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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第四章 軍神の使者
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姉妹の絆

 紐燐紗は、与えられた小屋の隅ですすり泣いていた。


 剣の腕には、絶対の自信があった。上達してからというもの、一対一で負けたことなど一度もなかった。兵を率いても、戦自慢の卿たちに引けを取らない指揮を執ることができた。


 その自信が、粉々に打ち破られた。士会にはせいぜい一合剣を交える程度で、後はなす術なく剣を突き付けられてしまった。本当に、気づいた時には目の前にいて、剣の間合いに入っている、といった感じだった。


 彼は神の使者というのだから、負けて当たり前なのかもしれない。しかし、勝負にすらならなかったのは衝撃的だった。


 自分は実は全く強くないのではないか。皇子である自分に配慮して、今まで戦ってきた相手が手を抜いてくれていただけではないのか。そんな考えが頭の中で踊り、離れない。


 だとしたら、姉の紐寧和を守るという決意はなんだったのか。自分に力がないのなら、何の意味もない夢想に過ぎない。


 自分を形作っていたもの全てが音を立てて崩れていく。しかし紐燐紗にはどうすることもできず、ただ泣いていた。


「燐紗」


 後ろから声をかけてきたのは、姉の紐寧和だった。


「忘れ物だ」


 紐寧和が壁に立てかけたのは、紐燐紗が士会との立ち合いで使った剣だった。別に、長年親しんだ剣というわけではない。この場で借りた剣であり、自分の本来の剣は戦場に置いてきた。


 無骨な剣だが、質の悪いものではない。自分の負けを武器に擦り付けることはできなかった。


「姉様、それは、借り物です。別に、私の、という、わけでは」


 ぐずっているせいで言葉が途切れ途切れになる。紐寧和はそれに、落ち着いて答えた。


「わかっている。だが、今のお前には必要かと思ってな」


 意味が分からなかった。むしろ、不要になったところだ。


「燐紗。前に負けたのは、いつだ」

「……覚えていません、姉様」

「ほう、それは立派なことだ。覚えていられないくらい、勝ち続けていたのだからな」

「それは、わかりません。私は、私の知らないところで、手を抜かれていたのかもしれません。そうとも知らず、自分は強いと、舞い上がって、いたのかも」

「燐紗、お前は皇子だ。皇子相手に本気で打ちかかれる者など、そうはいない。確かに、お前の言う通りかもしれないな」


 姉を失望させたかもしれない。そう思うと、紐燐紗の泣き声はさらに大きくなった。自分がふがいなさ過ぎて、何の言葉も返せない。ただ、嗚咽(おえつ)を漏らすことしかできない。


「だが、それが全てではない」


 続く紐寧和の言葉に、紐燐紗は(うつむ)いていた顔を少しだけ上げた。


「少なくとも私は、お前の強さを知っている。ここまで私を守ってきたのは誰だ? 最後まで戦場で戦い続けた姿は、私の目に焼き付いている。幾千もの敵を相手に私を守り切ったお前が弱いとは、私には到底思えない」


 紐寧和の言葉はゆっくりと優しく、語りかけるような声で、しかし確かな強さを感じさせるものだった。じんわりと、暗い闇の底にいた紐燐紗の心の奥に、温かなものがしみ込んでくる。


「ですが、私は――」

「否定するな。これは厳然たる事実だ。士会殿も、お前は強いと言っていた。ただ、脆いとも。今はその、脆さが出ている時だ」

「脆さ……」

「認めるのだ。お前は、自分が思っていたほど強くはない。だが、今自分で自分を追い詰めているほど弱くもない。兵法にもあるだろう。己を知れ、と。良かったではないか、自分の強さを教えてくれる者が、近くにいてくれて」


 自分の強さ。それを見誤っていたのは確かだろう。だが、自分の信じる姉はそれほど弱くもないと言う。


 ちらりと、立てかけられた剣を見た。本当に、そうなのだろうか。自分は本当に、尊敬する姉の剣となるだけの強さを持ち合わせているのだろうか――。


「まだ、信じられないか。いや、性急に過ぎるな。言葉で伝えるのには、限度がある。いつまでこうしていられるかわからないが、お前には時間が必要だろう」


 戸が軋む音が聞こえた。紐寧和が、部屋を出ていこうとしているのだろう。


「これだけは、伝えておきたい。ありがとう、私を信じ、ここまで付いてきてくれて。ありがとう、私をここまで守り通してくれて。燐紗、お前がいなければ、私はとうに(たお)れていただろう」


 戸が閉まる音が響いたが、紐燐紗の耳には届いていなかった。紐寧和の言葉に、再び目頭が熱くなっていたのだ。流れる涙も、どこか温かい。


 尊敬する姉が、自分を頼りにしてくれていた。それがどれだけ嬉しいことか噛みしめながら、紐燐紗はひたすらに涙を流し続けていた。


                    ※


 歴明に任せていた騎鴕隊が崩されるのを、歴燈はなす術なく見ていた。


 敵の騎鴕隊は追撃もそこそこに、こちらに矛先を向けてきた。鴕止めの柵を用意させ、矢で牽制すると、無理押しはせずに下がっていった。


 しかし、今度は歩兵が果敢に攻めてくる。柵を出すと騎鴕隊には強くなるが、こちらの兵の動きも阻害されるのが難点だった。すぐに片づけさせるが、その時には一撃離脱されている。追えば敵の騎鴕隊の餌食になるのは、目に見えていた。


 歩兵の指揮官はわからないが、騎鴕隊の指揮官の旗は見覚えがある。猛禽をかたどった紋章。苦い思い出のある、ファルセリア家の家紋だ。紋章の色が赤いことから、息子のバリアレスの方だとわかる。以前はただ突撃してくるだけの指揮官だったが、どうやらこの一年で成長を遂げたらしい。歩兵と足並みを揃えつつ、柔軟な動きをしてくるようになっていた。


 歩兵側の千の指揮官も、なかなか巧みだった。近くの湿地帯を利用して、こちらの追撃を上手く振り切っている。どうやら湿地の中でもある程度乾いており、足を取られず動ける場所がいくつかあるらしい。他にも丘や林を利用したり、見事に地の利を生かされている形だった。


 今、歴燈は五千を率いている。ただ、山中を捜索していたため、騎鴕隊は少ない。敵と同数で、つい先ほど崩されて損害を出したところだ。数の差は歴然としているが、騎鴕隊を抑えきれないのが不安だった。あの勢いの騎鴕隊にまともに横槍を入れられると、こちらが圧倒的に多勢でも崩されかねない。それに、実際には、山上にこもった皇子たちへの包囲に千数百は取られてしまう。早く山上を攻めたいが、なかなかそうさせてもらえないのが実情だった。


 崩された騎鴕隊が戻ってきた。報告に来た歴明はうなだれている。


 それも当然だろう。歴燈の制止も聞かず、あの鬱陶しい騎鴕隊を叩いてくると威勢の良いことを言って、このざまなのだ。


「父上……。申し開きもございません。完膚(かんぷ)なきまでにやられました」

「感想はいい。まず、報告を上げろ」

「はい。犠牲四十、内死者十八。敵は討てて数騎といったところです。現在は体勢を立て直しており、いつでも再度の出撃が可能です」


 追撃を受けていないにしては、犠牲が多かった。通常、犠牲の多くは、潰走時に後ろから討たれることで出る。


「今は戦鴕を休ませておけ。それで、今の惨敗をどう見る」

「敵の挑発に乗ってしまい、騎鴕隊の孤立を招きました。騎鴕戦では敵の動きに振り回されました」

「そうだ。上手く釣り出され、格上相手に騎鴕戦に持ち込まれたのが間違いだったな」


 バリアレスの騎鴕隊はしつこく瀬踏みのような攻撃を繰り返し、まるで目の前を飛ぶ羽虫のような嫌らしさを見せていた。それに耐え切れず、歴明は突っかかってしまったのだ。


「敵わない相手、とは思えなかったのですが」


 彼我の実力差を測るのは難しい。歴燈自身、経験でそれなりに出来ているだけであり、まだ実戦経験の浅い歴明に求めるのは厳しいかもしれない。しかし、戦の中で無謀な挑戦をすると、時に命を落とすことになる。


「常に敵の動きを注視することだ。自分の軍にそれだけの動きができるか。あらゆる面でそれを考えよ。そうすれば、おのずと力の差も見えてくるようになる」


 わかったようなことを言ってみたが、結局のところ場数を踏むしかないということだ。ただ、漫然と数をこなしても意味はない。どんな相手でも考えに考え抜いてこそ、自身の力として身に付くこととなる。


 待機を命じ、歴燈は歴明を下がらせた。


 戦況は硬直しているが、悪いことではなかった。好転する確率は圧倒的にこちらの方が高い。皇子捜索のため各地に散らばっていた兵は、すぐにここに集まってくるだろう。余剰戦力が出来れば背後を突こうとしてくる敵にそれを当て、山攻めに入ることができる。そのことは、山上にこもった紐寧和と紐燐紗もわかっているだろう。彼女たちは今、どんな思いで歴燈が率いた軍を見つめているのだろうか。


 歴燈はしばしの間、目をつむった。


 紐燐紗との付き合いはそれなりに長い。彼女は(よわい)一桁の頃から戦に強い興味を示し、武で身を立てた(けい)たちに武術や戦術を習っていた。その中でも、歴燈とは水が合ったのか、高い頻度で来ていたように思う。大抵、前置きなしのいきなりの訪問で、貴人を迎えることになるこちらは大慌てになったものだ。


 元から戦に関する素質は一級のものがあったのだろう。彼女は大地が降りしきる雨を受け入れるように、様々な教えを吸収し、さらに独自に組み合わせて昇華していった。彼女の独創性は、息子の歴明に見習ってもらいたいところだ。


 歴燈は目を開き、頭に取りついた考えを振り払った。今、彼女は討つべき敵だ。不要な感傷は捨て置くに限る。


 伝令が増援の接近を知らせてきた。二千ほどが、もうじき到着するという距離まで近づいているようだ。


 指揮官の名を聞いて、歴燈は顔をしかめた。朱会要(しゅかいよう)だという。袖の皇太子、紐圏(ちゅうけん)が目をかけている卿だった。つまり、第四皇子の命を受けて出動している自分よりも格上だということだ。


 続いて送られてきた使者は、予想通りかなり高圧的だった。曰く、このまま山上の皇子を攻める。貴殿の軍は我が軍の後背を守られよ、とのことだ。皇子の首を取るという大きな戦功を、独り占めしようという腹なのが丸わかりだ。


 状況とは裏腹に、どこかでほっとしている自分を見つめながら、歴燈は使者に諾と伝えた。


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