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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第四章 軍神の使者
76/113

大突破

 夜の帳が、辺りには降りていた。


 士会の世界では、(うし)三つ時と呼ばれていた時刻。草木も人も寝静まる、漆黒の闇が一面を覆っていた。


 そんな静けさを、士会の檄が破った。


「さてみんな、準備はいいな? これより先、接敵するまで、大声を発することを禁じる。今から全軍で、あの包囲網を突破する。奴らは二万。俺たちは七十。戦力差は絶望的だが――心配するな。ここには神の使者も神の末裔もいる。神々の加護なら、圧倒的に分があるだろう」


 士会はそこで、一度言葉を切った。見渡せども、暗くて兵の顔は見えない。だが確かに、集中して士会の声を聴いている気配を感じる。闇が視覚を塞ぐことで、逆にそれ以外の感覚を鋭敏にしてくれている。


「今からやるのは盛大な賭けだ。負ければただの愚か者として、名もなく散るだけだろう。だが勝てば――俺たちは歴史に残る大勝を手にすることになる。そして俺は宣言する。神の名の下に、必ずこの賭けに勝ってみせると! さあ――見せてやろうじゃないか、神威というものを!」


 士会は顔に風を感じた。士会の麾下が、各々武器を上げて士会の檄に応じたのだ。


「では、出陣。鏡宵」


 士会の側に影のように寄り添っていた鏡宵が、音もなく動き出した。士会が開夜を引きながらそれについていき、その後ろに姫姉妹とその侍従、そしてそれぞれの戦鴕を連れた兵たちが一列縦隊で続く。戦鴕は、声を出さないよう紐で嘴を縛ってあった。


 鏡宵や彼女が率いる闇の軍は、さやかな星明りの中でも動けるよう訓練を積んでいる。彼女の案内なら、暗闇の中でも山道を降りることができる。


 前を行く鏡宵の後を慎重にたどりながら、士会は夕刻開かれた軍議のことを思い出していた。




「夜襲をかけようと思う」


 そう切り出したのは、他ならぬ士会だった。


 聞いているのは、紐寧和、紐燐紗、鏡宵の三人だ。小屋の中で、小さく固まって顔を突き合わせている。皆一様に、無茶なことを言い出したという顔をしていた。


「まさか、七十人で、ですか? 数万の攻囲軍に?」


 紐燐紗が代表して聞いてきた。言葉にしてみると、確かに無謀さが溢れてくる。


 それでも構わず、士会はうなずいた。


「ああ。やる価値はあると思う」

「何のためにですか? 多少の犠牲を出させたところで、この兵数差の前では無意味ですよね」

「まったくだぜ、大将。そんなことを聞かせるためにわざわざ呼んだのか? 自殺行為もいいところだろ」

「犠牲なんてゼロでもいい。俺がやりたいのは突破だ」


 酷評の嵐の中、士会はぶった切るように言った。それを受けて、鏡宵が呆れ返ったような声を出す。


「おいおい、状況がきつすぎて頭いかれちまったのかよ。夜襲がちょっと上手くいったくらいじゃ、あの数の包囲網を破って逃げ切るのはどう考えても無理がある」

「鏡宵、お前の手の者が、何人かあの中に紛れ込んでるんだよな?」

「昼間連絡を取った限り、歴燈の軍に四人、朱会要の軍に十人ほど入ってるな。だからどうした、もう一度言っとくがその人数でできることはたかが知れてるぞ」

「あのー……私も、突破はより厳しいんじゃないかと思います。先ほど見た限り、朱会要に夜襲の備えはなさそうですから、痛撃を与えるくらいはできるかもしれませんが、それ以上となると……」

「朱会要の二千は、崩せる」


 士会ははっきりと言い切った。夕方に見た軍の動きで、兵や指揮官の質はある程度読める。その上朱会要の軍とは直接干戈(かんか)を交えている。油断しきったところに奇襲を仕掛ければ、容易に崩れると士会は見ていた。


「鏡宵、お前夜でも動けるよな」

「ああ、そういう訓練は積んでいる」

「それなら、俺たちを先導して山道を降りるくらいのことは可能だな? 当然、灯りなしで」

「まあ、できるが」

「ならいける。俺たちは気づかれることなく、夜の闇を利用して敵に肉薄できる」


 街灯などというものが存在しないこの世界では、夜の闇は真の暗闇と化す。夜陰に紛れての奇襲は、無警戒な相手には多大な打撃を与えることができる。


「それなら、朱会要くらいは崩せるかもしれないか。だが、その先はどうする? 攻囲軍はあいつらだけじゃないんだぞ」

「林天詞の軍が、朱会要の軍と隣接して布陣している。潰走させた朱会要の軍をそっちに誘導しつつ、突破する」

「ちょっと待て、正気かよ? 林天詞といやあ、あの中でも一二を争う屈指の指揮官だろ。なんでわざわざ手強い相手のところに行くんだよ」

「話してなかったが、林天詞は条件付きでこっち側にできる」

「はあ!?」

「え!?」

「ほう」


 鏡宵と紐燐紗が驚きの声を上げ、紐寧和が感嘆の声を漏らした。


「この前、指揮下の瑚笠を通じて、伝えてきた。柳礫では紐寧和殿を信奉する声が強く、状況が許せば、皇子の逃亡を見逃す用意があるそうだ」

「そうか。こんなところにも、私を信じてくれる者がいたのか」


 目を閉じ、心を震わせるようにして、紐寧和が言った。祖国の軍から命からがら逃げ続け、大軍に包囲されている今、自分を信じてくれる者がいるという情報は大きな支えになったようだ。


「名声を聞く限り、もっといそうだけどな。確実なのは柳礫軍だけだ。ただし、向こうにも立場がある。逃亡を手引きしたとわからない程度の状況は、こちらで作り出さなければならない」

「それで、朱会要の軍を誘導する必要があるわけですか」


 紐燐紗は得心がいったらしい。朱会要の軍の潰走に巻き込まれる形なら、林天詞の立場を立てつつ、自然と崩れてくれるというのが士会の考えだ。


「そうだ。もっとも、それくらいで見逃してくれるかどうかは、あっち次第だが」

「そこは、賭けになるのですね」

「ああ。それともう一つ、突破できたとして、追撃を振り切れるかどうかも賭けだな」


 朱会要、林天詞を突破すれば、包囲自体は抜けられる。山全体を囲んでいるせいで、包囲網自体は二重にしかないのだ。


 しかし異変に気付いた他の軍が、追撃を行ってこないとも限らない。そうなった時、二人乗りの騎鴕を含んだ士会の軍では、追いつかれることは必至だ。上手く再び暗闇に紛れられるかが、勝負の分かれ目になるだろう。


「林天詞を抜かせば、あまり手強い指揮官は……。いや、歴燈がいますね。多分、きっちり対応してくると思います」

「その時の対策は、また後で話し合おう。正直なところを言うとな、明日を凌ぐのがかなり厳しいんだ。今日は大した敵じゃなかったんで砦に取りつかれる前に打ち払えたが、明日いっぱいそれができるかと聞かれれば無理と答えるしかない。敵がよっぽど間抜けだった場合を除いてな」

「祖国の軍に腑抜けを望むのは、少し複雑な気分です……」


 軍の中で育った紐燐紗なら、その思いはなおさらなのだろう。亡命するといっても、祖国のことをそう容易く切り離して考えられないものなのかもしれない。


「砦に取りつかれた場合、防衛は厳しいか」

「難しいな。崖のおかげで多少守りやすくなるとはいえ、兵数差が露骨に出るからな。一日持たせるのはきついと思う」


 紐寧和の質問に、士会はしかめ面で答えた。敵の手に攻城兵器はないと思われるので、防衛戦では塀を乗り越えようとしてくる敵兵をひたすら押し返すことになる。砦の四方の内半分ほどは崖なので守らなくて済むものの、それでも防衛すべき範囲は広い。塀に取りつかれれば、どこか手の回らない場所が出てくるのは目に見えていた。


「つまり、どの道今日中に脱出せざるを得ないわけだな。明後日の救援まで俺たちは耐えられないと」

「そういうことだ。一応軍議という形を取ってみたものの、実のところ選択肢は一つしかない」

「それが、夜襲による突破というわけですか。それは、やはり――賭け、ですね」

「ああ、賭けだ。だけど、分の悪い賭けじゃないと、俺は思ってる」


 少し考える時間を置いてから、まず紐燐紗がうなずいた。


「……私は賛成です、姉様。このまま座して待つよりも、生き延びられる可能性があると思います」

「俺も賛成だな。というか一本道な以上、賛成するしかないが」

「ふむ……。こと戦に関しては、私より燐紗や士会殿の方が優れていよう。皆の判断に従おうと思う」


 全員の賛同を得たことで、士会は深くうなずいた。


「決まりだな。じゃあ、少し休むとしよう。今夜は長くなるからな」


 そう締めて、士会は軍議を終わらせた。




 一直線に降りれば、敵陣に入るというところまで来た。


 敵の多くは寝静まっているようだが、さすがに篝火は焚かれており、見張りもついていた。しかし、闇の中灯りもなく降りてくる士会たちを捕捉するには至らない。篝火の灯りでは、そう遠くまでは照らせないのだ。


「騎乗」


 士会が短く言うと、伝言で後ろまで指示が伝わっていった。さらにそのまま、士会を突端とした(くさび)形の陣形に移行する。全て、出陣前に周知した通りの動きだった。整然とした自身の麾下の動きに、士会は改めて満足を覚える。

 嘴を閉じていた紐を外したが、鳴いた戦鴕は一羽もいなかった。


「鏡宵。手筈(てはず)はいいな?」

「ああ。後は合図するだけだ。いつでもいける」

「よし、頼む」


 篝火が三つ、同時に倒れた。常人には聞こえない音域の笛で、鏡宵が合図したのだ。それに呼応して、敵中に紛れ込んでいた鏡宵の手の者が篝火をいくつか倒した。


 闇が、さらに深くなる。


「頼むぞ、開夜。お前が、頼りだ」


 わかるわけもないが、士会はつぶやきながら開夜の首に手を回し、安心させるように頭をなでた。開夜が暗闇の中を駆けてくれるか。少し心配な要素だったが、士会は開夜を信じていた。


 戦意を研ぎ澄ませ、感覚を広げながら、士会は掛け声を出した。


「進発。さあ、戦の時間だ」


 士会が開夜の腹を蹴ると、勢いよく開夜は飛び出した。釣られるようにして、後ろの戦鴕たちも付いてくる。士会の心配など意に介さず、開夜は敵陣に向かって暗闇の中を駆け抜けていった。


 単に明るい場所を目指しているだけかもしれない。それでも士会は、開夜とどこか通じ合ったような感覚を感じていた。


 突如として、騎鴕隊の立てる轟音が敵陣を襲った。一拍遅れて、闇の中から湧出するように、士会を先頭にした騎鴕隊が現れる。


 わずかな見張りは機能しておらず、起き抜けの敵は全く対応できていなかった。無人の野を行くように、士会は敵陣の中を進んでいく。


 士会は行き先を迷わなかった。夕方頭に入れた地図を思い浮かべ、まず向かうべき場所に開夜を向ける。途中で麾下に、手当たり次第周囲の物に火を付けさせるのも忘れない。必要なのは、とにもかくにも混乱だ。


 士会が向かったのは、動物を入れた囲いだった。囲いを破壊して動物を自由にした後、その尻に剣を突き刺していく。士会の麾下に猟師の出の者がおり、彼が上手く動物を誘導した。


「神軍のお通りだ! 道を開けろ!」


 士会は叫んだ。鏡宵の手の者の働きで、方々で火の手も上がっている。その中を、怪鳥を先頭にした騎鴕隊が突き進んでいく。周囲には暴れる鹿に猪。わけもわからないまま敵襲を受けた朱会要の軍は、一戦もせずに潰走を始めた。


「す、すごい……本当に崩せた……」


 士会の後ろを走る紐燐紗が、感嘆の声を上げていた。だが、まだ賭けに勝ったとはいいがたい。こんなものは序の口だ。


「本当に士会殿は、神の使者なのですね! それも我らの祖先である軍神の!」

「なんか感激しているようだが早すぎるぞ! 本番はここからだ!」


 紐燐紗に言い返しながらも、士会は開夜とともに駆け続けた。潰走の波に乗るようにしながら、次の通過点を目指す。包囲は一重ではないため、朱会要の軍を崩しただけでは突破できない。


 潰走した朱会要の軍をぶつける形で、士会は林天詞の軍がいる場所に突撃した。ここが最初の賭けだ。ここまで来た以上、もうやるしかない。


 果たして、林天詞の軍はあっけないほど容易く瓦解した。朱会要の軍に混じるように、崩れていく。


 瑚笠や林天詞ならば、この程度のことで軍を揺らがせはしないはずだ。普段なら、きちんと兵を掌握して朱会要の兵をやり過ごしつつ、事態の終息に努めるだろう。つまり彼らは、瑚笠が伝えてきたように、皇子たちを逃がすのに手を貸してくれたのだ。


 林天詞の陣は篝火が多く焚かれ、明るかった。だからだろう、少し離れたところにいた林天詞と目が合った。何か短く言ったようだ。


 よくやった、辺りか。それとも気を抜くなよ、といったところか。それはわからない。


 漁師の出の兵を上がってこさせ、行き先を示してもらった。目標物のない海で漁をしていたため、彼は星で方角を知る術を身に着けている。


 潰走の中を抜け、士会は鷺領の方に向かって暗闇をひた駆けた。いまだ、灯りは持っていない。ここらは一面に平原が続いており、速度を多少なりとも落とせば戦鴕を走らせることができる。暗闇を味方にすることがどれだけ有効かは、以前ピオレスタとの戦いで身をもって知っていた。


 だが、後ろから戦鴕の走る音が響いてきた。潰走の音とは違う、明らかな追撃だ。


 賭けの第二段階目、追撃を振り切れるかどうか。このままでは賭けに負ける。明らかに、こちらの戦鴕の走る音で捕捉されている。


 つまりあれは、撃破しなければならない。


「燐紗。やるぞ」

「はい、士会殿」


 紐寧和を含め、二人乗りの騎鴕だけ先行させ、士会は残りの騎鴕隊を反転させた。士会と紐燐紗を指揮官とした二隊に分かれ、挟み込むように迎え撃つ。もしも戦闘になった場合、紐燐紗にも指揮をさせることを、士会は自身の兵に納得させていた。立ち合い、打ちのめされ、そこから立ち上がってきたことで、士会は紐燐紗を認めたのだ。


 音だけでは、こちらの動きを完全には把握できないだろう。対して、敵は灯りを手にしている。動向を追うのは容易かった。


 『歴』の旗。この混乱の中でも、麾下だけを率いて即応してきたらしい。


 数では負けている。だが、状況では優位を取っている。


 士会は紐燐紗と呼吸を合わせ、二方向から歴燈の軍に突っ込んだ。隊を分けていたとは思わなかったのか、一瞬浮足立つ。駆け抜けたが、歴燈本人に達することはできなかった。


「くそっ」


 今ので仕留めたい相手だったが、だからこそそう簡単にやらせてはくれないようだった。


 敵が立て直す前にもう一撃、加えたい。士会は反転を命じた。


                    ※


 闇の中から溢れ出るように、二方から敵が現れた時は、肌に(あわ)が立った。とっさに麾下を小さく固めさせたが、それでも端をかすめるように駆け抜けられた。今の攻撃で、何騎かは落とされただろう。


 こちらが構え直す前に、敵は再攻撃をかけてくる。対処するには、こちらも駆けるしかない。


 歴燈は昼間と同じく、麾下の兵だけを連れてきていた。起き抜けで、即座に動ける騎鴕隊がそれしかいなかったのだ。見張りで起きている兵はいたものの、歩兵だった。


 気づいた時には、朱会要と林天詞の軍が潰走していた。朱会要はともかく林天詞まで崩されたのは、腑に落ちないものがあったが、今考えても仕方がない。


 戦鴕たちの立てる轟音からして、二隊に分かれた敵に挟まれている。そこから脱するように、歴燈は麾下を真っ直ぐ駆けさせた。


 敵は追ってくる。闇の中で正確な位置はつかめないが、おそらくまだ二隊のままだ。昼間と違い、まともに騎鴕戦をするつもりのようだ。つまり、貴人たちは先に逃がしてしまっているのだろう。時間稼ぎに徹して援軍の到着を待てば、確実な勝利をものにできるが、肝心の皇子には逃げられる。意味のない局地戦での勝利をつかまされるだけだ。


 速戦。それが求められているのは、むしろこちらの方だった。昼間見た時に、敵の戦力はおおよそ把握できている。麾下だけでも、こちらの方が倍する兵力を握っているはずだ。


 そこまで考えて、歴燈は反転を命じた。まともにぶつかるように兵を動かす。削り合いならば、こちらに分があるはずだ。数の差で、押しつぶす。


 しかし、敵の二隊は脇をすりぬけるようにして、こちらの突撃をかわしていった。


 皇子のための殿軍として、目一杯時間を稼ぐつもりか。束の間そう思ったが、すぐにそんな甘い考えは捨てた。敵の二隊が合流して一つになり、一直線に向かってきていたのだ。


 こちらを撃破し、帰還する。そんな意志を感じさせる突撃だった。


 通常の騎鴕戦なら、こちらが二隊に分かれて攻撃をいなすこともできる。しかし今率いている麾下は、これが最小単位で歴燈以外に指揮官がいない。仕方なく歴燈は、追われる形でしばらく駆けた。


 もう一度反転し、ぶつかろうと試みる。注意深く音を聞き分けると、敵はまた二隊に分かれていた。その内の片方に狙いを定め、突っ込んだ。


 意外なことに、闇の中から真っ直ぐこちらに駆けてくる敵が現れた。異様な戦鴕に乗った敵将が先頭にいる。暗闇でわかりにくいが、おそらく三十騎ほど。


 正面からぶつかった。何が狙いなのかと頭をひねったが、歴燈は構わず押しに押させた。彼我の戦力差は四倍ほど。一息に押し潰せるはずだ。


 しかし、硬い岩にぶつかったように、突撃が止まっていた。たった三十騎ほどの敵を相手に、戦線が膠着している。


「何をしている。そんな寡兵(かへい)、叩き潰せ」


 敵は削れるように減っている。それでも、異様な戦鴕に乗った先頭の指揮官を中心として、決してこちらを前に進ませてくれなかった。一人ひとりが驚異的な力を発揮して、こちらの行く手を阻んでいる。


「歴燈殿! あれはもしや、鷺に降り立ったという神の使者では――」


 鬼神のような敵将の働きに、麾下から悲鳴のような声が上がった。


 神の使者と呼ばれる者がハクロに来ていることは、歴燈も聞いていた。それがあの、妙な戦鴕に乗った敵将だということか。あの威容を見て気圧されるのは、歴燈にもわかる。しかし、そんなことで進撃を止めるわけにはいかない。


「だからなんだ。神の使者など所詮は自称だ。どうしてもというなら私が――」


 その時、後ろから喚声が沸き上がった。前の敵将に手こずっている隙に、もう一隊に後ろに回られていた。騎鴕隊に限らず、軍というものは背後からの攻撃に弱い。切り裂くように歴燈の麾下を突っ切って、まっしぐらに向かってくる。


 そちらを先に対処しようと振り返ったところで、歴燈の目に灯りに照らされた敵の指揮官の顔が映った。


 ――紐燐紗。


 歴燈は我が目を疑った。皇子は先に逃げたはず。いや、彼女の性格がそれを許さなかったのか。


 瞬間の硬直。それは、結果として、致命的な隙となった。


 麾下が割れて、紐燐紗が前に出てくる。


「覚悟」


 視線が、交錯する。


                    ※


 士会は縦横無尽に双剣を振り回し、敵兵を薙ぎ払っていた。開夜も嘴で敵の頭をかち割り、翼で打ち倒す。


「俺は崑霊郷より遣わされた使者、武宮士会! 死にたい奴は前に出ろ! 神の威光を見せてやる!」


 もはや何を叫んでいるかもよくわかっていない。目は血走り、髪は振り乱れていた。


 士会の取った作戦は、またもや賭けだった。わずか三十騎で正面から、まともに歴燈の突撃を受ける。勢いも数も向こうの方が上なので普通は押し負けるが、それを開夜で威圧しつつ、なんとか崩れずに持ちこたえる。そしてその間に、紐燐紗が背後に回り、敵の総指揮の首を取る。


 士会の側にも、時間をかけてはいられない事情があった。単純に、敵の援兵が到着すれば負けが確定するのだ。必要ならば死ぬ覚悟はできているが、拾える命を捨てる気は微塵もない。この追撃軍を撃破すれば、紐寧和の安全を確保しつつ、生きてハクロに帰還できる。


「おおおおおおおおおお!」


 士会は雄叫びを上げた。見える。敵兵の動き。弱所。一人、また一人と斬り伏せる。敵が明らかにたじろいでいる。


 後ろに回り込んだ紐燐紗が、敵の後尾から猛攻を加えていた。一応は、挟み込む形になっている。ただし士会の側も、少しずつ数が減ってきていた。元が三十数騎しかいない分、一人の犠牲でも大きな痛手だ。兵数が少ないのだから、まともなぶつかり合いでは当然士会の側の分が悪い。


 だが、士会にはわかっていた。ここが正念場だ。不利を承知で無理押しを続ける。浅傷は無数に受け、口内は血の味で満ちている。その一方で、意識は明瞭だった。敵の一挙手一投足が見え、際どいところで槍をかわし、隙を見逃さず首を飛ばす。


 死に、片足を突っ込んでいる。そのことを士会は如実に感じていた。あの、袖領から逃げ出した時と同じ、肉体と感覚の限界を超えて動き続ける状態に入っている。そしてそれは、長続きはしない。うっかりすると、両足を死の側に踏み入れることになる。


 また一人、士会の横で戦っていた兵が斃れた。それでも士会は、開夜とともに気迫で敵を威圧しながら、双剣を振るい、戦い続ける。たとえ最後の一人になろうとも、紐燐紗との挟撃の形を崩すわけにはいかない。


 紐燐紗が、遂に後ろから歴燈に到達した。灯りに照らされた紐燐紗の顔を見た歴燈は、驚きの表情を見せていた。士会の研ぎ澄まされた感覚は、その様子まではっきりと見て取った。


 一瞬、紐燐紗の顔に寂しさのようなものがよぎった。彼女は歴燈の教えも受けていたという。つまりは、師のようなものでもあるのだ。


 しかし次の瞬間、紐燐紗は歴燈の首をはね飛ばしていた。


 水を打ったような静寂が、戦場に訪れる。


 次には、指揮官を失った歴燈の麾下が崩れ、敗走していった。


「燐紗。大丈夫か?」

「それはこっちの台詞です。死相が出てます、士会殿」


 士会は(たかぶ)っていた神経を鎮め、落ち着かせた。これでなんとか、死の淵からは抜け出せたはずだ。


 紐燐紗の側が率いていた兵はほぼ無傷だが、士会の側の兵は十を切っていた。こんな状態でよく持ったものだと、士会は自分で感心していた。


「急ごう。紐寧和殿が心配しているはずだ」

「はい、士会殿」


 それ以上の追撃はなく、士会と紐燐紗は残存兵を率いて戦場を離脱した。


 この戦いは、百に満たない兵で二万を破ったと、士会の戦歴の中でも輝かしいものとして人々に記憶されることになる。


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