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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第四章 軍神の使者
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予期せぬ来訪

 簡素な幕舎を組み立てた士会は、筵の上で一息ついた。自分の野営の準備は、これでひと段落だ。


 この三日間、士会は袖領に踏み入って活動していた。四方八方、執拗に斥候を出し、見つけた敵は各個撃破している。時にはバリアレスと連携しつつ、三日で七つの敵の隊を潰走させた。どれも報告通り三百前後ほどの数で、弱兵揃いだった。


 バリアレス側も単独で何隊かは撃破しているはずなので、散らした敵の隊は十を軽く超えるだろう。


「お疲れ様です、士会殿」

「ピオレスタか。どうした?」


 いまだ具足姿のままのピオレスタが、柔和な表情を浮かべて声をかけてきた。


「いえ、特に用ということはありません。ただ、今宵は月が綺麗だったもので」

「月か」


 言われて、士会は空を見上げた。雲一つない星空の中、煌々と輝く丸い月が白い光を放っている。


「確かに、綺麗だな」


 そう言ってみたものの、士会には風雅なものをたしなむ心はわからない。ただ、なんとなく話を合わせてみただけだ。


「士会殿は、あまりこういったものには興味を示されないご様子ですね」


 思い切り見抜かれてしまっていたようで、ピオレスタに苦笑されてしまった。


「まあな……興味がないっていうか、あんまり何も感じないな」

「それを興味がないというのですよ」


 そう言うピオレスタの方は、いかにも月を愛でているような姿がしっくりくる美男子だ。無骨な具足ですら、彼が着ていると不思議と趣を感じさせる。


「何にせよ、俺は目の前のことで手一杯だ。今は取り掛かってる戦のことだな」

「と言いつつ、戦場では全体を見ておられるではありませんか。よくいますよ、目の前しか見ていなくて、容易く陥穽(かんせい)にはまる指揮官も」

「俺も、どっちかっていうとそっち側な気がするんだけどな。なんでかわからないけど、戦のことは感覚で理解できてる気がする」

「天性のものがあるのですね。そういった人材が育つのも、この地だからこそでしょうか」

「この地?」

「ハクロのことですよ。この街は、本当に良いところです。私もここで生まれていれば、全く違った人生を送ったことでしょう。今の世の中、才のある者がその力を発揮できることはそう多くありません。ああ、上に取り入り、下から絞り取る才だけは別ですが」


 ピオレスタは元々、料理人としてどこかの街で働いていたという。腕利きと評判だったのだが、それが裏目に出て、他の料理人からの嫉妬を買った。その結果、料理人たちとつるんだ役人にありもしない罪を捏造され、何もかも捨ててその街から逃げる羽目になった、と聞いている。


「確かに、ここじゃしがらみとかに左右されずに、自由にやらせてもらってるな」

「それが稀有なことだということは、わかっておいていただきたいです」

「理解しているよ。だからこそ、この国を変える、なんて話が出てくるんだからな」


 士会はピオレスタと目線を合わせ、両者こくりとうなずいた。


 そのまま、ピオレスタはその場を去っていった。入れ替わりに、ふっと湧き上がるように、人の気配を感じた。


「鏡宵。何かあったか」

「いや。ただの定期連絡だ」


 ピオレスタと会話していた間は、気配を消していたらしい。近くにいることに全く気づかなかった。


「さすがに、そう容易く皇子は見つからないか」

「かなりの力を割いて探しているが、まだだな。もう何日かもらえれば、なんとかなりそうなんだが」


 ある程度でいいとは言われたものの、できることはしておきたいということで、士会は独自に鏡宵、鏡朔の手の者を動かし、皇子寧和の行方を探っていた。潜入に長けた彼らは、士会が自分の隊から出す斥候よりもさらに広範囲を探索している。


「何日かか……時間との勝負だからな。できるだけ早く頼む」

「もちろんだ。……ん? ちょっと待ってくれ、連絡が来た」


 例の彼らにしか聞こえない音域での通信だろう。鏡宵が何やら口をすぼめてやり取りを始めた。やがて彼はにやりと笑って、士会に告げた。


「面白い来客だぜ、士会殿」

「客? こんな時間にか」


 既に日は落ちて、辺りは薄暗くなっている。兵たちは篝火を焚いて周囲を照らし、当番の者は警戒に当たっていた。


 やがて兵が駆けてきて、困惑したような様子で士会に報告を上げた。


「士会殿に会いたいという者が来ています」

「これが来客か。それで、名前は?」

「それが……瑚笠だと申しておりまして」

「何? まさか軍を率いて殴り込みってわけじゃないだろうな」

「いえ、供回り二騎なのでそれはないです。なんでも、伝えたいことがあるとのことで」


 合計三人で滞陣中の敵国の軍に接触してくるとは、なかなか大胆なことをしてくる。これで追い返すというのは、無粋に過ぎるというものだろう。


 気づけば鏡宵は、兵と話している間に音もなく姿を消していた。


「よし、通せ」

「いいんですか?」

「ああ。そうだな、少量でいいから酒も用意してくれ。それから、ピオレスタを呼び戻して、白約にも声かけてこい」


 部下二人と焚火を囲んでいると、戦鴕を連れた三人が兵に付き添われてやってきた。暗がりから火に照らされて、徐々に顔が見えてくる。


「こんばんは、瑚笠」

「いい夜だな、士会」


 常に戦場で突き合わせている顔が、そこにはあった。


「見覚えはあるだろうが、一応紹介しとこう。こっちは俺の騎鴕隊で指揮官をやっている晴銀歌。こいつは歩兵の指揮官の純陽だ」


 当然、見覚えはあった。瑚笠と同じく、戦場で何度となく見た顔だ。


「なら、こちらも。こっちがピオレスタでこっちが白約。どっちも俺の指揮下になる。残念ながら、バリアレスはここにはいないな」

「仕方ない。というか、すまないな。急な(おとな)いをかけてしまって」

「こちらこそすまない。大したもてなしもできず」


 ハクロ軍の野営の訓練では、指揮官でも陣幕すらなく、兵と同じ簡素な幕舎で眠る。そのため、六人で小さな焚火を囲むという侘しい迎え方しかできなかったのだ。少量の酒があるのが、せめてもの救いだった。もっとも、士会自身は飲みはしないが。


「何の。ただ、意外ではあったな。崑霊郷(こんれいきょう)の使者というのだから、それなりに派手なものを想像していた」

「止めてくれ。あまり好きじゃないんだ、その肩書。今の俺はハクロの一将校。歩兵指揮官の士会だ」

「いや、安心したぜ。肩書にあぐらをかいてふんぞり返ってるような奴なら、全くの無駄足になっちまうからな」

「となると、気まぐれにやってきたわけじゃなさそうだな」


 士会は瑚笠が危険を冒してまでやってきた理由を測りかねていた。士会からすれば、敵の指揮官をまとめて捕縛できる良い機会でもあるのだ。もちろんそんなことをするつもりは微塵もないが、瑚笠の側から考えれば必ず警戒すべきことのはずだ。それでも、彼はここにやってきている。何か大きな理由があるはずだった。


「まあ、いつも戦ってる相手の顔を間近で見たかったってのもあるが……それは二の次だな。士会、紐寧和様の件に関しては知っているな?」

「ああ。皇子寧和と皇子燐紗が、共謀して反乱を起こそうとしたっていうあれだろ。実際のところはともかくとして」

「そうだ。そしてその二人だが、まだ見つかっていない。ただ、どうやら鷺への亡命を選んで、こちらの方へ逃げてきているようだ」

「そこまでは、こっちでもつかんでいる。ただ、まだ俺たちも皇子たちの捕捉はできていないな」

「本題はここからだ。昨日、俺たちにも出動命令が届いた。反乱分子を可能なら捕縛、できないなら抹殺せよとな」


 じりじりと燃える焚火に照らされた柳礫勢の顔には、表情が映っていなかった。


「士会殿、瑚笠殿。ここらで一発、立ち合いでもどうです?」


 急に晴銀歌が大声を出した。


「は? 立ち合い?」

「いいな。俺の剣とお前の双剣、どちらが上か試してみたい」

「おおーい! 士会殿と瑚笠殿が立ち合いするってよー!」


 純陽が周囲に響き渡る声で、決まってもいない立ち合いの話を広めていく。それに釣られて、兵たちがぞろぞろと集まってきた。ハクロ勢が困惑する中で、引き返せないところまでとんとん拍子で話が進んでいく。


「なんだ、おい。どういうつもりだ」

「悪いが付き合ってくれ。どこで聞かれてるかわからんからな。お前らの軍に間者が入り込んでいないとも限らない」

「何……? ああ、そういうことか」


 士会はようやく合点がいった。内密な話をしたいが、陣幕すらない会合では盗み聞きされる心配もあり得る。立ち合いなら野次馬は一定の距離を取らざるを得ないので、斬り結ぶ合間に話をすれば、それほど声を落とさなくても周囲には聞かれない。


「いいだろう。少し待ってくれ。俺の剣を取ってこさせる。真剣の寸止めでいいよな?」

「ああ」


 瑚笠が腰に()いた剣を握って見せた。


 晴天剣と嵐天剣が運ばれてきた。美しい二色の刃を確認してから、士会は瑚笠と向き合う。


 士会の部隊の兵たちが、遠巻きに二人を囲んでいた。瑚笠の連れの晴銀歌と純陽は、士会の部下のピオレスタと白約とともに固まっている。彼らは彼らで、なにやら言葉を交わしているようだ。


 二人は少し距離を取って対峙していた。互いに剣を構えたまま、じりじりと回るように歩を運ぶ。


 次の瞬間、二人は同時に飛び出し、剣を重ね合わせた。交差した士会の双剣が、瑚笠の剣閃をがっちりと受け止める。


「俺たち柳礫の軍では――」


 瑚笠が話しながらも後ろに飛び退った。合わせるように士会は追いすがり、上段から斬りつける。


 周囲に聞こえないよう、瑚笠の声は控えめだった。


「――紐寧和様を尊敬している」


 瑚笠はさらに下がってかわした後、剣を突き出してきた。士会は体さばきで避ける。耳の横を剣とともに風を斬る音が過ぎ去っていった。


「捕縛するのは本意ではない」


 話をするためだろう、瑚笠の剣筋は読みやすかった。士会もわざとらしくならない程度に、単調な攻めを繰り返す。


「あの人に反乱の汚名を着せて処断するなど、袖の歴史に残る汚点になるだろう」


 瑚笠の口調は静かだが、言葉の端々から怒りのようなものが伝わってきた。内心は、煮えたぎるように熱くなっているのだろう。


「だが、軍令だ。背くわけにもいかない」


 軍令が絶対のものであることは、士会にも理解できた。それが揺らげば、軍という組織の根幹も揺らぐことになる。


 瑚笠の剣の一振りを、士会は双剣両方で受け止めた。勢いを抑えきれず、体ごと後ろに押しのけられる。


「ただ、それとわからない場合なら――」

「目をつぶることはできる、ということか」


 士会は瑚笠の言葉を引き継いだ。うなずきながら、瑚笠は剣を引いて二歩下がった。


 即座に士会は距離を詰める。この声の大きさで話をするには、常に接近している必要がある。


「お前たち、紐寧和様を探しているんだよな」

「ああ。こちらに来ているのは確実なんだな?」

「俺たちに下った軍令では、そう言っていたな」


 互いに意表を突いた動きはない。剣を何合も打ち合わせ、派手な音を立てる。周囲の者たちが、互いに引かない斬り合いにやいのやいのと声を上げていた。密談がかき消されるので、ありがたい。


「柳礫の太守は、このことを知ってるのか」

「知っている。というより、俺は林天詞殿からの使者だ」


 ということは、柳礫軍全体が、状況によっては消極的にとはいえ味方してくれることになる。そこまでいかなくとも、精兵を揃えている手強い柳礫軍が、皇子の捕縛に対し積極性を欠いているという情報だけで十分価値があった。


「話はそれだけか?」

「ああ。だが、このまま終わるというのも味気ないだろう」

「全くだな」


 鍔迫(つばぜ)り合っていた剣を互いに放し、二人して後ろに飛び退った。


 瑚笠の放つ気が、見違えるほどに変化した。剣を構えたその姿から、重圧をひしひしと感じる。士会も戦意を横溢(おういつ)させ、瑚笠の変貌に応じた。ほう、と瑚笠から感嘆したような声が漏れる。


 ここからは、本気の勝負だ。


 瑚笠が剣を振りかぶって突っ込んできた。間合いギリギリのところから、力強い剣閃が放たれる。


 士会は体をそらし、一歩下がりながらそれをかわした。すぐに前進に転じ、右手の嵐天剣で斬り上げる。同じく体をそらした瑚笠に、左手の晴天剣で追撃を加えた。瑚笠はそれを戻してきた剣で受け止める。


「やるな……片腕とは思えん膂力(りょりょく)だ」

「力だけとは思わないことだ……な!」


 士会は回りながらすれ違い、回転に合わせて二本の剣を振り切った。別々の方向に走った剣筋を、瑚笠は片方を剣で受け、もう片方をかろうじてかわした。


 思い出しているのは、亡きイアルの背中だ。一振りが次の一振りへとつながり、円を描くように次々と斬っていく。その姿はまるで舞っているようにも見えた。具足ごと斬り裂くイアルの剣技には遠く及ばないものの、目指すべきものの形は士会の脳裏にしっかりと焼き付いていた。


 瑚笠の剣を嵐天剣でさばく。そのまま晴天剣を上段に突き出す。かわされるが、それは想定内だ。瑚笠の剣の戻りを嵐天剣で抑えながら、晴天剣で斬り下ろす。間一髪、瑚笠は後ろに大きく跳んで避けた。


 つま先に力をこめ、瞬時に距離を詰める。


 真正面からの斬り合いになった。先ほどの遊びのような軽い攻防ではない。紙一重のところでかわし、斬りつけ、受け流す。


 瑚笠の剣筋は真っ直ぐで、だからこそ瑚笠の感情も伝わってきた。際どい勝負を楽しむ快感。剣と剣がぶつかり合う度訪れる興奮。その中で小さく渦巻く葛藤。立ち合いの中でも忘れきれないほど、敬服している皇子と敵対しなければならない苦悩は大きいのだろう。


 そしてそれは、ほんの少しだけだが、瑚笠の剣を乱していた。


 決着は一瞬だった。馳せ違い、振り向きざまに互いの剣が交錯する。


 瑚笠の剣が士会の頭の脇をすり抜け、嵐天剣が瑚笠の首にピタリと当てられていた。


 瑚笠が構えを解き、剣を手から離した。降参の印だろう。


 途端に周囲の人垣がわっと沸いた。自分たちの指揮官の勝利に、歓喜の声を上げている。そんな中で、士会は瑚笠と短く言葉を交わした。


「負けた。完敗だ」

「勝った。けど、今度は何のわだかまりもない時にやりたいな」

「……わかるか。そりゃ、わかるよな。ああ、またの機会を待つとしよう」


 士会は嵐天剣を地に置き、手を差し出した。その手を瑚笠はためらいもなく握りしめた。


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