都からの迎え
街道の奥から、整然と並んだ軍隊が行進してくる。その動きに一切の乱れはなく、一つの生き物のように有機的な様を見せていた。
それがどれだけ難しいことか、今の士会はよく理解していた。行軍一つを見ただけでも、いかに精強な軍であるかがわかる。
「さすが、の一言ですね」
「全くだ。僕の軍も、相当に美しく整った動きができるという自負があるのだけどね。あそこまで、とはいかないな」
姫姉妹の護衛として派遣されてきたウィングロー軍を、士会とアルバストはハクロの城壁の上から見ていた。この人選はやりすぎだとフィナに釘を刺してはおいたものの、あまり効果はなさそうだった。もっとも士会の側も、言外にほめてほめてと訴えかけてくるフィナに対して、あまり強く言えなかったところがある。後で考えるとこういうところが甘いんだよな、と自省するのだが、なかなか治るものでもない。
「そろそろ下りますか」
「そうだね。元帥閣下のお出ましだ。せめてもの、最前線の軍としてのしっかりした姿で出迎えないと、色々と格好がつかないだろう」
「ですね。信頼はしてますが、一応は事前に引き締めておかないと」
結果的に、少し早めに準備を始めて正解ではあった。ハクロの正門、迎えのために並べた軍の先で、何やら騒動が起きていた。
「これだけは、これだけは譲れません! 姉様!」
「分からず屋め。亡命者である我々を、ここまで厚遇してくれているのだぞ。その我らが、礼を外して何とする」
「ウィングロー殿は名高き武人です。これが私なりの礼というものです!」
「そして、古くから鷺に連なる名家の主人でもある。なればこそ、貴人としての礼を尽くすべきであろう」
どうやら、鷺側の厚遇に応じるため、姫姉妹もウィングロー軍の出迎えに来てくれたようだ。しかしその姉妹で、なにやら言い争いをしている。
「どうしたんだ、二人とも」
「士会殿!」
士会の姿を見て、紐燐紗が喜色を見せた。
「聞いてください士会殿。これが、戦場を駆ける者としての正装ですよね」
「今は貴人として扱われているのだから、それに見合った服装をだな」
紐寧和と紐燐紗の服装は実に対照的だった。紐寧和は袖の広い着物のような服を着ており、赤と金という非常に煌びやかな色合いを見せていた。さらに羽衣のような布を首の裏側から腕に渡している。
一方の紐燐紗は具足の上に戦衣を羽織っただけという、命じられればすぐにでも出撃できますとでも言わんばかりの服装だった。戦衣自体は紐寧和とお揃いの赤と金という意匠だが、それでも無骨な雰囲気が拭えない。具足姿の彼女は見慣れているものの、毎度のことながら顔のあどけなさと似合わないなと士会は思う。
確かこれは、街宰のレゼルが二人のために用意したもののはずだ。紐燐紗の武勇を聞いて、戦衣も一緒にあつらえたと聞いた。
「つまり、燐紗がその綺麗な着物を着たがらなくて困っている、ということか」
「その通りだ、士会殿」
状況を見て士会が言うと、紐寧和がうなずいた。そこに紐燐紗が噛みつく。
「だってあれ暑いし動きにくくて鬱陶しい……ではなく! 私はただ守られるだけの皇子ではありません! 武人としての誇りがあるのです! 士会殿も、神の使者として扱われるよりここの将校として扱われる方が嬉しいと、常々仰っているではありませんか」
「うっ、それを言われると……ってちょっと待て。俺の場合は実際にここの将校だが、お前は今、亡命してきた姫として迎えが来てるんだろ? だったら姫様としての服を着るのが正しいんじゃないか?」
士会自身、ついこの前にシュシュと似たようなやり取りをして押し切っているので、偉そうなことは言えないのだが、そこについては伏せておく。
「う、裏切りましたね士会殿! なんてこと、敵と対峙している最中に、友軍から背後を突かれるとは……」
「どこがだ。裏切りも闇討ちもしてねえよ」
「ほら見ろ、お前の崇める軍神の使い殿も同意見だ。諦めて、大人しく着替えろ」
「待ってください。士会殿がここにいるということは――ウィングロー殿がもう間近まで迫っているということですね! これはいけません。もう屋敷まで戻っている時間は」
「ないから礼服はきちんと用意してきた。頼んだぞ」
紐寧和が指を鳴らすと、背後にいた侍従たちが紐燐紗を近くの家まで引っ張っていった。紐燐紗はまだ何か言っていたが、もはや時すでに遅し。あえなく家の中へ引きずり込まれていく。
「いやはや、士会殿が来てくれて助かった。どうにも聞き分けのない妹でな……」
「確かにはねっかえりなとこあるなあ」
「それが頼もしい時もあるのだがな。袖から逃亡する時は、強い心の支えになった」
「明らかに非常事態に強いタイプだもんな、あいつ。逆に平時だと色々持て余しそうだ」
「今はいつ戦が起きるともわからない、きな臭い時代だ。時を得ていると言えるかもしれん」
逆に紐寧和は、平和な時代にこそその手腕を発揮できる。戦時には、民の暮らしは置き去りにせざるを得ないことも多いからだ。もしかすると、時代に適応している妹のことを、少し羨ましく思っているのかもしれない。
「うー……」
着物を着せられた紐燐紗が、急遽着替え室と化した民家から出てきた。姉と同じように、何か羽衣のようなものを纏っている。模様は違えど、赤と金という絢爛な色合いは姉とお揃いだ。
「おお、似合ってるじゃないか」
「私は! 具足こそ着こなしたいのです!」
実際、無骨な戦装束よりもはるかに似合っており、可愛らしい。士会にしては素直に褒めたのだが、紐燐紗は不満なようだった。
「ところで士会殿。こんなところで油を売っていていいのか」
「いっけね。人の心配してる場合じゃなかったな。ありがとう、それじゃ」
そもそも士会は、ウィングロー軍を迎える前の最後の見回りに来たのだった。早めに来たかいはあったようだが、本来の役目、ハクロの将校としての仕事もしなければならない。
「士会殿、遅いですよ」
「とはいえ、既に何もすることがないですけどねー」
確かに士会が見た限りでも、しっかりと軍の規律は守られていた。ピオレスタと白約が、厳しく引き締めてくれていたようだ。
「それにしても、なかなか緊張しますね。ウィングロー殿が評判通りの方であるなら、一片の弛みも見過ごしてはもらえないでしょう」
「つっても俺らにできることは、最善を尽くすことだけだ。気張ってばかりいても仕方ない」
既にウィングローと面識のある士会は、ピオレスタよりも若干の余裕があった。人をからかってみたりと、ウィングローが言われているほど堅物でないことも知っている。
「いいこと言いますねえ、士会殿。なあピオレスタ、もっとこう、力抜こうぜ」
「白約、お前は緊張感持った方がいいかもな」
「いや、その心配はない」
不意に後ろから声をかけられた。振り向くと、バリアレスが立っていた。
「バリアレス殿、その心は?」
ピオレスタが聞くと、バリアレスはげっそりとした表情で答えた。
「父上のところにいる将校は変人揃いだ。軍に乱れさえなければ、個人個人の性格に父上は頓着しない」
心底戻りたくないという風に、バリアレスは言う。しかし士会には疑問が残った。
「ちょっと待て、変人揃い? 少なくともロードライト殿は、真面目でまともな人だったぞ」
「ああ、あの人はそうだな。あの軍の良心と言ってもいいかもしれん。というかあの人がいないと、あの軍は持たん。まとまらん」
「ええ? いや、ウィングロー殿が上からがっしりとまとめ上げてるんじゃ……」
「違う。父上は何もしていないだけだ。将校同士のいざこざなんかは、全部ロードライト殿のところに回ってくる。それを逐一丁寧に解決してくれているから、あの軍は軍として成り立っている」
「???」
士会の中のイメージとバリアレスの話す内容が乖離し過ぎていて、士会の理解が追いついていない。
「いやほんと、ロードライト殿は影の元帥と言っても過言じゃないぞ。まあ、今回父上が連れてくる中には、問題の人たちはいなかったが」
「はいはーい、君たち、そろそろ出番だよ。士会とバリアレスは僕とともに城門で出迎え、他は兵の指揮」
部下や同僚と歓談していると、上官が呼びに来た。城壁の上から観測した限り、確かにそろそろ着く頃合いだろう。
城門でアルバストの諸将や姫姉妹と合流し、ウィングロー軍の到着に向けて待機する。街道の両脇にハクロ軍が一糸乱れず並び立ち、軍としての統制の取れようを見せつける。さして待つこともなく、城外の街中を抜けてくるウィングロー軍が見え始めた。指揮官のウィングローが先頭に出てきている。
ウィングローが並んだ迎えの中から、姫姉妹の姿を見つけ出し、すぐに下鴕した。
「これは、異邦より来たりし姫様方。わざわざのお出迎え、感謝いたします」
近づき、膝をついてウィングローが礼をする。続いて紐寧和が前に出て、こちらも一礼した。
「立ち上がってくれ、ウィングロー。ここまで、足労であった」
「では、僭越ながら」
ウィングローが立ち上がる。儀礼的に、こういうやり取りが必要なのだろう。鷺軍の頂点に立つウィングローと、亡命してきた姫君とでは、一応後者の方が立場が上らしい。一時の士会や亮のように、まだ正式な身分が確定していないというのもあるかもしれない。
「ご存知でしょうが、ハクロの守将、アルバストです。館の準備はできていますが」
「いや、その前に試したいことがある。城外に出ていた兵たち、なかなかの精兵だった。娘を一人、連れて来ているのでな。できれば、鼻っ柱を折ってほしい」
「それは、また……。いえ、やれと言われれば私がひねりますが、それでは芸も品もないというものですね。ふむ」
ここまでの行軍の疲れなどどこ吹く風、ウィングローに休む気など全くないようだった。
ウィングローの娘は戦場に出る女の子で、ウィングローの言から察するに、結構なはねっかえりということか。どこかで聞いたような話だ。
アルバストの目が、士会を捉え、続いて隣のバリアレスに移った。ウィングローも同様に、視線を動かしていく。
「元帥! 聞こえていましたよ。私が負ける前提で、話をされているのですか」
ウィングロー軍の後ろから、長い髪を後ろで束ねて垂らした黒髪黒瞳の少女が、騎鴕を駆って走りこんできた。どこぞの妹姫様と違い、精悍な顔つきにそれなりの背丈をしており、戦装束が様になっている。
「ビーフック。姫君の御前だ」
ウィングローが指摘すると、ビーフックと呼ばれた少女はしまった、という顔をした。
「これは失礼しました!」
ビーフックと呼ばれた少女が下鴕したところで、紐寧和が声をかけた。
「跪拝は略してくれて構わない。それより、話を続けてくれ」
「ありがとうございます」
立ったままビーフックは一礼し、すぐに隣に立つ父親につっかかった。
「最初から負けるような戦をしろと、父上――元帥は仰るのですか」
「別に負けろとは言っていない。勝てないだろうと言っているだけだ」
物静かに言うウィングローに、ビーフックもだんだん腹が立ってきたようだ。
「父上。私も父上の指揮下の将校としての意地があります。わかりました。この戦、必ず勝って見せます」
「だってさ、士会、バリアレス」
アルバストが急に話を振ってきたが、士会もバリアレスも一切動じなかった。先の目配せで、こうなることは察していたからだ。
「力の見せ所だな」
「ああ。妹には悪いが、いい感じにボコられてもらおう」
ウィングローを父に持つのであるから、やはりバリアレスの妹に当たるようだ。
士会とバリアレスは、互いに目配せして笑い合った。こちらとしても、ウィングローとアルバストに力を示すまたとない好機なのだ。存分にやらせてもらう他ない。
「兄上、聞き捨てなりませんね。私は兄上が相手であっても、勝つつもりでいます」
「言うじゃねえか。盛大に打ち据えてやるから覚悟してろよ。それはさておき――お前、俺の隣にいる奴に見覚えは?」
「ありませんが」
「武宮士会、という名前はどうだ」
士会の名前を聞いて、ビーフックは表情を変えた。
「使者様であられましたか。数万を相手に数十騎で立ち向かったという」
「まあ、うん」
その話をされると、どうしても士会はむずがゆくなってしまう。
「しかしそれでも、私は勝利して見せます。父上の兵を預かっているのですから」
この威勢のよさは、さすがバリアレスの妹といったところだろうか。ファルセリア家の教育方針なのかな。
「話はついたな。アルバスト、士会とバリアレスの指揮下にはどのくらいいる?」
「士会が歩兵千、バリアレスが騎鴕三百。ただし、士会の麾下は多めですね」
「ならば、ビーフック。同数を今から選び出せ。馴染むよう二時間の調練の後、模擬戦を行う」
「わかりました、元帥。私の力、とくとお見せします」
言うやいなや踵を返して戦鴕に飛び乗り、ビーフックはウィングロー軍の中へと駆け戻っていった。
士会とバリアレスも、短い打ち合わせをしてから、自分の兵のところに戻った。