序章
とある鷺西部の山間。どこにでもあるような小さな山村に、ペリアスは迎え入れられていた。
もっとも、山村というのは隠れ蓑だ。実態は鷺への反乱を志す者たちが集う土地であり、周囲に同じような村がいくつもある。
扱いは良い。付き従ってくれた者を全員余さず受け入れてもらえたし、自分は指揮官としての待遇を受けている。衣食住にも不自由しないし、脇に受けた傷も医者に診てもらえた。
与えられた小屋は小さく、粗末なものだが、贅沢は言っていられない。自分は敗残の身で受け入れられた側だし、そもそもここは日々の暮らしで精一杯の貧しき村、という皮を被っているのだ。元からいた住人も、同じような家で暮らしている。
「ピオレスタ殿……」
そんな薄暗い小屋の中で、ペリアスは身動ぎもせず寝台に横たわっていた。見目の良い顔に表情はない。頭の中を巡るのは、数年間同志として共に戦ってきた者たちのことばかりだ。
まずはビュートライドを落とし、そこを足掛かりにして周囲の街を制圧。次々に勢力圏を広げていき、最終的には首都のフェロンに攻め上り、皇の首を取る。そんな先の先の話まで、酒を酌み交わしながら語り合ったものだ。
今となっては、泡沫の夢に過ぎない。
なぜ、とペリアスは思う。なぜ、ピオレスタもベルゼルも、官軍の甘言に乗せられてしまったのか。なぜ、何年もかけてきた計画を投げ捨てて、一度の負けで戦うことを止めてしまったのか。彼らからどんな言葉をかけられても、よりによって憎むべき敵である官に降るという選択は理解できなかった。
国を内から変えていく? そんなことができれば苦労はしない。この国は見てくれこそなんとか建っているものの、屋根も柱も土台も全てが腐り切っている。どこかを変えようとしたところで、他から途方もない圧力がかかって潰されるのが関の山だ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
ピオレスタもベルゼルも、信頼し、尊敬していた人物だった。それが、あのハクロ軍との戦いで決定的に変わった。今はこれまでの信頼の残滓と、これからは敵として戦わなければならないという悲しさが、ないまぜになって複雑な感情を形成している。
治りきったはずの脇腹の傷が、ずきりと痛んだ。
考えが悲観的になる。最後の決戦に無理に持ち込んでしまったのは自分だ。もし、籠城を選んでいたら、今もあの砦には反旗が翻っていたかもしれない。ああ、なぜ自分はまともに戦えば勝てるなどと、無謀な自信に満ち溢れていたのだろう。一人で勝手に兵を煽って、あれでは愛想を尽かされても仕方ないではないか。
「ペリアス殿。少し、よろしいですか」
小屋の外から呼びかける声がした。応じると、戸を開け、用件を伝えられる。諾、と返して、ペリアスは再び黙考の海に沈んでいった。
狭隘な山道を抜けた先に、目的の村はあった。ペリアスが滞在している村と同じように、一見すると粗末な家屋に畑といったなじみ深い風景が広がっている。聞いている話では、収穫の八割という莫大な税も今のところはきちんと収めているらしい。その一方で、霊鋼など国の専売品を闇の市場に流し、巨大な利益を上げているようだ。
ちょうど通りかかった村娘に公会堂の場所を聞くと、そのまま連れ立って案内してくれた。もっとも、子供たちはまだ、村の大人が何を企てているかは知らされていない。
公会堂は村の中心にあった。村娘の子に礼を言い、中に入る。
会議室に入ると、既に多くの人が卓を囲んで座っていた。その数、二十名ほど。どの人物からも、かすかな熱気を感じる。それはどこか懐かしく、そしてどこか心の奥底をかき乱されたような、嫌な気配を伴うものだった。
その気配の正体に、ペリアスはすぐに気が付いた。かつて自分が、仲間が持っていた熱き志。この国を、自分たちの手で変えていくのだという希望。夢。
一度自分が、打ち破られ、全て失ったものだ。
部屋の隅に腰を下ろすと、卓の正面に座った緑髪の人物から声がかかった。
「そんな端の方に座らなくとも、ペリアス殿」
「殿は不要ですよ、バングル殿。決起の時が近い、と聞いています。指揮系統ははっきりさせておくべきでしょう」
言いながら、ペリアスはバングルの言の通り、少し卓に近いところに座り直した。場の温度に比べると、少し冷めた声が出ていることに、ペリアスは自分で驚いていた。
バングルは、ここら一帯の反乱軍をまとめている首魁だ。もっとも、見た目は文官然としており、朴訥とした好青年である。ただ、内に炎のような感情を秘めていることを、ペリアスは近くにいて感じ取っていた。見かけ通りに組織を回す能力に長けている一方で、戦巧者でもある。歳は自分と同じくらいで、若い。年上に囲まれていたビュートライドでは、なかった新鮮さだ。
「先に鷺と一戦を交えた者としての敬意だ。とはいえ、言われた通りなのも確か。ここは素直に呼び捨てにさせてもらおう、ペリアス」
「ええ、それでお願いします」
しばらく待つと、さらに二、三人入ってきたところで、バングルが話し始めた。全員揃ったようだ。
「さて、今回は極めて重要な案件があって集まってもらった。ただ、その前に顔合わせをしておこうと思う。ペリアス、自己紹介を」
名指しされ、ペリアスはゆっくりとあぐらを解いて立ち上がった。会議室に集まった皆の視線が自身に集中する。
ここに身を寄せてからしばらく経つが、こうした集会に呼ばれたのは初めてのことだった。多分、ある程度は警戒されていたのだと思う。主要な人物が集まる場に出られるようになったということは、信用されたとみていいだろう。
「ペリアス・ヴァリアントと申します。南方のビュートライドという街で、反乱軍の指揮官をしていました。しかしハクロの軍との決戦に敗北し、こちらに身を寄せさせていただいています」
「ビュートライドでは寡兵ながら連戦連勝で、さらに周囲の民の心もつかんでいたという。しかし、精強なハクロ軍と死闘の末、敗北を喫したようだ」
ただの敗軍の将と扱われないように、バングルが補足してくれた。
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。いかにして寡兵をもって官軍を破ったのか。ビュートライドを落とすことができていたならば、その後はどう展開するつもりだったのか。ハクロ軍はそんなに強かったのか。
「ビュートライドはこの国の膿を濃縮したような街でした。軍も弱兵ばかりでしたし、兵の進退も稚拙でした。罠にはめることもあれば、野戦で正面から破ることもありました。しかし、ハクロ軍は……あの街は、この国では奇異な街の一つでしょう。浸水し、沈みゆく船の、最後に残った安全地帯のようなもの、と言ったところです」
ペリアスは質問に答えながら、自分の言葉を自分の中で噛みしめていた。なぜか今なら、あの負けを冷静に見つめられる気がする。
「その安全地帯の最たるものが、鷺軍最高指揮官、ウィングロー・ファルセリアだろうな。彼の将の直下にいる軍は清廉にして精強、この国を支える大黒柱だろう。鷺を倒す上で、最後に立ちはだかる最大の壁と言っても過言ではない。――だが」
バングルはそこで一度言葉を切り、懐から竹簡を取り出した。紐を外し、皆に見えるように卓に広げる。
「先日、垓より使者が来た。内容を要約すると、条件付きで諾、とのことだ」
垓とは、鷺の北方に位置する大国のことだ。鷺とは一応の同盟関係にあるものの、あまり強い繋がりはない。どうやら反乱を起こすに当たり、他国の軍の力を借りる算段のようだ。少し拒否感があったものの、ペリアスは何も言わなかった。
場の熱はさらに少し上がった。だが、まだ沸点には達していない。
「して、その条件とは?」
誰かから声が上がった。そう、協力の条件こそが最大の問題だ。
「一つは、街の占領に成功した場合、その所有権を認めること。しかし垓が動いた場合、まず間違いなくウィングローが出てくることから、そう大きな被害は出ないと思われる」
要するに、ウィングローに垓の相手をさせ釘付けにし、その間に反乱の火を拡大していくという計画なのだろう。
「二つ目は、燐から手を引くこと」
燐は鷺と垓の間にある小国で、現在鷺と同盟を組むことによってなんとか独立を保っている。燐鉄という非常に質の良い金属を作る技術を持っており、それを強みにしている国であるため、垓としても欲しいのだろう。
簡単な条件ではある。燐から手を引くという選択ができるということは、鷺の打倒に成功しているということだ。一つ目の条件も、問題になるのは鷺の全土を掌握した後の話になる。現時点で、失うものは何もない。
「――私は、妥当な条件である、と思う」
しんと静まった会議室に、バングルの声が響いた。燐との同盟と、垓の助力。皆の中で、それぞれの天秤にかけられていた二択が、バングルの一声で一気に傾くのが分かった。条件を飲もう、賛成する、といった声が各所から聞こえてくる。
「一つ、質問が」
ペリアスは声を張り上げ、バングルに問いかけた。決まりかけた議題に水を差したために、またも皆の視線を集めてしまう。
構うことなく、ペリアスは続けた。
「垓の軍はいつ撤退する手はずでしょうか」
垓は大国だ。反乱の残り火で国内が揺れている内に、一気に攻め込んできて垓に併呑されかねない。そうされない、という保証はあるのか。
「一応は、反乱が成った後、そのまま垓の軍は燐を攻略すると言ってきている。ただし当然、そのままこちらに雪崩れ込んでくる可能性もあろうな」
バングルは奥深い樹林のような緑の目で、まっすぐペリアスを見抜いてきた。
「その場合、俺たちの樹立する国が立ち向かう、最初の国難になるだろう。ただ、垓の軍はウィングローとの戦闘で疲弊しているはずだ。なんとか防衛することも可能だと、俺は考えている」
ペリアスはそこで、納得したという風にうなずいた。反乱を起こす以上、それに乗じて他国の軍が攻め込んでくる可能性は、どう足掻いても排除し得ない。ペリアス自身、ビュートライドで決起した時に、ピオレスタやベルゼル、リロウたちとその対処についても話し合った。あらかじめ街を一つ二つ開け渡すなど、事前に根回しをしない限り、打ち払う以外の道はないというのが結論だった。
「ペリアスの言った通りの危険性もある。それでも私は、この策に賭けたい。一刻も早く、圧政に苦しむ人々を解放したい。――皆は、どうだろうか」
会議室が膨張したかのように、一気に人々から発せられる熱気が上がった。バングルの問いかけに、一斉に賛同の声が発せられたのだ。
その様子を、ペリアスは少し離れた場所から見ていた。
「決まりだな。では、諸君――蜂起の時は近い。各々、準備を整えておくように」
指揮の勘が鈍らないよう、自分も調練に精を出さなければならない。
解散を告げられ、ペリアスはそっと会議室を後にした。