争奪戦1
翌朝、士会はバリアレスと二人で敵戦力の把握を行った。
結局、最初のピオレスタの概算が一番近かった。敵は五千ほどを一つにまとめてこちらに当て、残りは捜索を続けるようだ。しかし、この五千は戦う前から何やら混乱している。多分、細分化した小隊たちを急にまとめたので、指揮系統がうまく機能していないのだろう。
この五千以外に、すぐに駆け付けられる敵はいない。正確に言えば、少し離れて柳礫軍がいるのだが、この距離なら袖軍が襲われていても気づかなかったと言い訳ができるだろう。つまり敵に数えなくていい。
それらのことを、士会とバリアレスは斥候の報告から分析した。
「引きつけられたのは五千か」
「五千しかと言うべきか、五千もと言うべきか。微妙なところだが、合わせて千三百で五千を引き出せたなら上々かなあ」
ベルゼルが言った一万という数字がちらついて、どうしても少なく見えてしまう。
「で、士会。ものは話なんだが」
「あれを叩くかどうかって話か?」
「わかってるじゃねえか。五千でもダメなら、それこそ一万でも出してくるだろ。そしたら戦わずにとっとと帰ればいい。調練は明日までの予定だったし、ちょうどいいだろ?」
士会はしばし考えこんだ。五千に千三百で喧嘩を売るのはいかにも無謀に見えるが、敵は何もしなくても混乱するほど指揮に問題を抱えている。やり方次第では、潰走させるくらいなら可能だろう。
しかしこれは、さすがに危ない橋を渡り過ぎではないだろうか。無理をしないことを常に意識している以上、五千を引きつけた時点で満足するべきとも考えられる。
「なー士会、いいだろー? やっちゃおうぜ」
などと言うバリアレスを無視して、士会はしばらく二つの道を秤にかけていた。こういう時、バリアレスの言は当てにしてはいけない。多少落ち着いたとはいえ、彼は赤信号でも突っ込むのが日常の人種なのだ。
「士会殿。少々よろしいですか」
考え込んでいる内に、新たな一報が士会の元に舞い込んだ。兵士の姿に扮した鏡朔が、いつの間にか士会の側に立っていたのだ。珍しく、額に汗をかいている。涼しげな顔をしているが、相当急いで来たらしい。
「うおっ、急にどうした」
「なんだ、そいつ」
不審に思ったバリアレスが、胡乱な視線を鏡朔に向けている。いつもなら一対一で話ができる時にしか現れないのに、大っぴらに姿を見せた辺り、急を要する件のようだ。
「俺が独自に雇ってる忍びだ。皇子寧和の捜索に当たってもらってる」
ああ、仕儀山の間道の時の、とバリアレスが納得していた。
「その皇子寧和ですが、見つかりました」
「何、本当か!」
ガタリとバリアレスが立ち上がった。士会も思わず腰を上げかける。
「でかした」
「落ち着いてください。ただし、同時です。同時に敵からも見つかりました」
場に緊張が走った。事態は想定より遥かに加速している。既に、皇子の身柄の奪い合いに発展しているということだ。
「合計三隊ほどに追われています。山中は我らの得意とするところですが、いかんせん人手が足りず」
鏡宵、鏡朔の手の者は軍と呼ぶには数が少ない。元々が裏の仕事をこなす者たちなので、容易く増やすこともできないようだ。屋内など障害物の多い場所での戦闘を想定して訓練しているため、木々や藪の多い山中での戦いには長けているが、数の圧力には抗しがたいらしい。
「お前らは少人数だし、正規兵との戦闘は想定してないもんな。俺たちでお迎えに上がるとしよう。どっちだ」
「あちらの方角の山中です。彼らも、この軍と合流できるよう動いているはずです」
まとめると、先に鏡宵たちが皇子の身柄を確保し、この軍へと誘導しているようだ。しかし、そこを敵から追われている。
「ちょっと待て。三隊って合流してでかくなった後の三隊か?」
バリアレスが引きつった顔で聞くと、無情にも鏡朔はうなずいた。
「はい。おそらく合わせて五千ほどになるかと」
士会はバリアレスと顔を見合わせた。追ってくるのが五千。さらに近くにもう五千。明らかに対処できる範囲を超えている。
さらに士会の元に斥候からの注進が入った。近くにいた五千が乱れながらも動き出し、こちらに向かっているという。向こうも皇子の接近に気付き、こちらへの対処に来るのだろう。
「鏡朔、皇子はどのくらい持ちこたえられる? というかこっちに着くのはいつだ」
「二時間ほどでこちらに着くでしょう。それまでは我らが持たせてみせます。兵力差があるのはわかっておりますが、そこから先は」
「ああ、わかってる。山を出たら、俺たちの管轄だ。バリアレス、行くぞ。二時間かけずに五千をバラし、落ち着いて皇子を出迎えるとしよう」
「よしきた。――行くぞ野郎ども! 出陣だ! 乗鴕!」
士会の言を聞くやいなや、バリアレスは自身の騎鴕隊を率いて駆け去った。
「聞いたな、鏡朔。俺たちはこっちの問題をちゃっちゃと片付ける。山中を追いすがってくる奴らはどうせ元からばらけてるだろ。二方面作戦にならなければ問題ない」
「わかりました。では、我らは我らの仕事をするとします。ご武運を」
そう言い残して、鏡朔はすぐ兵士たちの中に紛れていった。
※
走る。
口内からは鉄の味がする。今にも血反吐を吐きそうだ。
だが、止まれない。それは即座に死か、死にたくなるような慰み物になることを意味する。
灌木を無理やり突っ切り、走り続ける。顔に傷がついたかもしれないが、気にしてはいられない。
「姉、様」
息を切らしながらも、紐燐紗が声をかけてきた。体力がない自分に合わせているからか、彼女はまだ余裕がありそうだ。いざという時には、彼女だけでも逃がさなくてはならない。
周囲には家人たちも走っていたが、殿は謎の集団が務めていた。曰く、神の使いの使いだという。皮肉な笑いを浮かべながら、指揮を執る女性はそう宣った。
見るからに怪しげだが、少なくとも山中の戦いには慣れているらしい。灌木を切り倒し、坂上から石を投げ追撃を妨害し、時に接近された時には連携して見事に迎撃して見せた。皆短い刃物を使っていたが、障害物の多い山中ではああいった得物の方が力を発揮するのだろう。
「まだ、大丈夫、だ」
紐寧和はなんとか言葉を絞り出し、答えた。
「もう少しの間、辛抱願いたい。敵はなんとか、食い止められそうだ」
指揮を執る女性が近づいてきて、励みの言葉を送ってくれた。その直後には、声を張って部下に指示を出し続けている。
この謎の集団に付いていくかどうかは、賭けでもあった。おそらく鷺の間諜を成す部隊なのだろうが、初めて山中で接触した時は胡散臭さしか感じなかった。直後に袖兵の追手に見つかったため、成り行きというところも大きい。話によれば、越境してきている鷺軍がいて、そこまで案内するという。
「あと、どのくらい、ですか」
「三十分ほど、見ていただきたいな」
紐燐紗の問いに、指揮官は迷わず答えた。
「正、念場、だな」
三十分。今の走り方では、無限に近い時間に感じる。だが、永遠などはないし、終わらないものもない。走り続けさえすれば、いつかはたどり着くはずだ。
ただし、追いつかれなければ、だ。
坂下から剣戟の音がした。しかし、振り返らない。脇目を振る余裕がない。前を行く紐燐紗の通った道を、ひたすらたどり続ける。
やがて、林の奥にちらちらと光が見えてきた。山が終わり、平野に出るようだ。指揮官の女性のためらいのなさを見ると、きちんと味方がいるのか。それとも、もう持ちこたえられなと、なりふり構わず走っているだけか。
森が開けた。光が、溢れる。