を上げ、ビーフックの肩をつかんだ。そのまま追い越し、無理やり前に回り込む。
「な、何か用ですか」
ここまでしてなお、ビーフックはすました顔を保とうとしている。だが、その足は既に後ずさりを始めていた。
「そうだな。聞きたいことがある。お前、ウィングロー殿のことはどう思う?」
詰問されるとでも思っていたのだろうか、士会の質問は意外だったらしい。ビーフックの顔に困惑の色が差した。
「父上のことですか? それは、比類なき強さを持った――」
「そういう御託はいいんだ。いや、聞き方が悪かったな。ウィングロー殿のこと、父親としてはどう思う?」
「それは――」
何か言いかけて、ビーフックは口を閉ざした。閉ざすような含みを、持っているということだ。
「ここは余人のいない兵舎裏だ。上官の悪口を気にする必要はない。ここは信用してほしいが、俺も告げ口するつもりは欠片もない。……これで、どうだ?」
「………………」
口はつぐんだままだが、後ろへと歩を進める足が止まった。そのまましばらく、士会は待つ。にらみ合ったままの沈黙が続く。
観念したとでもいうように、ビーフックはやがて口を開いた。
「……それは、言いたいことくらいあります。ようやく父上の軍に入り、父上の教えを直に受けられると思いきや、部下に投げたまま関与することもなく……。正直に言えば、期待外れです」
「一応それが、ウィングロー殿なりの親心なのは、わかってるか?」
「どこがですか? 軍に入る前から、軍学の手ほどきをよくしてくれていました。しかし、いざ軍に入ってみると、肝心の戦に関して人任せだなんて。あんまりです」
ここの認識にも齟齬があるようだった。事前にバリアレスから話を聞いていてよかった。
「俺も聞いた話だけどな。お前の兄、二人亡くなっているんだろう?」
「ええ、まあ。歳が離れているので、あまり記憶はありませんが」
「その二人は、ウィングロー殿が手塩にかけて育てていたそうだ。しかし、二人とも初陣で命を落とした」
「………………」
士会の言わんとするところが、なんとなくつかめてきたらしい。ビーフックも徐々に落ち着いた物腰になってきた。
「そこへ、ハクロへ預けたバリアレスが成長して戻ってきた。その強さは、お前もわかってるよな」
「それは……はい。兄上の騎鴕隊から受ける圧力は、半端なものではありませんでした」
「だからウィングロー殿は、自分の子供に戦を仕込むのを、人に任せることにしたんだろう。自分だと上手く育てられないから、と割り切ってな」
割り切り過ぎな気はするけどな、と士会は付け加えた。
「……てっきり見捨てられたのかと……一言そう言ってくだされば……いや、そういう性格ではないですね、父上は」
ここまでの会話で、少しは緊張もほぐれてきたようだ。心なしか、ビーフックの表情が和らいだように見えた。
「その上で、聞きたいことがもう一つ。俺の指揮下で戦をするのは怖いか? ――別な言い方をすれば、ウィングロー殿の直属から離れての戦は怖いか?」
「それはっ――」
再びビーフックの顔がこわばった。しかし、士会の強い視線を真正面から受けて、少しずつ落ち着きを取り戻していく。やがて、ぽつり、ぽつりと、彼女の本音が漏れてきた。
「それは、正確ではない、と思います。私は――私には、あの敗戦は衝撃的過ぎて、自分はファルセリアの家名を背負う資格がないのではないかと――いや、それも違いますね。もっと単純に、私に軍才がないと証明されてしまったことが、恐ろしかったのだと思います」
そう語るビーフックの表情は、段々と明るくなり、最後には異様と形容していいくらいに晴々としていた。しかし士会がわかってほしいこととは、どこか明後日の方向にずれている。
「別にそんな証明は――」
「いいのです、士会殿。今まで直視できず、士会殿や兄上、他の誰とも目を合わせられませんでした。しかし、現実を見ないことこそ、家名を汚すことに他なりません。戦の道はすっぱり諦め、何か別の道を探るとします」
本人は完全に割り切ってしまったようだが、それでは困る。戦に向いてないから止めろなどと言うために、追いかけてきたわけでは決してないのだ。
「待て。頼むから待ってくれ。あの模擬戦は確かに明確過ぎる決着がついたが、それは俺とバリアレスが多少先達だっただけだ。お前に軍才がないなどということは、決してない」
「あの負け方でですか?」
「あれについてはこちらから詫びよう。俺たちが自分の力を見せる場所として張り切り過ぎたせいで、やり過ぎた。俺もお前もお前の兄も、みんな発展途上で、そこに少し力量差があっただけだ。ただ、戦場において一度天秤が傾くと、そうそう盛り返せるものでもない。特に模擬戦だと、ああした極端な勝敗に持っていきやすい」
現実ならば野戦で決着がついても、追い詰めると決死の勢いで手痛い反撃を受けたり、追撃したところで埋伏に合って逆に潰走させられたり、などということが予想できるため、あまり調子に乗った攻撃はできない。しかし兵数が見えている模擬戦ならば、何も考えず潰走する相手を徹底的に痛めつけることも可能なのだ。
「それは、でも――」
「重ねて言うが、あれはやり過ぎた。戦の内容から言えば、お前に戦の適性がないなんてことは決してない。直接戦った俺が言うんだ、そこは信じてくれ」
ビーフックは、士会の話を聞きながら、その場にへたり込んでいた。諦めるという決意に巻き戻しがかかったのだから、力が抜けるのも仕方ないのかもしれない。
「本当に……本当なのですか。しかし、父上は」
「さっき自分でも言っていたように、見捨てたわけでは決してないよ。俺自身修業中の身だから、多分ウィングロー殿の目論見としては、共に強くなっていってほしいんだと思う」
「そう、ですか。あはは……あはははは……」
天を仰ぎ、地の底が抜けたような笑い声をビーフックは上げた。盛大な空回りの末に、何もかもが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。
「さあ、戻ろう。そろそろ休憩も終わりだ。指揮官がいつまでもサボってちゃ、示しがつかない」
「はは……はあ。……そう、ですね」
ビーフックは立ち上がり、自身の頬を両側から二度思い切り平手打ちした。小気味よい音が空に響いて、ビーフックの瞳に光が宿る。そこには、いつも通りの凛々しい横顔が戻っている。こちらと距離を置かずとも、これが普段の彼女の表情なのだろう。
「無様なところをお見せしましたが、これからもよろしくお願いいたします、士会殿」
「ああ、こちらこそよろしく頼む、ビーフック」
和解の証も兼ねてビーフックの隣を歩いたが、彼女も特に嫌がりはしなかった。
そのまま二人は兵たちのところに戻った。心配していた白約たちが駆け寄ってくる。士会とビーフックの表情から察したのか、みんな笑っていた。
目下の懸念が一つ片付いて、士会は一安心していた。