神使の由来
部屋に残ったのは士会と亮の神使組、シュシュとミルメルの事情に通じた従者組、そしてフィナのみとなった。卓を三人で囲み、従者組がそれぞれの主の後ろに控える形になる。
「このメンバーを残したってことは、崑霊郷だっけ? あっち関連か」
「そうだけど、その前に現状報告と行こうよ。君の方は大体知ってるけどさ」
フィナと逐一連絡を取っていたし、そこから亮の側に伝わっていてもおかしくない。主な戦歴は中央に報告も行っているだろう。
「実際知ってる通りだと思うぜ。戦のいろはを学んできた、それだけだ。まだ、学び足りない部分は多々あるけどな」
「学ぶことは、いつまで経ってもなくなることはないさ。そういうものだと思う。実際、その状態でも大活躍したらしいじゃないか。当千将軍と就任前から呼ばれてるくらいだし」
「だから説明したろ。あれは色々有利な状況が整った上でのことだったって」
「会君は謙遜し過ぎだよ。それにしても、当千将軍かあ。良い響きだね」
「こそばゆいから止めてくれ……というかそんなに響き良いか?」
そんなあだ名を付けられているとは、思いもしなかった。一人で千人も倒した覚えはないし、そもそも行ったのは突破であって倒した敵は歴燈くらいのものだ。あれは難敵だったがゆえに誇ってもいいかとは思うが、巷で噂されるような活躍はしていない。
「それで、亮。お前、知らない内に都で暗躍してたらしいじゃないか」
「暗躍とは人聞きの悪い。堂々と役職に就いただけだよ。フィナに作ってもらって」
「聞きたいのはそれだ。降聖島の調査に行くとか言ってたのに、どういう風の吹き回しだ?」
「それよりは、僕らの存在が与える影響のコントロールの方が重要かな、と思ってね」
「なんだそりゃ」
聞いたはいいものの、結局何が言いたいのかつかめないままだった。仕方ないので、亮の説明の続きを待つ。
「僕らはいるだけで、諸外国に対して鷺が強く出られるカードになる。神使のお墨付きというだけで、箔が付くからね。ただ、それであまりアンフェアな外交をするのは問題だと思わないかい?」
「まあ、卑怯な気はするな」
「だけど士会、軍属の君だけだとこれを阻止するのはやりづらいだろう? というか、君が不得手とする分野だと思ってね」
「それは……そうだな。交渉とかは考えただけで頭痛くなりそうだ」
「でしょ? そういうわけで都に残ることにしたんだけど、今度は自分の立ち位置をどこに置くかが重要になってくる。官職というのは基本的に実績が必要だし、実権を握ることになるから文官からの反発も強い。かといって有名無実な職に押し込まれては意味がない。重要な局面で口を挟めなくなる」
「それで、フィナの相談役って立場に落ち着いたのか」
実権はないが、フィナを介して影響力を発揮できる。文官たちとの押し合いの結果、折り合いのついた部分がそこだったのだろう。
「そういうこと。実際に政に口を出すのはフィナだけど、その前に堂々と入れ知恵できるようにしたんだよね」
「会君からビュートライドの不正の資料が送られてきた時はびっくりしたよ。街宰にしてもそれ以下にしても、私の国であんなに色々悪いことやってるなんて。絶対に許さないつもりだったんだけど……」
「放っとくと役人とその一族全部の首が物理的に飛びそうだったからね……。裁判をして、罪の軽重に応じた刑に処すようなんとか説得したんだよ。その過程で見えない圧力がかかったのか、結局悪いことやってた本人たちの首は全部落ちちゃったけど」
亮は亮で、フィナの極端な部分を押し止めるのに苦労しているらしい。
今の話で改めて思ったが、フィナは不正自体は嫌っているようだ。ただ、そんなものが横行しているとは夢にも思っていない。街ごとに同じことを繰り返せば、膿を切り出せるかもしれないが、勢い余って内臓まで摘出してしまいそうだ。不正をしている役人も、それぞれ大なり小なり仕事はしているのである。
「腐っても相談役だから、もっと鷺の政情や歴史について詳しくなる必要があると思ってね。今はさっきのリムレットや、そこから紹介してもらった人に色々教わってるところだよ」
「勉強してるってのはそのことか」
「柄にもないと思ったかい?」
「少しは。でもお前、必要なことはやるからな」
「まあね」
亮は少し照れたように右を向いた。その様子を見て、フィナがくすりと笑う。
「この話はこれくらいで。本題に入ろう。士会、この世界の神話について、どのくらい知識があるかい?」
「全く。降聖島に神様がやってきましたーくらいしか。というかその辺の設定詰めようぜ。今困ったことになってるんだ」
士会は紐燐紗に勝手に軍神の使いにされていることを説明した。途端にフィナが憤った。
「待って待って。会君たちはうちの国に来たんだから、命神の使いなのが妥当でしょ」
「俺も違うとは言ってるけど、じゃあ何なんだと聞かれると返せなくて。というか、命神って何?」
「鷺の皇家は生命を司る神、命神の子孫だと伝えられているんだよ。お隣の袖が軍神だね」
「てことは、国ごとにどこの神の子孫だとか決まってるのか?」
「うん。例外もあるけど。そもそも神様が何人いるか知ってる? いや、神話を知らないんじゃ知らないか。そりゃそうだ」
「勝手に自己解決するな。まあそうだけど」
事実なだけに、否定できないのが微妙に悔しい。
「これは僕からより、現地人のフィナからの方がいいかな。創世神話について、適当にお願い」
「りょーかーい。それじゃ、簡単に説明するね。天下の人々の先祖はみんな大地から生まれたんだけど、知恵も力もなくて何をすればいいか途方に暮れていたんだよね。そこに、崑霊郷から降聖島を経由してやって来た神様たち――えっと、狩猟と戦を司る軍神、怪我や病を司る医神、天候を司る水神、農耕と豊穣を司る地神、そして生と死を司る命神の五柱が、天下のあちこちを巡って人々に知識や力を授けていくの。結果、そのままでは死にゆくだけだった人々は繁栄する力を手に入れ、神様たちの子孫を中心とした国を作っていったんだって」
「うん……うん? 神様の子孫? 神様って人なの?」
「神様は神様じゃないかなあ? でも子供は産めたみたいだよ。命神が私の遠いご先祖様になるわけだし」
何か納得いかない気もしたが、神話を相手に細かいことを突っ込んで聞いても仕方ない。とりあえず、士会は疑問を棚上げすることにした。
「そもそもの五柱自体は、崑霊郷に帰っていったんだったよね」
「そうそう。というか、死んだ人も崑霊郷に行くわけだしね。それで、今も私たちの世界を見守ってくださっているってことになってる」
士会はフィナの言い方に少し、引っ掛かりを覚えた。ことになっている、という言葉の選び方は、フィナが神様の存在をあまり信じていないということにならないか。
そのことについて聞いてみると、フィナは苦笑した。
「うーん。最初は私も信じてたんだけどね? 会君に向こうの世界を見せてもらってたり、会君自身と話したりしてるうちに、神様ってほんとにいるのかなあって思うようになったんだよね」
こちらに来たばかりの頃、神様の話が出た時のフィナの興味なさげな顔を、士会は思い出した。なるほど向こうの現実を知るフィナなら、技術水準に大きな差はあれど、根本的なところは変わらないという結論に至るのもわかる話だ。
後ろのシュシュに目をやると、シュシュは曖昧な笑みを浮かべた。それが意味するところは、困惑か。直接向こうの世界を見ていない以上、フィナの話だけでは、神の存在に疑念を抱くことはしづらいのだろう。
「だけど会君たちの由来に関しては別! せっかく私の国に降り立ったんだから、私の国のご先祖様が遣わしたっていうのが自然でしょ」
「僕はともかくとして、士会は軍神でもいい気がするけどなあ。だって将軍にするんでしょ?」
「うっ……それを言われるとそうだけど……ほら、戦場で命のやり取りをするわけだし」
「俺は正直どっちでもいいけど、軍神の方が色々訂正する手間が省けるかな」
何せこうしている今も、どこかの姫君様が軍神の使い(仮)の武勇について吹聴している可能性がある。それをいちいち訂正して回るのは面倒くさい。自分のやっていることからしても、先の五柱の神様の中なら軍神が一番合っている気がした。
「会君まで……」
「フィナ、称号がなんであろうと、士会の本質は何も変わらないよ。好きな人とかね」
肯定するのが恥ずかしくなる言葉を後ろにくっつけやがったが、ここはうなずいておくべきだろう。
「ああ。第一、そういう設定にするってだけだからな。だから、その……お前が好きなこととか、そういうことは何も変わらない」
「むむっ……ずるいなあ、会君。そう言われたら、これ以上何も言えないよ……」
フィナは頬を赤らめ、しきりに首を振っていた。ふと視線を感じて振り返ると、シュシュが非常に満足そうな笑顔を浮かべている。ミルメルは表情に乏しいものの、うんうんとうなずいていた。
「……嬉しそうだな」
「それはもう! 士会様とフィリムレーナ様の仲が早く進展すればよいと、心から願っていますから!」
「仲睦まじきことは良きことです」
自分とフィナの間柄は、従者たちの格好の観察対象のようだった。まあ、少しこそばゆいが、見られて困るものでもない。やりたいようにさせておこう。
「それじゃあ、僕は命神、士会は軍神に遣わされた使者って設定で行こうか」
「いや待て、お前も命神より地神の方が合ってるんじゃね」
「僕、こっち来てからあんまり農業とか携わってないよ」
「将来的に、やるつもりはあるんだろ?」
「それはまあ……そうだけど」
「だったらフライング気味でも地神に呼ばれたってのがかっちりはまるんじゃないか」
「そうだね。別に命神にこだわる必要はないかな。さて、問題は何が理由で遣わされたかだけど」
亮の場合どこから遣わされたのかはどうでもよかったのか、フィナはそのことに言及しなかった。
「なんかこう、争いを鎮めるため的なのじゃダメかな」
「うん、基本そんなところでいいと思うんだよね」
士会にはフィナの発言がかなり適当に聞こえたのだが、亮が賛同していた。ならば何も言うまいと、士会は静観する。その遣わされた使者が、思いっきり争いまくっているのは秘密だ。
「そうだなあ。雑に言うなら――乱れつつある天下を崑霊郷の神々が見かねて、僕たちを遣わしたって感じでいいんじゃないかな」
「乱れつつあるって、どんな風にだ?」
「戦が起きたり、飢饉が起きたり、反乱が起きたり、そういったことを収めに来た、とかかなあ。そこはふわっとした設定でいい気がする。あと、聞かれたら答えるにとどめておいた方が無難かな」
亮の解説を聞いて、士会はうなずいた。これで大方、設定は固まっただろう。それに今の言い方なら、鷺に巣食う病巣を取り除くということも神使の使命に入る。あくまで設定上の話だが、このことは重要な気がした。
「さて、ややこしい話はこのくらいにして、シュシュに麻雀のルールでも教えるかい?」
「賛成! ほらシュシュ、こっち来て」
「はい! フィリムレーナ様」
士会の後ろを離れ、シュシュがフィナの下に駆け寄った。フィナが拙い説明を行い、その都度ミルメルが補足を行う。シュシュは役のややこしさに目を回しかけていたが、それでも楽しそうだ。まるで三姉妹が仲良く遊んでいるようで、士会と亮はしばらく少し離れた位置でその様子を眺めていた。
きっとこれが、自分たちが来る前の光景なのだろう。女の子三人だけの絆のようなものを感じたが、特に疎外感はなかった。むしろ三人が積み重ねてきた温かな時間が肌に触れ、心地良くもあった。
「なあ、士会」
姫と従者の触れ合いを眺めながら、亮が声をかけてきた。
「戦には、慣れたかい?」
その言葉に含むところを感じ、士会の心拍数は少し上がった。
戦、引いては人を殺すこと。それについて、亮は聞いてきている。強くなったことはわかりきっていた。しかし、命を奪うことに関して、士会の考えがどうなっているかは、報告だけではわからない。
士会自身、時々考えていたことではあった。賊徒は民の安寧を乱す。叛徒や外敵はフィナの治める国そのものを揺るがす。そうして、自分が人の命を奪うに足る理由を見つけるようになっていた。
それが、答えになるのだろう。
「ああ、慣れた」
「そっか」
亮の返事は短かった。
またしばらく、麻雀の授業風景を見つめる時間が流れた。
「会君! やっぱり実際やってみないとわからないから入って! 亮はシュシュの後ろで見てあげて!」
どれくらいそうしていただろう、フィナの声で我に返った士会は、ゆっくりと三人の輪の中に入っていった。