帰還、再会
数日の行軍を経て、士会はフェロンを見渡すことのできる高台にたどり着いていた。
一年前、フィナや亮とともに来た場所だ。あの時驚いたのと同じように、フェロンはその威容を今も示していた。自慢げに自分たちの街を紹介していた、フィナや従者たちの姿が脳裏に蘇る。何もかもが懐かしい。
「士会殿。どうかしたか」
少しぼうっとしていると、紐寧和が声をかけてきた。
「いやな、ちょうど一年くらい前、右も左もわからん状態でここに来たことがあってな」
「懐古的になっていたか。邪魔をして、申し訳なかった」
「いいよ、別に。大した思い出があるわけでもなし」
実際、特に感傷的になっていたわけでもない。懐かしいことは懐かしいのだが、一番離れると寂しく感じるであろうフィナとは、定期的に連絡を取り続けていた。顔が見たいのも亮とミルメルの主従くらいしかいない。そもそも滞在自体一週間ほどで、その大半を調練に費やしていたので、そこまでフェロンに愛着があるわけでもないのだった。
「フェロンというと、比較的新しい年代に作られた計画都市として有名だな。そして何より、水都の二つ名がある。楽しみだ」
紐寧和が言うには、その街の景観の美しさ、珍しさから、観光も一大産業として成り立っているようだった。確かにあの街並みは、そうそうお目にかかれるものでもないだろう。
「さあてと。まあ、こうなるよな」
「士会殿。鷺の次代の皇は、少々極端ではないかな……」
「そういうきらいはある。それでも、悪い奴ではないんだ」
フェロン外城区において、既に街道沿いにずらっと兵が並べられ、人の壁を作っていた。昼間というのに篝火が焚かれ、兵の壁の後ろからは、士会たちが通る時に民の歓声が上がる。警護は軍がいるため必要はなく、単純に歓待の意を示しているのだろう。
仕掛け人は容易に想像できた。フィナによろしく頼み過ぎたのが、ここでも効いてきている。
ウィングロー軍は街に入らず、城壁の前で左右に分かれていった。護送の任はこの城門まで、ということだろう。
ちょうど城門の真下で、待ちわびた久々の生の顔が迎えてくれていた。
フィナだ。近衛や侍従もいるにはいるが、少し距離を置いて控えている。
こちらに駆け寄ってくる様子はない。そうだ、彼女は待つと言っていた。それを、最後まで守ろうとしているのかもしれない。
ぐっと開夜の腹を締め付け、自然と足が速くなる。左右の姫姉妹を置いて、一足先に進む。一歩、また一歩、愛しき人が近づいていく。
数歩手前で下鴕し、士会はゆっくりとフィナに歩み寄った。フィナは両手を広げて出迎えてくれる。
「会君!」
「フィナ!」
士会が城門を越えた瞬間、二人は勢いよく抱き合った。話すことはできても会うことはできなかった、この一年を埋めるかのように、互いの感触を確かめ合う。
「久しぶり……って感じはしないな」
「三日に一度くらいは話してたもんね。でも、やっぱり、感慨深いよ」
「それは俺も同じだ。直接会えるってのはいいもんだなあ」
「うんうん。あ、そうだ、会君の屋敷できてるよ。早く行こっ」
「あんまり大きくないといいけど……ってちょっと待て。お前、誰の迎えに来たのか覚えてるのか」
「会君」
「………………」
士会は無言でフィナの背後に回り、両肩をぽんとつかんだ。
「……あ。あー。そういえば」
「思い出したな。はい、それじゃ挨拶」
士会の背後では、感動の再会をまじまじと見ている、本来歓迎されるべき姫姉妹の姿があった。
「う、うん。おほん。えーと、ようこそフェロンへ!」
「これほどの歓迎、何より直々の出迎え、誠に感謝します。フィリムレーナ殿下」
弛緩した空気に合わない厳かな口調で、紐寧和が感謝の辞を述べた。次いで、紐燐紗も姉にならう。
「我らのことはひとまず、お気になさらず。是非、再会の喜びを分かち合っていただきたいです」
「え、いいの? じゃあお言葉に甘えて」
「いやダメだろ。二人が住む屋敷とかあるんだろ。せめてそこまで案内とかしようぜ」
こんな調子を最初から見せられて、姫姉妹の鷺の国に対する印象が心配だ。これが次の皇? 大丈夫かこの国? 亡命先間違えたんじゃないか? とか思われてもおかしくない。
「まあ、方向一緒だしちょうどいいか。あ、改めまして鷺の皇女、フィリムレーナ・ロベリクロン・蓮月です。よろしくね」
「元、袖の第三皇子、紐寧和です」
「同じく元、袖の第十皇子、紐燐紗です」
「この度は、亡命を快く受け入れてくださって、誠に感謝いたします」
二人とも、元、を強調して自己紹介していた。それは彼女たちなりの、自分たちの過去との決別なのだろう。
「別に断る理由もないしねー」
「一応お聞きしますが、引き渡しを求める使者などは」
「来たらしいけど、街に入れなかったよ」
真の意味での門前払いを食らわせたようだ。頼もしい限りだが、なかなかえげつないことをする。
「鷺袖間の仲は冷え切ってるから、普通の対応……と、言えるのか……?」
呟くように言った士会に、紐寧和が耳打ちした。
「そもそも敵国からの亡命を受け入れること自体、五分五分のことだった。我らは反乱の容疑がかけられているものの、唐突に過ぎる。間諜を送るための口実作りと見なされてもおかしくない。それと、いくら仲が悪くても、一応使者を引見するくらいはするのが普通だ」
つまり、ここでも、士会の念押しが効き過ぎていたらしい。自分のあずかり知らないところで、鷺の外交に大きな影響を与えていたようだ。
「フィナ、フィナさん? ほんとにそれで大丈夫だったの?」
「だって、話聞くだけ無駄じゃない? うちで引き受けることは既に決まっていたわけだし」
「それはまあ、そうなんだけど。こう、なんというか、もうちょっと形式を踏まえた方がいいんじゃないかなーとか」
士会も大概の向こう見ずだが、フィナはそれに輪をかけて酷い。国の運営に関してもこんな調子なら、空恐ろしいにもほどがある。
「形式とか面倒くさいしなあ。てか、会君もそうでしょ?」
「まあ、そうだけど」
全くもってその通りで、完全に論破されてしまった。二の句を継げなくなった士会に、紐寧和が言葉をかける。
「おいおい、神の使者殿がそれでいいのか。見事に言い負かされているぞ」
「お互いがお互いのこと知り尽くしてるからなあ。今のはこう、返す言葉が見当たらないというか」
皇子を導くべき神の使者が、この程度で立ち止まっていいのか。そう言われている気がしたが、士会としてはどうしようもない。士会自身、面倒なことは面倒と、つい後回しにしてしまう性格なのだ。
そんな士会を、紐寧和は難しい顔で見ていた。仲が良いのならフィナの教導も容易いだろう、などと考えていたのかもしれない。だとしたら、それは大きな間違いだ。
そんな士会を、紐燐紗はぼうっとした顔で見ていた。あれは多分、何も考えていないか、どうでもいいことを考えているかのどちらかだ。立ち話長いなーくらいにしか思ってないに違いない。
「それじゃ、二人の屋敷に寄ってから、会君の屋敷に向かおっか」
フィナの言葉を合図に、一行はフェロン中心層へと歩き出した。
姫姉妹に与えられた屋敷は、以前士会と亮が仮の宿として使っていた屋敷だった。逃走の中でほとんどの侍従や家人を失った二人に対する配慮として、既に屋敷を維持するのに必要な侍従たちが入っていた。そのことについて紐寧和が改めてフィナに礼を述べていたが、こういう細やかな配慮は亮の入れ知恵な気がした。
身辺を整えるため姫姉妹とはそこで別れ、士会はフィナと連れ立って、自分の屋敷とやらに向かった。もちろん、城内に入ってからずっと、近衛たちも護衛としてついている。
屋敷は広壮な平屋で、重厚な塀と門が内と外を隔てており、以前なら盛大に気後れしていただろうが、士会も大分耐性が付いてきた。今回はフィナから事前に知らされており、心の準備が出来ていたのも大きい。当然シュシュ一人で管理できるものでもないので、こちらも侍従が多く雇われてあった。とはいえ、いわゆる崑霊郷の話もでき、フィナの信頼も厚いシュシュはやはり特別だ。今後も、士会に一番近いところで世話をしてくれるのはシュシュだろう。
侍従たちを控えさせ、フィナ自身が屋敷の案内をしてくれることになった。士会でもわかるくらい皇子のする振る舞いではないのだが、自分がすると言って聞かなかった。
客間。厨房。厠が複数。地下牢とか何を想定して作ってあるんだろう。怖い。
広いので当然なのだが、一回説明されただけではどこに何があるか覚えられなさそうだ。とはいえ、今後この家で起居していれば、自然と身に付いていくだろう。
「ここが最後、会君の私室ね」
一通り屋敷を回った後に連れてこられたのは、屋敷の奥に位置する部屋だった。近くに他の部屋への扉がないことから、相当な広さがあることがうかがえる。
「ん……?」
中から何か、物音が聞こえた気がした。まさか泥棒? でも、でかいだけで何もないこの家に?
「さ、会君。開けて開けて」
フィナには聞こえなかったのか、無邪気に部屋の中へ入るよう促してくる。士会は警戒心を強く保ちながら、重厚な造りの扉を開けた。
そこには――
「ロン! リータンピンドラ一! 七七〇〇!」
「あー……やられました。どうぞ」
広い部屋の中央に置かれた卓で、三人麻雀に興じる男女の姿があった。
「………………はあ?」
意味不明な光景に、しばし士会は立ち尽くした。フィナは確かに私室といった。そこに上がり込んで、図々しくも麻雀を持ち込み楽しんでいる輩がいる。
そんなことを考える奴で、思い当たるのは一人しかいない。すなわち。
「やあ、士会。遅いよ、全く。面子が揃わないじゃないか」
「再会第一声がそれか、亮。人の家に上がり込んでなにやってやがる」
「まだここが自分の家って認識ないでしょ? フィナに確認も取ってるし、合法合法。というわけで、久しぶりだね」
「素直にその言葉から始められんのか。……久しぶり」
ややこしいやり取りを交わしてから、士会と亮は再会の挨拶を口にした。
「ええと、ミルメルはわかるとして。そっちの人は?」
亮は部屋に二人の女性を連れ込んでいた。一人は従者のミルメルで、士会とも顔見知りの仲だ。しかしもう一人、士会と同い年くらいの女の子が卓についている。こちらは全く覚えがない。
「こっちはリムレット。僕の助手……のようなものかな。自己紹介、どうぞ」
亮に促され、リムレットが立ち上がり、一礼した。
「皇子相談役である亮殿を補佐しております、リムレット・クラウリシカと申します。屋敷に無断で上がり込んだ無礼、お許し願います」
丁寧な挨拶をするリムレットを見て、士会はこの件に関して巻き込まれただけだろうと判断した。
「いいよ、どうせ君も被害者側だろうし。それで、そろそろ説明が欲しいんだが、この状況は何だ?」
「麻雀やってた」
「それは見ればわかる」
「そして面子が足りてない」
「……もしかして」
「そう、そのためにここで君を待っていたんだよ。ねえ、フィナ?」
「このゲーム、面白いよねえ。というわけで早くやろう、会君」
フィナに許可を取ったというし、最初から自分とフィナを混ぜてやるつもりだったようだ。大変懐かしい代物ではあるが、新居に入ってすぐにやることとは思えない。
「では、私は抜けますね」
しかしリムレットが卓を離れ、完全に半荘始める雰囲気になってしまっていた。こうなっては仕方ない。流れに身を任せよう。
士会とフィナが空いている席に座ると、亮は牌の山を崩し、混ぜ始めた。士会も故郷でたまにやっていたようにそれに加わる。石でできているために、硬質な音が響いた。
フィナはもう慣れっこのようで、手際よく牌を積んで山にしていた。士会も牌を二列に並べ、片方の列を両手で左右から押して持ち上げ、積み重ねる。故郷のものより、少し重い。
その様子を、シュシュは不思議そうに遠巻きにして見ていた。
「あ、シュシュも近くにおいで。いずれは打てるようになってほしいし」
そんなシュシュを、亮が手招いた。それでも近づきがたいのか、主人の許可が欲しいのか、こちらを見てくる。
「俺の後ろで見てればいいよ。ルールは……また今度教えるか」
「基本は二個三個三個三個三個になるよう牌を揃えるんだけど……まあ、今は雰囲気をつかむってことで」
士会の許可が下りたことで、シュシュが士会の背後にやってきた。少し緊張するが、幸い初心者だし下手な手を打ってもバレないだろう。席を譲ってくれたリムレットは、後学のために、と亮の後ろについていた。亮の打ち方からは、確かに学べることが多そうだ。
士会、フィナ、亮、ミルメルの四人での麻雀が始まった。何でこうなったのか甚だ疑問に思うが、亮のすることだし、予測がつかないのは仕方ない。
「わ。こんな小さな石に色んな模様が描いてあるんですね」
「というかこの牌どうしたんだ? まさか向こうから持ってきたとか」
「んなわけないない。これはこっちの職人たちに作ってもらったものだよ」
「また人を巻き込んでしょーもないことを……」
「それは大きな間違いです!」
呆れる士会を、リムレットが食い気味に否定した。
「これまでハクロの石材産業は、あまり規模の大きなものではありませんでした。しかし亮殿が考案し、さらに広めていったこの遊戯の登場により、新たな産業としての地位を確立したのです。麻雀牌を作るには、石を同じ大きさに加工する者、模様を彫る者、塗装する者が必要です。全力で増産中ですが、需要に供給が追い付いていないのが現状です」
「え? これこいつが暇だから作らせたわけじゃないの?」
「暇なのはみんな同じかな、と思ってね。何かこっちでもできるゲームを作ったら、一大ビジネスになるんじゃないかと思って」
「今は主にフェロンの上層部で流行していますが、徐々に庶民の方にも浸透している模様です。おかげで他の街からも職人を呼んでくる有様。高官は石材にも金を積みますから、それを運ぶ商人にも恩恵があります。早い話が、加速的に経済が回っているのです」
「こ、これで……?」
確かに亮の言う通り、こっちの世界の連中は些細なことで賭け事を始めるくらいには娯楽に飢えている。それはわかるのだが、それだけでそこまで効果があるというのは不思議に思えた。
「亮殿と殿下が始めたことなので、高官の方々は習得しておかざるを得なかった部分もあるでしょうね。麻雀をしながらの会談なんてことになったら、自分も打てないと困るでしょう?」
リムレットの言葉に、士会はなるほどとうなずいた。麻雀は打ちながら会話するのにも向いている。今後、フィナとの対話の道具として必須になるかもしれない。そんな焦りに似た思いが流行に火をつけたのだろう。
「これから、フェロンだけでなく他の都市へも波及していくでしょう。その後は、商人などを通じて諸外国へも。我が国の産業が活性化し、我が国由来のものが各地を巡る。実に素晴らしいことです」
「これがねえ……経済のことはわかんねえな……」
麻雀牌をためつすがめつ眺めてみても、リムレットの興奮ぶりに見合うものがあるようには思えなかった。
「何、僕が遊んでたわけじゃないってことがわかってくれればそれでいいよ」
「嘘つけ、どうせ遊びたかったのが始まりだろ」
そう言うと図星だったらしく、亮はわざとらしく目をそらした。
さいころを振って親を決め、麻雀が始まった。牌を引いて捨てる度、とん、という懐かしい響きが耳に届く。
拍子よくその音が続いていって――
「チー」
フィナが鳴いたため、拍子が崩れた。しかしまた同じ音の連続が始まり――
「それポン!」
またフィナが鳴いた。この時点で士会は気づいた。フィナは手牌が揃うのが待ちきれず、ガンガン鳴く人種だ。
結局その局は単騎待ちになるまで鳴きまくったフィナが、亮のリーチに見事に振り込んで終わった。
配牌のせいもあるが、自分でも意外だったのは、それなりに亮に太刀打ちできていることだった。そもそも自分の打ち方自体変わっている。以前はフィナと同じように鳴き麻雀を繰り返していたのだが、今はじっくり待ちながら機を読むことができるようになっている。闇雲に一九字牌を捨てるのではなく、手牌に応じて先を読みながら手を整えたり、聴牌になってもダマで通したりするようにもなった。
結局亮には届かなかったものの、士会は二位で半荘を終えた。
「あ、危なかった……もう少しで士会に負けるなんて醜態を晒すことに」
「お前それ、下位二人に対する侮辱だからな」
一位二位の差も三千点程度と大きな差ではなく、亮は勝てて心底ほっとしたようだった。
「そうだそうだ!」
「私は気にしませんよ」
「いや士会、二人とは年季の差があるでしょ。だから負けてやばいのは僕だけだったんだけど……いやはや、打ち方が完全に変貌しててビビった」
こんな遊びで何だが、士会自身、自分の打ち方の変わりようには驚いていた。
「んー……やっぱりあれか。戦を通して、勝負勘とかも鍛えられたのかな」
「わからんが、虚を突くような手を打つようには意識したな」
「それだよそれ。以前の士会は、何を狙ってるか捨て牌で丸わかりだったもの。そりゃあ危険牌もわかるよねっていう。筋ひっかけとかしてきた時はほんと、何事かと」
向こうの世界で亮と混ざって麻雀を打っていた時は、よほど手の良い時以外は勝てた試しがなかった。今にして思えば、それも当然だったのだろうとわかる。
「それだけ俺も成長しているということか……」
「たかが麻雀でそんなしみじみと言われても……でも、そうなのかもしれないね」
なんとなく言った言葉だったが、亮にすら肯定されてしまった。この一年、こんなところで発揮するような能力を磨いてきた覚えはないが、どうやら転用もできたらしい。
「さてと。悪いけどリムレット。ここからは密談だ」
「承知していますよ。殿下と神使のお二方でご相談ですね。人払いはお任せください」
そう言って、リムレットは立ち上がり、部屋の外に出た。そのまま待機している侍従を解散させてくれるのだろう。