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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第五章 大反乱
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道中

 ハクロに向かう道すがら、士会は開夜に乗りながら姫姉妹と歓談していた。


 行軍ではなく警護であるからか、ウィングロー指揮の軍は比較的ゆっくりと進んでいる。周りの戦鴕より一回り大きい開夜には、この速度は遅すぎるようで、時折不満げに低く鳴いた。元々開夜は、狩りに通じるものがあるからか、疾駆するのが好きだ。


「士会殿、士会殿。私たちの先祖、軍神様はどのような方なのですか? やはり雄々しく、猛々しい勇壮なお方なのでしょうか?」

「いや、だからな。俺は軍神の使いと決まったわけじゃないというか。設定が固まってないというか。そこんところ、都に帰ってから相談させてほしいというか……」


 紐燐紗は事あるごとに、士会を軍神の使いとして扱ってくる。士会の側も訂正はしているのだが、じゃあ何なのかと聞かれるとこれまた困ってしまう。こちらの神話などに沿うよう、フィナや亮としっかり設定を詰めないといけないのだが、まだその機会が来ていなかった。


「燐紗。あまりそう催促するな。神使である以上神に仕えているのだから、言いづらいこともあろう」


 紐寧和が間に入って、上手く紐燐紗をたしなめてくれた。紐寧和には、士会の事情について包み隠さず話してある。士会がそう特別な人間でないことを、きちんと理解してくれているのだ。


 それもそうかと、紐燐紗は比較的あっさりと引き下がった。やはり彼女にとって、姉は絶対的な存在であるらしい。見ていると、紐燐紗の主観では、姉妹というより主従という関係になっていそうだった。


「ところでな、士会殿。この前、学校で教えていた科目について、考えていたのだがな」

「ああ。あんなので参考になるのか?」


 義務教育の話をしてからというもの、紐寧和はその内容について聞きたがるようになった。こちらは特に返しづらいものでもないので、色々な質問に答えていた。


「なるとも。民に教育を施そうにも、何を優先すべきかなど、手探りな部分が多い。目指すべきは、進む道に関わらず全ての子供に知を授けることだからな。大学の授業とは、違った観点で構築しなければならないだろう。科目も、普遍的なものが多くなる」

「まあ、なったならいいけど」

「それでな、まず理科だが、最新の農業や薬草、毒草の知識、獣や魚の取り方などを考えた。もちろん、人によっては生活の中で自ずと知ることになることだが、自分の家業以外のことを学ぶのは大切なことだと思う。狭い世界で生きていては、不利を受け入れざるを得ないことも多い」


 紐寧和の口調には少し熱がこもっていた。正直あんまり興味のない分野の話だったが、紐寧和があまりに真剣なので、士会も真面目に耳を傾ける。


「地理ではどこでどんな作物が取れるか、どんな産業があるのか。地域ごとの気候の特色なども知識として持っておくのは良いだろう。歴史や社会制度、それから算数……この辺りも優先度が高いな。歴史は官に登用されるために課される試験に必須だし、国家の体制を知らねば民が政に関わることなど夢のまた夢だろう。算術は、商人になるにも役人になるにも役に立つ。百姓が不当に高い税を取られるのを抑止することもできる。だが、何より……」

「読み書きか」


 消去法で残ったのが国語だな、と思い士会が言うと、紐寧和はうなずいた。


「その通りだ。そもそも物事を学ぶ上で、書を読めなければ色々と不自由することになる。先に言った試験でも当然必要だし、また軍に入っても重要だ。書を読めないがゆえに詐欺にかかる者も少なくないし、生活の上でも大いに役立つ。何を置いてもまずはこれ、と言っていいだろう」

「確かにな」


 士会自身、読み書きができないために軍の書類などは部下を頼っている。やはり、書類などが送られてくる度に、人を頼らなければならないのは不便だった。以前竹簡を送ってきた辺り、亮は既にこちらの言語を習得しているようだが、士会には学ぶつもりすらない。英語だけでも胃もたれしそうだったのに、一から別の言語を学ぶなどもってのほかだ。まあ、大学に進めば第二外国語なる恐るべき教科があると聞くが、それはこの際置いておく。


「それで、読み書きの教材として、詩や古くから知られる名著、論説文など、様々な文章をまとめた本があるのだったな」

「教科書な。教科ごとにあるけど、国語はそんな感じだ」

「そう、それだ。とはいえ、現世では崑霊郷ほど読み物の文化が発達していないのでな。そこは、こちらで作らなければならない」

「読み書きの参考になる文章を作るのか。小説とか、書いてる人はいるはずだし、そういう人に頼めばいいのかな」


 何せ、官能小説まで存在するのである。普通の小説を普通に書いている人も普通にいるはずだ。


「そうなるな。そこでだ。題材は、この国の民が良く知っている物の方が良いと思ってな」

「良く知っている物か……神話とかになるのかな」


 物語になりそうなもので、国民的に知られているものとなると、そのくらいしか思い浮かばない。ところが紐寧和の答えは、士会の想定を遥かに超えたものだった。


「それもいいが、あまりに人に知られ過ぎていて、興味を引きづらいところがある。そこで、有名な戦の記録を持ち出すのはどうかと思っている。例えば……数十で数万の軍を破った戦とか、な」

「……まさか」


 その響きには聞き覚えがある。士会自身の功績として、何度も人から言われた言葉。それを、教科書に?


「いや、待て、ちょっと待て。それはまずい」

「何か問題があるかな? あの一戦は鷺の国内で、衝撃と称賛を伴って迅速に広まっていった。自国の英雄が如何様にして活躍したか、その戦ぶりを詳しく知りたいと思う者も多いだろうし、読み書きを学ぶ題材としてはちょうどよいだろう」

「それはそうだが、しかしだな。その」


 つまり紐寧和の思惑がそのまま進めば、士会の行動がそのまま教科書に載り、鷺の国民全員に行きわたることとなるわけだ。これ以上なく栄誉なことなのだろうが、これ以上なくむずがゆい思いがする。


「まあ、残念ながらまだまだ先の話だ。私はまだこの国で、足場を築けてもいないのだからな。覚悟だけ、しておいてくれ」

「冗談じゃないんだな……本気なんだな……はい」


 心底恐ろしいとばかりに士会が言うと、紐燐紗が会話に入ってきた。


「素晴らしいことではありませんか! 士会殿のご活躍が、子細漏らさず鷺国民の知るところとなるのでしょう?」

「いや、自分の武勇伝が知らない人にまで伝わってるって、なんというか、こそばゆい。第一、それが目的じゃないからな。あくまで読み書きの題材なんだから、端折(はしょ)るところは盛大に端折るべきだろ」

「いえいえ。一挙一動を漏らすことのない勢いで、丹念にあの戦をなぞっていきましょう! 鷺で著名な物書きを集めて協議させて」

「だから趣旨からずれてるっての! もういい、この話は終わり!」


 士会は強制的に話を打ち切り、開夜に足で合図を出して、少し歩みを速めた。


 日は高く、暑さを感じさせた。これから梅雨を経て、夏になるのだろう。……梅雨、あるのだろうか。


 水を張った田んぼが左右に延々と続く中、一段高く作られた道をゆっくりと進んでいく。士会と姫姉妹はちょうど軍の中央にいて、近くには総指揮のウィングローも愛鴕ハーストに騎乗して歩を進めている。


 そんな中、紐寧和がぽつりと漏らした。


「この方の国も、やはり私の祖国と変わらないのだな」


 その言葉には、うっすらと失望の色が混じっていた。


「……どういうところが?」


 急にどうしたのかと、士会は訝しげに聞いた。


「民の顔の高さが。考えてもみろ。軍とは、国を守るものだぞ。国を紐解いていけば、その土台は民だ。守護してくれる者を歓迎するのは当然だろう。民が顔を上げて我らに手を振ってくれる、それが自然な姿ではないのか」

「………………」


 士会はしばし黙り込み、思いの中に沈み込んだ。


 確かに言われてみれば、今目の前にある光景は、ハクロで見てきたものとは違う。ハクロでは、手を振られることこそなかったものの、特に恐れられることもなく、顔を上げて軍が通る様子を眺める者もいた。子供たちに「まっしろー!」などと言われ、アルバストが喜んでいたこともある。しかし現在、周囲の農民はまるで軍など存在しないかのように、必死に農作業に励んでいる。それは単純に熱心であるというより、関わり合いにならないようにしているように見えた。


 それは嫌でも、武力を背後に高圧的な態度をとる、悪質な軍の存在を想起させた。士会も聞いたことだけはある。難癖をつけては暴力を振るう者や、見目の良い娘がいたと思えば半ばさらう形で妾にしてしまうような輩が、他の街の軍にはいるようだ。しかし伝聞だけで、規律の行き届いた軍の中にしかいたことのなかった士会には、無意識に対岸のことのように思ってしまっていた。


 それだけに、紐寧和に気付かされたこの現状というのは、ずしりと心に重くのしかかった。急激に湧いてくる実感と、嫌悪感。どうにかしなければならないという、義務感。


「……今の話だけで、そのような顔ができる。そういう者が同志としていてくれるだけでも、私は喜ばしいよ」


 知らない内に、士会は眉をひそめ、かなり険しい表情になっていた。それを見ながら、紐寧和は静かに笑う。何かを回顧しているように見えて、少し考え――士会は思い当たった。袖にいた時、善政を敷いていたのは確かだろう。しかし理解者はせいぜい武術一辺倒の紐燐紗くらいで、他からは無視されていたか、下手すると迫害されていたのかもしれない。


 同志。その言葉には重みとともに、期待を感じさせた。


「こういう問題も、すぐに解決はできないんだろうな……」

「そう、逸るな。機を見るのは、戦でも重要だろう? こういった問題は、人の心に巣食った病魔のようで、適切な治療を行わなければ解決は難しい。軍の末端に至るまで、意識の改革を行わなければならないわけだからな」


 そう考えると、壮大な話だ。人の心を変えるのは難しい。まして、今まで当然だったことをひっくり返すには、機を選ぶだけでなく時をかける必要もある気がした。


「くっそ、気が遠くなるな……」

「国を変えると言い切った者が、そんなことを言ってどうする。格好がつかんぞ」

「そりゃそうだけど。急に現実を見せつけられるとつい、な」


 そう言うと、紐寧和はからりと笑った。先ほどまでの憂いを帯びた顔から一転して笑顔になると、彼女の麗しさも一層映える。


「はは、やはりそういったところは人の身だな。親近感を覚えるぞ」

「身に余る称号だとは思ってるよ……」

「いや、いや。そこまでは言っていない。むしろ、本心からそう言えるからこそ、私は神使に足る人物だと思っているよ」


 直球で褒められ、士会は赤面した。面と向かってそういうことを言われると、どうしても照れや恥ずかしさが前面に出てしまう。


「士会殿! 聞けば士会殿は、ウィングロー殿と面識があるとのこと! 是非、是非紹介していただけませんか!」


 後ろに下がってシュシュに構ってもらっていた紐燐紗が、急に咳き込むような勢いで割って入ってきた。どうやら士会とウィングローのつながりを聞きつけたらしい。


「紹介も何も、今は護送対象と護送隊長だろ。異変はないかとか適当な言い訳見繕って、話しに行ったらいいんじゃねえの」

「いや、でも、あのウィングロー殿ですよ? 袖にいても嫌でも耳にしたその武勇! 一人でお会いするにはその、なんというか……」

「緊張するってことか?」

「はい、そう、それです!」

「なんか珍しいな。お前も思い立ったら即行動に移すタイプだと思ってたけど」

「基本はそうです! でも、これはまた別といいますか」


 段々とわかってきた。急に憧れの人と話す機会ができて、混乱しているのだ。その感覚は、士会にもなんとなくわからなくはない。


「仕方ない。俺もあの人とどんな話したらいいかわからないけど、行ってみようか」

「本当ですか! ありがとうございます!」


 士会は姫姉妹を連れ、少し前を行くウィングローの下に向かった。護送対象である貴人たちが揃ってぞろぞろと進んできたため、皆慌てて道を開けている。


「士会。姫君たちを連れて、何かあったのか」


 ウィングローの呼び方から、殿、が消えていた。士会の将軍就任が内定し、正式に元帥であるウィングローの下になることが確定したからだろう。これから先は、少なくとも余人がいるところでは、フィナに対する言葉遣いなども気を付けなければならない。


「大した用ではないんですが。ウィングロー殿と話がしたいと仰せなので」


 そう言い置いて、士会は紐燐紗を前に出すように後ろへと下がった。


「ほら」

「は、はい!」


 士会が促すと、紐燐紗は両手をぐっと握りしめて、ウィングローを正面から見据えている。一方のウィングローは、何を言われるのだろうとひたすらに探っているようだ。


「まずは、その……握手! お願いします!」

「握手……ですか? ええと、はい。承りました」


 ウィングローが困惑しながらも、紐燐紗に愛鴕ハーストを寄せ、手を差し出している。ウィングローの虚を突くという難題に、紐燐紗は図らずも成功したようだ。


 紐燐紗の華奢ながら引き締まった手と、ウィングローの無骨な手が結ばれる。手が離れてからも、紐燐紗は感嘆の声を漏らしながら、自分の手をまじまじと見つめていた。


「では、色々お聞きしたいことがあるのですが……。まずはレンブラントの戦から」

「士会、士会」


 紐燐紗が一方的に話を進ませていたところで、ちょいちょいとウィングローに呼ばれた。


「紐燐紗殿の意図をつかみかねるのだが」

「意図もくそもないですよ。単純に戦が好きなんです。指揮も、かなり上手にこなしますよ」

「そういうことか。いや、この歳になると、人の純粋さを信じることがあまりなくなってしまってな。それなら、話は早い」


 ウィングローは紐燐紗に向き直り、話し出した。表情に変化はないように見えて、どこか嬉しそうな気配を漂わせている気がした。


「レンブラントとは、また古い話を持ち出してこられましたな。察するに、川べりで追い詰められたところから突破した辺りですかな」

「はい! いかにして寡兵で敵の包囲を断ち割り、敵の指揮官を討ち取るまでに至ったのか、記録だけでは読み取ることが難しくて」

「あれは実を言いますと、敵の失策が原因なのですよ。手堅く包囲を少しずつ狭められていれば、おそらく全員川に沈められていたでしょう。しかし、包囲が完了した時点で、敵方に既に勝ったというような雰囲気が流れ始めましてな。おかげで、隊伍の乱れた部分から隙を突き、そこから穴を広げるような形で、突破を果たすことが出来ました。指揮官の首は、取っておかないとどの道追撃で討たれかねなかったので、少し無理してでも取りにいかざるを得なかったところがありますな」


 二人の会話が順調に流れだしたのを見届けて、士会と紐寧和は無言でその場を後にし、護送対象の定位置へと戻った。


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