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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第五章 大反乱
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守将と元帥

 眼下には、月光を冷たく反射する白い街並みが映っていた。いつ見ても、この風景に勝るものはない。美しい、自慢の街だ。


 以前同じ軍の将校を迎えた望楼は、現在その軍の総大将をもてなす場になっていた。


「ほう。良い酒だな」

「ハクロは水も良いですから。それ以上に、この真白き眺望こそが、ハクロの宝でありますがね」

「相変わらずのようだな、アルバスト」


 杯を傾けながら、ウィングローが街へと視線を落とした。アルバストも、望楼の欄干に手をかけ、同じように街を眺める。


「その様子だと、ここから動く気もやはりあるまいか」

「もちろんですとも。この白き街以外のどこに、僕の輝きを受け入れてくれる場所があるというのです」

「まあ、袖との最前線に優秀な将がいてくれるのも、ありがたくはある」


 中央に来ないか、という誘いは、以前にもあった。しかしアルバストは、それを即座に断っている。権謀術数渦巻く中央の軍より、上から下まではっきり目の届く辺境の方がずっと気楽だからだ。


「しかし今回の一件を経て、余計貴公にはフェロンに来てもらいたくなったのだがな。特に、後進の育成役として」

「止めてくださいよ。僕の功績を否定はしませんが、あの二人は元々素質がありました。それが表に出たに過ぎません」


 中央で教育に従事するなど、考えただけでも嫌気が差す。アルバストは、自ら指揮を執って戦場を駆けるのが好きなのだ。このハクロという街は、太い街道が通り河川も有する交通の要衝であり、戦場になりやすいという意味でも素晴らしい立地だった。


「それは、バリアレスやビーフックをああいう形に育ててしまった私には、耳の痛い言葉だな。どうも私は、人を育てるという点において、元帥の座にいていいのか疑問に思う」

「言い過ぎなのでは? バリアレスも、放っておけば自然と丸くなったかもしれませんし。それにあれは、僕の影響だけでなく、同年代の戦友の存在も大きいですよ」

「士会か。次は事実上、私の下に置くという話だったな」

「ええ。その下地は、しっかりできているはずです」

「そのことは、今日の模擬戦で見定めさせてもらった」


 昼、ウィングロー軍が到着してすぐに行われた模擬戦は、非常に一方的な展開のまま終わった。騎鴕戦ではバリアレスがビーフックの騎鴕隊を容易く蹴散らし、同時に士会が歩兵同士のぶつかり合いでも相手を崩し切った。二人とも一片の容赦もなく、完全に潰走するまで追撃していた。あまりの悲惨な負けに、ビーフックはほぼ泣いていた。


 自分の教え子たちは、いいところを見せようと張り切り過ぎてしまったようだった。ちょうどいい勝ち方が重要な時もあると、アルバストは後で注意をする羽目になった。柳礫との戦いで、そこらの匙加減は学んだと思っていたのだが、違ったようだ。


 空になったウィングローの杯に、アルバストは酒を注いだ。続いて自分も少量、すするように飲む。軍人はなぜか一気飲みを好むのだが、アルバストはあまり好きではなかった。単純に、美しく見えないのだ。


「将軍としての戦の仕方を仕込むのだったな。先の通り、私はあまり人を教えるには向いていないのだがな……」

「では、他に誰か適任がいると?」

「痛いところを突いてくるな」

「それができなければ、良将足り得ませんから」

「確かに。この件について、もう愚痴を言うのは止めるとしよう。さて、貴公には改めて礼を言っておきたい」

「バリアレスのこと、ですかね」


 暗江原の戦いでのバリアレスは、攻撃にだけ強いという将として歪な形が前面に出ていた。それがこの一年で治ったことは、昼間の模擬戦を見ただけでもよくわかったはずだ。


「それもある。まさかあれが、歩兵を利用しながら戦うようになっているとは思わなかった。予想以上の進歩を見せてくれていた」

「かじ取りをする良い部下を得たのもあるでしょうね。それから、やはり歩兵側の指揮官と気心知れているのが大きいかと」


 ベルゼルという指揮官と出会ったことは、バリアレスにとって非常に良い刺激になっただろう。敵として対峙して苦戦したことで、騎鴕隊の戦い方について視点が広がったと聞いていた。


「部下と同輩に加え、上司に恵まれなければそう真っ直ぐは育つまい。機を読む貴公の戦い方からも、きちんと学んでいたようだしな。ただ、特に礼を言いたいのは、むしろ士会についてだ」

「士会ですか? それはまあ、一通りのことは仕込みましたが、それ以上のことはしていませんよ」


 ウィングローの言を聞き、アルバストはとぼけたような声を出した。


「私はあれに色々な意味で期待していてな。このハクロの地は、腐敗とは無縁だ。あれが純粋に育つための、良き環境を提供してくれた」


 ウィングローの言を聞き、アルバストはなるほど、とうなずいた。以前、士会から国を変えたいという話は聞いていた。自分もそれに賛同しているし、士会がそう動いてくれるよう場を整えたことは確かだ。元から不正には目を光らせていたが、士会が来てから一層強く引き締めたところがある。


 ロードライトから聞いた話で、ウィングローも士会に目をかけていることは知っていた。しかしその期待度は、予想以上のようだ。やはりウィングローもまた、この国の今の体制に対して思うところがあるのだ。しかし元帥でさえも、アルバストと同じ武官である以上、政治に対し表立って口は出せない。堅物のこの御仁ならなおさらだろう。


 だからこそ、殿下に対して影響力を持つ士会を清廉なまま育てることで、間接的にこの国の風通しを良くする。アルバストと全く同じことを、ウィングローも目論んでいるようだ。


「その任は、今後はそちらにお任せしますよ。彼に期待しているのは、僕も同じですから」

「ふむ。このことに関しては、確かに請け負おう。私の管轄下にいる限り、腐った雫の一滴たりとも彼に触れさせることはない」

「頼もしいお言葉ですね。これで安心して、士会を都へと送り出せます」


 アルバストは、つまみとして置いていた小魚の佃煮をひとつかみし、口の中に放り込んんだ。ウィングローは杯を一気に飲み干し、自ら次を注いでいる。


「バリアレスはかなり強いですが、ウィングロー殿も?」

「そうだな。昔は飲み競べなどしたこともあったが、大抵は勝った。それゆえ、どうも酒は一息に飲む癖がついていてな」

「それはまた、軍人らしい癖ですね」


 アルバストも軍に入った頃は、一気飲みを強要されたこともある。酒に弱いわけではないのでできはしたものの、あれでは酒の本来の味は楽しめないとアルバストは感じた。


「別に私は、酔いたいわけではないのだがな。若い者は、酔うことを目的に勢いよく飲むことが多いようだが」

「僕は程よく酔うのが好きですね。つまりは、今くらいのような」


 そう言って、アルバストはまたちびちびと酒を飲んだ。


「そういえば、貴公は息子は?」

「いませんよ。そもそも僕、独身ですし」


 アルバストは今年で四十になる。婚姻の話はいくつも舞い込んできたものの、成立するに至ったものはなかった。何が原因かといえば、趣味の不一致という他ない。実家は兄が継いでくれているし、気楽なものだった。


「そうか。いるのなら、教育方針について聞いておきたかったのだが」

「本当に、面白いくらい教育でお悩みなのですね」


 アルバストがそう言うと、ウィングローは渋い顔を作った。


「笑い事ではないのだ。長男も次男も、私自身が手をかけ過ぎた。そして戦に出す時機を見誤り、二人ともつまらない戦で死んだ」

「……面白い、というのは失言でしたね。失礼しました」


 ウィングローが既に二人の息子を戦で亡くしているとは、確かに以前聞いていた。それを(おもんぱか)ることのない発言だった。


「いや、いい。ともかく、それでバリアレスやビーフックは乳母にほぼ任せたのだが、結果はああだ。戦の手ほどきをしたのは私だが、どういうわけかどちらも突撃方面に酷く偏った育ち方をしてしまった」

「バリアレスは、見事に克服して見せたじゃありませんか。ビーフックも、まだ成長過程ですよ」

「正直バリアレスは、あれでよく途中で戦死しなかったものだと思っている。特に暗江原の戦いでは、命を拾ったと言っていいだろう。そして、親としては、死なれては困るのだ。家がどうこうではなく、人として、な」


 なるほど、とアルバストは納得した。ウィングローの悩みの根底にあるのは、育つ途上で二人の息子を失ったことにあるのだろう。だからこそ、続く息子、娘たちも同じ段階を越えられるか心配になる。バリアレスはもう親離れしたと言っていいだろうが、ビーフックはまだ巣立ったばかりの、飛ぶのも覚束ない雛だ。


「ウィングロー殿は、他にご子息は?」

「十になったばかりの娘が一人いる。これも血気盛んでな、武家に生まれた者として武で身を立ててみせると、今から言っている」

「元帥として冥利に尽きるではありませんか」

「いや、一人くらい家のため嫁ぎに行くとか、良い人を見つけて結婚をすることが夢だとか、言ってもらいたかったのだがな……。ビーフックなど、立ち合いで自分に勝てない者では、一考の余地すらないと言い切った」


 それを聞いて、アルバストは噴き出した。確かに、あの気の強い娘なら言いそうなことだ。


「それで、ビーフックもまだ独り身なのですね」

「その通りだ。あれにもファルセリアの肩書が付いているからな。縁談はいくつも舞い込んだが、本人が鼻で笑い飛ばした」

「ウィングロー殿の思惑として、どこかの家と縁戚を結ぶというようなことはないのですか?」

「あまり、派閥を作るのは好ましくないからな。政略結婚をさせる気はなかった。ああいうのは、本人の意思が重要なところもあるしな。そう思っていたのだが……」

「本人の理想が高すぎて、売れ残り始めているわけですね」


 ビーフックは今、十八だ。高官の娘であれば十五くらいで結婚するのが普通であるから、既に結婚適齢期を超過している。


「こうなったら、手頃な相手でもこちらで見繕うかとも思っていてな。貴公、独身ならどうだ?」

「謹んでお断りします。おそらく、僕と美的感覚を共有することができないので」

「できる相手がいるのか疑問だが……。まあ、気が進まないならいい。思いつきで話を持ち掛けた私も悪かった」


 それにしても、こうも悩みを打ち明けられると、なんとなく親しみが湧いてくるものだ。士会が言っていたように、堅いだけの人物ではないというのは、確かなようだ。


 ウィングローが、また杯を逆さまに向けて空にした。しかしその次を注ぐことはなかった。


「さて、一対一で話ができる間に、一つ聞いておきたい」


 ウィングローの醸す雰囲気が変わったことに、アルバストは気付いた。アルバストも少し背筋を伸ばし、居住まいを正す。


「バリアレスのことだ。貴公から見てあれは――どう思う?」


 抽象的な質問だが、意図ははっきり理解できた。


「ふむ……正直に申しますと」


 言いにくさを感じて、アルバストはそこで一度言葉を切った。しかしすぐに思い直し、次の句を告げる。


「総大将に――元帥になれる器では、ありません」


 ウィングローが目を閉じ、こくりとうなずいた。彼も昼間の戦を見た時から、わかってはいたのだろう。それでも、確認はしておきたかった、といったところか。


「彼は騎鴕隊を率いて遊撃を行う時にこそ、その実力を最大限発揮できます。しかし、歩兵を含めた軍全体を見渡さなければならない総大将には、向きません」


 元帥が出陣するということは、必然的にその人物がその軍の総大将となる。軍の階級的に、元帥に命令を下せる者はいないからだ。


「よく言ってくれた。これで私も、踏ん切りがついた。実を言うとな、私も期待はしてしまっていたのだ。我が子が自分の跡を継いで、元帥となることを。しかし親の欲望のために、子に不向きなことを強いるのは、不徳の致すところとなるだろう」


 ウィングローの顔色から、感情の変化は読み取れない。しかし、おそらくは、ほっとしているのではないだろうか。バリアレスの生き生きとした戦ぶりを見て、その適性を確信し、それでも自身の夢を諦めきれなかった。しかし今の会話で、その迷いからは解放された。


「都に行っても、時々士会と組ませてやってください。あの二人は上手く波長が合うようで、互いに良い影響を及ぼし合います」

「しかと覚えておこう。……む、酒がなくなったな」

「ああ、持ってこさせましょうか」

「いや、いい。今日はこれでお開きにしよう。ありがとう、アルバスト。とても実のある談話だった」

「いえ、こちらこそ。元帥の人間味を感じられて、嬉しかったですよ」


 教え育てるのが苦手というが、今日話した限りでは、それもそこまで心配しなくていいような気がしていた。


 ウィングローが立ち上がった。あれだけ飲んだというのに、一寸のふらつきも見られない。強いというのは本当のようだ。


 アルバストも立ち上がり、軽い酔いを感じながら、街を見渡す天守の望楼を後にした。


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