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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第五章 大反乱
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将軍就任の余波

 士会が将軍になって、五日が経った。


 ここ数日は、フィナによって袖姫たちの救出を称えられ、フィナに将軍の位を正式に授かり、フィナ主催の宴が何度も開かれ、てんてこ舞いの日々だった。それもひと段落し、今日からはいよいよウィングロー軍での調練が始まる。士会が待ちわびた時の到来だ。


 しかし、困ったことが一つあった。


「しーかいー殿ー!」


 今日も士会の館に、可愛らしい声が響いた。一応賓客なので、士会自身が相手をしに行くことにする。


「士会様」

「わかってる。聞こえたからな。行ってくるよ」


 来客を告げに来た侍従にそう言い置いて、士会は客間に赴いた。


「士会殿! 今日こそ明言を(たまわ)りたく存じます!」

「いや、だから何度も言ったろ。俺は将軍なんだから、俺の下についたら将校がいいところだって」


 来客は紐燐紗だ。士会が将軍になってからというもの、毎日この屋敷に通い詰めている。


 用件は簡単だった。士会の部下となり、戦の教えを請いたい、ということだ。


 しかし、紐燐紗は亡命してきたとはいえ皇子なのである。それなりの身分が用意されるべきであり、姉ともどもどういった形になるかは現在協議中だった。少なくとも一将校というのはあり得る話ではない。


「ですから、神使の部下なら箔もつくというもの。実際の身分など関係ありません!」

「あると思うけどなあ」


 士会が渋っているのにはわけがある。士会は将軍に就任したものの、まだ身分相応の大軍を指揮した経験はない。そこで元帥であるウィングローの下で指揮の経験を積むことで、独り立ちできるだけの力をつけることになっていた。


 つまるところ、士会はまだ学ぶ立場なのだ。そこに来て戦を教えてほしいと言われても、心の準備が出来ていなさすぎる。きちんと導ける自信もないし、教える立場に回るのは時期尚早に思えた。


「そもそも、俺に頼むより、まずウィングロー殿辺りに声をかけた方がいいんじゃないか? そっちの方が、確実に強くなれると思うけどな」

「ウィングロー殿は長きに渡り鷺国を守護してきた名将……。確かに、一理はあります。しかし、私は直感したのです! 数万の囲みを百に満たない兵で駆け抜けた時、この人こそ真に私が教えを請うべき人だと!」


 ここまで言われてしまっては、士会としてもなかなか断れない。これまでは明言を避けつつ宴の時間だとかで撒いていたが、今日はその手も使えない。何より、彼女の強くなりたいという思いの裏には、姉を守れるだけの強さがほしいという願いが透けて見えていた。その強さの求め方は、士会にも覚えのあるものなのだ。


 仕方ない、と士会は一歩譲ることにした。


「俺は今日から、ウィングロー殿の軍でお世話になることになる。だから、ウィングロー殿の許可を取るのが筋だろう」

「……えっと、ということは」

「俺は折れるよ。ウィングロー殿の意見を聞いて、問題ないというのなら、俺の指揮下に入ってもらうようにしよう」

「おおおおお! ありがとうございます! これから、よろしくお願いします!」

「いやまだ決まってないからな。あくまでウィングロー殿がいいと仰るならだからな」


 ウィングローは身分の上下に厳しい。皇子が将校となることには、強く反対することが予想される。


 それでも紐燐紗には大きな前進だったようで、小躍りしそうな勢いで喜んでいた。




 フェロン郊外の練兵場に、士会は来ていた。さすが首都、ハクロのものより設備が整っている。ただ、そんなことがどうでもよくなるくらい、漂っている雰囲気が異質だった。


 全体的には、気怠いような、やる気のない空気が立ち上っている。ちらりと見ただけでわかるくらい、明確に生ぬるい調練をしている。軍の質も、一見して低いと感じざるを得なかった。


 しかしその一角から、凄まじい闘気が発せられているのがわかった。紛れもない、ウィングロー軍だ。天下でも指折りの強力な軍を率いているというのは、誇張でもなんでもない。ただ感じているだけで、背筋が伸び、気が引き締まるようだった。


「凄いな。なんでもかんでもあの軍に押しつけたくなる気持ちも、わかる気がする」

「でもって、他の軍は頼られないから余計質が落ちると」

「負の螺旋に落ち込んでいますね」

「こっちの軍にも、やっぱり質の良し悪しはあるんですね……」


 士会は白約にピオレスタ、そして紐燐紗を伴っていた。ハクロから連れてきた兵は、既に新たに士会の指揮下に入る兵とともに、ウィングローのところで合流しているらしい。


 士会の幕僚と紐燐紗の仲は、身分の差にもかかわらずすこぶる良かった。同じ目線で酒を酌み交わした間柄というのは、こうも深い絆を生むらしい。士会には、どうにも不思議なことに思えた。


「まあ、ウィングロー軍を探す手間が省けたのはありがたい……と」


 真っ直ぐに目当ての軍に行き着くと、士会はそこらの兵を呼び止めてウィングローに取り次いでもらった。しばらくして、案内の者が姿を現した。


「よう。バリアレス」

「おう、士会。くそ、一足飛びに将軍かよ。いいな、俺の当面の目標なんだぜ」


 父親の軍に戻ったバリアレスは、相変わらずのようだった。将軍と将校なので明確に階級差があるのだが、それを微塵も感じさせない砕けた調子。しかしそれが、バリアレスの良いところだ。こいつに敬語を使われると、背筋がぞわっとくる。


「親父が待ってる。連れてるのはいつもの奴ら……って、あれ?」


 バリアレスが紐燐紗の姿を認め、疑問符を浮かべた。


「士会殿の幕下に入れていただきたくて、ウィングロー殿にお願いに参りました!」

「なるほど、そうですか……って、え? 何それ? え?」


 しきりに士会の方を見てくるので、士会は深くうなずいた。


「理解しづらいかもしれないがそうなんだ。そういうことで、案内頼む」

「嫌だなあ……絶対父上キレるって……。やすやすと案内してきた俺も巻き添え食らうしなあ……」


 そう言いつつも、バリアレスは踵を返し、後ろ手にちょいちょいと手招きした。なんだかんだいい奴ではあるんだよな、こいつ。


 武術の訓練が行われている中、簡単に陣幕を張った場所に、ウィングローはいた。


「元帥、入ります」

「ご苦労、バリアレス」


 中にいたのはウィングローと、娘のビーフックに、ロードライトだった。ウィングローが中央の小さな椅子に座っており、二人が後ろに控えている。


「足労だったな、士会。それに、諸将たちも……む?」


 士会たちの後ろの小さな人影を見つけ、ウィングローの言葉が止まった。しばし沈黙が流れるが、やがてウィングローが立ち上がる。


「これは失礼しました、紐燐紗殿。簡易なものですが、ひとまず席へ」


 何にせよ、まずは紐燐紗への挨拶が優先だと決めたようだ。ハクロ勢からすると、その振る舞いからあまり感じないのだが、あれで紐燐紗は立派な皇子。この場の席次では最も上である。


「いえ。それには及びません、ウィングロー殿。私は今、間接的にウィングロー殿の部下となるため、ここにいるのです」

「……軍属をお望みですか。フェロンへの道中での話で薄々察してはいましたが。しかし、おすすめはできませんな。この国において、戦の相手は文官が決めることになっています。下手をすれば、祖国の軍と戦わされることになりかねません」

「それは覚悟の上です。私の敬愛する姉様は、今、この鷺国にいます。しからば、この国を守るため、私の力を振るうことに一分のためらいもありません。しかし、今の私にそれをなすだけの力があるとも思っていません」


 紐燐紗の言葉をゆっくりと咀嚼するように、ウィングローは一度だけ、深くうなずいた。


「つまりは、士会と同じということですか。我が軍にて、将軍という地位に足る指揮官になるため、研鑽を積むと。しかし、間接的にとは」

「将軍ではありません、ウィングロー殿。私は士会殿の将校として、この軍にいさせていただきたいのです」


 堂々と言い切る紐燐紗に対し、バリアレスが顔を覆いたくなっているのが、士会にはわかった。言った、本当に言っちゃったよこの人、とか思っているんだろう。


 紐燐紗を真正面から見つめるウィングローの顔は、実に難しげだった。その気持ちは士会にもわかる。紐燐紗の決意は明らかに固い。というかもう、そうなるものとして自分の中で処理している節すらある。


「まず、お尋ねしたいですな。何故、士会の下に付きたいと?」

「士会殿から直接教えを受けたいからです。名将と名高きウィングロー殿の前で失礼とは存じますが、ともに戦場を駆けた時、士会殿こそ私が教えを請うべき人だと確信しました」

「ふむ……戦場でのことは、当人たちにしかわかり得ない部分があります。そこは、深く問いますまい。しかしそれでは、諸外国からは鷺が亡命者に厳しい国と見られます。そうなると、今後我が国が有能な亡命者を獲得する機会を逸することになりかねません。そのことについては、どうお考えでしょうか」

「むっ……むむむ……」


 どうやら虚を突かれたらしい。流暢に説得を続けていた紐燐紗が、急に言葉に詰まっていた。鷺の国益を損するとなると、さすがに無理押しはしづらいのだろう。


「できれば私は、軍人という生き物のことを理解できる文官として、鷺皇に尽くしていただければよいと思っています。他国と異なりこの国では、戦というものの経験が全くない者たちによって国の経営がなされていますので」


 畳みかけるように、ウィングローが紐燐紗に別の道を提示していた。鷺の国体は他国と異なり、武官と文官という風に綺麗に分けられている。そして武官は政に口を出せず、戦の大枠も文官が決めた通りに行われる。文官優位の構造だが、武官は武力という実力を握っているのである。それを各々が勝手に行使しないように、このような形が取られている。ハクロのように文官と武官の間柄が親密であれば連携も取りやすいのだが、戦を知らない文官が増えてくると、机上の空論が実行されかねない危険性があった。紐燐紗にはその橋渡しになってほしい、というのがウィングローの言うところだろう。


「で、ですが、私は戦場で……それに、姉様もいますし……」


 整然と話すウィングローを前に、紐燐紗は泣き出しそうになっていた。まあ、普段の彼女を知る身としては、文官になるなど狂気の沙汰だろう。しかしウィングローの言うことも筋が通っており、士会にも援護しづらかった。


 そこに一石を投じたのは、ウィングローの後ろでずっと黙って聞いていたロードライトだった。


「ウィングロー殿。何も文官にこだわる必要はありますまい。彼女の言う通り、紐寧和殿は文官寄りの方であり、それでいて袖では戦の経験もあったでしょう。必要ならば妹君にいつでも相談を持ち掛けることもできます。ここは一つ、士会殿と同じ方法を取ってみては?」

「士会と同じ、とは?」

「言葉の通りです。紐燐紗殿は皇子ですから、本来なら将軍として軍を率いられるのが筋でしょう。しかし、見ての通り紐燐紗殿はまだ若い。戦場における経験というものも、不足している可能性があります。そこで、士会殿の下で実戦経験を積み、やがては将軍に上がればよいのではありませんかな」

「ふむ……」


 あごに手を当て、ウィングローは押し黙った。


 そうか、と士会は気付いた。ウィングローとて、紐燐紗が明らかに武官向きなのは分かっていたのだろう。身分の問題や貴人を危険に晒すことを忌避していたことから反対していたが、本音のところでは優秀な武官として育ってほしいのだ。だからこそ、ロードライトの言葉に、大きく揺さぶられている。


「加えて言えば、人から教えられるものだけでなく、人を教え導くことで得られるものも多々あります。従って、これは士会殿のためにもなるのではありませんか」


 ウィングローが目を閉じた。天秤がさらに大きく揺れているのが分かる。もう、あと一押し。


「俺からもお願いします。俺は彼女と一時共闘しましたが、その指揮の冴えには目を見張るものがあります。おこがましいかもしれませんが、それをさらに伸ばす手伝いができるとしたら、それは至上の幸いです」


 ふう、とウィングローが息を吐いた。天秤の揺れが止まり、どちらかに傾き切ったのがわかった。


「よかろう。暫定的にだが、紐燐紗殿を士会の下に置くことにしよう。ただし、確定ではない。軍の編成は私が決められるが、紐燐紗殿が武官としてこちらに配されるかは、文官たちが決める。私も可能な範囲では口を出すが、上手くいくかはわからない。それでもいいか?」

「はい! ありがとうございます!」


 紐燐紗の身分が不明瞭過ぎて、ウィングローもどういう口調で話せばいいか、迷っているのだろう。最後に紐燐紗にかけた言葉は、少し砕けていた。


 とびきり元気のいい声が、士会の後ろから響いてきた。


「さて、実を言うと私からも頼みがある。ビーフック」

「……はい」


 聞きに徹していたビーフックが、一歩前に出てきた。心なしか、睨むような目つきをしている気がする。


「士会殿の下に、将校として配属されることになりました。よろしくお願いします」


 え、と思わず士会は声が漏れた。ビーフックの声は固い。これはあれだ、ハクロで一戦交えた時やり過ぎたのが完全に尾を引いている。


「私はどうも実子に戦を仕込むのが苦手でな。士会はハクロで大きく成長したようだが、そのことをビーフックに伝えてやってほしい」

「先ほども言いましたが、人を教え導くことから得られるものは多いです。もちろん、責任も重大ですが、それ以上の価値があります。これは、士会殿のためにもなることですよ」


 ロードライトににっこり笑いかけられたが、士会は引きつった笑みしか返せなかった。ビーフックの様子を見ていると、教えるうんぬんの前に、まずは関係改善から始めなければならない予感がする。


 バリアレスにまで妹を頼……みます、と肩を叩かれ、士会は観念せざるを得なかった。


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