将軍内定
今日は快晴、お出かけ日和だった。らしい。
激戦を経た後の宴の翌日は、アルバストの一存により、最低限の人員を除いて臨時の休日と決まった。というか二日酔いで動けない兵も多く、調練にならないのだ。
その休みを、士会は一日自室で寝て過ごした。戦で疲れ切った後、休む間もなく宴と来て、体力が完全に底を突いていたのだ。食事すら、シュシュに運んでもらって自室で食べる始末だった。今日は厠以外、正真正銘、一寸たりとも部屋から出ていない。それどころか、寝台の上からすらほとんど動いていない。天気のことも、シュシュから聞いて知ったくらいだ。
自堕落もいいところなのだが、なぜかシュシュは嬉しそうだった。全身を揉んでくれたり、体を拭く布を持ってきてくれたり、いつにも増して積極的に士会の世話を焼いてくれた。寝つけないと呟いた時に、子守歌を歌い始めた時は、さすがに恥ずかしくて止めてもらった。もっとも、可愛らしかったので、しばらくの間聞き入ってはいたのだが。
考えてみれば、会った頃のシュシュは、士会の身の回りの何から何までをこなそうとしてきた。普段から、もう少しくらい甘えてみてもいいのかもしれない。
こんな日もたまにはいいよな、と自分で自分を納得させながら迎えた夜。
士会はやはり寝台に寝そべったまま、フィナと交信していた。前回から色々あったせいか、なんだか随分と久しぶりのことに感じる。
「そんな大戦があったんだね。こっちにはまだ、伝わってないよ」
「あれからまだ二日だからな……。速鴕で飛ばしてもフェロンまでは届いてないよな」
「なんか袖がゴタゴタしてるとは聞いてたけどねー。とにかく会君、お疲れさまでした」
「おう、ありがとう」
士会の聞く限り、ゴタゴタしているどころではなく陰湿で過激な闘争が繰り広げられているようだが、フィナの中ではその程度の認識のようだった。それがフィナだけなのか、それともフェロン全体がそんな意識なのか、気になるところではある。
「じゃあとりあえず、会君は将軍内定ということで。でもって、就任のためにフェロンに帰還すると! わーい!」
「やっぱりそれは早いと思うんだけどなあ」
「一騎当千をリアルにやった人が言うことじゃなーい! とにかくこれは、決定事項だから!」
「はーい……」
予想はしていたが、やはり止めることはできなかった。士会の帰還を今か今かと待ち望んでいたフィナが、絶好の機会を逃すはずがない。この様子だと、亮に期待しても無駄だろう。朝廷でフィナの強権が発動し、右から左へと流すようにして将軍就任が決定されそうだ。
「あんまり嬉しそうじゃないね……」
フィナとしては、士会の活躍に対する最大限の報いなのだろう。その気持ち自体は素直に嬉しいのだが、将軍という重職に就くということは、伴う責任も今より遥かに大きくなるのだ。
「もうちょっと……いや、もっと? 経験を積みたいというか。もちろん、俺のこと評価してくれるのは嬉しいんだけどさ」
「そんなこと言ってたらお爺ちゃんになっちゃうよ?」
「将軍ってそもそもそれに近い歳の人が就くんじゃないのか……?」
「まあ、会君は神様の使者だし。若くっても、なんなら最年少記録更新でも問題なし! ってことで! 本当は元帥まで上げたいんだけどねー」
ウィングローを蹴落として元帥に就けるとか、なかなか怖いことをおっしゃってくれる。
「私としてはその方が、会君が身近に感じられて嬉しいというか、ね?」
鷺の身分制度の中に組み込まれる以上、士会とフィナの間にも制度上の格差が生じる。それが疎遠になったように感じるというのは、士会にもわかる気がした。それゆえに、こう言われてしまっては、士会ももう腹を決めるしかなかった。
「わかった。この件に関して、俺はもう何も言わないよ。ありがたく、引き受ける」
「そうこなくっちゃ! それじゃ、すぐに手配しとくから!」
「うんまあ、後回しでいいからな。それよりよっぽど、火急の案件があるから」
「そんなのないない!」
感情の振れ幅が大きく、走り出したら止まらない。フィナの悪いところが出ている。
「あるって。さっき言った袖からきた姫様二人の亡命だけど」
「あーうん。受け入れる受け入れる。それでオーケー?」
「軽いな! 頼むぜ、ちゃんと。苦労して守り抜いてきたんだから。亮の意見も聞いて、最優先で対応してくれよ」
「うん。会君の肝いりだし、考え得る限り最高の待遇をもって迎えるよ。でもいいなー。そんな風に会君に必死に守ってもらえるなんて、憧れちゃう」
のほほんとそんなことを宣うフィナの顔を見ながら、とりあえず士会は、姫姉妹を鷺に受け入れてもらうことは上手くいきそうだと安心していた。フィナのことだから大丈夫だろうとは思っていたが、やはり「だろう」を確信に変えられたのは大きい。
「お前を必死に守らなきゃいけない状況は、あんまり想像したくないな……」
士会ももう、この国におけるフィナの立ち位置がいかに重要なものか理解している。彼女の代わりは誰一人としていない。士会が剣を振るってフィナを守るなどという事態は、すなわち国家存亡の危機を表している。
「まあ、袖から脱出する時みたいなのはねー。後から聞いた話じゃ、会君、死にかけになってまで私を守ってくれてたんだって? 女の子としては冥利に尽きるっていうか、とっても嬉しいんだけど、会君が、その、死んじゃうかもしれないっていうのは……怖いな」
「戦に出る以上、命の危険は付き物だけどな。そこのところは気をつけるよ」
それじゃ、またな。うん、またね。お決まりの文句を言い合って、今夜の交信は終わった。
いつもは他愛のない会話に終始することが多いのだが、今回は姫姉妹の受け入れの話をフィナに通しておくという大事な用があった。もっとも、別段話が滞ることはないだろうという予想の通り、二つ返事で了承してくれた。最高の待遇を、などと言っていたし、特に心配することはなさそうだ。
「よかったですね、士会様。袖の姫様方をすんなり受け入れてもらえて」
横で士会とフィナの会話を聞いていたシュシュが、くりくりっとした橙色の瞳を細めていた。元主人と主人のいつもと同じやりとりを、微笑ましく思っているのだろうか。
「まあ、予想通りの反応だったけどな。根は素直な奴だし、頼めば聞いてくれるだろうとは思ってた」
「そうですか? 私はちょっと心配でしたよ。士会様のご活躍にフィリムレーナ様が上機嫌で、助かりました」
シュシュの予想では、フィナは受け入れに難色を示す可能性もあったらしい。どういうか聞いてみると、シュシュは少し目をそらしながら答えてくれた。
「それは……やきもちと言いますか。自分以外の姫を、士会様が命を懸けて守ったわけですし。ちょっと、嫉妬みたいなことになってもおかしくはないかなあ、って思ってました」
聞いて士会は、そういう見方もあるのか、と思った。考えてみれば、士会がフィナ以外の女の子を特別扱いしたと取られてもおかしくはない。
「けれど、杞憂だったみたいで安心しました。フィリムレーナ様も、日々成長なされているようで何よりです」
「確かに、フィナの立場からすると、ちょっと複雑な心境になってもおかしくはなかったか。フィナの心の成長に感謝だな」
そう言って、士会はシュシュと二人で顔を見合わせ、笑い合った。