任務
二週間が過ぎても、皇子寧和が捕らえられたという報は入ってこなかった。
続報によれば、皇子燐紗も反乱の密議に関わっていたのだという。少なくとも、袖ではそういうことになっているようだった。
「というわけだから、向こうは自分たちの内紛で忙しそうだ。しばらくは平和が続くだろうな」
「あのさ、会君。そういうの、フラグって言うんだよね」
フィナとの通信で袖の内情について話していると、フィナにずばりと言われてしまった。
そのフィナは最近、至極機嫌が良い。士会がフェロンに帰還する目途が立ってきたのが、ことのほか嬉しいらしかった。今日もにこにこといつも以上に輝かしい笑みを見せてくれている。
「戦になったらその時はその時だ。今度は、あの時のような醜態は晒さない」
「会君、強いもんね。私もあんまり心配してないよ」
それはそれでちょっと寂しいが、信頼してくれているのは嬉しくもある。
「まあ、やっぱり平和が一番だけどな」
「そうだね」
定期的に連絡を取っているので、話題は他愛もないことに終始する。そこで士会はふと気になって、フィナに尋ねてみた。
「そういえば、亮はまだ勉強してるのか?」
「うん。毎日飽きもせずやってるよ。この前は良い先生が見つかったって言って喜んでた。びっくりだよね」
「全くだぜ。まああいつ、昔から必要な分だけの努力はするからな。今はそれだけやらなきゃいけないってことなんだろうな」
「亮、不必要な分はためらいなく他に回しちゃうもんね。要領も良いし」
「そこがあいつの面白いところでもある」
亮は非常に頭が良い。成績はもちろん良いが、それだけではなく、頭の使い方が非常に効率的で、しかも多角的なのだ。知識や経験を的確に統合して、常に物事に当たっている。一を聞いて十を知る、とはいかないまでも、それに近いことはやってのけるのだ。一面からしか物事を見られない自分とは、随分頭の出来が違うように、士会は思う。
どうも一事に全力を投入するのではなく、様々なことにまんべんなく興味を向け、手を出すのが亮のやり方らしく、実際彼は多趣味だった。あんまり多いと一つ一つが薄っぺらくなってしまうため、流石に数は絞っていると本人は言っていたが、それにしても多い。
そんな彼が、一極集中して打ち込めるものを見つけられたらどうなるのだろう。空恐ろしい。
「でも、会君は会君で良いところあるよ? ちょっと乱暴だけど優しいところとか」
「ありがとう、けど大丈夫だ。とっくに割り切ってる」
わざわざフィナが褒めてくれたのは、彼女なりに気を使ってくれたのだろう。
確かに一時、中学に上がったくらいの頃、亮の優秀さに劣等感を抱いたこともあった。けれど、そんなことを考えても仕方ないのだ。ぐじぐじ悩むくらいなら、少しでも追いつけるよう足りない脳みそなり有り余る体なりを動かしたほうがずっといい。
「別にフォローだけで言ったんじゃないよ? 本当にそう思ってるからこそ、私は会君のことが好きなんだし」
「む。それは……ありがとう」
直球で話す彼女の好意にはいまだに慣れられず、士会はまたも顔を赤らめていた。ごまかすように、ぼそぼそと別れを告げる。
「今日はこれくらいで、それじゃまた。その、俺も好き……だから」
「うん。ありがと!」
照れる様子もないフィナの声を最後に、交信は切れた。
フィナとの会話はいつもこうだ。士会がいつもシュシュすら遠ざけ、単独でのみフィナと話すゆえんである。
ふと、士会は仰向けに寝転がった自分がいかに緩んだ表情をしているのかに気づき、不自然なまでに顔を引き締めた。
好きな人に好きと言われて、嬉しくないわけがないのだ。
「……よし! 風呂にするか」
跳ね起きて、そのまま部屋の戸を開ける。すると、そこには、
「シュシュ……」
自身の従者が尻餅をついていた。
「………………」
「………………」
「……あ、あのそのこれはですね」
「もしかして、覗いてた?」
「ええと、わ、私には従者として主と元主の行く末を見守るという大事な使命が」
「………………」
半眼で見つめ続けると、シュシュは冷や汗を見る間に増やして行き、
「ご、ごめんなさい気になって仕方がなかったんですううううう!」
ついに白状し、脱兎のごとく逃げていった。
士会はなんとなく頭をかきながら、呟く。
「全く……でもやっぱ、恋バナとか好きなのな」
女の子は、いつの世も変わらない。
翌日、空き時間に士会がバリアレスと立ち合いをしていると、アルバストから呼び出しがかかった。
バリアレスの攻撃は激しい。士会は立ち合い中、片時たりとも気が抜けなかった。戦績はバリアレスが勝ち越している。最初はバリアレスの方が実力が上だったのだ。今は拮抗しているが、始めの頃についた黒星を挽回するには至っていない。
二人の立ち合いには人だかりができており、やいのやいのと応援する声が響いていた。若き指揮官同士の一騎討ちは兵たちの娯楽にもなっており、中には賭けをする者もいる。上から下まで賭け事好きが多いなと士会は思うが、士会の世界と比べてそれだけ娯楽が少ないのだろう、とある時納得した。週に何度もやっている一騎討ち程度で、こんなに盛り上がることができるのも、それが原因なのだろう。野球やサッカーを観戦する感覚に近いのかもしれない。
「そこまで!」
シュシュの舌足らずな声が響いた時、士会の棒はバリアレスの首筋の直前で止められ、バリアレスの棒は士会の後頭部をぶっ叩いた。
「痛ってえ」
士会が頭を押さえて地面にうずくまる。シュシュが慌てて駆け寄ってきた。
「バリアレスてめえ、寸止めの約束だろうが! 頭割れるかと思ったぞ」
「すまんすまん、あれでも抑えたんだが止まり切らなかったんだよ」
恨めしそうにバリアレスを見上げる士会の背後で、シュシュが頭の様子をのぞき込む。
「うーん、こぶになってますね……。冷やしましょう、水汲んできます」
「いいよ、ほっといたら治るし」
「だめです。頭悪くしたら大変です」
ぱたぱたとせわしなくシュシュが走り去っていく。決着がついたこともあり、人垣は崩れ始めていた。
一瞬、バカになるぞと皮肉られているのかと思ってしまったが、シュシュに限ってそれはない。単純に、頭の怪我は良くないと言いたかったのだろう。長年付き合いのある友人に、毒され過ぎた。
「……どうした?」
じっとシュシュが駆け去った方を見ていたからだろう、バリアレスが怪訝に思ったようで、声をかけてきた。
「いや、ちょっと亮のこと思い出しててな」
「なんだ、やっぱり寂しいのか?」
にやっとバリアレスが笑ってきた。むこうずねを蹴りながら、違うと言い返す。
「痛え」
「ふと思い出しただけだ」
以前、幼い頃から家も隣でずっと一緒だったという話をしてから、バリアレスは時折このネタでいじってくる。
「士会様、汲んでまいりました! 頭、失礼しますね」
座ったままの士会の後頭部に、近くの井戸水をいっぱいにした革袋が押し付けられた。確かに少しひんやりして、気持ちいい。
「まったくもう、だから具足を付けてくださいって言ってるのに」
「それも大事なんだろうけどさ、やっぱ邪魔なんだよな、あれ」
「だよな。全身に重りつけてるようなもんだし。うざってえんだよ」
調練の時はともかくとして、この立ち合いをやる時は、具足を着込まずに行っている。理由は言ったとおり、動くのに邪魔だからだ。ただの遊びで、重荷を背負うのは鬱陶しい。
「もう……なんのための具足なんだか」
「あ、心配しなくても、戦の時はちゃんとつけるよ」
「当たり前です!」
怒られた。ぐっと革袋を頭に押し付けられる。
けれど、かなり遠慮がなくなった証として考えると、嬉しいことだ。会った当時ではこうはいかなかっただろう。
そうしているうちに、ふと気になって、士会はシュシュに聞いてみた。
「なあ、そういえば、お前は寂しくないのか?」
「え?」
口をついて出た疑問だったため、言葉が足りなかったらしい。
「前に、ずっとミルメルと一緒にフィナの世話してた、とか聞いたからさ。主人だったフィナはともかくとして、ミルメルと離れ離れは結構寂しいのかなーと思って」
「いえ、そうでもないですよ。フィリムレーナ様のお世話は、何も私とミルメルだけがやっていたわけじゃないですし。確かに、ミルメルが近くにいないってすごく変な感じがしましたし、すごく良く……それはもう、これ以上ないくらい良くしてもらったフィリムレーナ様のお側にいられないのも、残念ですけど……でも、寂しくはないです」
「そうなのか?」
「はい。だって今は、士会様のお世話が出来て幸せですから」
不意打ちがもろに入り、士会は赤面した。背中側にシュシュが立っているので、顔を見られないのが救いだ。それでも、シュシュが一転して上機嫌なのはなんとなく伝わってくる。
「大事にしてるんだな、その従者」
茶化されるかと思いきや、バリアレスが口に出したのは全く別のことだった。
「ん、でもこんなもんじゃないのか?」
「いや、だって従者だぞ? 金払って世話させてるって意識しかないな」
「そういうもんか。俺は人に世話焼かれるって、親以外慣れてないからな。結局給料も、皇室がいまだに出してるし」
「むしろ親にしてもらったことないぞ。特に父上」
ウィングローがかいがいしく息子の世話をしている姿は、確かに想像しづらい。
「大体は乳母か侍従だからな。母上には、まあまあ面倒見てもらった気はするけど。あ、いや、戦については父上から教わったな」
訓練をしていると、すぐに汗ばむ時期になった。しばらくすれば、こちらに渡ってきて一年が経つ。当初は冬もいよいよ本番、という時季から、真夏のこちらに渡ってきて、気温差に難儀したものだ。
一年近くも姿を見せないとなれば、親も相当心配しているだろう。死んだとすら、思われているかも知れない。帰ったら自分の墓とご対面、なんてなかなか笑えない。
戻る方法、早く分かるといいな。
士会はそう、心の中で呟いた。
いつも通り部屋の前で汚れを確認してからアルバストの執務室に入ると、アルバストはすぐに本題に入った。
「ここ数日、袖からの領土侵犯が著しい」
「うん? 瑚笠たちならいつも通りの様子ですが」
「いやいや、彼らだけなら平常運転なんだけどね。数百単位の隊がいくつも国境周辺をうろついていて、時々こっちまで入り込んでくるんだよ」
「所属は?」
「旗を出してないからわからない。ただ、柳礫の軍じゃなさそうだ。動きが洗練されていなかった」
話によれば、今朝、アルバスト自身で様子を見に行ったらしい。少し探しただけでも、そうした隊が複数見つかったそうだ。
「これは……皇子寧和関連ですかね」
士会が聞くと、アルバストは大仰にうなずいた。
「それくらいしか思い当たらないね。もしかすると、うちの国に亡命しようとしているのかもしれない」
「けどこの状況だと、その動きは捕捉されてますね」
「国境に厳重な警備を敷いているってことだもんな、これ」
バリアレスの言に、士会が追随した。
「まさしく。さて、亡命を受け入れるかどうかは朝廷で決めることだけど、身柄を確保することはそれ以前の問題だ」
「袖側で捕まっちまえば、亡命も何もないですもんね」
「そう、そこでだ。君たち明日から野営の調練だったよね」
「はい」
戦場で敵と対峙しながら夜を迎えることもある。そんな時でも問題なく対応できるよう、ハクロの軍では数日間に渡って野営を続けることがあった。
「それに付け足して任務を与える。バリアレスは、侵犯したかどうか怪しい奴らを国境の警備という名目で全員散らしてくれ」
「見敵必殺ですね了解です」
「そこまでしろとは言ってない。軍として機能しない程度に散らすだけでいいよ。一つの隊を殲滅するより、いくつもの隊を潰走させてくれ」
「要するに、あいつらの国境警備をガタガタにしてしまえってことですよね」
士会がまとめると、アルバストはそういうこと、とうなずいた。
「で、士会の方だけど。見かけた敵はバリアレスと同じように潰してほしい。ただ本題は別で、皇子たちの捜索を頼みたい」
「……というと、潜入ですか? ちょっと自信ないんですが」
「だから、そこまでしろとは言ってない。まあある程度越境することになるけど、奥深く入り込むことはないよ。調練のついでにちょっと遠出して、軽く敵蹴散らして、運よく皇子たちに巡り会えたらいいなあくらいの心づもりでいいから」
「なるほど。皇子たちがこっちまで来てるかどうかも不透明ですもんね。予防線を張っとこうってところですか。それにしちゃ、やること多い気もしますが」
「一つ一つはそう難しくないし、なんとかなるさ」
「まあ、そうですね。兵は今率いている千を、そのまま連れて行けばいいですか」
「ああ。バリアレスも三百で任務に当たってくれ」
「了解しました。よっしゃ、腕が鳴るぜ」
パキポキとバリアレスが指を組んで音を出していた。
「敵は一隊につきおおよそ三百と考えていいんですかね? 前の話じゃ、万単位が動いているなんて言ってましたけど」
「確認した限りではそうだね。あんまり多くても動きが鈍くなるだけだし、かなりばらけて動いているんだろう。敵わないと判断した相手との交戦は避けてくれたまえ」
「わかりました」
アルバストの執務室を退出し、士会は翌日からの任務の準備に入った。