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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第一部 異国からの脱出
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旅路

 時折緩やかに曲線を描きながら、街道は山間を進んでいく。変わり映えしない山と、その間の細い平野の風景が延々と続いていた。


 荷車は五台手に入れ、それぞれに米や油を積んでいる。他に、戦場で重宝する薬も、少量ながら手に入った。軍に見つかっても、商売しつつやり過ごせる。


 一度、小隊の巡回に遭遇したが、銭を多めに握らせると、むしろ礼をされた上、しばらく先まで行って賊徒の有無を確認してくれた。商隊にしては、三百超の護衛は多い。穀類に紛れさせ、高価なものを積んでいる、と思われたのだろう。実際、価値では測れない者を連れている。


 正確に一行の数を出すと、四百に届くか届かないか、といったところだろう。内訳は、その内の三百が近衛、三十ほどが侍従、五十ほどが船頭や水夫の、船についていた者たちだった。そして貴人が三人、皇太子のフィリムレーナと、神の使者だという士会、亮だ。

 近衛兵たちには、具足を脱がせていた。近衛隊の具足はきらびやか過ぎて、偽装には不向きなのだ。ただ、武器は持たせてあった。


 まだ、柳礫の軍管区には入っていない。柳礫では、賄賂はあまり効かないはずだった。太守の林天詞が、そういう不正を嫌うのだ。

 鷺でも袖でも、賄賂は横行している。払えば特に何もなく、時と額によっては便宜もはかってくれるが、払わなければ難癖をつけてくる。嘆かわしいものだが、朝廷に参内する者の中にすら、賄賂を受け取る輩が多いのだ。当然、規制とも無縁だった。


「前方、異常ありません」


 斥候(せっこう)が戻ってきた。報告を聞きつつ、イアルはすぐに次を出した。

 農耕用の鴕鳥を八羽、いくつかの村から買い付けてあった。戦鴕に比べると人を乗せるには適さないが、ないよりはましだ。それに兵や水夫を乗せ、斥候に仕立て上げている。


 斥候は、絶えず出していた。わずかな異変も、即座に察知し、対処しなければならない。

 さらに報告を聞くと、一本山の方に入る道があるようだった。荷車が一台通れるくらいの道で、おそらく山上まで続いているという。

 その道を確認した先の辺りで、部下から知らせが入った。


「隊長。殿下が休憩をご所望です」

「我慢の限界か。仕方ない。休止する」


 イアルは一行を停止させた。

 移動は、できる限り迅速に行っている。睡眠は一日三時間に留め、あとは昼夜兼行で進んでいた。


 ただ、フィリムレーナがかなり頻繁に休息を取ろうとする。荷車の中は狭く、また硬いので、体が凝るのはわかるが、あまり時間を取られたくはない。

 とはいえ、想定よりかなり休憩の回数は少なく済んでいた。士会がフィリムレーナをなだめすかす役を担い、彼女の我慢を引き伸ばしているのだ。


 携行食を口に入れていると、士会がこちらに来るのがわかった。イアルは食べるのを止め、直立する。


「お疲れ様です」

「楽にしてくれよ。(がら)じゃないんだ」


 この士会という少年は最初、妙に物腰が丁寧だった。しかし、それが似合わず、ちぐはぐな感じになっていた。

 この数日で、それもある程度抜けている。


「何か、ありましたか?」

「あとどのくらい、かかりそうなんだ?」

「この調子だと、明日には国境を越えられそうですね」

「そうか、よかった。悪い、せかすようで」


 士会がうんざりしているというよりも、フィリムレーナの我慢がなんとか持ちそうだ、ということだろう。

 鷺にさえ入ってしまえば、貴人たちも外に出て羽を伸ばしてもらえるし、こんな偽装もしなくて済む。そこまで、とにかく急ぐしかなかった。


「窮屈でしょうが、今しばらく、我慢していただきたい」

「いや、楽をさせてもらって申し訳ないくらいだ。みんな、ほとんど寝ていないんじゃないか? それに、昨日は雨だったし」

「このくらいの無理ができるくらいの調練は、積んでいますよ。何せ殿下の近衛隊ですから。精強でなければ務まりません」


 この三百なら、倍する兵力を相手にしても戦える。そのくらいの思いで、鍛え上げてきた。


 イアルが近衛隊に加わって、四十年ほどの年月が経っていた。その頃は鷺皇も先代の時代だった。軍人だった父に武術を教わり、自らそれを極める中で、当時の鷺皇に見出されたのだ。そしてすぐに頭角を現し、隊長に就いた。それから代が変わっても近衛を率い、今の皇が病に伏せってからは、フィリムレーナの護衛も担っている。


 老いを感じる年に入ってきたが、まだまだ武術で負けることはなかった。ただ、以前と比べて、長駆(ちょうく)する体力は落ちてきている。

 退役。いずれはそうせざるを得ないだろうが、あまり考えたくなかった。弟子のような者は軍にたくさんいるが、妻も子もいない。皇室に捧げてきた、人生だったのだ。


「そういうものか。凄いな」


 神の使者という称号は、この少年にはあまり似合っていなかった。分不相応というわけではなく、謙虚で親しみやすいからだ。神の名を後ろ盾にした尊大さなど、微塵(みじん)もない。


 しかしイアルは、同時に士会の資質に着目していた。初めて見た時、これは、と思ったのだ。明らかに、戦闘に向いた才能を持っている。鍛え上げれば、相当な腕前になりそうだった。近衛に来ないかと、失礼な誘いをかけてしまいそうなくらいだ。加えて、人を引きつける魅力も持っており、指揮官の適性もある。


 自分の双剣の技術を受け継げるかもしれない、逸材だった。


「士会。お姫様が呼んでるよ」

「わかった。早いな。荷車の中で、ずっと一緒だったっていうのに」

「仲睦まじいのは良いことだって」


 亮が、士会を呼びに来た。学者のエルシディアを伴っている。

 三人の貴人には荷車の中に入ってもらっているが、フィリムレーナが士会と同じ荷車に入ることを主張した。懸想(けそう)している、というのはすぐにわかった。


 別に、悪いことではない。神の使者という(はく)は次代の皇との釣り合いも良いし、現在の鷺皇の子がフィリムレーナ一人しかいない以上、早く世継ぎは欲しいところだ。血が絶える恐れもある。ただ、国に余計な波風が立つことは、心配だった。護るべきものが火を被らないよう、気をつけていかなければならない。


 士会が去っていったが、亮はその場に残った。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。いいかな?」

「ええ、私の答えられることであれば。何なりとお聞きください」

「フィナは士会に任せるとして。今回僕らが呼ばれた経緯について、詳しく聞いておきたい」

「ふむ。構いませんが、大した話はできませんよ」


 亮が部下にも同じことを聞いていたのは、既に知っている。多分、自分の従者や一緒にいるエルシディアからも、情報を得ているのだろう。こちらが話しやすいように、わざわざフィリムレーナを足止めまでしている。


 亮の方は、士会ほどわかりやすくはない。二人の仲は随分とよく、息もあっているようだが、向いているものは違う気がした。


                     ※


 士会の視線の先で、フィナは荷車にもたれていた。その周りを、多くの侍従が固めている。ざっと十は下らない。

 亮に呼ばれた士会は、イアルとの会話を打ち切りフィナの下へ戻っていた。


「あ、会君! 何しに行ってたの?」

「あと、どのくらいで着きそうか聞いていてな。このまま行けば、明日着けるそうだ。もうちょっとだし、頑張ろう」

「うん。一緒にいてね」


 無垢な笑顔でそう言われて、士会の顔は赤くなった。言葉の意味そのものではなく、ここ数日のことがよみがえったからだ。


 一緒に、というのは、抽象的な意味ではない。荷車に隠れて進むこの道中、フィナの主張により、士会とフィナは同じ荷車の中に入っていた。その間ずっと、フィナが士会に甘えていたのだ。こうして直接会う機会を待ち望んでいてくれたことは、素直に嬉しい。しかし、ただでさえ密室で熱気がこもっていて暑いというのに、二人に増えたことで、荷車の中は温室のような状態になっていた。特に昨日は、雨が降って湿度も増し、なおさら地獄だった。


 それでも、休まず歩き続けている兵士たちに比べれば、ずっと楽なのだろう。フィナを愛でるか寝るくらいしかやることがないので、かなりの時間寝ていたが、起きている間ほぼずっと荷車は動いていた。


 ()り固まった体をほぐしていると、いつの間にかシュシュが近くに来ていた。


「お疲れ様です、士会様。お体ほぐしましょうか」


 そう言って、シュシュは花の咲いたような笑みを浮かべた。


「それじゃ、お願いしようかな。疲れたとは、言えないけど」


 シュシュに初めて体をほぐしてもらったのは、打ち上げられた浜辺から出発した翌日のことだった。初めて申し出られた時は、狭い車内で凝り固まった体に嫌気が差しつつも、明らかに自分たちより疲れている人がたくさんいるので断った。しかし、シュシュに涙目で見つめられて根負けし、お願いしたところ、そのあまりの気持ち良さに士会はあっさり陥落した。


 それからは、休憩の度にしてもらっている。


 フィナも他の従者に体をほぐしてもらうようだ。もともと、彼女のほうが窮屈さに文句を言っていた。ただ、地べたに寝そべる士会と違い、荷車に腰かけながら指圧を受けている姿は、幾分か上品だ。


 シュシュが背中に乗ってきた。柔らかい感触と、心地よい重みが、背に伝わって来る。


「では、始めますねー」


 シュシュの舌足らずな声が響く。肩から順に、背中を指で押されていく。それに合わせて、シュシュも下がる。押された所から痺れるような、くすぐったい心地良さが内へと広がり、士会の中の滞ったものを流れさせる。口元が緩み、息が溢れ出た。


「シュシュは」

「はい?」


 言いかけたところでまた指圧が来て、言葉が途切れた。


「昔から、フィナと知り合いだったの?」

「はい! それはもう、よくしていただきました。私もミルメルも、物心ついた時にはフィリムレーナ様の遊び相手として傍に置かれていました。その頃から、従者となるべく育てられて、ここ何年かはフィリムレーナ様の一番近くで仕えさせていただいていました」


 思っていた以上に、フィナとシュシュ、ミルメルの絆は強いようだった。


「そうか、それなのに、俺たちのところに来てくれたんだな」

「私たちは、フィリムレーナ様から、士会様や亮様のことを色々聞いていましたから! 私たち、三人の中だけでの、秘密だったのです」


 だからこそ、最も親しくしていた従者を、士会たちに寄越してくれたのだろう。フィナの温かな心遣いを、士会は感じた。


 背中が終わると、今度は首を指で優しく揉まれた。続いて腕と手をシュシュの手のひら全体でほぐされ、最後に足へとその手は向かう。

 全身をほぐし終えた後、両の手のひらを合わせ、体重をかけて背の筋を圧し、シュシュは士会の上から退いた。背骨が乾いた音を立てる。


「はい、終わりましたよー」

「ほぁ……。シュシュ、ありがと……」


 五体全てが脱力、弛緩し、ぐったりと地面に伸びたまま、士会は礼を言った。


「敵地だってのに、緊張感の欠片もないね、士会。神の使者が聞いて呆れるよ」

「神様の使いだろうが何だろうが、だらける時はだらける」


 そう返しつつも、士会は立ち上がった。確かに、一応の身分にしてはなんともだらしない格好だ。


 それにしても、陽ざしが厳しかった。烈日の照射には容赦がまるでない。昨日の雨に比べればまだいいが、これはこれできつい。まだ朝だというのに、立っているだけで汗がにじみ出してくる。

 しかし、一面真っ青な今の空模様では、曇りなど望むべくもなかった。仕方なく荷車の陰に身を潜め、手団扇でせめてもの抵抗を図る。


「手で扇いで風を起こした時さ」


 上から亮の声が聞こえてきた。荷車の上に腰かけているのだ。


「扇いで起こした風によって奪われる熱量Qと、扇ぐ時に体内で発生した熱量Q’とではどっちが大きいんだろう」

「………………」


 考えるのも面倒だった。試験のことを忘れてきていたというのに、思い出してやきもきしてしまう。

 士会が黙っていると、亮はそのまま話を続けた。


「空気を動かすのに使ったエネルギー、空気抵抗による損耗もあるから、これらにQ’を加えたものが消費するエネルギーで……なんだか損してる感あるなあ」

「………………」


 思案する亮に、士会はひたすら沈黙を返した。亮に意に介した様子はない。


「うーん、どうなんだろ……Q >Q’になるのかな……あんまりならない気がするけど、ちょっと調べてみたいな」

「なんでもいい。多少なりとも涼しく感じればそれでいいんだ。それが大事」

「……あう」


 士会の隣に、とろけたようにフィナが荷車にもたれかかった。元気な姫も、直射日光には耐性がないらしい。

 それにしても、姫としての威厳を全く感じない姿だ。人のことは言えないが、臣下が見ている中でこんなへたりこんでいていいのだろうか。


「よく創作物の中で、(はべ)らしてる女性に(あお)いでもらうシーンあるでしょ? フィナはああいうことしないの?」


 笑いながら亮が聞いていた。確かに時々、大きな団扇で左右から扇がせながら出てくる王様は、物語の中にいたりする。

 フィナは最初きょとんとしていたが、次第に瞳に理解の色を深めていった。


「……その手があったかっ」


 そのまま近くの兵士を呼びつけようとした。

 士会は慌てて止めた。


「いや、暑いのは一緒だし、今は我慢しとこうぜ……な? みんなも疲れてるだろうし」


 士会の言に、フィナは渋々といった体で引き下がった。


「むむ……なんか涼しいものないかなあ……」

「フィリムレーナ様」


 そこに、固い声が割って入った。

 近衛隊長のイアルだった。厳しい面には、少し焦ったような表情が浮かんでいる。

 いかにも武人然とした風貌の彼は、フィナの前でしっかりとひざまずいていた。


「少々お耳に入れたいことがございます」

「何ー? どしたの?」


 フィナは気だるげにうなずいた。士会たちも、何事かと思い静まっていた。


「では、僭越(せんえつ)ながら。……先刻放った斥候なのですが、一組帰ってきていません。現在、新たに斥候を放って確認していますが、前方に危険がある可能性もあります」


 安全の確保は必須だったため、この一団は頻繁に斥候を放ち、前方の安全を確認しながら進んでいた。

 しかしその内の一組が帰ってこない。多分、何かがあったのだ。


 士会の表情がこわばった。さらっと言ったが、それはかなり不味い状況なのではないだろうか。


「うーん……どうする? 荷車の中にこもったほうがいいかな」


 亮が口を挟んだ。見たところ、フィナはあまり危機感を覚えていないようだが、亮は士会同様難を感じたらしい。


「そうですね。しかし、もし斥候が捕らえられたと考えると、偽装がばれていることも考えられます。一旦……」


 イアルが急に顔を上げ、言葉を途中で切った。見る間に、その顔に浮かぶ焦りが強くなる。


「……どうした?」

「………………」


 イアルは答えなかった。目を閉じ、何かを感じるような気配を漂わせている。


「地鳴り?」


 亮が呟いた。それで、士会も気づいた。遠くから、かすかだが、地面を揺るがすような音が響いてきている。

 地震、だろうか。士会がそう思ったところで、焦燥を顔から消したイアルが言った。


「急ぎましょう。三人は、荷車の中へ。全隊、少し戻って山上へ向かう道に入ります」


 え……と戸惑う三人の前で、イアルは言葉を続ける。


「騎鴕隊が接近してきます。状況からして、こちらが捕捉されていると考えて動くべきでしょう。近くの、山の上に()ります」


 有無を言わせぬ、という口調だった。


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