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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第一部 異国からの脱出
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鷺袖の戦闘2

 遠目に見えるは、鷺袖の万規模の会戦。

 それを瑚笠(こりゅう)は、尾根上の露出している岩肌に腰掛けて見ていた。木がないので、平原を一望できる。

 朝始まった戦は、日が天頂に差し掛かる前に、佳境を迎えていた。鷺軍がかなり押しており、袖軍には綻びが見え始めている。


「ウィングロー・ファルセリアか……。さすがだな」


 瑚笠は、この尾根上に展開する、千の兵を率いていた。普段は鷺袖国境付近の街、柳礫(りゅうれき)で一隊を指揮している。しかし今は、都から増強された五百の兵と、元から率いていた五百の兵とを合わせた混合隊の隊長となっていた。

 歳はかなり若く、まだ青年とすら言えないくらいだった。(かぶと)の後ろから、銀の髪がのぞいている。


「こちらは終始劣勢ですね。もっとも、そうじゃないと困りますけど」


 答えたのは、瑚笠の下についている指揮官の晴銀歌(せいぎんか)だった。こちらは、今も平時も役目は変わらない。瑚笠と同年代の、まだ少女と言って問題ない年頃だ。微笑みを浮かべる優しげな顔に、その身を覆う具足はあまり似合っていなかった。


「ああ。だが、あまり故意という感じはしないな。何の(かせ)もなくやりあったとしても、同じ結果になったろう。いや、もしそうなら、そもそもこんな馬鹿げた戦は起こらんか」


 じりじりと、強烈な日射が岩を焼く。木陰を利用する二人の表情にも、うんざりした様子が見受けられた。だが、遠方の戦を望むには、見晴らしの良い岩場を離れる訳にはいかない。瑚笠は汗とともに、銀色の髪をかき上げた。


 袖軍が描いた戦略は、一度まともにぶつかり合ってからわざと敗北し、山間の道に引き込んで両側の山の上から奇襲をかける、というものだった。道の左右、それに逃げていた兵の三方から囲むことができ、成功すれば殲滅(せんめつ)に近い戦果を見込める。


 あくまで成功すれば、の話だ。


 とにかくその奇襲の時機を見計らうため、二人は岩場で観戦していた。本来は雑兵の仕事であるが、待機というのは暇なのだ。


「うう、正直あのやり方は腹立たしいです。あれで次は卿だなんて……」

「全くだな。アホらしいが、こらえるしかない。やる気がいまいち起きんが、軍令だ」


 袖における人臣の位は、上から順に卿、(こう)()の三つに大別される。瑚笠のいる柳礫だと、太守(たいしゅ)林天詞(りんてんし)は卿で、一介の指揮官に過ぎない瑚笠は士になる。


 今回の戦の発端は、春楼という、名門の出の若い候を卿に引き上げようという話が上がったことだった。そこらは、中央の政の中で何かしら駆け引きがあった結果なのだろう。しかし、何の(いわ)れもなく卿の位を与えるわけにもいかない。卿の中にも上下関係はあるにせよ、人臣の最高位なのだ。

 そこで、国境付近で頻発する戦で適当な功を上げ、箔をつけようということで、春楼は急遽一万三千を率いて、こんな辺境くんだりに乗り込んできたのだ。兵がたくさんいれば勝つのも簡単、などと考えていたのだろう。


 しかし、むしろこの一万三千という数が裏目に出た。国境上への進軍を憂慮した鷺国は、よりによってウィングローに出陣命令を下した。守備軍を相手に大軍を用いて軽く一戦して終わるはずが、鷺軍の最高指揮官が出てきてしまったのだ。どうして大物が登場することになったのかは瑚笠も不思議だったが、結局大軍同士の戦いになったことは、当然だろ、としか思わなかった。


 これで他人事だったら、いい気味で終わるのだが。残念ながら、瑚笠も間の抜けた戦に巻き込まれてしまっていた。


「ところで、隊長」

「ん?」


 苛立たしい話題を強引に打ち切り、晴銀歌が別の話を持ち出してきた。その目は鷺軍の奥、開戦から一切動かない兵塊に向けられている。


「あそこでずっと待機している軍は、一体何をしてるんですか?」

「そりゃ、俺たちを警戒してるんだろう。ウィングローは把握できない兵力が敵にいることに気づいていて、その位置を特定できないから、奇襲に備えている」

「あ、なるほど」

「他には?」

「え?」

「あの軍の役割はそれだけじゃないぞ。別の働きもしている」


 しばらく、晴銀歌は黙り込んだ。しかし、結局思いつかなかったようだ。


「降参。白旗です」


 片手で小さな旗を振る仕草を、晴銀歌は見せていた。


「あの軍は、あの場から動かないまま、歴燈に圧力をかける役割も果たしているんだよ。顕著なのが、要所で自分の軍と待機中の軍とで挟み込むような動きだな。実際戦場に立つと、あれは絶対に無視できない。挟まれた状態であれが突っ込んできたら、瞬く間に総崩れだからな。歴燈も相当やりづらいだろうよ」


 ちなみに歴燈は卿であるが、今回は候である春楼の下に配されている。だからこそ、ウィングローを相手に山中に引き込んで殲滅するという、春楼発案の策がそのまま採られ、しかも歴燈が敵を釣りに行き、春楼本人は街道の曲がりの奥で待機するという形がまかり通っているのだ。瑚笠は、中央の歪みの縮図を見ている気がした。

 歴燈にとってみれば、自分より格上の相手に寡兵で、しかも犠牲を抑えつつ敗北を演じなければならない。非常に辛い役回りだろう。


 不意に、後方から足音が聞こえてきた。振り向くと、一人の兵がこちらに走ってきている。


「どうした」

「報告します! 不審人物を発見、現在趙葉(ちょうよう)隊の一部が追跡しております」

「人数は」

「確認されたのは、一人です。具足をつけていない模様」


 瑚笠は少し間を置いた。だが、すぐに自ら沈黙を破り、指示を出す。


「引き続き、趙葉隊は追跡に当たってくれ。なるべく生け捕り。しかし、こだわらなくていい。もうすぐ俺らの出番が来るかもしれんし、適当に区切りが付いたら諦めて戻って来い」


 返答と敬礼を置いて、兵はまた走り去った。

 不審人物は、ウィングロー軍の斥候だろうか。位置がつかめない敵を探り出すため、ウィングローは四方八方に偵察を放っているはずだ。その内の一人が発見されたと考えるのが自然である。具足をつけていない、というのは不可解だったが、山に入るため身軽さを選んだのかもしれない。


 瑚笠は息をついた。これはもう、自分たちがここにいる意味はないかもしれない。

 斥候として不審人物を考えると、無事ウィングローのところへ帰還すれば、確実に瑚笠たちの位置は露見する。

 しかし、もし首尾よく捕らえて帰さなかったとしても、斥候が戻らないことからその方向に何かしらの危険があることは察するだろう。どちらにせよ、ウィングローに瑚笠たちの存在とおおよその位置は知られてしまう。


 もっとも、そもそも音に聞こえた鷺の名将、ウィングロー・ファルセリアがこんな策に引っかかるというのが、信じがたい話なのだ。実際、柳礫の太守、林天詞も、開戦前に上策ではないと進言している。しかし、田舎者に何がわかると一蹴された。林天詞も位の上では卿なのだが、やはり春楼の下に配されている。


 田舎者といえば、自分の隊の中にも悩みの種はあった。

 都から来た兵もまた、柳礫守備軍の兵を辺境の田舎者と馬鹿にしている節があるのだ。本来自分の兵でないというのもあるだろうが、明らかに命令の通り方も悪い。若いということから、輪をかけて舐められているのだろう。


 別に若さの不利は重々承知していることであり、今更怒る気など毛頭無いが、命令が通りづらいのはまずい。何かあったら即座に数名処断して引き締めてやろうかと思うが、元は春楼の連れてきた兵であり、揉め事になると面倒だ。


 この戦限り、と瑚笠は自分に言い聞かせ、苦い考えを振り払った。

 その視線の先には、押され続けてじりじりと下がる歴燈軍がある。


「……もう少し、かな」


 それから、十五分ほど。歴燈軍の左翼が、遂に潰走を始めた。雪崩のように軍が崩れていく。そして、鷺軍の追撃が開始された。

 可能性が低いとはいえ、自分の役目があるとすればここだ。


「行くぞ、晴銀歌」

「はいっ」


 言うなり、瑚笠は駆け出した。端切れのいい返事とともに、晴銀歌も後ろからついてくる。

 尾根上を少し行くと、待機中の自分の隊があった。


「全員、臨戦態勢を取れ! 来るぞ!」


 近くにいた兵を伝令に仕立て、他の隊にも通達を出した。その際、この先無駄口を叩いた者は容赦なく処断すると付け加えておく。自分の隊は言わずとも喋る者などいないだろうが、他はかなり不安があった。万一ウィングローが釣られてきた時、山上の物音で気づかれました、では笑えない。


 間もなく、敗走してきた歴燈軍が眼下に差し掛かった。晴銀歌は固唾を飲んでじっと見守っていたが、その隣の瑚笠は既に冷めていた。

 潰走してはいるが、比較的まとまっている。全力で追撃してきているなら、もっと崩れているはずだ。

 それは、代わりに岩場の物陰から見張らせていた兵が帰ってきたことで、確かなものとなった。


「追撃隊、山の手前で引き返しました」


 了解と返してから、瑚笠は隊の臨戦態勢を解いた。予想通りであったこともあり、その後の指示もよどみない。

 また暇になったので、晴銀歌を連れて先程の岩場に戻った。既にウィングロー軍はひとかたまりになっている。遠すぎて各個人が何をしているのかは見えないが、休憩をとっているのだろう。


「完敗……ですね」


 ぽつりと漏らした晴銀歌の言葉に、瑚笠はうなずいた。結果を見ると、自分と街道を挟んで反対側の山上の隊、それに街道奥の春楼、林天詞の軍は無傷だが、上手く負けなければならないという枷を付けられた中でぶつかり合いをした歴燈軍は、大きく数を減らしている。一方で、ウィングロー軍の犠牲は少ない。敗北以外の何物でもなかった。


「このまま、両軍手を引いてくれれば有難いんだがな。卿がどうたらとか言っている限り、そうそう簡単には終わらんよなあ」

「直接ウィングローとやりあったわけでもないですし、こりてはいないですよね……」

「まあ、一度万単位の戦がどんなものか、経験したいというのはある」


 柳礫軍の総勢は五千であり、これらが全員出払うことはまず有り得ない。今も、二千を守備に置いている。そのため、普段の小競り合いでは、規模が大きくても、せいぜい千同士の戦いに過ぎないのだ。百単位、千単位の戦ではかなりの違いがあることからも、万単位ではどうなるのか体感してみたいところではあった。


「あの候の下で、というのは御免です」

「全くだ。命がいくつあっても足りん。全部盾にされそうだ」


 くすっと晴銀歌が笑った。正直不謹慎だが、苦労させられるのはこちらだ。愚痴くらいは言ってもいいだろう。

 一刻ほどで、春楼に今後の指示を仰ぎに行った伝令が戻ってきた。元からの部下で、顔も覚えているが、見るからに表情が暗い。


 その報告を聞き、瑚笠は思わず腰掛けた岩盤を殴りつけた。


 要約すると、春楼軍は慣れない地で疲れているため、先に街に戻って休む。林天詞以下柳礫軍は、ウィングローが退却するまでそのままの配置で見張り、もし攻めてきたら迎撃せよ、とのことだ。

 やってられるか。数日前から布陣し、疲れているのはこちらも同じだ。しかもこの寡兵で迎撃など、捨て身も同然。伝令の話では、既に退却が始まっていたらしい。ため息が出る。

 しかし、成果も無しに引き上げる、というのは少々腑に落ちないものも感じる。


「瑚笠殿、林天詞殿からの伝言も預かっております」

「何?」

「曰く、勝てとは言われていない、とのこと」


 瑚笠の脳裏に、悪巧みでもするように不敵に笑う林天詞の顔が浮かんだ。確かに迎え撃てとはあったが、その後どうしろという指示は一切出ていない。極論、ちょっと戦ってから白旗を上げても、命令違反ではない。

 あの人らしいですね、と晴銀歌がまた笑っていた。


「了解。少し気が楽になった。行っていいぞ」


 兵が立ち去ろうとしたところで、ふと足を止めた。どうした、と瑚笠が問うと、兵は焦りを浮かべながら答える。


「申し訳ありません。もう一つ、林天詞殿から伝言を頼まれておりました。不審人物の件ですが、昨日本隊の方でも同様の人物と思わしき者が姿を見せたそうです」

「ほう……」


 先刻不審人物がいた事を、指示を仰ぐついでに報告させておいたのだが、予想外の情報が返って来たようだ。さらに彼の言葉は続く。


「妙なことに、その者は街道の向こう側から来たそうです。その後は山中に逃げ、見失ったとのこと」

「わかった。五百の兵を帰さねばならんし、一度隊に戻る」


 そう言って、瑚笠は立ち上がった。

 確かに妙な話で、普通に考えればおかしい。街道の向こう側、というのはウィングロー軍とは真逆の方向だ。位置的にも見つかりやすい街道上であり、ウィングロー軍の斥候、という予想とは相反する。


 となると、また別の外部の者、ということになるが、これはもう考えても仕方がない。偶然紛れ込んだ民、密偵、可能性は無数に存在するし、その中でこの戦に影響を及ぼすものはそうないだろう。


「隊長……あれ……」


 そんなことを考えながら岩場を去る瑚笠の背後で、平原に揚がる灰旗が、再び動き始めていた。


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